第100話 重さを量りたい
翌朝。
アルスは鍛冶場の作業台に並んだ木炭と砂鉄を眺めながら、少し難しい顔をしていた。
昨日までの実験で、高い炉を使い、最初に炉全体を十分温めてから砂鉄を投入することで、良質鋼が増える可能性は見えてきた。
けれど。
同時に。
使う木炭の量も増えた。
良い鋼が増えた。
だから成功。
そう簡単には言えない。
もし良質鋼が少し増えただけなのに、木炭を倍近く使っているなら。
本当に効率が良くなったとは言えない。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「なんだ?」
アルス「やっぱり重さを量りたいです」
ゴルン「来たな」
アルス「来たなって何ですか」
ゴルン「昨日からその顔してた」
アルス「顔で分かるんですか?」
ゴルン「最近はな」
ゴルンは作業台の砂鉄を指差した。
ゴルン「で、何を量る?」
アルス「まず砂鉄です。それから木炭。できた粗鋼と、その中から取れた良質鋼も」
ゴルン「全部か」
アルス「はい」
アルスは紙を広げた。
アルス「今までは、一杯とか二杯とかで記録してました」
ゴルン「ああ」
アルス「でも同じ一杯でも、砂鉄の詰まり方で量が違うかもしれません」
ゴルン「木炭ならもっと違うな」
アルス「ですよね」
大きな炭。
小さな炭。
同じ籠へ入れても。
隙間の量が違う。
体積だけでは。
正確な比較にならない。
アルス「だから重さです」
ゴルン「商人の秤を借りるか?」
アルス「昨日見せてもらった大きいのだと」
「この鋼片一個とか」
「木炭少しとかは」
「ちゃんと量れないですよね」
ゴルン「ああ」
領都には。
穀物。
荷物。
鉱石。
そうしたものを量る大型の秤はある。
しかし。
実験で使う少量の材料を。
細かく比較できるものではない。
アルス「だから」
ゴルン「作るんだろ?」
アルス「はい!」
即答だった。
◇◇◇
その日の午前。
アルスとゴルンは、木工職人バルトの工房へ向かった。
バルト「今度は何だ?」
アルス「秤です!」
バルト「……炉じゃないのか?」
アルス「今日は炉じゃないです!」
バルト「それだけで少し安心した」
ゴルン「安心するの早いぞ」
バルト「嫌なこと言うな」
アルスは紙へ簡単な絵を描く。
一本の横棒。
中央に支点。
左右に皿。
アルス「こういうの作れませんか?」
バルト「天秤か」
アルス「知ってるんですか?」
バルト「そりゃ商人が使う小さい秤くらい見たことある」
アルスは少し拍子抜けした。
アルス「あるんですね」
バルト「あるにはある。ただし高いぞ」
ゴルン「細かい重さまで量れる奴は、薬師や宝石商が使うこともある」
アルス「じゃあ買えます?」
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「自分で作りたい顔してるぞ」
アルス「……ちょっとだけ」
バルト「やっぱりな」
◇◇◇
既に存在するなら。
一から発明する必要はない。
それでも。
自分たちの用途に合わせる必要はある。
砂鉄。
木炭。
鉄塊。
鋼片。
それぞれ。
重さも大きさも違う。
あまり小さな天秤では。
木炭を十分に載せられない。
逆に。
大きすぎれば。
鋼片の細かな違いが分からない。
アルス「中くらい?」
バルト「曖昧だな」
ゴルン「坊ちゃんらしくねぇ」
アルス「じゃあ」
アルスは少し考えた。
アルス「砂鉄を今まで一回で入れてた量が量えて」
「それより少ない鋼片でも差が分かるくらい」
バルト「そう言われりゃ作りやすい」
そこで。
実験用の小型天秤を作ることになった。
◇◇◇
まず。
横棒。
