第88話 ふいごの風
砂鉄。
炉。
木炭。
それぞれを少しずつ比べながら、アルスたちはようやく粗いながらも鉄らしい塊を作れるところまで進んでいた。
そして次に調べるのは、炉へ送り込む――風だった。
◇◇◇
「今日は絶対、一つだけ変えます」
朝の鍛冶場。
アルスは作業台へ昨日までの記録を広げながら、妙に真剣な顔で宣言した。
「おう」
ゴルンが頷く。
「昨日みたいに途中で思いついたからって、炭の大きさを変えたりするなよ」
「しません!」
「本当か?」
「……たぶん」
「もう怪しいじゃねぇか」
ゴルンが呆れたように笑った。
しかしアルス自身も、今回こそ条件を揃えることの重要性を理解している。
使うのは昨日まで使っていた二号実験炉。
砂鉄は同じ場所から取ったものを選別し、洗って乾燥させてある。
木炭も、ドランに用意してもらった同じ種類の硬い炭を使う。
炭の大きさについても、できるだけ揃えてあった。
「それで今日は」
アルスがふいごを見る。
「風だけ変えます」
◇◇◇
鍛冶場で使われているふいごは、人が手で動かして空気を送り込む単純なものだ。
普段の鍛冶なら。
鉄の色を見ながら。
火の様子を見ながら。
職人が強くしたり弱くしたりする。
つまり。
その時々で調整することが前提になっている。
だが今回は違う。
「同じくらいの風を、できるだけ長く送りたいんです」
「言うのは簡単だぞ」
ゴルンが答える。
「人間が動かすんだからな」
「はい」
だからまず。
完璧な風量測定などは考えない。
弱い。
普通。
強い。
この三段階で比べることにした。
◇◇◇
「じゃあ最初は弱め」
「了解」
ふいごを担当する若い職人が取っ手を握る。
ゆっくり。
一定の速さを意識しながら動かす。
シュウ。
シュウ。
空気が炉へ送られる。
木炭が赤くなり。
炎が揺れる。
「前より静かですね」
「風が弱いからな」
ゴルンが炎を見る。
「火そのものは安定してるが、温度がどこまで上がるか」
アルスも安全な位置から炉を観察する。
◇◇◇
十分に予熱したところで、砂鉄を投入する。
そして炭を重ねる。
しばらく待ち。
また砂鉄。
そして炭。
今までと同じ流れだ。
しかし。
「……変化が遅い?」
アルスが呟いた。
「俺もそう見える」
ゴルンが答える。
炉の中では確かに燃えている。
だが。
これまでより勢いが弱い。
砂鉄が熱されているのは分かるものの、何か物足りない。
◇◇◇
数時間後。
一回目の実験を終える。
炉を冷ましてから内部を確認すると。
「小さいですね」
「小さいな」
出てきた粗鉄塊は、以前より明らかに小さかった。
しかもゴルンが金槌で叩くと。
カンッ。
端が簡単に欠ける。
「鉄にはなってるけど」
「十分じゃねぇな」
「風が弱いと温度が足りない?」
「その可能性は高い」
しかしゴルンはすぐ続けた。
「ただ、一回だけだから決めつけるなよ」
「はい」
アルスは紙へ記録する。
◇◇◇
次は普通。
これは普段、鍛冶場で使っている程度の送風だった。
シュッ。
シュッ。
ふいごが動く。
一回目より明らかに炉の音が強くなる。
ゴォォ……。
「これくらいは聞き慣れてます」
「鍛冶場じゃな」
ゴルンが頷く。
「ただ鉄を熱するのと、砂から鉄を作るのは別だ」
「はい」
◇◇◇
同じ量の砂鉄。
同じ木炭。
同じ投入間隔。
そして。
できるだけ同じ時間。
条件を揃える。
すると。
「さっきより炎が安定してますね」
「炭の減りも極端じゃないな」
アルスは頷きながら記録する。
やがて二回目が終了した。
◇◇◇
冷却後。
炉から取り出した塊を見て。
「お」
ゴルンが声を漏らす。
一回目より大きい。
そして以前作った粗鉄塊に近い。
金床へ置き。
叩く。
カンッ!
