第94話 良い鋼を選び分けよう
翌朝、アルスが鍛冶場へ入ると、作業台の上には昨日分類した粗鋼片が並べられていた。
札には《柔》《硬》《硬・粘》《滓多》と書かれている。
「今日は《硬・粘》から?」
「ああ」
ゴルンはその中から数個を取り出した。
「ただし、この札はまだ大雑把すぎる」
「同じ《硬・粘》でも違うんですよね」
「そういうことだ」
昨日の試験で、粗鋼塊は同じ一つの塊でも場所によって性質が違うことが分かった。そして《硬くて粘りがある》と判断した鋼片の中にも、さらに細かな差があるらしい。
「何から比べます?」
「まずは見た目だ」
ゴルンは三つの鋼片を明るい場所へ持っていった。
アルスも横へ並ぶ。
一つ目は銀色の部分が比較的多い。
二つ目は表面に細かな黒い筋がある。
三つ目は少し暗いが、断面が比較的均一に見えた。
「三つ目が一番綺麗?」
「見た目だけならな」
アルスは紙へ記録する。
「でも見た目だけじゃ決めない」
「分かってるじゃねぇか」
次は槌。
金床へ一つ目の鋼片を置く。
ゴルンが軽く叩いた。
カンッ。
二つ目。
カンッ。
そして三つ目。
キンッ。
「……あれ?」
アルスが顔を上げる。
「今の、音が違った」
「ああ」
ゴルンも少し表情を変えた。
「もう一回やるぞ」
同じように。
一つ目。
カンッ。
二つ目。
カンッ。
三つ目。
キンッ。
「やっぱり」
「高い音?」
「少し澄んでるな」
アルスは三つ目をじっと見る。
「硬いから?」
「それだけじゃないかもしれん」
「じゃあ何です?」
「だから調べる」
「ですよね」
今度は三つをそれぞれ軽く加熱し、同じ程度の温度で叩いてみる。
一つ目はそこそこ伸びる。
二つ目は少し抵抗が強く、端に小さな亀裂が入った。
そして三つ目。
カンッ。
カンッ。
「……素直だな」
ゴルンが呟く。
「素直?」
「叩いた通りに伸びる」
「硬いのに?」
「ああ」
アルスにも分かった。
前の二つより。
槌を入れた場所が。
そのまま少しずつ広がっていく。
「割れない」
「今のところはな」
さらに叩く。
カンッ。
カンッ。
鋼片は薄く伸びる。
「すごい……」
アルスは思わず身を乗り出しかけ。
「近づくな」
「はい」
すぐ戻った。
十分に冷ましてから。
次は砥石。
足踏み式の回転砥石へ当てる。
シャアアッ!
細かな橙色の火花が伸び。
途中で小さく枝分かれする。
「二つ目より少し少ない?」
「そうだな」
「でも一つ目より多い」
「ああ」
つまり。
かなり硬い。
しかし硬すぎる感じでもない。
アルスは心の中で鑑定する。
【良質鋼片】
分類:鋼素材
品質:良
鉄分:非常に高い
炭素量:中程度・比較的均一
不純物:少なめ
加工適性:良好
備考:砂鉄由来。粗鋼塊内部の比較的均質な部位。刃物素材として利用可能。
「……!」
アルスは息を呑んだ。
品質。
良。
今まで。
低品質。
普通。
良くても普通程度だった。
それが初めて。
はっきり《良》と表示された。
「坊ちゃん?」
「はい?」
「また固まってるぞ」
「い、いえ!」
鑑定のことは言えない。
だから。
「これ、本当に良さそうだなって」
そう答えた。
「俺も同意見だ」
ゴルンは鋼片を持ち上げる。
「こいつは残すぞ」
「使わないんですか?」
「使うために残す」
「え?」
「比較用だ」
アルスはすぐに納得した。
「次に同じのができたか見るため」
「そうだ」
良いものができた。
だからすぐ製品にする。
ではない。
まず基準にする。
「これを基準にして」
「近い鋼を探す?」
「ああ」
そこで。
他の《硬・粘》の鋼片も同じ方法で調べることになった。
見た目。
槌の音。
冷えた状態での変形。
加熱した時の伸び。
砥石の火花。
一つずつ。
同じ順番で確認する。
すると。
「これは違う」
「こっちも少し脆いですね」
「こいつは柔らかすぎる」
「じゃあ別の箱へ」
アルスは分類用の箱を増やした。
《刃物候補》
《硬すぎ》
《柔らかめ》
《滓多》
そして。
良質鋼片だけは。
《基準》
という札を付けた。
「基準って、なんか格好いいですね」
「何でも格好いいって言うな」
「大事な物っぽいので」
「実際大事だ」
ゴルンは意外にも否定しなかった。
その後。
鍛冶場の職人二人にも試してもらった。
「これ、どれが一番良いと思います?」
アルスが聞く。
一人目の職人は槌を使う。
カンッ。
カンッ。
「こいつかな」
指差したのは。
基準にした鋼片だった。
二人目も。
「俺もこれだな」
同じ物を選ぶ。
アルスの目が輝く。
「ゴルンさん!」
「ああ」
「三人とも同じです!」