左右の長さを。
できるだけ同じにする。
中央へ。
支点。
そこへ細い金属軸を通す。
左右には。
紐で皿を吊るす。
問題は。
ここからだった。
バルト「坊ちゃん」
アルス「はい?」
バルト「左右が同じ重さでも、棒そのものが片側だけ重かったらどうする」
アルス「……傾く」
バルト「そうだ」
アルス「じゃあ横棒もできるだけ同じ太さで」
バルト「それでも木目が違えば、完全には揃わん」
アルス「難しい」
ゴルン「だから最初に調整する」
完成した天秤を。
何も載せず。
吊るしてみる。
すると。
わずかに。
右へ傾いた。
アルス「ずれてる」
バルト「想定内だ」
軽い側へ。
ごく小さな調整金具を付ける。
また吊るす。
まだ少し傾く。
さらに調整。
そして。
ようやく。
横棒が。
ほぼ水平で止まった。
アルス「おお……」
バルト「これでゼロだ」
アルス「ゼロ?」
バルト「何も載せてない時の基準だ」
アルスの目が輝く。
アルス「大事ですね、それ」
ゴルン「何でも基準にしたがるな」
アルス「でも大事です!」
◇◇◇
次の問題。
重り。
アルス「何を基準にします?」
ゴルン「銅貨?」
バルト「大きさと重さ、全部同じか?」
アルスが止まる。
貨幣は。
見た目こそ似ている。
しかし。
摩耗。
製造差。
完全に同じ重量とは限らない。
アルス「じゃあ専用の重りを作る」
ゴルン「俺の仕事だな」
そこで。
鉄で。
小さな基準重りを作る。
まず一つ。
それを基準にして。
同じ大きさ。
同じ重さ。
少しずつ揃える。
ただし。
最初の重りそのものが。
何グラムなのか。
前世の単位では分からない。
しかし。
今必要なのは。
絶対的な値ではない。
比較できることだ。
アルス「同じ重りを使えば」
「昨日より重いとか」
「半分くらいとか」
「比べられます」
ゴルン「ああ」
アルス「じゃあ名前付けます?」
ゴルン「また始まった」
アルス「一個、二個だと記録しにくいです」
バルト「それはそうだな」
しばらく考え。
結局。
基準重り一つ分を。
仮に。
《一量》
と呼ぶことになった。
アルス「一量」
ゴルン「そのまんまだな」
アルス「分かりやすいでしょう?」
バルト「後で正式な単位に合わせりゃいい」
アルス「はい」
◇◇◇
午後。
完成した天秤が。
鍛冶場へ運び込まれた。
まず。
何も載せない。
水平。
次に。
左右へ同じ基準重りを一つずつ載せる。
ほぼ水平。
アルス「使えそう!」
ゴルン「試すぞ」
まず。
砂鉄。
これまで一回の投入で使っていた量を。
片方の皿へ載せる。
反対側へ。
基準重り。
一つ。
二つ。
三つ。
まだ砂鉄側が重い。
さらに。
四つ。
五つ。
そこで。
ほぼ水平になった。
アルス「五量」
ゴルン「ああ」
アルス「じゃあ今まで一回分って」
「だいたい五量だったんだ」
これまで。
一杯。
としか書いていなかった量が。
初めて。
数字に近い形になる。
アルスは嬉しくなった。
◇◇◇
次は木炭。
同じ籠一杯。
しかし。
大きめの炭と。
細かい炭。
それぞれ量ってみる。
アルス「違う!」
ゴルン「結構違うな」
同じ籠。
同じ高さまで入れたのに。
重量は。
明らかに違った。
アルス「やっぱり体積だけじゃ駄目だった」
ゴルン「今日作った意味あったな」
さらに。
粗鋼。
良質鋼。
不純物の多い部分。
全部。
量る。
記録する。
◇◇◇
そこで。
アルスは。
以前の実験品を持ってきた。
低い炉。
二号炉。
高い炉。
それぞれで作った。
保存してある粗鋼塊。
アルス「これも量れます?」
ゴルン「やってみろ」
粗鋼塊。
まず全体。
そして。
以前分類した鋼片。
