遇恵而開
第3話:遇恵而開
目を覚ますと、恵太は見知らぬ場所に横たわっていた。
体を起こすと、目の前には古びた祠がある。苔むした石段に、傾いた異形のアラバスターの鳥居――明らかに日本のそれとは違う様式だった。祠の奥には重々しい鉄の扉があり、何重もの太い鎖と、朱色の封印札で固く閉ざされている。その上に掲げられた額には、禍々しい筆致で『伏魔殿』と刻まれていた。
(ここ、どこだ……?)
泥のついたジャージのまま山を下ると、煙のあがる小さな集落が見えた。
道に迷った異国の少年を、村人たちは困惑しながらも温かく迎えてくれた。村の長老は、恵太が祠の話を出した途端、顔色を変えて身を震わせた。
「あれは……決して近づいてはならぬ場所じゃ」
長老の口から語られたのは、かつて天界を追放された百八の魔星――三十六の天罡星と、七十二の地煞星の伝説だった。ひとたび解き放たれれば、天下は大乱に見舞われるという。
「絶対に、あの扉に触れてはなりませぬ」
恵太は静かに頷いた。……頷いた、はずだった。
だがその夜。祠の近くを通りかかった恵太の耳に、かすかな「声」が届いた。
『痛い……』『寒い……』『助けて……』
鉄の扉の向こうから、無数の幼い子供のような、呻き声が漏れ聞こえていたのだ。
(誰かが……閉じ込められている?)
胸が激しく波打つ。困っている者、苦しんでいる者を目の前にして、背を向けることなど恵太の人生には一度たりともなかった。
翌朝、恵太は制止する村人たちを押し切り、祠の前へと立った。
「開けちゃダメだ! 中にいるのは悪魔なんだ!」
「でも、苦しんでるんだ!」
恵太は村人たちに向き直り、強い眼差しで言い放った。
「何年も、何十年も暗闇に閉じ込められて泣いてるんだぞ! どんな奴だろうと、そのままにしておけるかよ! 責任は……俺が全部取る!」
制止を振り切り、恵太は力任せに鎖を叩き落とし、扉を押し開けた。
中に置かれていたのは、一枚の古びた石碑。そこには鮮烈な朱で、こう刻まれていた。
『遇恵而開』
――恵に遇いて開く。
(恵……俺の名だ。俺が、こいつらを救うためにここに来たんだ)
疑いもなく手を伸ばし、石碑を動かした。
――次の瞬間。
目も眩むような漆黒と黄金の閃光が、祠の奥から爆発的に噴き上がった。
「ヒッ……うわああっ!?」
村人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。地鳴りが山全体を揺らし、眩い光の柱が天を突いた。その中心から、三十六と七十二――計百八つの光の球体が、咆哮とともに夜空の彼方へと飛び去っていく。
光が収まったあと。
静まり返った境内で、恵太は自分の指先を見つめたまま、へたり込んでいた。
救ったはずだった。助けたくて手を伸ばしたはずだった。
だが、自分のしでかしたことの「本当の意味」が、冷たい風とともに胸を刺す。
「……嘘だろ」
ぽつりと漏れたその一言だけが、無情にも闇に消えていった。




