第89話 粗鉄を叩いてみよう
翌朝。
シュゲール伯爵家の鍛冶場では、昨日と同じように回転式二連ふいごが低い音を立てていた。
ギィ……。
シュウ。
ギィ……。
シュウ。
二つのふいごが交互に空気を送り込むたび、実験炉の中では木炭が赤く輝き、一定の燃焼音が続いている。
「昨日と同じ回転数です!」
アルスが砂時計と回転輪を交互に見ながら声を上げる。
「砂鉄の量も同じ!」
「木炭も同じ!」
「投入間隔も――」
「坊ちゃん」
ゴルンが横から口を挟んだ。
「声に出さなくても記録には書いてある」
「確認です!」
「分かったから炉に近づくな」
「はい!」
◇◇◇
今回の目的は、新しい条件を試すことではなかった。
昨日うまくいった条件を、もう一度そのまま再現する。
それだけだ。
もし同じような粗鉄塊ができれば、少なくとも偶然の成功だった可能性は少し下がる。
逆に大きく結果が違えば、まだ見落としている条件があるということになる。
(同じことをもう一回やる方が大事)
昔のアルスなら、新しいことを思いつけばすぐ次へ進んでいたかもしれない。
しかし釘の規格作りや魔法実験、そして今回の製鉄を通じて、再現できることの重要性を少しずつ理解し始めていた。
◇◇◇
数時間後。
炉への投入を終え、送風を徐々に弱める。
そして十分に冷却した後。
「開けるぞ」
「お願いします!」
ゴルンたちが炉の一部を慎重に崩す。
灰。
燃え残った木炭。
黒い滓。
そして、その奥から――。
「出た」
火ばさみで引き出されたのは、拳ほどの黒い塊だった。
昨日の粗鉄塊と並べる。
大きさは近い。
見た目も似ている。
「ゴルンさん」
「ああ」
ゴルンが金槌を持ち上げる。
カンッ!
金属音が響く。
端が簡単に砕けることもない。
さらに。
カンッ!
「悪くねぇ」
「昨日と同じくらい?」
「見たところはな」
アルスの顔が明るくなる。
◇◇◇
「じゃあ成功ですか?」
「一歩前進だ」
「成功じゃないんですか?」
「坊ちゃんの成功って何だ?」
逆に尋ねられて、アルスは止まった。
「えっと……鉄ができる?」
「なら最初の頃からできてる」
「使える鉄ができる?」
「今のはまだ使えん」
「じゃあ……」
ゴルンが粗鉄塊を指差す。
「目的を決めろ」
「どこまで行ったら、その実験は成功なのか」
「そうしねぇと、いつまでも成功とも失敗とも言えんぞ」
◇◇◇
アルスは考える。
今の目的。
最終的には玉鋼。
しかしそこまでを一つの成功条件にしたら、遠すぎる。
「今の段階なら」
「同じ条件で」
「同じくらいの粗鉄が作れること?」
「それなら?」
「今回は成功です!」
「そういうことだ」
ゴルンが笑う。
「大きな目標は遠くてもいい」
「だが、その途中に小さい目標を置け」
「分かりました」
◇◇◇
アルスは記録用紙へ書く。
今回の目的は、同一条件で似た粗鉄塊を再現できるか確認すること。
そして結果として、大きさも硬さも前回に近い粗鉄が得られた。
「これなら」
アルスは二つを見比べる。
「次へ進めますね」
「ああ」
ゴルンの顔から笑みが消えた。
「次はこいつを」
粗鉄塊を持ち上げる。
「使える鉄に近づける」
◇◇◇
アルスの表情も真剣になる。
「どうやるんですか?」
「熱して」
「叩く」
「……普通ですね」
「鍛冶だからな」
「もっと特別なことするのかと」
「そんな都合のいい方法があるなら俺が知りたい」
◇◇◇
粗鉄塊の中には多くの不純物が混じっている。
炉の中で生まれた鉄は、均質な金属の塊ではない。
鉄。
炭。
滓。
さらに完全に還元されなかった部分。
それらが入り混じっている。
「これを熱して叩く」
「そうすると?」
「まとまる部分はまとまる」
「邪魔なもんは外へ出てくる」
「全部?」
「そんな簡単なら苦労しねぇ」
◇◇◇
「それに」
ゴルンが塊を転がす。
「どこも同じ質じゃない」
「同じ塊なのに?」
「見りゃ分かる」
粗鉄塊の一部を割る。
断面には。
黒い部分。
鈍く光る部分。
穴のような空隙。
場所によって明らかに違いがある。
「ほんとだ……」
「良い部分と悪い部分が混じってる」
◇◇◇
アルスは思い出す。
前世のたたら製鉄でも。
巨大なケラから。
すべてが玉鋼として使えるわけではない。
炭素量や質によって分類する。
その後。
さらに鍛錬する。
(知識として知ってるのと)
(目の前で見るのじゃ、やっぱり違う)
◇◇◇
「じゃあ始めるぞ」
「はい!」
「まず俺がやる」
「え?」
「坊ちゃんは見る」
「僕も叩きたいです」
「後でだ」
ゴルンは粗鉄塊を炉へ入れた。
◇◇◇
回転式ふいごが動く。
ゴォォォ……。
木炭の中で。
粗鉄塊が少しずつ赤くなる。
暗い赤。
明るい赤。
そして橙色へ近づく。
「今」
ゴルンが火ばさみで取り出す。
金床へ置く。
すぐに大槌が振り下ろされた。
ガンッ!
