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『伯爵家次男に転生した俺は、前世の知識で世界を変えていく』  作者: バモス
第一章 幼少期編

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第101話 数字で見えた次の課題

 翌朝。


 シュゲール伯爵家の鍛冶場では、アルスが昨日までの実験記録を作業台いっぱいに広げていた。


 低い炉。


 これまで使ってきた二号実験炉。


 そして、予熱時間を長く取った高い炉。


 今までは出来上がった粗鋼を見て、良い、悪い、多い、少ないと判断していた。しかし、小型の天秤を作ったことで、砂鉄や木炭、出来上がった粗鋼、さらにその中から選別できた良質鋼まで重さで比べられるようになった。


 すると、感覚だけでは見えなかった問題が、はっきりと姿を現した。


アルス「……やっぱり高い炉、木炭をいっぱい使ってる」


ゴルン「昨日から何回見ても数字は変わらねぇぞ」


アルス「分かってます。でも、何か見落としてないかなって」


ゴルン「そうやって記録を見直すのは悪くねぇ」


 ゴルンはそう言いながら、アルスの隣へ腰を下ろした。


 高い炉は悪くない。


 むしろ良質鋼そのものの量なら、現在までの実験では最も多かった。


 ところが、そのために必要となった木炭も多い。


 炉が大きくなった分だけ予熱に時間がかかり、さらに操業中も大量の木炭を消費する。


 良い鋼が多くできても、それ以上に燃料が増えてしまえば、効率が良くなったとは言い切れない。


アルス「良い鋼を増やしたい。でも木炭は減らしたい」


ゴルン「欲張りだな」


アルス「駄目ですか?」


ゴルン「鍛冶師としては正しい欲張り方だ」


 アルスはもう一度、記録へ目を落とした。


 高い炉そのものが悪いわけではない。


 問題は、熱を作るために大量の木炭が必要になっていることだ。


 ならば、考えるべきことは単純だった。


アルス「作った熱を、逃がさなければいい?」


ゴルン「……何?」


アルス「炉を熱くするために木炭を燃やしてるんですよね?」


ゴルン「そりゃそうだ」


アルス「だったら、せっかく作った熱が外に逃げてたら、その分だけまた木炭を燃やさないといけない」


 ゴルンは答えず、実験炉へ目を向けた。


 アルスも同じ方向を見る。


 実験炉は粘土を中心に作られ、その外側を石などで補強している。


 これまで重視していたのは、崩れないことだった。


 しかし、炉壁がどれほど熱を外へ逃がしているのかについては、まだ本格的に考えていなかった。


ゴルン「炉の壁か」


アルス「はい」


ゴルン「厚くするか?」


アルス「それも試したいです。でも、厚くしたら温まるまで時間がかかるかもしれない」


ゴルン「……そこまで考えたか」


アルス「前の高い炉で予熱にいっぱい炭を使ったから」


 厚い壁なら熱を逃がしにくくなる可能性がある。


 しかし、その厚い壁そのものを温めるために、より多くの熱が必要になるかもしれない。


 ならば、ただ厚くするだけではない。


 熱を逃がしにくく、それでいて扱いやすい炉壁。


 そこを探す必要がある。


ゴルン「また材料探しか」


アルス「楽しそうですね!」


ゴルン「お前だけだ」


 そう言いながらも、ゴルンの口元は少し笑っていた。


     ◇◇◇


 午前中。


 アルスたちは、以前の実験炉を一部崩して炉壁を確認していた。


 内側は何度も高温へ晒されているため、硬く焼けている。


 しかし、場所によって状態は違った。


アルス「ここ、ひびが多いですね」


ゴルン「送風口に近いからな。熱の変化が激しい」


アルス「こっちは?」


ゴルン「中央より上だ。割れは少ないが、触ってみろ」


 十分に冷えていることを確認してから、アルスは炉壁へ触れる。


アルス「ざらざらしてる」


ゴルン「砂が多い」


アルス「場所で材料を変えてるんですか?」


ゴルン「多少はな。全部同じ土だけじゃ、乾かす時にも割れやすい」