「うん」
「どうです?」
「今んところ、こいつが一番マシだな」
「やっぱり普通くらい?」
「今のところはな」
アルスは少し嬉しくなる。
しかし。
まだ三回目が残っている。
◇◇◇
「じゃあ強めです」
「おう」
ふいごを担当する職人が腕を回す。
「強めってどのくらいだ?」
アルスが止まった。
「え?」
「だから、強め」
「……いつもより強く?」
「それじゃ人によって違うだろ」
「…………」
ゴルンがニヤニヤしている。
「坊ちゃん」
「はい」
「もう問題が出たな」
「出ました……」
◇◇◇
弱い。
普通。
強い。
そう決めたつもりだった。
しかし。
誰にとっての普通なのか。
誰にとっての強いなのか。
人によって違う。
「じゃあ」
アルスはふいごの取っ手を見る。
「動かす回数を決めます」
「回数?」
「一分間に何回動かすか」
「なるほどな」
◇◇◇
砂時計を持ってくる。
正確な一分ではない。
だが比較には使える。
砂が一定量落ちる間に。
ふいごを何往復させたか数える。
「弱い時は?」
職人が思い出す。
「たぶん十五回くらいです」
「普通は?」
「二十五回くらいかな」
「じゃあ強い時は三十五回?」
「まずそれでやるか」
ゴルンが頷いた。
◇◇◇
アルスは記録用紙を書き直す。
これまでは。
弱。
普通。
強。
それだけだった。
しかし今回は。
砂時計一回分につき十五往復。
次は二十五往復。
そして三十五往復。
そう記録した。
「これなら別の人でも真似しやすい」
「完全に同じにはならんがな」
「でも前よりいいです」
「そうだな」
◇◇◇
三回目。
強い風。
ふいごが激しく動く。
シュッ!
シュッ!
シュッ!
そして炉の中では。
ゴオオオオオッ!
「すごい……」
炎の勢いが明らかに違う。
「坊ちゃん、下がっとけ」
「はい!」
アルスは安全線からさらに一歩後ろへ移動した。
◇◇◇
砂鉄を投入する。
そして木炭。
すると。
「炭の減り早いですね」
「ああ」
ドランから預かった木炭が、二回目より早い速度で減っていく。
「火は強いけど」
「燃料も食う」
ゴルンが呟く。
「でも鉄がいっぱいできるなら?」
「それなら価値はある」
「じゃあ結果を見ないと」
「ああ」
◇◇◇
ところが。
一時間ほど経った頃だった。
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「炉の横」
アルスが指差す。
炉壁の一部。
そこに。
細い亀裂が入っていた。
「止めろ!」
ゴルンの声が飛ぶ。
「送風を落とせ!」
「はい!」
職人がふいごをゆっくりにする。
◇◇◇
ゴルンが炉を慎重に確認する。
「まだ崩れるほどじゃねぇ」
「でも続けるのは?」
「危ないな」
「……中止?」
「ああ」
アルスは残念そうに炉を見る。
だが。
すぐに頷いた。
「分かりました」
実験より安全。
それは何度も教えられてきた。
◇◇◇
炉を冷ます。
予定より早く止めたため、単純な比較はできない。
それでも中身を確認する。
出てきた塊は。
「意外と大きい?」
「途中で止めた割にはな」
ゴルンが叩く。
カンッ!
一部はしっかり鉄らしくなっている。
「じゃあ強い風の方がいい?」
「そう簡単じゃねぇ」
◇◇◇
ゴルンが亀裂の入った炉を指差す。
「鉄が増えても」
「炉が毎回壊れてたらどうする」
「あ」
「それに炭もかなり使った」
「はい」
「ふいごを動かしてる奴も見てみろ」
アルスが振り返る。
職人は。
「はぁ……はぁ……」
かなり疲れていた。
「大丈夫ですか!?」
「これを何時間もは……さすがにきついですね」
◇◇◇
アルスは固まった。
強い風。
温度は上がる。
鉄らしい部分も増える。
しかし。
炭を多く使う。
炉への負担も増える。
そして。
人も疲れる。
「また全部つながった……」
「何がだ?」
「強くすればいいだけじゃない」
「そういうことだ」
◇◇◇
休憩。
職人には水と軽食が渡された。
アルスもベンが持たせてくれた果実水を飲む。
すると。
先ほどふいごを担当していた職人が腕を振りながら言った。
「でも坊ちゃん」
「はい?」
「一番困るのは強さより」
「ずっと同じにすることですよ」
「同じに?」
「はい」
◇◇◇
「最初は三十五回できます」
「でも一時間」
