第99話 炉の高さを比べよう
翌朝。
鍛冶場の作業台には、三枚の設計図が並べられていた。
低い炉。
今まで使ってきた二号実験炉。
そして。
さらに一段高くした炉。
もっとも、三つを同時に作るわけではない。
ゴルンに「一個ずつだ」と止められたため、今日はまず、今までより少し低い炉から試すことになっていた。
アルス「でも本当に低くするんですか?」
ゴルン「比較するなら必要だろ」
アルス「今まで高くしたら良くなったのに」
ゴルン「だからだ」
ゴルンは図面を指先で叩く。
ゴルン「高くしたから良くなった。それは分かってる」
ゴルン「だが、どこから良くなるのかは分かってねぇ」
アルス「なるほど」
ゴルン「低すぎるとどうなるのか。それを知っとけば、次に高くする時の基準になる」
アルス「失敗しそうって分かっててもやる?」
ゴルン「失敗する理由を知るためにな」
アルスは少し笑った。
アルス「最近、失敗を見るのが普通になってきました」
ゴルン「それでいい」
そこで。
低い実験炉へ火が入れられる。
高さは二号炉の八割ほど。
炉壁の厚さ。
送風口。
木炭。
砂鉄。
回転式二連ふいごの回転数。
それらは、できる限りこれまでと同じにした。
アルス「変えたのは高さだけ」
ゴルン「そのつもりだ」
火が回る。
左右から風が入り。
木炭が赤くなる。
砂鉄を投入する。
そして。
待つ。
また砂鉄。
また木炭。
今までと同じように。
しかし。
しばらくすると。
アルス「……早い」
ゴルン「ああ」
砂鉄が下へ落ちていく速度。
正確に見えるわけではない。
それでも。
木炭の層が沈む速さ。
炉の中で変化する様子。
そこから。
アルスにも何となく分かる。
アルス「熱いところを通る時間、短い?」
ゴルン「たぶんな」
アルス「やっぱり高さって、そのまま時間になるんだ」
上から入った砂鉄が。
木炭の間を通り。
熱せられながら。
少しずつ下へ移動する。
炉が低ければ。
その距離も短い。
つまり。
変化する時間も短くなる。
数時間後。
炉を冷まし。
内部を確認する。
結果は。
予想通りだった。
アルス「鉄になりきってない部分、多い……」
ゴルン「中央でもこれか」
以前なら良質鋼が比較的多く取れていた中央付近でも。
今回は。
黒い滓。
柔らかい鉄。
還元しきれていない部分。
それらが多い。
アルス「低すぎると駄目」
ゴルン「少なくとも今の条件じゃな」
アルス「じゃあ次は普通の高さ」
ゴルン「ああ」
◇◇◇
翌日。
今まで使ってきた二号実験炉。
高さ。
送風。
木炭。
砂鉄。
全部。
現在までの最良条件に合わせる。
そして。
結果。
こちらは。
いつも通りだった。
中央付近から。
基準鋼に近いものが。
ある程度取れる。
アルス「やっぱり今の炉は悪くない」
ゴルン「悪くはない」
アルス「でももっと良くできるかもしれない」
ゴルン「それを見るために次だ」
そして。
三回目。
今までより。
一・五倍ほど高い炉。
以前作った二号実験炉よりも。
明らかに背が高い。
アルス「大きい……」
ゴルン「これ以上は一気に高くしねぇぞ」
アルス「はい」
ゴルン「高くすりゃ良いってもんじゃないからな」
炉壁も。
少し厚くした。
高さが増えたことで。
木炭の重さ。
熱。
内部からかかる圧力。
それらも増える可能性があるからだ。
炉へ火を入れる。
回転式二連ふいごが動き始める。
最初は順調だった。
だが。
しばらくすると。
アルス「……上の方、赤くない?」
ゴルン「俺も気になってた」
炉の下部は。
かなり強く赤熱している。
しかし。
上部。
そこまで。
熱が十分に回っていないように見える。
アルス「下だけ熱い?」
ゴルン「高くした分、上まで熱を上げるのに時間がかかってるな」