 アルスは目を瞬いた。


アルス「ゴルンさん、それ早く教えてくださいよ」


ゴルン「聞かれなかったからな」


アルス「そういう大事なことは教えてください!」


ゴルン「だから今教えてるだろ」


 ゴルンによれば、炉を作る粘土には、そのまま土だけを使うのではなく、砂や細かく砕いた古い炉材などを混ぜることがあるという。


 乾燥時の割れを抑えたり、高温に耐えやすくしたりするためだ。


 もちろん職人ごとに配合は違い、経験で決めている部分も多い。


アルス「……配合」


ゴルン「嫌な顔になったな」


アルス「違います。試したい顔です」


ゴルン「もっと悪い」


 アルスはすぐに紙を持ってくる。


 しかし、そこで手を止めた。


アルス「待って」


ゴルン「どうした?」


アルス「炉壁の材料を変えるなら、厚さは同じにした方がいいですよね」


ゴルン「そうだな」


アルス「一度に二つ変えない」


ゴルン「ようやく身体に染み込んできたな」


 まず炉壁の厚さは変えない。


 その代わり、材料の配合を変える。


 そして、同じように火を入れた時、どれほど熱の保ち方が変わるかを見る。


 問題は。


アルス「どうやって温度を比べる?」


 温度計など存在しない。


 炉の内部へ手を入れるわけにもいかない。


 鉄の色なら目安になる。


 しかし、炉壁の断熱性能を細かく比較するには不十分だった。


ゴルン「外側の熱さを見るか」


アルス「外側?」


ゴルン「同じだけ火を入れて、外側が熱くなりにくい炉壁なら」


アルス「中の熱が外へ逃げにくいかもしれない!」


ゴルン「触るなよ」


アルス「触りません!」


 五歳児に高温の炉壁を触らせるつもりなど、ゴルンには一切ない。


 そこで考えたのが、水だった。


 同じ大きさの小さな金属容器へ同じ量の水を入れ、それを炉壁から同じ距離へ置く。


 同じ時間火を入れた時、外側へ逃げた熱が多ければ、水もより温まりやすいはずだ。


 正確な温度は分からない。


 それでも、比較ならできる。


アルス「これなら触らなくていい」


ゴルン「悪くねぇな」


アルス「水が減った量も見られる?」


ゴルン「蒸発か」


アルス「はい」


ゴルン「ただし風でも変わるぞ」


アルス「あ……」


 屋外なら風の強さでも水の冷え方は変わる。


 また一つ条件が増えた。


アルス「実験って大変ですね」


ゴルン「今さら何言ってんだ」


     ◇◇◇


 昼前。


 バルトも呼ばれた。


バルト「今日は秤の改良じゃないのか?」


アルス「炉壁です!」


バルト「また炉に戻ったか」


 アルスは事情を説明する。


 するとバルトは、少し考えてから工房の隅へ向かった。


バルト「だったら、こんなのはどうだ?」


 持ってきたのは木灰だった。


アルス「灰?」


バルト「俺たちは炉を作らんが、家の壁や竈を直す時、場所によって灰を混ぜる奴もいる」


ゴルン「鍛冶炉じゃあまり使わんな」


バルト「だから使えるかどうかは知らん」


 アルスは灰を指先で少しつまむ。


 軽い。


 細かい。


 前世の記憶が刺激される。


 灰。


 砂。


 粘土。


 そして、空気を含んだ材料。


 断熱という考えなら、可能性はある。


 しかし。


アルス「いきなり本物の炉には使いません」


ゴルン「正解だ」


バルト「珍しく慎重だな」


アルス「僕、最近ずっと慎重ですよ?」


ゴルン「自分で言うな」


     ◇◇◇


 そこで、まず小さな試験片を作ることになった。


 いつもの炉壁材。


 そして、それとは配合を少し変えたもの。


 さらに木灰を少量混ぜたもの。


 どれも同じくらいの厚さと大きさへ揃え、十分に乾かす。


 アルスは並べられた試験片を見て、少し不満そうな顔をした。


アルス「乾くまで待つんですよね」


ゴルン「ああ」


アルス「何日?」


ゴルン「天気次第だ」


アルス「……」


ゴルン「その顔すると思った」


アルス「火の近くで乾かしたら?」


ゴルン「急に乾かして割れたらやり直しだ」