「二時間って続けたら」
「絶対遅くなります」
アルスは動きを止めた。
「疲れるから?」
「当然です」
職人が笑う。
「交代すれば多少は何とかなりますけど」
「人が変われば動かし方も変わる」
ゴルンも頷く。
「俺とこいつじゃ腕力も違うしな」
◇◇◇
アルスはふいごを見る。
一人が動かす。
疲れる。
遅くなる。
交代する。
今度は力加減が変わる。
つまり。
いくら砂時計で回数を決めても。
実際に送り込まれる空気が完全に同じとは限らない。
「これ……」
アルスが呟く。
「人がずっと同じ強さで動かすの、難しくない?」
「ようやく気付いたか」
ゴルンが笑った。
◇◇◇
そこでアルスは考え込む。
(一定の動き)
(人が直接動かさない)
(回転する力を)
(往復運動に変える)
前世の知識が。
少しずつ形になる。
車輪。
軸。
棒。
回す。
すると。
一定の周期で。
ふいごを押したり引いたりできる。
「……クランク」
アルスが小さく呟いた。
「くらんく?」
ゴルンが聞き返す。
「あっ」
◇◇◇
「えっと」
アルスは紙を取り出す。
丸を描く。
その中心に軸。
そして円の中心から少しずらした場所に棒をつなぐ。
「ここを回します」
「うん」
「そうすると」
棒が前後へ動く。
「この前後の動きで」
「ふいごを動かせないかなって」
ゴルンが図を見る。
◇◇◇
「つまり」
「人がふいごを直接押したり引いたりするんじゃなく」
「こいつを回す?」
「はい」
「それで一定の速さで回せば」
「ふいごも一定に動く?」
「たぶん!」
「またたぶんか」
「まだ作ってないので!」
◇◇◇
そこへ。
「俺を呼ぶ話じゃないか?」
声がした。
「バルトさん?」
いつの間にか木工職人バルトが鍛冶場の入口に立っている。
「どうしてここに?」
「ゴルンに炉の補修用の木型を頼まれてな」
「ちょうどいい」
ゴルンがアルスの紙を渡す。
「見てみろ」
◇◇◇
バルトは図を見る。
「回転を前後の動きにするのか」
「できます?」
「作るだけなら」
バルトはすぐに答えた。
「ただ」
「ただ?」
「この図じゃ棒が途中で引っ掛かるかもしれない」
「あ」
バルトは別の紙へ描き足す。
「ここを動くようにして」
「つなぎ目も回転できるようにする」
「それから軸をしっかり固定しないとぶれる」
アルスの目が輝く。
「できますか!?」
「試作品ならな」
◇◇◇
「待て」
ゴルンが止める。
「坊ちゃん」
「はい?」
「今日、何の実験だった?」
「風です」
「で?」
「途中でふいご改造に……」
「なってるな」
「……はい」
「今日はここまで」
「ええっ!」
◇◇◇
「炉も傷んでる」
「職人も疲れてる」
「結果も整理してない」
「でも機構だけでも――」
「明日」
「……はい」
ゴルンは腕を組む。
「思いついたらすぐ作りたくなるのは分かる」
「でもな」
「何のために作るか忘れんな」
アルスは紙を見る。
◇◇◇
一定の風が欲しい。
だから。
人力のばらつきを減らしたい。
そのための仕組み。
「分かりました」
「なら今日の結果まとめろ」
「はい」
◇◇◇
その日の夕方。
父カインも鍛冶場へ顔を出した。
「今日は風だったな」
「はい」
「どうだった?」
「弱すぎると、あまり鉄になりませんでした」
「普通くらいが今のところ安定してます」
「強くすると鉄らしい部分は増えましたけど」
「炉が割れそうになって」
「炭もたくさん使って」
「人も疲れました」
カインが頷く。
「では、強ければ強いほど良いわけではないと」
「はい」
◇◇◇
「それから」
アルスは新しい図を見せる。
「ふいごを一定に動かす仕組みを考えてます」
「もう次か」
父が苦笑する。
「だって人がずっと同じ力で動かすの無理なので」
「それでこれを?」
「はい」
カインは図を眺める。
「誰が作る?」
「バルトさんとゴルンさん」
「本人たちの了承は?」
「……バルトさんは試作なら」
「ゴルンは?」
「まだ」
「まず聞きなさい」
「はい」
◇◇◇
するとゴルンが横から言った。
「俺は構わんぞ」
「本当ですか!?」
「ただし」
嫌な予感。
「坊ちゃんがふいごを動かす役をやる」
「え?」
「試作品が重かったら、使う奴の気持ち分かるだろ」
「僕五歳ですよ!?」
「知ってる」
「絶対重い!」
