第95話 試作二号
翌朝。
シュゲール伯爵家の鍛冶場では、すでに炉へ火が入っていた。
作業台の上には二つの鋼片が並んでいる。
一つは、以前作った《砂鉄鋼小刀・試作一号》に使った鋼と近い性質のもの。
そしてもう一つは、昨日までの選別で《基準鋼》に近いと判断された良質な鋼片だった。
アルスはその二つを見比べながら、少しだけ緊張していた。
今回はただ小刀を作るのではない。
一号と二号。
条件をできるだけ揃えて比較する。
選別した鋼を使うことで、本当に性能が良くなるのか。
それを確かめるための試作だった。
アルス「おはようございます!」
ゴルン「おう。今日は早いな」
アルス「試作二号の日ですから!」
ゴルン「昨日からそれしか考えてなかった顔だな」
アルス「ちゃんと寝ましたよ?」
ゴルン「それは当たり前だ」
ゴルンは良質鋼片を持ち上げる。
ゴルン「最初に言っとくぞ。今日は一号とできるだけ同じ条件で作る」
アルス「形も?」
ゴルン「同じだ」
アルス「厚みも?」
ゴルン「できるだけ揃える」
アルス「焼き入れも?」
ゴルン「同じ条件を狙う」
そこでゴルンは鋼片をアルスの目の前へ置いた。
ゴルン「ただし」
アルス「はい?」
ゴルン「同じ作り方をすることと、何も考えず同じことをするのは違う」
アルス「どういうことですか?」
ゴルン「鋼が違えば、火の入り方も、叩いた時の伸び方も少しずつ違う」
アルス「でも同じ条件で比較するんですよね?」
ゴルン「ああ。だからこそ、目的を外さない範囲で鋼に合わせる」
アルスは少し考えた。
全く同じ力。
全く同じ回数。
全く同じ時間。
それだけを守れば公平な比較になると思っていた。
しかし、それでは素材そのものを壊してしまう可能性がある。
大切なのは、同じ形。
同じ用途。
同じ程度の熱処理。
そして、できるだけ同じ試験条件。
そこへ至るまでの槌の一打一打まで完全に同じにすることではない。
アルス「素材の違いを見ながら、完成条件を揃える?」
ゴルン「そういうことだ」
アルス「難しいですね」
ゴルン「だから職人が必要なんだ」
アルスは素直に頷いた。
前世の知識。
記録。
規格。
それらはとても大切だ。
しかし、それだけでは足りない。
目の前の素材が今どういう状態なのか。
そこを見抜く職人の経験もまた必要だった。
やがて、良質鋼片が炉へ入れられる。
回転式二連ふいごが一定の調子で風を送る。
ゴォォォ……。
鋼が少しずつ赤くなっていく。
暗い赤。
明るい赤。
そして橙色へ。
アルス「一号の時より、少し色が揃うの早くないですか?」
ゴルン「俺もそう見える」
アルス「質が均一だから?」
ゴルン「可能性はある」
ゴルンはそう答えたものの、断定はしなかった。
まだ一つの鋼片を見ているだけだからだ。
ゴルン「出すぞ」
アルス「はい!」
火ばさみで鋼片を取り出す。
金床へ。
ゴルンの槌が落ちる。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
鋼が少しずつ伸びる。
アルス「一号より伸び方が綺麗ですね」
ゴルン「ああ」
アルス「割れそうなところもない」
ゴルン「今のところはな」
ゴルンは数回叩いたところで止める。
まだ叩けそうに見えたが、無理をしない。
再び炉へ戻す。
アルス「もう戻すんですか?」
ゴルン「こいつは良い鋼だ」
アルス「だから?」
ゴルン「だからこそ、無理して壊す必要がない」
その言葉がアルスには少し意外だった。
良い素材なら、もっと強く叩けると思っていた。
だが逆だった。
良い素材だからこそ。
その良さを壊さない。
それも職人の仕事だ。
何度か加熱と鍛造を繰り返し、鋼は徐々に小刀の形へ近づいていく。
アルスも途中から小さな槌を持った。
ゴルン「ここだ」
アルス「はい!」
カンッ!
