第98話 良い鋼はどこで生まれる?
北の村から戻った翌朝。
アルスは、いつものように鍛冶場へ向かっていた。
昨日までは、試作二号の性能試験と、砂鉄鋼の選別が中心だった。
しかし今日は少し違う。
ただ良い鋼を見つけるのではない。
そもそも、良い鋼が炉のどこで多く生まれているのか。
そこを調べる。
もしそれが分かれば。
良質鋼の割合。
つまり。
歩留まりを増やせるかもしれない。
アルス「おはようございます!」
ゴルン「おう。今日はちゃんと村遊びの余韻を引きずってねぇか?」
アルス「引きずってません!」
ゴルン「本当か?」
アルス「……ちょっとだけ」
ゴルン「素直でよろしい」
ゴルンは笑いながら、実験炉の前に置かれた木箱を指差した。
そこには三つの札が付いている。
送風口側。
中央。
奥側。
アルス「今日は最初から分けるんですね」
ゴルン「ああ」
アルス「炉を開けた時に、どこの鋼か分からなくならないように?」
ゴルン「そういうことだ」
これまでも場所ごとの差は調べていた。
しかし今日はさらに細かく見る。
良質鋼。
硬すぎる鋼。
柔らかい鉄。
滓の多い部分。
それぞれが。
炉のどこから出やすいのか。
その位置まで記録する。
アルス「条件は昨日と同じ?」
ゴルン「いや」
アルス「えっ」
ゴルン「昨日じゃなく、良質鋼が一番多く取れた時と同じ条件だ」
アルス「あ」
アルスはすぐに記録箱を開く。
炉の高さ。
木炭の種類。
炭の大きさ。
砂鉄の投入量。
投入間隔。
回転式二連ふいごの回転数。
そして二つの送風口の角度。
何度も実験してきたことで。
今では。
ある程度。
再現できる条件が残っている。
アルス「記録しておいてよかった」
ゴルン「今さら気付いたか」
アルス「改めてです!」
ゴルン「なら始めるぞ」
炉へ火が入る。
木炭が赤くなり。
回転式二連ふいごが。
一定の調子で動き始める。
ギィ。
シュウ。
ギィ。
シュウ。
左右から送られた風が。
炉の内部をゆるやかに流れる。
以前より。
燃焼音も安定している。
アルス「今日も音、揃ってますね」
ゴルン「ああ」
炉が十分に温まったところで。
砂鉄を投入。
そして木炭。
待つ。
また砂鉄。
また木炭。
同じ流れ。
同じ時間。
途中で。
アルスは炉の側面をじっと見ていた。
ゴルン「どうした?」
アルス「なんとなく」
ゴルン「なんとなく?」
アルス「中央より少し送風口側の方が、赤い気がします」
ゴルン「前からそうだ」
アルス「でも奥側も、前より赤い」
ゴルン「ああ」
アルスはそれも記録する。
まだ。
温度計はない。
だから。
色。
音。
木炭の沈み方。
炎の勢い。
そうしたものを。
少しずつ積み重ねるしかない。
そして数時間後。
投入終了。
炉を冷却する。
この待ち時間も。
今では少し慣れた。
以前のアルスなら。
アルス「まだですか?」
と何度も聞いていた。
しかし今日は。
椅子へ座り。
昨日の実験記録を読み返している。
ゴルン「静かだと逆に気味悪いな」
アルス「失礼な!」
ゴルン「前は五分おきに『まだですか』って言ってたろ」
アルス「成長したんです」
ゴルン「そこは認める」
やがて。
炉を開けられる温度まで下がる。
ゴルン「よし」
アルス「はい!」
炉壁を慎重に崩す。
灰。
木炭。
滓。
そして。
鋼の塊。
今回は。
取り出す位置を。
かなり意識する。
ゴルン「これは送風口側」
アルス「はい」
ゴルン「こいつは中央」
アルス「はい」
ゴルン「こっちは奥」
アルス「はい!」
それぞれ。
別々の木箱へ入れる。
そして。
完全に冷めてから。
調査開始。
◇◇◇
最初は送風口側。
ゴルンが粗鋼を割る。
カンッ!