刃物候補。
柔らかい部分。
硬すぎる部分。
滓の多い部分。
一つずつ。
量る。
時間はかかった。
しかし。
結果が。
少しずつ。
見える。
アルス「……あ」
ゴルン「どうした?」
アルスは。
三枚の記録を見る。
低い炉では。
使った砂鉄に対し。
粗鋼そのものが少ない。
さらに。
良質鋼は。
かなり少ない。
今まで使ってきた二号炉では。
粗鋼も。
良質鋼も。
低炉より増えている。
そして。
高い炉。
長い予熱を行った条件では。
良質鋼の量は。
さらに増えていた。
ただし。
木炭使用量も。
大きく増えている。
アルス「本当に数字で見える……」
ゴルン「何が?」
アルス「高い炉は良い鋼が多いです」
ゴルン「知ってる」
アルス「でも木炭も多い」
ゴルン「それも知ってる」
アルス「でも」
アルスは。
記録を並べる。
アルス「こうすると」
「どれくらい増えたか」
「どれくらい多く使ったか」
「一緒に比べられます」
ゴルンも。
紙を見る。
ゴルン「確かにな」
◇◇◇
今まで。
多い。
少ない。
そんな言葉で。
考えていた。
しかし。
今日は。
違う。
砂鉄を。
何量使った。
木炭を。
何量使った。
そして。
粗鋼が。
何量できた。
その中から。
良質鋼が。
何量取れた。
完全な計測ではない。
それでも。
以前より。
ずっと。
比較しやすい。
アルス「これが歩留まり……」
前世では。
当たり前に数字で示されていた。
何パーセント。
何キログラム。
何トン。
しかし。
今。
アルスは。
自分たちの手で。
その入り口へ。
初めて立った気がした。
◇◇◇
そこへ。
カイン「面白そうなことをしているな」
父カインが鍛冶場へ入ってきた。
アルス「お父様!」
カイン「それが新しい秤か?」
アルス「はい!」
アルスは。
天秤。
重り。
そして。
今日の結果を。
説明する。
カインは。
何度も頷きながら聞いた。
カイン「つまり」
「今までは」
「良質鋼が増えた」
「木炭も増えた」
「という話だった」
アルス「はい」
カイン「しかし今後は」
「どれほど増えたのかを」
「比較できる」
アルス「そうです!」
カインは。
少し考える。
カイン「これは製鉄以外にも使えるな」
アルス「え?」
カイン「農業」
「倉庫」
「鉱山」
「工房」
「材料の使用量と」
「出来上がる物の量」
「それを比較する考え方だ」
アルスの目が広がる。
アルス「……全部に使える」
カイン「ああ」
ゴルンが。
横でため息をついた。
ゴルン「また広がったな」
アルス「僕まだ何も言ってませんよ!」
ゴルン「顔に書いてある」
◇◇◇
ただ。
カインは。
すぐに釘を刺した。
カイン「アルス」
アルス「はい」
カイン「何でも量ればいいわけではない」
アルス「え?」
カイン「量るための手間が大きすぎれば」
「それ自体が仕事を邪魔する」
アルス「あ……」
確かに。
全部の釘。
全部の炭。
全部の農作物。
一個ずつ量っていたら。
仕事にならない。
カイン「数字は便利だ」
「だが」
「数字を集めるために人を疲れさせるな」
アルス「必要なところだけ?」
カイン「そうだ」
「何を知りたいのか」
「そのために何を量るのか」
「先に決める」
アルスは。
ゆっくり頷いた。
アルス「はい」
◇◇◇
午後。
ゴルンとアルスは。
改めて。
実験条件を整理する。
ただし。
箇条書きではなく。
一枚の紙へ。
文章として。
今回の目的を書いた。
砂鉄と木炭を一定量使った時、どれだけの粗鋼が得られ、その中から刃物へ使える良質鋼がどれだけ取れるのかを比較する。
そして。
炉の高さや予熱時間を変えた場合。
木炭の使用量も含め。