ゴルン「もう少し刃側」
カンッ!
ゴルン「そうだ」
アルス「前より叩きやすいです」
ゴルン「鋼が素直なんだ」
アルス「前に言ってたやつ」
ゴルン「ああ」
槌を入れれば、その分だけ形が変わる。
急に裂けない。
表面が崩れない。
不純物の筋に沿って割れることもない。
アルスにも、一号の時との違いが少しずつ分かってきた。
やがて鍛造が終わる。
次に大まかな形を削る。
試作一号と同じ全長。
同じ程度の刃幅。
背の厚みもできるだけ揃える。
ゴルンは一号を横へ置き、何度も見比べながら調整した。
アルス「本当にそっくり」
ゴルン「比較するからな」
アルス「柄も同じにします?」
ゴルン「試験中は同じ形の仮柄を使う」
バルトが作ってくれた同じ木材の柄が用意されている。
これで握りやすさによる差もできるだけ減らす。
そして。
いよいよ焼き入れだった。
アルスの表情が自然と真剣になる。
試作一号の時。
焼き入れ用の端材を何個も使い。
割れ。
失敗し。
ようやく条件を絞り込んだ。
今回は、その記録を使う。
アルス「一号と同じくらいの色まで?」
ゴルン「狙う」
アルス「冷却も水?」
ゴルン「ああ」
アルス「時間も?」
ゴルン「同じ程度だ」
ただし。
良質鋼だからといって。
同じ熱処理で全く同じ結果になるとは限らない。
そこも今回の試験の一部だった。
炉へ小刀を入れる。
位置を少しずつ変える。
刃側と背側。
厚みが違うため、温度差が出ないよう注意する。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい」
ゴルン「色」
アルス「まだ少し暗いです」
ゴルン「だな」
さらに待つ。
アルス「……今くらい?」
ゴルン「俺もそう思う」
取り出す。
赤く輝く小刀。
そして。
水へ。
ジュワアアアッ!
白い蒸気が一気に立ち上る。
アルスは安全な距離から、じっと見ていた。
やがて音が小さくなる。
ゴルンが小刀を引き上げる。
アルス「割れてない?」
ゴルン「見える範囲ではな」
アルス「曲がりは?」
ゴルン「一号より少ない」
アルス「本当ですか?」
ゴルン「ああ」
そのまま焼き戻しへ進む。
低い温度で再加熱。
硬くなった鋼へ粘りを戻す。
これも試作一号と同じ条件を狙う。
そして冷却。
最後に研ぎ。
シャッ。
シャッ。
シャッ。
ゴルンが砥石へ小刀を滑らせる。
徐々に刃先が整っていく。
アルスは一言も話さず見ていた。
そして。
ゴルン「できた」
アルス「……試作二号」
作業台へ二本の小刀が並んだ。
試作一号。
試作二号。
形はよく似ている。
長さも。
刃幅も。
柄も。
少し離れて見れば、どちらがどちらか分かりにくいほどだった。
アルス「見た目はほとんど同じですね」
ゴルン「中身は違うかもしれん」
アルス「試します?」
ゴルン「今日は軽い試験だけだ」
まず縄。
同じ束から取った麻縄を二本用意する。
一号。
スッ。
二号。
スッ。
どちらも綺麗に切れた。
アルス「分かりません」
ゴルン「一回で分かったら怖ぇよ」
何度か繰り返す。
十回。
二十回。
それでも大きな違いは見えない。
次に木。
同じ種類。
同じ程度の厚さ。
まず一号。
シュッ。
次に二号。
シュッ。
アルス「……二号の方が滑らか?」
ゴルン「少しな」
さらに削る。
一号には以前と同じように。
しばらくすると。
刃先の一部分へ小さな欠けが生じた。
アルス「一号、また欠けました」
ゴルン「ああ」
次に二号。
同じ回数。
同じ木を削る。
アルス「まだ大丈夫」
ゴルン「もう少し続ける」
十回。
二十回。
さらに削る。
それでも。
刃先に大きな欠けは見えない。
アルス「ゴルンさん」
ゴルン「分かってる」
二号を光へかざす。