「だからと言って、まだ決定じゃねぇぞ」
「分かってます!」
それでも嬉しい。
一人の感覚ではない。
複数の職人が。
同じ鋼を。
良いと判断した。
つまり。
少なくとも。
ある程度は共有できる特徴がある。
「これって」
「はい?」
「ゴルンさんの感覚を」
「他の人も覚えられるってことですか?」
ゴルンが少し考える。
「ある程度はな」
「じゃあ」
アルスは紙へ視線を落とした。
「良い鋼の見分け方も」
「教えられる?」
「条件をちゃんと整理できればな」
それを聞いた瞬間。
アルスの頭の中で。
釘の規格。
魔力操作の段階。
木炭の基準。
それらが一つにつながった。
「また規格にする気か?」
ゴルンがすぐ気付く。
「規格っていうより」
「目安です」
「同じじゃねぇか?」
「ちょっと違います!」
アルスは紙へ書き始める。
まず、断面に黒い滓が少ないこと。
次に、軽く叩いた時に簡単に割れないこと。
そして加熱した際に素直に伸びること。
さらに砥石へ当てた時、細かな火花が適度に散ること。
「最後に」
「槌の音?」
「音も入れるか」
「でも人によって聞こえ方違いません?」
「違う」
「じゃあ基準鋼と比べる?」
ゴルンの動きが止まった。
「……それは使えるな」
「本当ですか?」
「ああ」
単独の音を覚えるのは難しい。
しかし。
基準となる鋼片を一つ残し。
それと交互に叩けば。
差を感じやすい。
「同じように火花も」
「基準と比べれば分かりやすい?」
「そうだな」
アルスは嬉しそうに書き加える。
「じゃあ《基準鋼》ですね!」
「さっきからそう書いてあるだろ」
「正式名称にします!」
「勝手に決めんな」
「仮です!」
午前の作業が一段落したところで。
父カインが鍛冶場を訪れた。
「何をしている?」
「良い鋼を選んでます!」
「選ぶ?」
アルスが説明する。
砂鉄から作った粗鋼は。
一つの塊でも性質が違う。
そのため。
良い部分だけを選び分ける必要がある。
そして今日。
複数の職人が。
同じ一つの鋼片を。
最も良いと判断した。
「これです」
アルスは木箱に入れた基準鋼を見せる。
カインは手に取らず。
まずゴルンを見る。
「本当に違うのか?」
「ああ」
ゴルンは頷いた。
「今までの粗鋼よりかなり良い」
「刃物にできる?」
「できると思います」
「それなら次の小刀に?」
アルスが期待した顔をする。
しかし。
「まだ使わん」
ゴルンが即答する。
「ええっ」
「これは基準にする」
「同じような鋼がもう一つ見つかったら」
「そっちで試作二号を作る」
「……分かりました」
少し残念。
でも。
納得できる。
カインも頷いた。
「良い判断だ」
そして。
基準鋼を見ながら尋ねる。
「ところで」
「こういう良い部分は、どれくらい取れる?」
アルスとゴルンは顔を見合わせる。
「まだ分かりません」
アルスが答える。
「一個の粗鋼塊から?」
「今回は少しだけです」
「では」
カインは続ける。
「良い鋼が作れることと」
「良い鋼を大量に作れることは」
「また別ということだな」
「……はい」
アルスはすぐ理解した。
今。
良い鋼片が一つ見つかった。
しかし。
粗鋼塊の大部分が。
同じ品質とは限らない。
もし。
一回の製鉄で。
良質な部分がほんの少ししか取れないなら。
大量生産には向かない。
「また歩留まり……」
「歩留まり?」
カインが聞き返す。
「あ」
前世の言葉だった。
「えっと」
「作った全部の中で」
「使える良い部分がどれくらいあるか」
「なるほど」
カインは少し考える。
「分かりやすい言葉だ」
「使っていいですか?」
「好きにしろ」
ゴルンは笑った。
「坊ちゃん、また変な言葉増やすのか」
「便利ですよ!」
そこで。
今日から。
良質鋼がどれくらい取れたかも記録することになった。
粗鋼塊の全体量。
そこから。
刃物候補。
柔らかい部分。
硬すぎる部分。
滓の多い部分。
それぞれをおおまかに分ける。
今は正確な秤がないため。
重量ではなく。
大きさと個数を中心に記録する。
「秤も欲しいな……」
「坊ちゃん」
「作るとは言ってません!」
「顔に書いてある」
「……いつかです」
昼食後。
新しい粗鋼塊を一つ取り出し。
同じ選別を繰り返した。
今度はアルス自身も。
ゴルンに教わりながら判断する。
「これは?」
カンッ。
アルスが首を傾げる。
「少し音が低い?」
「それだけじゃ足りん」
「じゃあ熱します」
「おう」
加熱。
そして。
小さな槌で叩く。
カンッ。
「ちょっと割れそう」
「その感覚覚えとけ」
砥石。
シャアッ!