アルス「分かりました」


 待つこと。


 最近のアルスが覚えた。


 とても重要で。


 とても苦手な技術だった。


     ◇◇◇


 その日の午後。


 やることがなくなったわけではない。


 むしろ。


 今だからこそできる仕事があった。


 アルスはゴルンと一緒に、前回の製鉄で使った木炭の残量を量る。


 さらにドランにも来てもらい、木炭を作るために必要な木材について聞いた。


ドラン「木炭一箱作るにも、それよりずっと多い薪が要るぞ」


アルス「どれくらいですか?」


ドラン「木の種類や乾き方で変わる。窯の出来でも変わるから、一言では言えんな」


アルス「じゃあ、それも量ったことは?」


ドラン「細かくはねぇな」


 ドランたち炭焼き職人は。


 経験で知っている。


 この量の木を窯へ入れれば。


 だいたいこの程度の炭になる。


 しかし。


 数字として細かく残してはいない。


アルス「木から木炭になる時にも歩留まりがある……」


ドラン「また難しい言葉を使い始めたな」


ゴルン「放っとけ。そのうち慣れる」


 製鉄だけを見ていたら。


 木炭は材料だった。


 しかし。


 その木炭にも。


 作る工程がある。


 木を切る。


 乾燥させる。


 窯へ入れる。


 焼く。


 冷ます。


 選別する。


 そこでも。


 材料。


 時間。


 人手。


 そして。


 損失が生まれる。


アルス「鉄を効率よく作るなら、炭を作るところも考えないと駄目?」


ドラン「大量に使うつもりならな」


 アルスは以前。


 森を使いすぎてはいけないと教えられた。


 良質鋼が作れるようになったからといって。


 森中の木を切って木炭へ変えてしまえば。


 領地そのものを傷つける。


 ならば。


 少ない木炭で。


 できるだけ多くの良質鋼を作る。


 それは。


 お金の問題だけではない。


 森を守ることにもつながる。


アルス「やっぱり木炭を減らしたいです」


ドラン「なら俺も協力するさ」


アルス「ありがとうございます!」


ドラン「その代わり」


アルス「はい?」


ドラン「森へ行くぞ」


アルス「森?」


ドラン「木炭がどこから来るのか、ちゃんと自分の目で見ろ」


 アルスは少し驚いた。


 しかし。


 すぐに頷く。


アルス「行きたいです」


ゴルン「伯爵様の許可を取ってからだ」


アルス「分かってます」


     ◇◇◇


 夕方。


 アルスは父カインの執務室を訪れた。


カイン「森へ?」


アルス「はい。ドランさんが、木炭に使う木を見せてくれるって」


カイン「製鉄のためか?」


アルス「それもあります。でも」


 アルスは少し考える。


アルス「鉄をいっぱい作るなら、木炭もいっぱい必要になります」


カイン「ああ」


アルス「でも木炭を作るために木を切りすぎたら、森がなくなります」


カイン「そうだな」


アルス「だから、どれくらい使って、どれくらい戻るのか知りたいです」


 カインはしばらく息子を見る。


 以前。


 アルスなら。


 新しい炉。


 新しい鋼。


 そこだけを見ていたかもしれない。


 しかし今は。


 その材料がどこから来るのか。


 さらにその先まで。


 見ようとしている。


カイン「許可しよう」


アルス「本当ですか?」


カイン「ああ。ただしドランと護衛から離れないこと。危険な場所へ勝手に入らないこと。そして森では火を使わないこと」


アルス「はい!」


カイン「それから」


アルス「まだあります?」


カイン「ある」


 カインは少し笑う。


カイン「お前は五歳だ。疲れたら休むこと」


アルス「……はい」


     ◇◇◇


 数日後。


 十分に乾いた炉壁の試験片が、鍛冶場へ並べられた。


 いよいよ比較試験が始まる。


 同じ程度の火。


 同じ距離。


 同じ時間。


 そして外側へ置いた水の温まり方を比べる。


 完全に正確な実験ではない。