「わっ」
アルスが少し身体を揺らす。
◇◇◇
ガンッ!
火花。
ガンッ!
黒い欠片が飛ぶ。
ガンッ!
表面から何かが剥がれ落ちていく。
「これが滓?」
「全部じゃねぇがな」
ゴルンは答えながら槌を振るう。
粗鉄塊は少しずつ潰れ。
不格好ながら平たくなっていった。
しかし。
次の瞬間。
バキッ。
「あ」
一部が割れた。
◇◇◇
「割れました!」
「見りゃ分かる」
「失敗?」
「これくらい普通だ」
「普通なんですか?」
「ああ」
ゴルンは割れた部分を拾う。
「弱いところが割れただけだ」
「じゃあ捨てます?」
「捨てねぇ」
もう一度炉へ戻す。
◇◇◇
「熱して」
「また合わせる」
「くっつくんですか?」
「条件が合えばな」
「鉄同士を?」
「そうだ」
アルスの目が輝く。
(鍛接)
前世の言葉が浮かぶ。
「くっつける時に何か使いますか?」
アルスが聞くと。
「砂を使うこともある」
「砂?」
「ああ」
◇◇◇
ゴルンは工房の棚から細かな砂状のものを持ってきた。
「表面の汚れを減らしやすくする」
「絶対必要?」
「やり方による」
「なるほど……」
アルスはすぐ書き始めようとする。
「今は見る」
「はい」
◇◇◇
再び加熱。
今度は割れた部分を合わせ。
ゴルンが慎重に槌を入れる。
最初は弱く。
トン。
トン。
そして。
徐々に強く。
カン。
カン。
「最初から強く叩かないんですね」
「ずれて飛ぶからな」
「それに温度が足りなきゃ割れる」
「熱すぎたら?」
「それも駄目だ」
「難しい……」
「鍛冶だからな」
◇◇◇
熱する。
叩く。
また熱する。
そして叩く。
何度も繰り返す。
すると。
最初はごつごつしていた粗鉄塊が。
少しずつ。
小さく。
まとまった形になっていく。
「縮んでる」
「余計なもんが落ちてるからな」
「鉄も減ってません?」
「減る」
「もったいない……」
アルスが思わず言う。
◇◇◇
するとゴルンは槌を止めずに答える。
「質の悪いものまで全部残して」
「使えねぇ鉄を作る方がもったいねぇ」
アルスが止まる。
「……そっか」
量だけ多くても。
壊れる道具しか作れないなら。
意味がない。
「作った分を全部製品にする必要はない」
「良いところを残す」
「悪いところを見極める」
「それも職人の仕事だ」
◇◇◇
やがて。
ゴルンが作業を止めた。
金床の上には。
最初より一回り以上小さくなった鉄塊がある。
「今日はここまで」
「これが精錬した鉄?」
「まだ途中だ」
「もっとやるんですか?」
「必要ならな」
◇◇◇
アルスは心の中で鑑定する。
【鍛錬粗鉄】
分類:鉄素材
品質:低~普通
鉄分:高
炭素量:不均一
不純物:多い
加工適性:やや低
備考:粗鉄を加熱鍛錬し、不純物の一部を除去した素材。
(上がってる)
前は低品質だった。
今は低から普通。
まだ良質とは言えない。
それでも。
確かに改善していた。
「すごい……」
◇◇◇
「じゃあ坊ちゃん」
「はい!」
「やるか」
「はい!」
アルスは待ってましたとばかりに立ち上がる。
しかし。
渡されたのは。
いつもの小さな槌だった。
「大槌じゃないんですか?」
「坊ちゃんが持ったら槌に振り回される」
「……はい」
◇◇◇
使うのは。
先ほどの本体ではない。
途中で剥がれた中から。
まだ鉄分が残っていそうな小さな塊。
「まず練習だ」
「分かりました」
塊を炉へ入れる。
火の色を見る。
「まだ」
ゴルンが言う。
もう少し。
「まだ」
さらに待つ。
「今」
◇◇◇
アルスは火ばさみを使わせてもらえない。
ゴルンが取り出した塊を金床へ置く。
「叩け」
「はい!」
アルスは槌を持つ。
足。
腰。
肩。
腕だけでは振らない。
身体操作を意識する。
そして。
カンッ!
