第102話 森を使い、森を育てる
朝のシュゲール伯爵領。
領都から少し離れた森の入口に、一台の馬車が止まった。
馬車から降りたアルスは、目の前に広がる森を見上げる。
大きな木々の間から朝日が差し込み、湿った土と草の匂いが漂っていた。
今日は鍛冶場へ行かない。
砂鉄を炉へ入れることもなければ、槌を握ることもない。
製鉄に欠かせない木炭が、どこから来るのか。それを自分の目で確かめるため、炭焼き職人ドランと一緒に森へやって来たのだ。
ドラン「坊ちゃん、足元に気を付けてくださいよ」
アルス「はい!」
ドラン「それと、勝手に走らない」
アルス「分かってます」
ドラン「伯爵様から三回言われましたからな」
アルス「お父様……」
後ろでは護衛たちが小さく笑っている。
アルスは少し頬を膨らませたものの、すぐに気持ちを切り替えた。
森の中には道らしい道がある。
ただし、馬車が通れるほど広くはない。
人が何度も歩き、木材や木炭を運ぶことで自然にできた細い道だった。
ドランを先頭に、アルスたちは森の奥へ入っていった。
◇◇◇
しばらく歩いたところで、アルスは奇妙なことに気付いた。
森なのに、木の生え方が場所によってかなり違う。
大きな木が密集している場所もあれば、若い木ばかりが並んでいる場所もある。
さらに進むと、切り株が目立つ場所まで現れた。
アルス「ドランさん」
ドラン「何です?」
アルス「ここだけ木が小さいです」
ドラン「ああ。そこは数年前に切った場所です」
アルス「全部?」
ドラン「全部じゃありませんよ」
ドランは近くの木へ手を当てる。
ドラン「残す木を決めて、それ以外を切るんです」
アルス「どうして全部切らないんですか?」
ドラン「全部なくしたら、森が弱るからです」
ドランは、アルスにも分かるようにゆっくり説明した。
大きな木をすべて切れば、確かに一度に大量の木材が手に入る。
だが、その後が続かない。
木が育つには時間がかかる。
だから炭焼き職人たちは、森をいくつかの場所に分け、今年使う場所、しばらく使わない場所、若い木を育てる場所を変えながら利用していた。
アルス「順番に使う?」
ドラン「そういうことです」
アルス「じゃあ、ここを使ったら次は別の場所?」
ドラン「ええ。ここはしばらく休ませます」
アルスは若い木を見る。
まだ細い。
けれど、その周囲には光が届いている。
大きな木が適度に切られたことで、地面まで日の光が入るようになっていた。
アルス「森を休ませるって、何もしないことじゃないんですね」
ドラン「よく気付きましたな」
ドランは笑う。
ドラン「若木が育つのを邪魔する草を刈ることもあります。育ちの悪い木を間引くこともある。獣に荒らされていないかも見ます」
アルス「手入れするんだ」
ドラン「森だって、使いっぱなしじゃ駄目なんですよ」
その言葉を聞いて。
アルスは昨日の製鉄実験を思い出した。
道具も。
炉も。
使えば傷む。
手入れをする。
直す。
そして長く使う。
森も同じなのかもしれない。
◇◇◇
さらに奥へ進む。
やがて。
少し開けた場所へ出た。
そこには土を盛り上げたような大きな窯があった。
アルス「これが炭焼き窯?」
ドラン「そうです」
以前にも炭焼き場を訪れたことはある。
しかし今日は、木が切られる場所から窯までの流れを続けて見ることが目的だった。
近くには、切った木が積まれている。
けれど。
すぐ窯へ入れる様子はない。
アルス「これ、まだ使わないんですか?」
ドラン「乾かしてるんです」
アルス「どれくらい?」
ドラン「木にも季節にもよります」
また。
条件によって違う。
最近、その答えを聞くことが増えた気がする。
アルス「何でも同じじゃないんですね」
ドラン「自然相手の仕事なんて、そんなもんですよ」