 それでも。


 違いは現れた。


アルス「こっちの水、まだぬるい」


ゴルン「いつもの炉材だと、もっと温まってるな」


 灰を少量混ぜた試験片。


 その外側に置いた水は。


 従来の炉壁材より。


 明らかに温まり方が遅かった。


アルス「熱が外に出にくい?」


ゴルン「可能性はある」


 しかし。


 ゴルンが試験片を持ち上げようとした時。


ゴルン「……こいつは駄目だ」


アルス「え?」


 灰を多く混ぜた方には。


 小さな亀裂が入っていた。


アルス「あ……」


ゴルン「熱は逃げにくいかもしれんが、弱い」


アルス「じゃあ失敗?」


ゴルン「違う」


 ゴルンは別の試験片を見る。


 灰を。


 ほんの少しだけ混ぜたもの。


 こちらにも。


 細かな変化はある。


 しかし。


 大きな亀裂はない。


ゴルン「混ぜる量だ」


アルス「多すぎたら弱くなる。でも少しなら……」


ゴルン「使えるかもしれん」


 アルスの顔が明るくなる。


アルス「じゃあ次は配合を――」


ゴルン「今日は終わり」


アルス「まだ言い終わってません!」


ゴルン「どうせ配合を少しずつ変えて比べるって言うんだろ」


アルス「……その通りです」


     ◇◇◇


 夜。


 自室へ戻ったアルスは。


 机の上へ手帳を開いた。


 水差しには。


 北の村でもらった青い花。


 そして。


 その隣には。


 製鉄実験の記録が置かれている。


 アルスはペンを取り。


 ゆっくり書いた。


 『つくったねつを にがさない』


 そして。


 少し考えて。


 『いいはがねをふやすだけじゃなく つかうもくたんもへらす』


 さらに。


 今日。


 ドランから聞いた話を思い出す。


 木炭の向こうには。


 森がある。


 だから。


 もう一行。


 『てつをつくるなら もりのこともかんがえる』


 アルスはペンを置いた。


アルス「全部つながってるんだな」


 砂鉄は。


 鉱山から来る。


 木炭は。


 森から来る。


 炉は。


 土と石から作る。


 ふいごは。


 木工職人と鍛冶師が作る。


 そして。


 それらを扱うのは。


 人だ。


 鉄だけを見ていても。


 製鉄は完成しない。


 技術とは。


 一つの工房だけで。


 完結するものではない。


     ◇◇◇


 翌朝。


 屋敷の前。


 アルスは。


 小さな鞄を背負っていた。


 隣には。


 炭焼き職人ドラン。


 そして。


 数人の護衛。


 父カインも。


 見送りへ来ている。


カイン「ドラン」


ドラン「お任せください、伯爵様」


カイン「アルスが勝手に走り出したら止めてくれ」


アルス「走りません!」


ドラン「承知しました」


アルス「ドランさんまで!」


 カインが笑う。


カイン「よく見てこい、アルス」


アルス「はい」


カイン「木だけを見るな」


アルス「え?」


カイン「森を見てこい」


 アルスは。


 少しだけ。


 その意味を考える。


 そして。


 頷いた。


アルス「行ってきます」


 こうして。


 アルスは。


 製鉄に必要な木炭。


 そのさらに向こう側を見るため。


 初めて。


 シュゲール伯爵領の森を。


 炭焼き職人とともに。


 本格的に歩くことになった。


 そこでは。


 木を切ること。


 育てること。


 森を休ませること。


 そして。


 使った資源を。


 次の世代へ残すこと。


 前世の知識だけでは分からない。


 この世界で暮らす人々が。


 長い年月をかけて守ってきた知恵を。


 アルスは知ることになる。


 製鉄を進めるために向かった森で。


 少年は。


 鉄とはまったく違う。


 もう一つの大切なことを。


 学び始めようとしていた。

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