「軽い」
「え?」
「もっと芯へ当てろ」
「はい!」
◇◇◇
もう一度。
カンッ!
「今度はマシ」
「もう一回!」
カンッ!
しかし。
パキッ。
「あっ」
塊が二つに割れた。
「…………」
アルスが固まる。
「割れました」
「見れば分かる」
「僕、下手ですか?」
「当たり前だ」
「即答!?」
◇◇◇
「坊ちゃん」
ゴルンが笑う。
「五歳で何年鍛冶やってるつもりだ」
「まだ全然です」
「なら下手なのは普通だ」
「……はい」
「下手なのが嫌なら」
「上手くなるまでやれ」
「はい!」
◇◇◇
割れた塊を再び熱する。
今度はアルスが観察する。
「さっき何で割れたんでしょう?」
「まず温度が少し落ちてた」
「僕が遅かった?」
「それもある」
「あと叩いた場所」
ゴルンが割れた断面を見せる。
「ここに黒い部分があるだろ」
「はい」
「弱いところへ変な方向から力が入った」
「だから割れた」
アルスはじっと見る。
◇◇◇
「じゃあ」
「見た目で弱いところを探してから叩く?」
「それも必要だ」
「でも全部見えるわけじゃない」
「じゃあどうするんですか?」
「叩いた時の音」
「槌から返ってくる感触」
「鉄の動き」
「全部見る」
「全部……」
また職人の感覚だ。
◇◇◇
だが。
今のアルスは。
以前ほど。
「感覚」という言葉を嫌わなくなっていた。
感覚だから説明できない。
ではなく。
感覚には。
経験によって集められた情報がある。
なら。
少しずつ。
何を見ているのか聞けばいい。
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「良い音と悪い音」
「あとで比べたいです」
「好きだなぁ坊ちゃん」
「お願いします」
「分かったよ」
◇◇◇
次の塊。
今度は。
温度が下がりすぎないよう。
取り出されたらすぐ構える。
しかし焦らない。
表面を見る。
大きな亀裂はない。
「行きます」
「おう」
カンッ!
カンッ!
カンッ!
少しずつ。
形が変わる。
「いいぞ」
「はい!」
◇◇◇
だが。
アルスは嬉しくなって。
もう一回。
カンッ!
「止めろ」
「え?」
「温度が落ちた」
「まだ赤いです」
「色が違う」
ゴルンが炉へ戻す。
「叩ける赤と」
「叩かない方がいい赤は違う」
「……難しい」
「だから見ろ」
◇◇◇
熱する。
見る。
叩く。
止める。
また熱する。
そして。
何度か繰り返した末。
「できた……」
アルスの手のひらより小さい。
不格好な鉄の板。
表面はでこぼこ。
厚さも一定ではない。
それでも。
最初の黒い粗鉄より。
明らかに金属らしい。
「僕が叩いた鉄」
「俺が半分以上助けたけどな」
「そこは言わないでください!」
◇◇◇
そこへ。
「ずいぶん楽しそうだな」
父カインがやって来た。
「お父様!」
「今日は粗鉄を叩いていたのか?」
「はい!」
アルスは自分が叩いた小さな鉄片を見せる。
「これ僕が作りました!」
カインが受け取る。
「……随分、不格好だな」
「お父様!?」
ゴルンが吹き出した。
◇◇◇
「でも」
カインは微笑む。
「前の黒い塊よりは鉄らしい」
「ですよね!」
「何回失敗した?」
「えっと……」
アルスが視線を逸らす。
「三回ほど割りました」
「五回だ」
ゴルンが訂正する。
「ゴルンさん!」
「事実だ」
◇◇◇
「なぜ割れた?」
父が尋ねる。
「温度が低かったり」
「叩く場所が悪かったり」
「力の向きも良くなかったです」
「では」
「次は?」
「同じ失敗を減らします」
「それでいい」
◇◇◇
カインはゴルンが鍛えた方の鉄塊を見る。
「これなら何か作れるのか?」
「簡単なものなら」
ゴルンが答える。
「ですが」
「まだ質が安定しません」
「刃物には?」
「俺なら使いません」
「釘なら?」
「使えなくはない」
アルスが口を挟む。
「じゃあ釘にします?」
◇◇◇
ゴルンは少し考え。
「それも悪くない」
「試験用にな」
「やった!」
「ただし一本だけだ」
「どうしてです?」
「せっかく作った鉄を全部釘にしてどうする」
「比較用に残す」
「あ」
また忘れていた。
◇◇◇
