第97話 久しぶりの北の村
製鉄実験をいったん休むことになった翌朝。
アルスは久しぶりに、北の村へ向かう馬車へ乗っていた。
隣には家令ライム。
前後には護衛の兵士。
そしてアルスの膝の上には、小さな布包みが置かれている。
ライム「ずいぶん楽しそうでございますね、アルス様」
アルス「そう見えます?」
ライム「はい。鍛冶場へ向かわれる時とは、少し違う顔をしておられます」
アルス「……そうですか」
アルスは少し照れながら窓の外を見る。
今日は二号鍬の使用状況を確認するための訪問でもある。
交換刃。
新しい抜け止め金具。
長期間使った時の不具合。
確認したいことは多い。
しかし。
それだけではない。
最近。
鍛冶場と鉱山。
炭焼き場。
実験炉。
そんな場所ばかり行っていた。
だから。
久しぶりに。
あの村の空気を吸いたかった。
そして。
赤い髪飾りを付けた。
あの少女にも。
会いたかった。
◇◇◇
馬車が北の村へ近づく。
見慣れた畑。
土の道。
小さな家々。
そして。
遠くから。
ザクッ。
ザクッ。
一定の音が聞こえてくる。
アルス「……二号鍬だ」
畑では農民たちが作業をしていた。
しかし。
以前とは少し違う。
アルスが最初に持ち込んだ頃。
二号鍬は珍しい道具だった。
みんなが集まり。
眺め。
試し。
意見を言っていた。
けれど今は。
誰も特別なものとして見ていない。
ただ。
普通に使っている。
アルス「……」
ライム「どうなさいました?」
アルス「なんでもないです」
それでも。
アルスは少し嬉しかった。
新しい道具が。
新しいものではなくなった。
つまり。
この村の日常になったということだ。
◇◇◇
馬車が村の広場へ止まる。
そして。
少女「アルス!」
聞き覚えのある声。
アルス「え?」
振り向く。
栗色の髪。
その横には。
以前アルスが贈った赤い髪飾り。
少女は全力で走ってくる。
少女「アルスー!」
アルス「ちょ、ちょっと待って!」
ドンッ。
勢いそのまま。
アルスの前へ飛び込んできた。
護衛が一瞬反応する。
しかし。
ライムが静かに手を上げて止めた。
少女「久しぶり!」
アルス「久しぶりだけど……いきなり走ってくると危ないよ」
少女「だってアルス来なかった!」
アルス「ごめん」
少女「ずっと!」
アルス「そんなに長くないよ」
少女「長かった!」
少女は頬を膨らませる。
アルスは思わず笑った。
アルス「髪飾り、まだ使ってくれてるんだ」
少女「うん!」
アルス「壊れてない?」
少女「大事にしてる!」
そう言いながら。
少女は嬉しそうに赤い髪飾りへ触れる。
アルスも。
なぜか。
胸の奥が少し温かくなった。
◇◇◇
まず仕事。
父からも。
ライムからも。
そう言われている。
だからアルスは。
すぐ遊びへ行くのではなく。
農民たちのもとへ向かった。
農民「アルス様、お久しぶりです」
アルス「お久しぶりです。二号鍬、どうですか?」
農民「もうこれがないと困りますよ」
アルス「そんなに?」
農民「柄が折れても柄だけ替えればいいし、刃が傷めば刃だけ交換できますから」
別の農民が。
使っている鍬を見せる。
農民「この前はここの金具が緩んだんですが」
アルス「あっ」
以前改良した部分。
固定軸の抜け止めだ。
農民「新しい留め具に替えてからは、かなり良くなりました」
アルス「本当ですか?」
農民「ええ。今のところ外れてません」
アルスはしゃがみ込み。
接続部分を見る。
泥。
擦り傷。
小さな錆。
新品とは全く違う。
けれど。
使われている証拠だ。
アルス「交換するの、難しくないですか?」
農民「最初は戸惑いましたけど」
農民は笑う。
農民「今じゃ息子でもできます」
アルス「息子さんも?」
農民「はい。見よう見まねで覚えました」
アルスは少し驚いた。
自分が説明しなくても。
使う人たち同士で。
技術が伝わっている。
◇◇◇
別の畑へ。
そこでは。