「火花は多い」
「なら?」
「硬いけど脆い?」
「今のところはな」
別の鋼片。
カンッ。
「これは」
アルスが目を細める。
「基準に近い?」
「俺もそう思う」
加熱。
鍛錬。
割れない。
素直に伸びる。
そして砥石。
シャアアッ!
細かな火花。
激しすぎない。
「これ!」
アルスが嬉しそうに言う。
「第二基準?」
「基準は一個でいい」
「じゃあ刃物候補!」
「そっちだ」
ついに。
基準鋼に近い。
もう一つの鋼片が見つかった。
「ゴルンさん」
「分かってる」
「試作二号!」
「明日だ」
「今日じゃ――」
「明日だ」
「はい……」
アルスは素直に引き下がった。
鍛冶場の時間は。
鉄だけではなく。
人間の体力にも限界がある。
五歳のアルスなら。
なおさらだった。
夕方。
屋敷へ戻る途中。
アルスは北の村から届いた花束を思い出した。
「今度」
小さく呟く。
「村にも行きたいな」
鍛冶場。
鉱山。
炭焼き場。
最近。
新しい場所を見ることが増えた。
しかし。
北の村も。
アルスにとって大切な場所だ。
二号鍬を最初に使ってくれた農家。
そして。
いつも花をくれる。
あの少女がいる。
技術を作るだけではない。
使ってくれる人を見る。
それも。
父が教えてくれた。
「試作二号が終わったら」
「お父様に聞いてみよう」
その夜。
自室で。
アルスは手帳を開く。
今日学んだことを書く。
『いいてつは ひとつだけのけっかで きめない』
そして。
『みため おと ひばな たたいたとき ぜんぶくらべる』
さらに。
『いいものを ひとつのこすと つぎとくらべられる』
最後に。
今日初めて覚えた言葉を。
少し大きく書いた。
『ぶどまり』
「……これ絶対大事だ」
一個の良い鋼ができた。
それだけでは。
技術としては足りない。
同じものを。
何度も。
そして。
できるだけ多く。
作れること。
それが必要になる。
前世の日本刀に使われた玉鋼も。
巨大なケラを割り。
質の良い部分を選別して使っていた。
つまり。
今。
アルスたちが始めたことは。
間違っていない。
けれど。
まだ。
玉鋼と呼ぶには早すぎる。
翌朝。
鍛冶場へ入ると。
作業台には。
昨日見つけた《刃物候補》の鋼片が置かれていた。
「ゴルンさん!」
「来たな」
「今日は!」
「ああ」
ゴルンは鋼片を持ち上げる。
「試作二号を作る」
アルスの顔が輝く。
「ただし」
「はい」
「一号と同じ形」
「同じくらいの厚み」
「同じ焼き入れ」
「できるだけ条件を揃える」
「そうすれば」
アルスは答える。
「鋼を選別した効果が分かる」
「正解だ」
砂鉄鋼小刀・試作一号。
そして。
選別した良質鋼から作る試作二号。
もし。
同じ製法。
同じ形。
同じ熱処理で。
二号の方が。
欠けにくく。
刃持ちも良くなれば。
それは。
良い鋼を選ぶ意味が証明される。
アルス・シュゲール、五歳。
砂鉄から始まった小さな実験は。
いよいよ。
ただ鉄を作る段階から。
品質を選び、品質を揃える段階
へ進み始めていた。
そしてその一歩は。
やがてシュゲール領で。
「良い鉄は偶然できるもの」
ではなく。
「良い鉄を選び、再現して作るもの」
という新しい考え方へつながっていくことになる。
次回 第95話「試作二号」
基準鋼に近い良質な鋼片を使い、アルスとゴルンは《砂鉄鋼小刀・試作二号》の製作へ取り掛かる。
一号と比較するため、形も厚みも熱処理もできるだけ同じにする。
しかし鋼の質が違えば、同じように叩いても伸び方が微妙に違う。
そこでゴルンは言う。
「同じ作り方をすることと、何も考えず同じことをするのは違うぞ」
そして完成した試作二号を、一号と同じ縄、木材、革で比較した結果――。
アルスたちは、はっきりとした差を見ることになる。