「だから軽く作れってバルトに言え」
「そんなぁ!」
◇◇◇
翌日。
バルトの工房。
作業台の上には。
アルスが描いた円。
軸。
棒。
そして。
ふいごにつながる簡単な機構の図。
「まず小さく作るぞ」
バルトが言った。
「はい!」
「いきなり本物のふいごにつけない」
「はい」
「動かなかったら?」
「直します」
「壊れたら?」
「原因を見ます」
「坊ちゃんらしくなってきたな」
◇◇◇
木製の円盤。
中心の軸。
中心から少し離れた位置に小さな棒を固定する。
そこへ細長い連結棒を取り付ける。
「回してみろ」
「はい」
アルスが取っ手を持つ。
くる。
くる。
すると。
連結棒が。
前へ。
後ろへ。
前へ。
後ろへ。
「動いた!」
◇◇◇
アルスは目を輝かせる。
「本当に往復してる!」
「坊ちゃんが考えたんだろ」
「でも実際に見ると違います!」
バルトも動きを観察する。
「まだガタつくな」
「つなぎ目?」
「ああ」
「それから軸受けも必要だ」
「もっと滑らかに回したいですね」
◇◇◇
そこへゴルンもやって来た。
「できたか?」
「見てください!」
アルスが円盤を回す。
くるくる。
前後。
前後。
「ほう」
ゴルンの顔が変わる。
「面白ぇ」
「これを大きくして」
「ふいごにつなげます」
「人は円盤を回すだけ?」
「はい」
「それでも結局、人が回すだろ」
「そうですけど」
アルスは答える。
「直接押したり引いたりするより、一定に回しやすいと思います」
◇◇◇
「なるほど」
そしてゴルンは少し考える。
「なら」
「重い輪をつけたらどうだ?」
「重い輪?」
「一回勢いがついたら」
「多少、回しやすくならねぇか?」
アルスが止まる。
(それって……)
前世で知っている。
回転の勢いを保つ。
はずみ車。
「それです!」
「うおっ!」
突然大声を出したアルスにゴルンが驚く。
◇◇◇
「重い輪をつけたら」
「回転が急に速くなったり遅くなったりするのを減らせるかもしれません!」
「そうなのか?」
「たぶん!」
「またたぶんだな!」
「だから試すんです!」
バルトが笑った。
「また仕事が増えたな」
「すみません」
「別に嫌とは言ってない」
◇◇◇
そして数日後。
完成したのは。
木製の大きな回転輪。
それにつながる軸。
クランク状の接続部。
そして連結棒。
さらに。
二つのふいごを交互に動かす機構だった。
「二つ?」
アルスが驚く。
バルトが説明する。
「一個だけだと」
「押してる時と戻してる時で風が途切れるだろ?」
「だから片方が戻る時に」
「もう片方が送る」
◇◇◇
アルスは目を見開いた。
「すごい!」
「俺が考えた」
バルトが少し得意そうに言う。
「完全に交互になれば」
「前より風が途切れにくい」
ゴルンも頷く。
「実際に使えるかは試してからだがな」
「やりましょう!」
◇◇◇
鍛冶場。
新しい送風装置が二号実験炉へつながれる。
一人の職人が回転輪の取っ手を握る。
「行きます」
ゆっくり回す。
ギィ……。
ゴト。
シュウ。
ゴト。
シュウ。
最初はぎこちない。
しかし。
回転が安定すると。
シュウ。
シュウ。
シュウ。
風が。
ほぼ一定の間隔で炉へ送り込まれていく。
「……!」
アルスが息を呑む。
◇◇◇
「ゴルンさん!」
「ああ」
「前より音が一定です!」
「俺にも分かる」
ゴォォォォ……。
炉の燃焼音。
今までより。
波が少ない。
職人も言う。
「これ」
「直接ふいごを動かすより楽です」
「本当ですか?」
「はい」
「腕だけじゃなくて身体全体で回せるので」
◇◇◇
もちろん。
完璧ではない。
軸が少しきしむ。
連結部も時々引っ掛かる。
木製なので摩耗も心配。
さらに。
回転輪そのものも場所を取る。
それでも。
「使える」
ゴルンが言った。
「少なくとも試す価値はある」
アルスは嬉しそうに頷いた。
◇◇◇
その日の製鉄実験では。
前回一番安定していた程度の風量を目指して。
回転速度を決める。
砂時計一回分。
何回転。
そして。
回す人が変わっても同じ回数を目指す。
「これなら」
「前より条件を揃えられます」
「そうだな」
◇◇◇
数時間後。
炉を冷やし。
取り出した粗鉄塊を見たゴルンは。
「……悪くねぇ」
「本当ですか?」
「今までで一番まとまってる」