アルス「じゃあもっと待つ?」
ゴルン「まずはな」
予熱時間を長くする。
しかし。
別の問題も出てきた。
アルス「木炭、下ばっかり減ってません?」
ゴルン「ああ」
上部の木炭は残っている。
下部は。
送風口に近いこともあり。
燃焼が強い。
結果。
下ばかりが消費され。
上との状態差が。
以前より大きい。
アルス「これじゃ、砂鉄が上であまり熱くならない」
ゴルン「そのまま下へ落ちて」
アルス「急に熱いところに入る?」
ゴルン「そうなる」
アルスは眉を寄せる。
炉を高くした。
目的は。
砂鉄を熱の中へ長く置くこと。
なのに。
上部が十分に熱くなければ。
単に。
冷たい場所を長く通るだけになる。
アルス「意味ない……」
ゴルン「そういうことだな」
◇◇◇
実験は続行する。
ただし。
途中から。
炉壁の一部に。
細い亀裂が入った。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「分かってる」
炉が高くなったことで。
上に積まれた木炭。
砂鉄。
それらの重さも増える。
さらに。
下部と上部の温度差。
膨張の差。
それが。
炉壁へ負担をかけている可能性もある。
ゴルン「危険になる前に止めるぞ」
アルス「はい」
前なら。
あと少し。
もう少しだけ。
そう言っていたかもしれない。
しかし今は。
アルスも。
すぐに頷いた。
安全を優先する。
実験は。
やり直せる。
人が怪我をしたら。
そう簡単には戻せない。
◇◇◇
炉を冷却し。
内部を確認する。
結果。
下部には。
かなり硬い鋼ができていた。
しかし。
脆い。
そして。
上から中ほどでは。
鉄になりきっていない部分が多い。
アルス「高くしたら、良くなる場所と悪くなる場所が広がった?」
ゴルン「そんな感じだな」
アルス「じゃあ高さだけ増やすのは駄目」
ゴルン「ああ」
アルスは。
しばらく炉を見つめる。
そして。
小さく呟く。
アルス「炉を高くするだけじゃなくて」
ゴルン「ん?」
アルス「下から上まで」
「ちゃんと火の状態を保たないと駄目なんだ」
ゴルンが。
ゆっくり頷いた。
ゴルン「ああ」
アルス「じゃあ」
「上の方にも熱を回す?」
ゴルン「どうやって?」
アルス「……風?」
そこまで言って。
アルスは止まる。
送風口を上にも付ける。
単純に考えれば。
そうなる。
しかし。
上へ風を送れば。
燃焼する場所が変わる。
木炭の消費。
砂鉄の落ち方。
全部。
変化する。
アルス「簡単じゃない」
ゴルン「分かってきたじゃねぇか」
◇◇◇
ゴルンは。
少し考え込む。
そして。
昔を思い出すように。
目を細めた。
ゴルン「そういや」
アルス「何です?」
ゴルン「昔、爺さんから聞いたことがある」
アルス「ゴルンさんのおじいさん?」
ゴルン「ああ」
「俺の爺さんも鍛冶師だった」
ゴルンは。
炉の残骸を見る。
ゴルン「昔の製鉄職人はな」
「火を育てる、って言ってたらしい」
アルス「火を育てる?」
ゴルン「ああ」
アルスは首を傾げる。
ゴルン「最初から強い火にするんじゃない」
「炉を温め」
「炭を馴染ませ」
「風を入れ」
「炉そのものを」
「使える状態へ育てる」
アルス「炉を……育てる」
ゴルン「爺さんの話だから」
「正確な意味は知らん」
「だが」
ゴルンは炉壁へ触れない距離から眺める。
ゴルン「今やってること見てると」
「少し分かる気がする」
◇◇◇
アルスも。
炉を見る。
ただ。
火をつける。
熱くする。
それだけではない。
炉そのものが。
温まり。
内部の熱が安定し。
木炭の燃え方が揃い。
空気の流れが整う。
そこまで。
時間が必要なのかもしれない。
アルス「予熱」