バキッ。
断面。
銀色。
黒。
そして。
比較的硬そうな部分。
アルス「金属っぽいところ多いですね」
ゴルン「前よりな」
いくつかへ分け。
槌。
火花。
加熱時の伸び。
いつもの方法で調べる。
結果。
良質鋼候補。
二つ。
硬すぎる部分。
三つ。
滓が多い部分。
少し。
アルス「送風口側って、硬い鋼が多い?」
ゴルン「そう見える」
アルス「空気が多いから?」
ゴルン「可能性はある」
次。
中央。
割る。
調べる。
すると。
アルス「……あれ?」
ゴルン「気付いたか」
中央部分は。
硬い。
しかし。
送風口側ほど。
脆い鋼が多くない。
そして。
基準鋼に近い音。
基準鋼に近い火花。
基準鋼に近い伸び方。
そんな鋼片が。
いくつも出てくる。
アルス「多い」
ゴルン「ああ」
アルス「刃物候補が多い!」
アルスは嬉しそうに。
木箱へ分けていく。
そして最後。
奥側。
結果は。
以前よりは改善されていた。
しかし。
鉄になりきっていない部分。
柔らかい部分。
滓が多い部分。
そうしたものが。
他の場所より多い。
アルス「じゃあ」
アルスは三つの箱を見る。
アルス「今の炉だと、中央が一番良い?」
ゴルン「今回だけならな」
アルス「一回で決めない」
ゴルン「分かってるじゃねぇか」
そこで。
同じ条件でもう一度。
別の日に。
同じ実験をすることになった。
そして。
二回目。
三回目。
結果は。
完全には同じではない。
しかし。
ある傾向が見えてきた。
送風口のすぐ近くでは。
硬いが脆い鋼が増えやすい。
中央付近では。
硬さと粘りのバランスが良い鋼が多い。
奥側では。
還元しきれていない。
鉄になりきっていない部分が増える。
アルス「これ」
アルスは地面へ炉の断面図を描く。
アルス「風だけじゃないですよね?」
ゴルン「何がだ?」
アルス「砂鉄が落ちる場所」
ゴルン「……」
アルス「上から砂鉄を入れると」
「真ん中にいっぱい落ちません?」
ゴルンが炉を見る。
ゴルン「確かに」
アルス「中央って」
「砂鉄も多くて」
「風も強すぎなくて」
「熱も高い?」
ゴルン「なら」
「今の炉の中じゃ」
「そこが一番条件が良い場所なのかもしれねぇな」
アルスの目が輝く。
アルス「じゃあ中央の場所を広げれば」
ゴルン「待て」
アルス「はい」
ゴルン「簡単に広げられると思うな」
アルス「炉を太くする?」
ゴルン「太くすりゃ」
「奥まで熱が届きにくくなるかもしれん」
アルス「あ」
また。
単純ではない。
良い場所がある。
だから。
その場所を大きくする。
それだけでは。
別の場所が。
悪くなるかもしれない。
アルス「じゃあ」
「炉の形?」
ゴルン「ああ」
アルス「砂鉄が落ちるところを」
「もう少し広げる?」
ゴルン「それもありだ」
◇◇◇
そこで。
バルトまで呼ばれた。
バルト「また炉か」
アルス「お願いします!」
バルト「今度は何を変えるんだ?」
アルス「上から落とす砂鉄を」
「真ん中だけに集中させないようにしたいです」
バルト「どうやって?」
アルスは紙へ簡単な絵を描く。
炉の上。
砂鉄の投入口。
そして。
少し広い皿のような部分。
アルス「ここで」
「砂鉄を少し広げてから落とせないかなって」
バルト「真下に全部落とすんじゃなく?」
アルス「はい」
バルトは少し考え。
バルト「できなくはない」
ゴルン「ただし」
バルト「分かってる」
バルトが笑う。
バルト「砂鉄が途中で引っ掛からないようにしないと駄目だろ」
アルス「そうです!」
バルト「なら傾斜を付ける」
木の模型を作り。
砂を使って試す。
上から。
少しずつ流す。
すると。
真ん中へ一点集中せず。
少し広い範囲へ。
砂が落ちる。
アルス「これ!」
バルト「ただ実際は木じゃ燃えるからな」
アルス「あ」
ゴルン「粘土か鉄で作る」
そして。
新しい投入口が。
試験炉へ追加された。