少し刃先が鈍ってはいる。
しかし。
欠けてはいない。
ゴルン「差が出たな」
アルス「選別した鋼の方が欠けにくい?」
ゴルン「今の試験では、そう見える」
アルスはすぐ記録する。
しかし。
まだ終わりではない。
次は革。
厚さの近い革を切る。
一号。
少し引っ掛かる。
二号。
より滑らかに切れる。
アルス「二号の方がいい」
ゴルン「ああ」
アルス「じゃあ成功!」
ゴルン「まだだ」
アルス「分かってました」
ゴルン「顔が分かってなかったぞ」
さらに縄切りを続ける。
五十回。
一号と二号。
そして紙を切る。
一号。
少し抵抗。
二号。
スッ。
アルス「刃持ちも二号の方がいい?」
ゴルン「今のところはな」
それだけではない。
ゴルンは二号を金床の上へ置き。
刃ではなく背側へごく軽く力を加える。
少しだけ曲げ。
戻す。
アルス「何してるんです?」
ゴルン「粘りを見る」
試作一号も同じように確認する。
一号は少し戻りが鈍い。
二号は。
大きな差ではないが。
元の形へ戻ろうとする感触が少し強い。
ゴルン「二号の方が粘るな」
アルス「硬いのに?」
ゴルン「硬さと粘りの両方がある」
それこそ。
昨日まで探していた性質だった。
アルスは二号を見る。
良質な鋼を選ぶ。
その意味が。
形になって現れている。
アルス「選別ってすごい……」
ゴルン「同じ炉から出た鋼でも、使うところを選ぶだけでここまで変わる」
アルス「じゃあ製鉄そのものをもっと良くしたら」
ゴルン「ああ」
ゴルンは二号の刃を見ながら答える。
ゴルン「良い部分の割合を増やせるかもしれん」
そこで。
アルスは昨日覚えた言葉を思い出した。
アルス「歩留まり」
ゴルン「そうだ」
アルス「良い鋼がたくさん取れれば」
ゴルン「同じ量の砂鉄と炭から、使える鋼が増える」
アルス「材料も無駄になりにくい」
ゴルン「ああ」
ただ良い鋼を見つけるのではない。
良い鋼が多くできる炉。
良い鋼が多くできる木炭。
良い鋼が多くできる風。
そこまで行って初めて。
技術そのものが完成へ近づく。
そこへ父カインが鍛冶場へ入ってきた。
カイン「結果は出たか?」
アルス「お父様!」
アルスはすぐに二本の小刀を見せる。
アルス「二号の方が欠けにくくて、刃持ちも良さそうです!」
カイン「選別した鋼を使った方か?」
アルス「はい!」
カイン「ゴルン」
ゴルン「今のところアルス坊ちゃんの言う通りです」
カイン「偶然の可能性は?」
ゴルン「あります」
アルス「だからまた作ります」
カインが少し笑う。
カイン「私が言う前に答えたな」
アルス「一回だけじゃ決めない、ですよね」
カイン「ああ」
カインは試作二号を見る。
カイン「では商品にするのは?」
アルス「まだです」
カイン「売るのは?」
アルス「まだです」
カイン「他領へ?」
アルス「まだ!」
カイン「よろしい」
アルス「お父様、絶対わざと聞きましたよね?」
カイン「成長確認だ」
ゴルンが笑い。
アルスは少し頬を膨らませた。
しかし。
自分でも以前とは違うと思う。
良いものができた。
すぐ広めたい。
その気持ちは今もある。
でも。
一度の成功だけで広めてはいけない。
作れること。
もう一度作れること。
安全であること。
長く使えること。
そして。
必要な量を作れること。
そこまで確認する必要がある。
午後。
試作二号は試作一号と同じように、長期試験へ回されることになった。
油を塗らない状態での錆び方。
薄く油を塗った状態での保存。
毎日の使用。
研ぎ直した後の切れ味。
その結果は、すぐには出ない。
だから待つ。
その間に。
製鉄側を進める。
ゴルン「坊ちゃん」
アルス「はい?」
ゴルン「次の粗鋼塊を作ったら」
アルス「また選別?」
ゴルン「それもやる」