乾燥が足りない木は水分が多い。
そのまま炭にしようとすれば、余計な熱が必要になり、出来上がる木炭の状態も安定しにくい。
だから。
切る。
運ぶ。
乾かす。
そして。
ようやく窯へ入れる。
アルス「木を切ったらすぐ木炭になると思ってました」
ドラン「そんな簡単なら俺たちは苦労しません」
アルス「すみません」
ドラン「ははは。見に来たんだから、今日覚えりゃいいんですよ」
アルスは頷く。
前世の知識がある。
だから。
木を蒸し焼きにすれば木炭になることは知っていた。
しかし。
実際に炭焼きを仕事として続けるための知識までは知らない。
どの木を使うのか。
いつ切るのか。
どう乾かすのか。
窯へどう並べるのか。
火をどこまで入れるのか。
いつ空気を絞るのか。
どう冷ますのか。
その全てを。
アルスは知らなかった。
やはり。
前世の知識は。
答えではない。
方向を示す地図に近い。
◇◇◇
ドランは乾燥させている木を何本か見せてくれた。
ドラン「こっちは火付きがいい」
アルス「柔らかい木?」
ドラン「そうです。こっちは硬くて重い」
アルス「長く燃える木炭になる?」
ドラン「その傾向があります」
アルスは二本を持ち比べようとする。
アルス「んっ……」
硬い方は。
五歳児には重かった。
護衛「アルス様、お持ちしましょう」
アルス「大丈夫……です……」
ドラン「無理しない」
アルス「……お願いします」
素直に護衛へ渡す。
最近。
自分が五歳であることを認める回数が増えてきた気がした。
ドラン「木の種類だけじゃありません。同じ木でも育った場所で違います」
アルス「場所でも?」
ドラン「日当たり。土。水。木の太さ。いろいろです」
アルス「木炭を同じにするの、すごく難しい」
ドラン「だから俺たちがいるんですよ」
ドランは胸を張った。
その姿を見て。
アルスは笑う。
アルス「格好いいです」
ドラン「急に褒めても何も出ませんよ」
アルス「本当に思ったんです!」
◇◇◇
昼。
一行は炭焼き場の近くで休憩することになった。
簡単なパンと干し肉。
そして水。
アルスは切り株へ腰を下ろし、森を眺めながらパンを食べる。
アルス「ドランさん」
ドラン「はい?」
アルス「もし製鉄で木炭を今よりたくさん使うようになったら、この森だけで足りますか?」
ドランの表情が少し変わった。
ドラン「どれくらい使うかによります」
アルス「今の何倍とかは、まだ分かりません」
ドラン「なら今は答えられませんな」
アルス「ですよね」
以前なら。
そこで終わっていたかもしれない。
しかし今のアルスには。
秤がある。
数字で比較するという考えもある。
アルス「だったら調べられますよね」
ドラン「何をです?」
アルス「今の森から、一年にどれくらい木を切ってるのか」
ドランが目を細める。
アルス「その木から、どれくらい木炭ができるのか」
「それから、新しく木が育って、また使えるようになるまでどれくらいかかるのか」
ドラン「……坊ちゃん」
アルス「はい?」
ドラン「最後のは、すぐ答えが出ませんよ」
アルス「何年もかかるから?」
ドラン「そうです」
アルスは森を見る。
自分の実験なら。
数時間。
長くても数日。
それで結果が見えることが多い。
しかし。
森は違う。
木が育つ時間は。
人間の都合に合わせてくれない。
アルス「長い実験だ」
ドラン「実験というより、俺たちの仕事そのものですな」
◇◇◇
食事を終え。
さらに別の場所へ向かう。
そこには。
先ほどより小さな木が多く生えていた。
アルス「ここはもっと最近?」
ドラン「ええ。二年前です」
アルス「二年でこれくらい……」
アルスの背丈を。
とっくに超えている若木もある。
しかし。
木炭へ使える太さには。
まだ遠い。
ドラン「坊ちゃん」
アルス「はい」