◇◇◇
翌日。
実験。
条件は。
できるだけ同じ。
ただし。
砂鉄の落ち方だけを変える。
以前より。
中央だけへ集中せず。
少し広く。
木炭の上へ砂鉄が落ちていく。
アルス「ちゃんと広がってる」
ゴルン「今んところはな」
そして。
また。
待つ。
投入。
送風。
記録。
繰り返す。
やがて。
炉を開ける。
そして。
位置ごとへ分ける。
送風口側。
中央。
奥。
さらに。
今回から。
中央を。
もう少し細かく分けた。
ゴルン「こっちは中央外側」
アルス「はい」
ゴルン「こっちは中心」
アルス「はい!」
そして。
調査。
結果。
アルスの顔が。
徐々に。
驚きへ変わっていく。
アルス「……増えてる」
ゴルン「ああ」
アルス「刃物候補」
「前より多いです」
中央。
そして。
その周囲。
基準鋼に近い鋼が。
以前より。
広い範囲から出ていた。
アルス「砂鉄の落ち方で変わった?」
ゴルン「可能性は高い」
ただし。
まだ一回。
だから。
また。
同じ条件で繰り返す。
その結果。
同じ傾向が。
再び現れた。
アルス「本当に増えた……」
良質鋼の割合。
つまり。
歩留まりが。
少し改善した。
◇◇◇
その日の午後。
父カインも。
結果を見に来た。
カイン「良い鋼が増えた?」
アルス「はい!」
カイン「どれくらいだ?」
アルス「正確にはまだ量れません」
「でも」
「前より刃物候補にできる部分が」
「明らかに増えました」
カイン「理由は?」
アルス「砂鉄を落とす場所を広げました」
カイン「それだけで?」
アルス「たぶん」
ゴルン「条件はそれ以外、できる限り揃えました」
カイン「なるほど」
カインは。
炉を見る。
カイン「アルス」
アルス「はい?」
カイン「これで完成か?」
アルス「まだです」
即答だった。
カインが笑う。
カイン「以前なら」
「かなり喜んで『完成です』と言っていたかもしれんな」
アルス「……たぶん」
カイン「では今は?」
アルス「まだ」
「もっと良い鋼が増やせるかもしれません」
「それに」
「炉を大きくした時も同じになるか分からない」
「木炭が変わった時も」
「砂鉄が別の場所のものになった時も」
「確認しないと」
カインは。
少し驚いたように。
息子を見る。
カイン「成長したな」
アルス「そうですか?」
カイン「ああ」
◇◇◇
そこへ。
ゴルンが。
粗鋼塊の断面を眺めながら。
少し考え込んでいた。
アルス「ゴルンさん?」
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい」
ゴルン「気になることがある」
アルス「何です?」
ゴルンは。
炉から出てきた粗鋼の一つを持ち上げる。
ゴルン「同じ中央でも」
「上の方と」
「下の方で」
「鋼の感じが違う」
アルス「上下?」
ゴルン「ああ」
アルスは。
すぐに炉を見る。
今まで。
左右。
中央。
奥。
横方向ばかり考えていた。
しかし。
炉には。
高さもある。
アルス「……木炭の層?」
ゴルン「かもしれん」
アルス「砂鉄って」
「上から下に落ちながら」
「ずっと同じ状態じゃないですよね?」
ゴルン「当たり前だ」
上では。
まだ砂鉄。
中ほどでは。
熱され。
変化し。
そして下では。
粗鉄や鋼へ。
少しずつ近づく。
なら。
高さによって。
状態が違うのは当然かもしれない。
アルス「炉の高さ」
ゴルン「またそこへ戻るな」
アルス「でも」
「前に高くしたら良くなった」
ゴルン「ああ」
アルス「じゃあ」
「どの高さが一番いいのか」
ゴルン「調べる価値はある」
アルスは。
すぐ紙へ書こうとする。
ゴルン「今日は終わり」
アルス「……分かってます」
ゴルン「本当に成長したな」
アルス「何回言うんですか」
◇◇◇
夜。
アルスは。
自室で手帳を開いていた。
机の横には。
北の村でもらった青い花。