柄の長さが違う二号鍬が並んでいた。
アルス「短い柄も使われてる」
農婦「私にはこっちの方が使いやすいんです」
アルス「重くないですか?」
農婦「前の鍬よりずっと楽ですよ」
農婦は実際に振る。
ザクッ。
ザクッ。
無理な姿勢ではない。
腰も以前より深く曲げずに済んでいる。
アルス「……よかった」
農婦「アルス様?」
アルス「いえ」
自分が作ったもの。
正確には。
自分たちが作ったもの。
それが。
本当に。
誰かの仕事を少し楽にしている。
それを。
久しぶりに。
目の前で見た。
◇◇◇
最近のアルスは。
砂鉄。
鋼。
炭素。
炉。
風。
焼き入れ。
選別。
そんなことばかり考えていた。
良い鋼を作りたい。
玉鋼へ近づきたい。
その気持ちは今も変わらない。
しかし。
(僕は)
(何のために作ってたんだっけ)
アルスは畑を見る。
農民が笑いながら鍬を使っている。
休憩へ入ると。
腰へ手を当て。
農民「前より疲れにくくなりました」
そう言う。
その言葉を聞いて。
アルスは思い出した。
最初。
北の村で。
古い鍬を使っている人たちを見た。
重そうだった。
大変そうだった。
だから。
何とかしたかった。
ただ。
それだけだった。
◇◇◇
少女「アルスー!」
少し離れた場所から少女の声が飛んでくる。
少女「まだー?」
アルス「もう少し!」
少女「さっきも言った!」
アルス「仕事だから!」
少女「仕事長い!」
農民たちが笑う。
農民「行ってきていいですよ、アルス様」
アルス「でも」
農民「何かあれば次に来た時で十分です」
別の農民も頷く。
農民「鍬は逃げません」
少女「アルスは逃げる!」
アルス「逃げないよ!」
さらに笑い声。
アルスは少し恥ずかしくなった。
◇◇◇
仕事を一通り終える。
そして。
少女のところへ向かう。
少女「遅い!」
アルス「ごめん」
少女「今日はいっぱい遊ぶ!」
アルス「いっぱいは無理」
少女「なんで?」
アルス「帰る時間があるから」
少女「じゃあ帰らなければいい!」
アルス「そういうわけには……」
少女は少し考え。
少女「じゃあ早く行こう!」
アルスの手を取る。
アルス「どこへ?」
少女「秘密!」
ライムと護衛が。
一定の距離を保ちながら付いてくる。
◇◇◇
少女が連れてきたのは。
以前も来た小川の近くだった。
しかし。
少しだけ奥へ進む。
そこには。
小さな木。
そして。
その根元に。
いくつもの花が咲いていた。
アルス「ここ?」
少女「うん!」
白。
黄色。
青。
小さな花が集まっている。
少女「アルスにあげる花、ここから取ってるの!」
アルス「そうだったんだ」
少女「でも全部取ったらなくなるから」
アルス「うん」
少女「ちょっとだけ!」
少女なりに。
考えているらしい。
その言葉に。
アルスは少し笑った。
アルス「偉いね」
少女「えっへん!」
◇◇◇
二人は木の下へ座る。
小川の音。
風。
畑から聞こえる声。
鍛冶場とは。
全く違う。
静かな時間。
少女「アルス」
アルス「なに?」
少女「最近何してたの?」
アルス「鉄を作ってた」
少女「鉄?」
アルス「うん」
少女「ゴルンさんのところにあるやつ?」
アルス「そう」
少女「鉄って作るの?」
アルスは少し笑う。
アルス「僕も最近、それをいっぱい勉強してる」
少女「難しい?」
アルス「すごく」
少女「でも楽しい?」
アルス「うん」
即答だった。
少女「じゃあいいね!」
あまりにも単純な答え。
でも。
アルスはその言葉が少し嬉しかった。
◇◇◇
少女「鉄で何作るの?」
アルス「今は小刀とか」
少女「剣?」
アルス「まだ剣は作ってないよ」
少女「アルス、剣好きだもんね」
アルス「好きだけど」
そこで。
アルスは少し考える。
アルス「でも」
少女「?」
アルス「剣だけ作りたいわけじゃない」
少女「じゃあ何?」
答えようとして。
言葉が止まる。
鍬。
包丁。
釘。
小刀。
鋼。
何を作りたい?