どの条件が最も効率が良いかを確認する。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「前より文章が難しくなってねぇか?」
アルス「僕も思いました」
ゴルン「五歳の書く文章じゃねぇ」
アルス「そこは気にしないでください」
◇◇◇
その日の夕方。
バルトも鍛冶場へやって来た。
バルト「秤どうだった?」
アルス「使えました!」
バルト「そりゃよかった」
アルス「でも」
バルト「まだ何かあるのか?」
アルス「もっと細かい鋼片を量る時」
「一量だと大きすぎます」
バルト「……」
ゴルン「来たな」
アルス「半分の重りが欲しいです」
バルト「やっぱり」
結局。
基準重りを。
半分。
さらにその半分。
できるだけ揃えて作ることになった。
ゴルン「こうして道具が増えていくんだな」
アルス「でも便利ですよ?」
ゴルン「否定はしてねぇ」
◇◇◇
夜。
自室。
机には。
今日作った計測記録の写し。
そして。
北の村でもらった青い花。
アルスは。
手帳を開く。
今日の言葉を書く。
『おおい すくないだけじゃなく はかってくらべる』
そして。
『ざいりょうをどれだけつかって どれだけできたか』
さらに。
父の言葉を思い出し。
『はかることが しごとになりすぎないようにする』
アルスは。
最後の一行を。
少し大きく書く。
『すうじは くらべるためのどうぐ』
アルス「数字も道具……」
ハンマー。
鍬。
包丁。
秤。
そして。
数字。
全部。
目的を達成するための。
道具なのかもしれない。
◇◇◇
翌朝。
アルスが鍛冶場へ行くと。
ゴルンは。
昨日の記録を。
じっと見ていた。
アルス「どうしました?」
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい」
ゴルン「高い炉」
アルス「はい」
ゴルン「確かに良質鋼は増えてる」
アルス「ですよね」
ゴルン「だが」
ゴルンは。
二つの記録を。
並べる。
ゴルン「木炭一量あたりで見ると」
「二号炉と」
「思ったほど差がねぇ」
アルスの動きが止まる。
アルス「え?」
高い炉は。
たくさん良質鋼を作る。
しかし。
たくさん木炭も使う。
だから。
燃料一つあたり。
そう考えると。
効率は。
思ったほど。
良くなっていない。
アルス「じゃあ」
「高くするだけじゃ」
ゴルン「まだ足りねぇな」
アルスは。
記録を見つめる。
そして。
少しずつ。
笑い始めた。
ゴルン「なんで笑う」
アルス「次に調べることが分かったから」
ゴルン「やっぱり坊ちゃんだな」
良質鋼を。
増やす。
そして。
使う木炭を。
減らす。
その両方を。
満たす条件。
製鉄実験は。
また。
一段深い場所へ進んでいく。
だが。
数字で比較できるようになったことで。
アルスたちは。
ようやく。
感覚だけでは見えなかった。
「効率」
という新しい問題を。
はっきりと。
見ることができるようになった。
アルス・シュゲール、五歳。
彼は。
この日。
物を作る技術だけではなく。
技術を数字で評価する
という。
新しい方法を。
手に入れたのだった。
そして。
この小さな天秤が。
やがて。
シュゲール伯爵領で。
材料。
生産量。
品質。
収穫。
取引。
さまざまなものを。
同じ基準で量り。
管理していく。
領地標準の《度量衡》へ。
発展していくことになる。
もちろん。
今のアルスは。
そこまで考えていない。
アルス「まずは鋼です!」
ただ。
今日も。
砂鉄と。
木炭と。
炉を見ながら。
次の実験を。
楽しそうに考えているだけだった。