アルスの顔が輝く。
大きさは劇的に変わったわけではない。
だが。
以前より。
金属らしい部分がまとまっている。
◇◇◇
「これって」
アルスは粗鉄塊を見る。
「風が一定だったから?」
「可能性はある」
ゴルンが答える。
「ただし」
「はい」
「一回じゃ分からん」
「分かってます!」
「なら次も同じ条件でやるぞ」
「はい!」
◇◇◇
アルスは嬉しかった。
大きな成功ではない。
玉鋼でもない。
高品質鋼ですらない。
ただ。
今までより少し良い粗鉄。
それだけ。
でも。
今回重要なのは。
鉄だけではなかった。
同じ風を送り続ける仕組み。
その考えが。
形になった。
◇◇◇
夜。
自室。
アルスは手帳へ今日のことを書く。
『つよいかぜより おなじかぜ』
そして。
『ひとが がんばるだけじゃなく どうぐで おなじにする』
さらに。
少し悩んでから。
『まわすうごきは まえとうしろのうごきに かえられる』
「これは大事かも」
◇◇◇
なぜなら。
回転運動を往復運動へ変える。
それは。
ふいごだけに使える仕組みではない。
アルスの前世の記憶には。
水車。
製粉機。
ポンプ。
工作機械。
そして。
もっと遥か未来の機械まで。
同じような考えを使う物がいくつもあった。
(でも今は)
アルスは首を振る。
「ふいごだけ」
何でも一度に広げない。
まず目の前の問題を解決する。
それが今の自分に必要なことだった。
◇◇◇
一方。
父カインの執務室。
「回転する輪でふいごを動かした?」
「はい」
ライムが報告する。
「バルト殿とゴルン殿が試作に協力し、現在は二連式の送風装置になっているそうです」
「二連式?」
「片方が戻る間に、もう片方が送風する仕組みだとか」
カインはしばらく黙った。
◇◇◇
「アルスが考えたのか?」
「基本案はアルス様」
「機構の調整はバルト殿」
「はずみを付ける案はゴルン殿」
「二連化はバルト殿だそうです」
カインが笑う。
「良い」
「はい?」
「アルス一人で完成させていない」
「それが良い」
◇◇◇
子どもの発想。
職人の経験。
別分野の技術。
それらが混ざり。
初めて使える物へ近づいている。
「アルスが外を見るようになってから」
「作る物も変わったな」
「以前より、人と一緒に作るようになりました」
ライムが答えた。
「ああ」
カインは静かに頷く。
◇◇◇
翌朝。
「坊ちゃん!」
「はい?」
鍛冶場へやって来たアルスを。
ゴルンが珍しく先に呼び止めた。
「昨日と同じ条件」
「もう一回やるぞ」
「はい!」
「それで同じくらいの鉄ができたら」
「次へ進む」
「次?」
ゴルンが粗鉄塊を持ち上げる。
「今度は」
「こいつの中の邪魔なもんを」
「どうやって減らすかだ」
◇◇◇
アルスの表情が引き締まる。
鉄はできた。
だが。
まだ汚い。
滓が混ざる。
炭素量も安定しない。
質も場所によって違う。
なら次は。
作るだけではない。
作った鉄を、どう良くするか。
◇◇◇
砂鉄から始まった小さな実験は。
炉を変え。
木炭を比べ。
風を比べ。
そして。
人の腕力に頼るだけだった送風を。
一定に動かす機構まで生み出した。
アルス・シュゲール、五歳。
玉鋼への道は。
まだまだ遠い。
しかし。
その道の途中で生まれた《回転式二連ふいご》は。
やがてシュゲール領の鍛冶場そのものを変えていく。
そしてさらに先。
水の流れを見たアルスが。
この回転輪へ別の力をつなぐ日が来ることを。
今はまだ――。
誰も知らなかった。
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次回 第89話「粗鉄を叩いてみよう」
同じ条件でもう一度製鉄実験を行い、似た品質の粗鉄塊を作ることに成功したアルスたち。
そこでゴルンは次の段階へ進む。
砂鉄から鉄を作るだけでは、良い道具にはならない。
炉から出した粗鉄塊を再び熱し、叩きながら滓を追い出し、少しずつ鉄をまとめていく必要がある。
しかしアルスが実際に槌を振るってみると、粗鉄は簡単に割れ、火花を散らし、思うようにはまとまらない。
そしてゴルンはアルスへ教える。
「炉で鉄を作るのと、使える鉄に育てるのは別の仕事だ」
砂鉄から始まった実験は、いよいよ本格的な《鍛錬》の段階へ進んでいく。