そう聞かれれば。
たくさんある。
でも。
何のために?
その答えは。
目の前にあった。
アルス「みんなが」
少女「うん?」
アルス「ちょっと楽になるものかな」
少女「楽?」
アルス「仕事が少し楽になったり」
「壊れてもすぐ直せたり」
「前より困らなくなったり」
少女「ふーん」
少女は。
少し考え。
少女「じゃあアルスは、みんなを楽にする人?」
アルス「……そんな大げさじゃないよ」
少女「でも鍬、楽になったってお父さん言ってた」
アルス「そうなの?」
少女「うん!」
少女は笑った。
少女「アルス来てから、みんなよく笑うよ」
その言葉に。
アルスは何も返せなかった。
◇◇◇
自分が。
世界を変えたい。
そんな大きなことを。
最初から考えていたわけではない。
前世の知識がある。
せっかくだから使いたい。
そう思った。
だけど。
目の前の人たちが。
少し笑う。
少し楽になる。
それで。
十分なのかもしれない。
そして。
それが積み重なった先に。
結果として。
大きな変化が生まれるのかもしれない。
アルス「……ありがとう」
少女「なんで?」
アルス「なんとなく」
少女「変なの」
アルス「うん」
◇◇◇
少女が立ち上がる。
少女「そうだ!」
アルス「なに?」
少女「これ!」
少女は。
木の根元から。
一本の青い花を摘んだ。
少女「今日の!」
アルス「またくれるの?」
少女「うん!」
アルス「ありがとう」
受け取る。
小さな青い花。
少女「今度はもっと早く来てね」
アルス「うん」
少女「約束」
少女が小指を出す。
アルスも。
小指を絡める。
アルス「約束」
◇◇◇
少しして。
アルスは思い出した。
アルス「あ」
少女「なに?」
アルス「僕も渡すものあった」
少女「えっ!」
馬車へ置いていた。
布包み。
アルスはライムから受け取る。
そして少女へ渡す。
少女「なにこれ?」
アルス「開けていいよ」
少女が布を開く。
中に入っていたのは。
小さな木箱。
さらに蓋を開ける。
少女「わぁ……」
木で作られた。
小さな花の飾り。
バルトの工房で余った木片を使い。
アルス自身も少し削った。
もちろん。
細かな仕上げはバルトが手伝っている。
アルス「本物の花だと枯れちゃうから」
少女「アルスが作ったの?」
アルス「半分くらい」
少女「すごい!」
以前。
ゴルンに言われた。
自分だけで作ったものではないなら。
ちゃんとそう言う。
だから。
今回も。
アルス「バルトさんがいっぱい手伝ってくれたけどね」
少女「でもアルスも作った!」
アルス「うん」
少女は木の花を大事そうに両手で持つ。
少女「宝物にする!」
アルス「そんな大げさな」
少女「する!」
アルスは少し照れた。
◇◇◇
帰る時間。
馬車へ乗る前。
少女は村の入口まで見送りに来た。
少女「またね!」
アルス「うん」
少女「次は早く!」
アルス「分かってる!」
少女「約束だからね!」
アルス「約束!」
馬車が動き出す。
アルスは窓から手を振る。
少女も。
赤い髪飾りを揺らしながら。
ずっと手を振っていた。
◇◇◇
帰りの馬車。
アルスの手には。
青い花。
ライムが静かに尋ねる。
ライム「良い一日でしたか?」
アルス「はい」
ライム「鍬の確認も?」
アルス「問題なさそうでした」
ライム「それは何よりです」
少し沈黙。
そして。
アルス「ライムさん」
ライム「はい?」
アルス「技術って」
「何のために作るんでしょう」
ライムは少しだけ驚いた。
けれど。
すぐには答えなかった。
ライム「アルス様は、どう思われますか?」
アルス「前は」
「便利なものを作りたいって思ってました」
「今もそうです」
「でも」
窓の外。
遠ざかる村を見る。
アルス「便利なものを作ることが目的じゃなくて」
「それを使う人が」
「少し楽になったり」
「喜んだりすることが」