ドラン「森はな」
「木が生えてりゃ同じ森ってわけじゃないんです」
アルス「どういうことですか?」
ドランは地面を指差した。
草。
落ち葉。
小さな虫。
そして。
鳥の声。
ドラン「木だけ全部切れば、雨が降った時に土が流れやすくなる」
「土が流れりゃ、若い木も育ちにくい」
「木の実が減れば、獣も別の場所へ行く」
「獣が畑へ降りてくることだってある」
アルスは黙った。
父が言った。
木だけを見るな。
森を見てこい。
今。
その意味が。
少しだけ分かった。
アルス「木炭の材料だけじゃないんだ」
ドラン「ええ」
森は。
木材置き場ではない。
そこにある。
一つの大きな仕組み。
木。
土。
水。
草。
動物。
人。
全部。
つながっている。
◇◇◇
その時。
護衛の一人が。
少し先を指差した。
護衛「アルス様、あちらをご覧ください」
アルス「?」
そこには。
小さな流れがあった。
森の中から湧き出した水が。
細い小川となっている。
ドラン「あれも大事ですよ」
アルス「水?」
ドラン「木を切りすぎると、雨の後に一気に水が流れる場所もあります」
アルス「洪水?」
ドラン「そこまで大きくなくても、下の畑が困ります」
アルスは。
北の村を思い出した。
畑。
二号鍬。
農民たち。
そして。
赤い髪飾りを付けた少女。
もし。
自分が良い鋼を作りたいからと。
木炭を大量に使い。
そのために森を切りすぎて。
下流の畑を荒らしたら。
何のための技術なのだろう。
アルス「……それは駄目だ」
ドラン「何がです?」
アルス「鉄を作るために」
「畑が困ったら」
「意味がないです」
ドランは。
少しだけ笑った。
ドラン「その通りです」
◇◇◇
帰り道。
アルスは行きより。
ずっと静かだった。
疲れた。
それもある。
五歳の身体で。
森を何時間も歩いたのだ。
当然だった。
途中からは。
護衛に手を引いてもらっている。
それでも。
頭の中では。
ずっと。
今日見たものを考えていた。
木炭。
製鉄。
森。
畑。
水。
そして。
人。
どれか一つだけを良くすればいいわけではない。
アルス「難しいなぁ……」
ドラン「何がです?」
アルス「世界って」
ドラン「随分でかい話になりましたな」
アルス「だって全部つながってるから」
ドランは声を上げて笑った。
ドラン「坊ちゃんには、まだ少し早い悩みかもしれませんな」
アルス「でも考えます」
ドラン「なら、まず今日は帰って寝てください」
アルス「……はい」
◇◇◇
夕方。
屋敷へ戻ると。
カインが執務室で待っていた。
カイン「どうだった?」
アルス「疲れました」
カイン「それが最初か」
アルス「本当にいっぱい歩いたんです」
カイン「だから言っただろう。お前は五歳だ」
アルス「はい……」
エリザも。
ちょうど執務室へ来ていた。
エリザ「アルス、顔が少し赤いわよ」
アルス「大丈夫です」
エリザ「今日はお風呂に入って、早く休みなさい」
アルス「分かりました」
それでも。
報告だけはしたかった。
アルス「お父様」
カイン「なんだ?」
アルス「お父様が言ってた意味」
「少し分かりました」
カイン「何の話だ?」
アルス「木だけを見るな。森を見ろって」
カインの表情が。
少し柔らかくなる。
アルス「木炭を作るなら木が必要です」
「でも木を切りすぎたら」
「土とか水とか」
「動物とか」
「畑まで困るかもしれない」
カイン「ああ」
アルス「だから」
アルスは。
少し考え。
アルス「製鉄で使える木炭の量って」
「作りたい鉄の量だけで決めちゃ駄目なんですね」
カイン「その通りだ」
カインは。
机の上にある領地図を広げる。
カイン「領主が考えることも同じだ」
アルス「領主?」
カイン「農地を増やしたいから森を全部切る。それでは駄目だ」