そこで。
鍛錬粗鉄の一部を切り分け。
一本の釘を作ることになった。
ゴルンが熱し。
アルスも補助しながら。
細く伸ばす。
先端を作り。
頭を潰す。
そして。
「できた」
一本の黒い釘。
◇◇◇
見た目は。
これまで作ってきた普通の鉄製釘とそれほど変わらない。
「バルトさん呼びます?」
「呼んでこい」
そして木工職人バルトがやって来る。
「今度は何だ?」
「砂鉄から作った釘です!」
「……もう釘になったのか?」
「一本だけ!」
◇◇◇
バルトが木材へ釘を当てる。
金槌。
コン。
コン。
コン。
少しずつ入る。
「曲がらない」
アルスが見つめる。
「まだ分からん」
さらに打つ。
最後まで。
打ち込めた。
「入った!」
「釘なんだから入るだろ」
「でも砂だったんですよ!」
◇◇◇
その言葉に。
周囲が少し静かになった。
確かに。
数日前までは。
鉱山の水路に溜まり。
捨てられていた黒い砂だった。
それを集め。
洗い。
選び。
木炭と一緒に炉へ入れ。
風を送り。
粗鉄にし。
さらに熱して叩き。
今。
一本の釘になった。
「……面白ぇな」
バルトが呟く。
「だろ?」
ゴルンも笑った。
◇◇◇
アルスはその釘を抜いてもらう。
「残したいです」
「比較用か?」
「はい」
これまでの実験品を入れている木箱。
そこへ。
砂鉄。
最初の失敗品。
粗鉄。
鍛錬した鉄。
そして。
一本の釘。
順番に並べる。
「これなら」
「砂からどう変わったか分かります」
◇◇◇
夜。
アルスは自室で手帳を開いた。
今日学んだことは多い。
どれを書くか。
しばらく考える。
そして。
まず一つ。
『てつを つくることと つかえるてつにすることは ちがう』
その下に。
『あつさを みて たたく』
そして。
最後に。
『すなから くぎができた』
◇◇◇
「……本当にできたんだ」
改めて考えると。
少し不思議だった。
だが。
玉鋼ではない。
良質な鋼ですらない。
一本の釘が作れただけ。
それでも。
アルスにとっては。
大きな一歩だった。
◇◇◇
前世の知識を持っている。
だから完成品をいきなり作る。
そうではない。
この世界の砂鉄を使い。
この世界の炭焼き職人が作った木炭を使い。
この世界の鍛冶師と木工職人が力を貸し。
何度も失敗し。
ようやく一本の釘になった。
(これが)
(この世界で作るってことなんだ)
◇◇◇
そして翌日。
鍛冶場では。
ゴルンが二つの粗鉄塊を前にして腕を組んでいた。
「坊ちゃん」
「はい?」
「次はこいつらを割るぞ」
「え?」
「せっかく作ったのに!?」
「だから割る」
「どうしてですか?」
ゴルンはにやりと笑った。
「中身を見るためだ」
◇◇◇
同じ炉。
同じ砂鉄。
同じ木炭。
同じ風。
似たように作れた二つの粗鉄塊。
しかし。
本当に中身まで同じなのか。
炭素の入り方は。
不純物の量は。
硬さは。
場所ごとの差は。
表から見ているだけでは分からない。
「良い鉄を作りたいなら」
ゴルンは言う。
「作ったものを壊してでも」
「中を知らなきゃならん時がある」
アルスは粗鉄塊を見つめた。
◇◇◇
作る。
壊す。
調べる。
また作る。
技術とは。
ただ成功品を増やすことではない。
失敗品も。
壊した試作品も。
全部が次の一歩になる。
アルス・シュゲール、五歳。
砂鉄から一本の釘を作った少年は。
次に――。
鉄そのものの中身
を知ろうとしていた。
---
次回 第90話「鉄の中身を見てみよう」
同じ条件で作った二つの粗鉄塊。
しかしゴルンは、それらをあえて割って内部を比較する。
すると外見は似ているのに、中には黒い滓が多い部分と、金属光沢の強い部分が混在していた。
さらに、場所によって叩いた時の硬さまで違う。
そこでアルスは考える。
「同じ一個の鉄なのに、どうして場所によってこんなに違うんだろう?」
そして前世の知識から浮かぶのは――鉄に含まれる《炭素》という存在。
だが、この世界で炭素量を測る装置など存在しない。
ならば色、火花、硬さ、割れ方を比べればいい。
アルスとゴルンは、いよいよ《鉄を見分ける基準》作りへ踏み出していく。