「本当の目的なのかなって」
ライムは微笑んだ。
ライム「私は、とても良い考えだと思います」
◇◇◇
屋敷へ戻ると。
アルスはそのまま父カインの執務室へ向かった。
カイン「北の村はどうだった?」
アルス「二号鍬、ちゃんと使われてました」
カイン「問題は?」
アルス「新しい留め具は今のところ大丈夫そうです」
カイン「そうか」
アルスは少し考え。
カイン「まだ何かあるか?」
アルス「はい」
そして。
今日感じたことを話した。
鍬が。
もう珍しい道具ではなくなっていたこと。
農民が。
普通に使っていたこと。
以前より楽になったと。
言ってくれたこと。
カイン「嬉しかったか?」
アルス「はい」
アルスは笑った。
アルス「すごく」
カインも。
静かに笑う。
カイン「なら、その気持ちは覚えておきなさい」
アルス「はい」
カイン「技術が大きくなると」
「金」
「名誉」
「地位」
「いろいろなものが付いてくる」
アルスは父を見る。
カイン「その時」
「なぜ始めたのかを忘れる者もいる」
アルス「……」
カイン「だから」
「今日感じたことを忘れなければいい」
アルス「はい、お父様」
◇◇◇
夜。
自室。
アルスは青い花を水差しへ入れた。
その横には。
以前もらった花。
押し花。
そして。
小さな貯金箱。
手帳。
全部。
今のアルスへつながっている。
手帳を開く。
今日の言葉を書く。
『どうぐをつくることが もくてきじゃない』
少し考え。
続きを書く。
『つかうひとが すこしらくになるためにつくる』
そして。
最後に。
『はじめた りゆうを わすれない』
アルスはペンを置いた。
砂鉄。
鋼。
玉鋼。
それを作りたい。
その思いは変わらない。
でも。
玉鋼を作ることそのものが。
目的ではない。
良い鋼ができれば。
もっと長持ちする鍬が作れる。
もっと良く切れる包丁が作れる。
丈夫な工具も。
壊れにくい部品も。
作れるかもしれない。
剣だって。
人を傷つけるためだけではなく。
魔物から。
領民を守るためにも使える。
アルス「……そういう鋼にしたいな」
五歳の少年は。
改めて。
自分が何のために前世の知識を使うのか。
その原点を。
少しだけ理解した。
そして翌朝。
アルスが鍛冶場へ向かうと。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「昨日休んだ分、今日はやるぞ」
アルス「もちろんです!」
ゴルン「炉の場所ごとに良質鋼がどれだけ取れるか調べる」
アルス「はい!」
ゴルン「遊び疲れてないだろうな?」
アルス「大丈夫です!」
ゴルン「なら始めるぞ」
アルスは実験炉を見る。
そして。
昨日までとは少し違う気持ちで。
炉へ向かった。
良い鋼を作る。
それは。
自分がすごいものを作ったと。
自慢するためではない。
いつか。
誰かがそれを使い。
少女『アルス来てから、みんなよく笑うよ』
そう言ってもらえる。
そんな技術にするためだった。
北の村で見つけた原点を胸に。
アルスの製鉄実験は。
再び動き始めた。
そして今度は。
ただ良質な鋼を見つけるのではなく。
どうすれば良質な鋼を、もっと多く作れるのか。
製鉄の《歩留まり》そのものへ。
挑み始めることになる。
次回 第98話「良い鋼はどこで生まれる?」
北の村から戻ったアルスは、再び製鉄実験へ。
今回調べるのは、炉のどの場所で《基準鋼》に近い良質な鋼が多く生まれるのか。
送風口側、中央部、炉の奥側。
場所ごとに鋼を分け、ゴルンたちと同じ方法で比較していく。
すると良質な鋼が集中している場所が少しずつ見え始める。
さらにその位置を詳しく調べたアルスは、炉の高さ、木炭の層、砂鉄の落ち方までが鋼の品質へ影響している可能性に気付く。
玉鋼へ近づくための次の段階――《良質鋼の歩留まり改善》が、本格的に始まる。