「木材を売れば金になるからと、森を切り尽くす。それも駄目だ」
「鉱山が儲かるからと、人も道も何も考えず掘り続ける。それも違う」
アルス「全部、続かなくなる?」
カイン「ああ」
カインは。
アルスを見る。
カイン「領地経営で大切なのは」
「今年だけ豊かになることではない」
「十年後も」
「二十年後も」
「ここで暮らす者たちが生活できるようにすることだ」
アルスは。
静かに頷いた。
◇◇◇
その夜。
アルスは。
母エリザとの約束通り。
いつもより早くベッドへ入ることになった。
しかし。
眠る前に。
どうしても一つだけ。
書いておきたい。
机へ向かい。
手帳を開く。
今日見た森を思い出しながら。
ペンを動かした。
『きだけをみない。もりをみる』
そして。
『つかうなら そだてる』
さらに。
北の村の畑を思い出す。
『ひとつをよくするために ほかをこまらせない』
最後に。
父から聞いた言葉を。
自分なりに。
書き直した。
『ことしだけじゃなく ずっとつづけられるようにする』
アルス「……これ、大事だな」
五歳のアルスには。
まだ。
難しい。
でも。
忘れたくない。
そう思った。
◇◇◇
翌日。
アルスは。
珍しく。
いつもの時間になっても。
鍛冶場へ現れなかった。
ゴルン「遅ぇな」
バルト「昨日、森を歩き回ったんだろ?」
ゴルン「まさか」
屋敷。
アルスの寝室。
カーテンの隙間から。
朝日が差し込んでいる。
その中で。
アルスは。
布団へ包まり。
ぐっすり眠っていた。
エリザ「今日は寝かせておきましょう」
カイン「ああ」
カインは。
息子の机を見る。
開いたままの手帳。
そこには。
昨夜書いた言葉が残っている。
木だけを見ない。
森を見る。
使うなら。
育てる。
カインは。
しばらくそれを見つめ。
静かに手帳を閉じた。
カイン「急ぐ必要はない」
エリザ「ええ」
カイン「こいつはまだ五歳だからな」
◇◇◇
その日の昼近く。
アルス「……寝過ぎた!」
ようやく目を覚ましたアルスは。
慌てて着替え。
朝食なのか昼食なのか分からない食事を済ませ。
鍛冶場へ向かった。
アルス「ゴルンさん、ごめんなさい!」
ゴルン「来たか、寝坊助」
アルス「寝坊助じゃありません!」
ゴルン「昼前だぞ」
アルス「……寝坊助です」
素直に認める。
ゴルンは笑った。
ゴルン「今日は無理するな」
アルス「はい」
作業台には。
以前作った炉壁の試験片が並んでいる。
灰を少量混ぜたもの。
通常のもの。
配合を変えたもの。
次の実験。
熱を逃がしにくい炉。
木炭を節約できる炉。
良質鋼を。
無理なく。
長く作り続けられる方法。
アルスは。
試験片を手に取った。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「なんだ?」
アルス「良い鋼を作るだけじゃなくて」
「森を減らしすぎない鋼にしたいです」
ゴルン「鋼が森を減らすわけじゃねぇぞ」
アルス「分かってます!」
ゴルンは。
少し笑ってから。
アルスの頭へ手を置いた。
ゴルン「なら」
「炭を無駄にしない炉を作れ」
アルス「はい!」
こうして。
アルスたちの製鉄実験は。
単純に。
より高い温度を求める段階から。
作った熱を逃がさず。
限られた木炭を有効に使う段階へ。
少しずつ。
進み始めた。
前世の知識だけでは。
決して完成しない。
この世界の職人たちが持つ経験。
この土地にある材料。
そして。
この土地の森を守りながら続けていく方法。
それらを組み合わせて。
アルスたちは。
シュゲール領に合った製鉄法を。
自分たちの手で。
作り始めていた。
そして次にアルスが向き合うのは。
炉壁へ混ぜる材料と。
熱を逃がしにくい構造。
製鉄の効率を大きく左右する。
《炉そのもの》の改良だった。