ゴルン「何だ?」
アルス「あ」
また前世の言葉。
アルス「最初に」
「炉全体を十分温める時間です」
ゴルン「それなら意味は分かる」
アルス「高い炉なら」
「今までより予熱を長くする?」
ゴルン「試す価値はある」
◇◇◇
さらに。
炭焼き職人ドランも呼ばれた。
ドラン「高い炉?」
アルス「上の方まで熱くしたいんです」
ドラン「なら最初に使う炭を変えてみるか?」
アルス「炭を?」
ドラン「ああ」
ドランは。
二種類の木炭を持ってくる。
ドラン「最初だけ火付きの良い炭を多めに使う」
アルス「前に比較した柔らかい炭?」
ドラン「そうだ」
ゴルン「炉全体へ早く火を回すためか」
ドラン「それで温まったら、火持ちの良い硬い炭へ切り替える」
アルス「なるほど……」
以前。
柔らかい炭は。
製鉄本番には。
燃え方が安定しづらかった。
しかし。
立ち上げ。
炉全体を温める。
その用途なら。
むしろ。
火付きの良さが利点になる。
アルス「同じ炭でも」
「使う場所じゃなくて」
「使う時間で役割を変える」
ドラン「そういうことだな」
ゴルン「材料に良い悪いだけつけるなって話だ」
アルスは。
以前聞いた言葉を。
また思い出す。
硬い鋼。
柔らかい鋼。
どちらも。
用途が違う。
木炭も。
同じだった。
◇◇◇
数日後。
高い炉を。
作り直す。
今度は。
炉壁の補強も増やした。
さらに。
本番の砂鉄を入れる前に。
長い時間。
予熱する。
最初は。
火付きの良い炭。
炉全体が温まってきたら。
硬い炭へ。
徐々に切り替える。
アルス「上の方も赤くなってきた」
ゴルン「ああ」
アルス「前より全体が温まってる」
そして。
焦らない。
十分に。
炉を育てる。
それから。
砂鉄。
木炭。
投入開始。
回転式二連ふいごも。
一定の調子で動く。
ゴォォォ……。
以前の高炉実験より。
燃焼音も。
安定していた。
◇◇◇
数時間後。
アルス「前より上で砂鉄が熱されてる?」
ゴルン「目で砂鉄そのものは見えん」
アルス「分かってます」
ゴルン「だが」
ゴルンは。
炉の色を見ながら答える。
ゴルン「少なくとも炉全体の状態は前より良い」
そして。
最後まで。
炉壁も。
大きく崩れることはなかった。
◇◇◇
冷却。
開炉。
粗鋼を。
高さごとに。
可能な範囲で分ける。
下部。
中部。
上部寄り。
そして。
いつものように。
割る。
叩く。
熱する。
火花を見る。
結果。
アルス「……増えた」
ゴルン「ああ」
前回。
鉄になりきっていなかった上側の材料にも。
今回は。
かなり金属らしい部分が増えている。
さらに。
中央から下部にかけて。
《硬・粘》。
刃物候補。
基準鋼へ近いものが。
以前より。
広い範囲に出ていた。
アルス「高い炉でも」
「最初に全体を温めれば」
「使える?」
ゴルン「今回だけならな」
アルス「一回で決めない」
ゴルン「よし」
◇◇◇
だが。
別の問題もあった。
ゴルン「炭の使用量」
アルス「あ」
高い炉。
長い予熱。
当然。
木炭を。
今までより多く使う。
アルス「良い鋼は増えた」
「でも炭も増えた」
ゴルン「ああ」
アルス「歩留まりだけ見れば良くても」
「燃料まで考えたら?」
ゴルン「そこも比べねぇとな」
また。
一つ成功すると。
次の問題が出る。
しかし。
アルスは。
もう。
がっかりしなかった。
アルス「じゃあ次は」
「良質鋼の量だけじゃなく」
「使った木炭の量も比べます」
ドラン「俺の仕事が増えそうだな」
アルス「お願いします!」
ドラン「ははは!」
◇◇◇
夕方。
父カインが。
結果を聞きに来る。
カイン「高い炉はどうだった?」
アルス「最初は失敗しました」
カイン「それで?」
アルス「炉全体を温めてから」