そして。
今日の炉の記録。
アルスは。
ゆっくり書く。
『いいはがねは ろのなかのばしょで できかたがちがう』
その下へ。
『かぜだけじゃなく さてつのおちかたもだいじ』
さらに。
『いいところをみつけたら そこをふやすほうほうをかんがえる』
そして最後に。
少し考え。
新しい一行。
『よこだけじゃなく たかさもみる』
アルスはペンを置く。
アルス「どんどん複雑になるなぁ」
でも。
不思議と。
嫌ではない。
むしろ。
分からないことが。
一つずつ。
見える形へ変わっていく。
それが。
面白い。
◇◇◇
数日後。
カインの執務室。
ライムが。
製鉄実験の新しい記録を。
確認していた。
ライム「良質鋼の割合が増えた、と」
カイン「ああ」
ライム「では」
「技術的な価値も」
「以前より上がっておりますね」
カイン「そうなる」
ライム「王都への報告は?」
カインは。
少し考える。
カイン「まだ詳しくは出さない」
ライム「承知しました」
カイン「ただし」
「鉱山副産物の利用研究が」
「継続していることだけは」
「これまで通り領政報告へ入れる」
ライム「詳細は?」
カイン「未完成」
「それで十分だ」
◇◇◇
王都。
中央行政院。
ロイド「またシュゲール領か」
ロイドは。
新しい地方報告を読みながら。
小さく呟いた。
鉱山副産物。
黒砂。
鉄素材研究。
試験継続。
そして。
今回は。
新たな一文が。
追加されていた。
『従来未利用であった黒砂より、実用品に使用可能な鉄素材の生成を一部確認』
ロイド「実用品?」
手が。
止まる。
ロイド「……ついに何か作ったのか」
詳細は。
書かれていない。
しかし。
以前は。
ただの利用研究だった。
それが。
実用品。
という言葉へ変わった。
ロイド「アルス・シュゲール……」
ロイドは。
もう一度。
その名前を見る。
農具。
工房規格。
釘。
そして。
今度は。
鉄。
ロイド「本当に五歳なのか……?」
もう。
何度目か分からない疑問だった。
◇◇◇
もちろん。
アルス本人は。
そんな王都の動きなど。
知らない。
翌朝。
彼が見ていたのは。
新しい実験炉の設計図だった。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「なんだ?」
アルス「高さを三段階で比べたいです」
ゴルン「来ると思った」
アルス「低い炉」
「今の炉」
「もう少し高い炉」
ゴルン「三つ全部いっぺんに作る気か?」
アルス「……駄目?」
ゴルン「一個ずつだ」
アルス「ですよね」
砂鉄から。
良い鋼を作る。
そして。
良い鋼を。
より多く作る。
そのための実験は。
さらに。
深い段階へ進んでいく。
アルス・シュゲール、五歳。
彼は。
まだ知らない。
自分たちが探している。
炉の高さ。
砂鉄の投入。
木炭の層。
送風の位置。
そして。
操業時間。
それらが。
少しずつ。
前世で知っていた。
たたら製鉄
その本来の姿へ。
近づき始めていることを。
そして。
この先。
長時間。
火を絶やさず。
砂鉄と木炭を投入し続ける。
三日三晩の操業
という。
本当の壁が。
待っていることを。
まだ。
アルスは知らなかった。
次回 第99話「炉の高さを比べよう」
良質鋼が炉の位置によって偏って生まれていることを確認したアルスたち。
次は炉そのものの高さを変え、砂鉄が熱の中を通る時間を比較する。
しかし低い炉では十分に反応せず、高い炉では今度は送風が上まで届きにくくなる。
さらに炉を高くしたことで、木炭の重みや炉壁への負担まで増えていく。
その試行錯誤の中で、アルスは一つの考えへたどり着く。
アルス「炉を高くするだけじゃなくて、下から上まで火の状態を保たないと駄目なんだ」
そしてゴルンは、昔から製鉄に関わる職人たちの間に残る、ある言葉を思い出すことになる。