アルス「他には?」
ゴルンは基準鋼の箱を持ち上げた。
ゴルン「今度は、どこの場所から良い鋼が多く出るか見る」
アルス「炉の中の場所?」
ゴルン「ああ」
以前。
送風口の近く。
中央。
奥。
それぞれで鉄の性質が違っていた。
送風口を二つにし。
角度を調整したことで。
ばらつきは減った。
なら。
今の炉でも。
まだ良質鋼ができやすい場所と。
できにくい場所があるかもしれない。
アルス「もし場所が分かれば」
ゴルン「炉をさらに直せる」
アルス「良い鋼が増えるかも」
ゴルン「そういうことだ」
アルスの目が輝いた。
しかし。
ゴルンはすぐ釘を刺す。
ゴルン「今日はやらん」
アルス「分かってます」
ゴルン「本当に?」
アルス「今日は記録をまとめます!」
ゴルン「成長したな」
夕方。
アルスは自室へ戻った。
北の村から届いた花は、まだ水差しに入っている。
少し萎れ始めているものもあったが。
それでも綺麗だった。
アルスは机へ座り。
手帳を開く。
今日の言葉を書く。
『おなじかたちでも ざいりょうがちがえば けっかがかわる』
その下へ。
『いいはがねを えらぶと はものも よくなる』
そして。
少し考えて。
『いっかいのせいこうでは きめない』
最後に。
昨日覚えた言葉をもう一度。
『ぶどまりを よくする』
アルスはペンを置いた。
「玉鋼……」
まだ。
そう呼べるものではない。
今作っているのは。
砂鉄由来の良質鋼。
それだけ。
しかし。
玉鋼へ近づくために必要なことは。
少しずつ見え始めている。
砂鉄を選ぶ。
木炭を揃える。
炉を整える。
風を一定にする。
送風方向を調整する。
粗鋼を割る。
そして。
良い鋼を選別する。
それらすべてが。
一つの流れになり始めていた。
翌朝。
鍛冶場。
アルス「おはようございます!」
ゴルン「おう」
アルス「今日は炉の場所ごとに――」
ゴルン「その前に客だ」
アルス「客?」
鍛冶場の入口を見る。
そこには。
見覚えのある男が立っていた。
行商人マルク。
以前、二号鍬を領外で販売したいと申し出た商人だった。
マルク「お久しぶりです、アルス様」
アルス「マルクさん?」
マルク「実は」
マルクは少し笑った。
マルク「シュゲール領で、鉄まで新しいことを始めたという噂を聞きまして」
アルスとゴルンが。
同時に黙った。
ゴルン「……誰が漏らした」
アルス「ゴルンさん、顔怖いです」
マルク「いえいえ、詳しい話ではありませんよ」
ただ。
砂鉄。
新しい炉。
変わったふいご。
そして。
今までとは違う鋼。
小さな噂は。
鍛冶場の外へ。
少しずつ。
漏れ始めていた。
砂鉄から始まった技術が。
再び。
領地の外へ広がろうとする。
しかし今のアルスは。
以前とは違った。
アルス「まだ売れません」
マルク「……まだ何も言っておりませんが?」
アルス「でも聞きに来たんですよね?」
マルク「ははは」
マルクは笑った。
そしてゴルンも。
少しだけ口元を緩めた。
五歳の少年は。
少しずつ。
技術を作るだけではなく。
技術を守り、育てること
も覚え始めていた。
次回 第96話「まだ売れません」
砂鉄鋼の噂を聞きつけ、再びシュゲール伯爵領へやって来た行商人マルク。
しかしアルスは即座に「まだ売れません」と答える。
以前なら新しい物ができれば誰かに使ってほしいと考えていたアルスだが、今はまだ品質が安定していないことを理解している。
そこで父カインは、技術の公開範囲について改めて話し合うことになる。
農具のように広める技術と、製鉄のように領地の基盤になり得る技術。
すべてを同じように扱ってよいわけではない。
そしてアルスは初めて、《技術を秘密にする》という選択肢について考えることになる。