「砂鉄を入れるようにしたら」
「良い鋼が増えました」
カイン「原因は?」
アルス「まだ確定じゃありません」
「でも」
「高くするだけじゃなく」
「上から下まで」
「ちゃんと熱い状態を作るのが大事みたいです」
カインは頷く。
カイン「では高い炉の方が優秀か?」
アルス「……まだ分かりません」
カイン「なぜ?」
アルス「炭をいっぱい使うから」
カインが微笑む。
カイン「良い答えだ」
◇◇◇
そして。
ゴルンが。
炉を見ながら言う。
ゴルン「伯爵様」
カイン「何だ?」
ゴルン「もし本気でこのやり方を大きくするなら」
「今の鍛冶場じゃ無理です」
アルス「え?」
ゴルン「場所が足りねぇ」
アルスが。
鍛冶場を見回す。
実験炉。
回転式ふいご。
木炭。
砂鉄。
保存箱。
記録用の作業台。
確かに。
かなり。
場所を使っている。
ゴルン「それに」
「もっと長く火を入れるなら」
「普通の鍛冶仕事と同じ場所じゃ危ねぇ」
カイン「別の製鉄場が必要になる?」
ゴルン「そこまで行くなら」
「そうです」
アルスの目が大きくなる。
アルス「製鉄専用の工房……」
カイン「まだ早い」
アルス「はい」
即答。
カインが少し笑った。
カイン「本当に成長したな」
アルス「最近それ言われすぎです」
◇◇◇
その夜。
自室。
アルスは。
今日の手帳を開く。
ゆっくり書く。
『ろは たかくするだけじゃだめ』
そして。
『さいしょに ろぜんたいを あたためる』
さらに。
ゴルンから聞いた言葉。
『ひを そだてる』
アルスは。
その文字を。
しばらく見つめた。
アルス「火を育てる……」
科学的に言えば。
予熱。
温度分布。
燃焼。
還元。
空気量。
いろいろな言葉で。
説明できる。
でも。
昔の職人たちは。
それを。
火を育てる。
そう表現した。
なんだか。
その方が。
少しだけ。
好きだった。
◇◇◇
そして。
アルスは。
もう一行。
書き加える。
『いいものが ふえても つかうものが ふえすぎたら いいとはかぎらない』
良質鋼。
木炭。
時間。
人手。
炉。
場所。
全て。
つながっている。
製鉄とは。
良い鉄を。
ただ作ることではない。
続けられる形で。
作ること。
そこまで。
考えなければならない。
◇◇◇
翌朝。
鍛冶場。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「おう」
アルス「次は木炭の使用量もちゃんと比べたいです」
ゴルン「なら秤が欲しくなるな」
アルス「……」
ゴルン「何で黙る」
アルス「前に僕も思いました」
ゴルン「作る気か?」
アルス「欲しいです」
ゴルン「やっぱりな」
重量。
砂鉄。
木炭。
出来上がった粗鋼。
そして良質鋼。
それらを。
数字として比べることができれば。
歩留まりを。
もっと正確に。
知ることができる。
こうして。
砂鉄から始まった製鉄実験は。
次なる段階へ。
「量を測る」
という。
新しい課題へ進み始めていた。
そしてそれは。
アルスがやがて。
職人の感覚だけではなく。
数字で技術を管理する
という考えへ踏み込む。
大きな一歩になるのだった。
次回 第100話「重さを量りたい」
木炭を多く使えば良質鋼が増えても、本当に効率が良くなったとは言えない。
そこでアルスは、砂鉄を何ゴル分使ったかではなく、素材そのものの重さを測りたいと考える。
しかし領内にある秤は商人が荷物を量るための大型のものが中心で、鍛冶実験に必要な細かな比較には向いていない。
そこでバルトやゴルンとともに、小型の天秤秤を作ることに。
そして砂鉄、木炭、粗鋼、良質鋼を実際に量った時。
アルスは初めて《歩留まり》を数字として見ることになる。




