第87話 木炭を比べてみよう
翌朝。
アルスが鍛冶場へ向かうと、すでにゴルンと炭焼き職人のドランが作業台の前に立っていた。
そして、その机の上には三つの木箱が並んでいる。
「おはようございます!」
「おう、来たな坊ちゃん」
「今日は早ぇな」
「昨日から楽しみだったので!」
アルスは箱へ近づいた。
「これが今日使う炭ですか?」
「ああ」
ドランが一つ目の箱を開ける。
中には、比較的軽くて少し柔らかそうな木炭が入っていた。
「こいつは火が付きやすい炭だ。燃え始めるのは早いが、その分だけ減るのも早い」
すると今度は二つ目の箱を開ける。
こちらは先ほどより黒く締まり、持ってみると少し重い。
「こっちは硬い木から作った炭だ。火が安定すれば長く持つ」
「昨日使ったのは?」
「こっちだな」
「じゃあ三つ目は?」
アルスが尋ねると、ドランが最後の箱を開けた。
中身は二つ目と同じ硬い炭だったが、大きさが明らかに違う。
「これは同じ炭を小さめに割った」
「なるほど……」
アルスはすぐに紙を取り出した。
◇◇◇
「今日は炉は変えません」
アルスは昨日使った二号実験炉を指差した。
「砂鉄の量も同じにしますし、送る風の強さもできるだけ同じにします」
「投入間隔も?」
「はい」
「じゃあ変えるのは炭だけか」
「そうです!」
ゴルンが満足そうに頷いた。
「昨日より実験らしくなったな」
「昨日も実験でした!」
「炉と炭を一緒に変えた奴が言うな」
「うっ……」
しかしアルスも反論できない。
だからこそ今日は条件を揃える。
何か一つを変えて、その違いを見る。
それが重要だった。
◇◇◇
最初は火付きの良い柔らかい木炭を使うことになった。
炉へ炭を入れ、火を付ける。
すると予想通り、火はすぐに広がった。
「早いですね」
「ああ。ただしよく見とけ」
ドランが答える。
ふいごから一定の風を送ると、炉の中で炎が大きく揺れた。
そして十分ほどすると。
「減ってる」
アルスが呟く。
「そういう炭だからな」
「燃えやすいってことは、たくさん使う?」
「場合によっちゃそうなる」
そこでアルスは炭を追加する回数まで記録した。
◇◇◇
十分に炉を温めると、洗浄して乾燥させた砂鉄を投入する。
そして木炭を重ねる。
しばらく待ち、また砂鉄。
その後も木炭を加える。
同じ順番。
同じ量。
できるだけ前回と同じになるよう進める。
しかし。
「炭の減りが早いな」
ゴルンが言った。
「追加しないと熱が落ちますね」
「だな」
そのため投入する炭の総量は、前回より明らかに増えていった。
◇◇◇
数時間後。
一回目の実験は終了した。
炉を冷ます間に、アルスは紙へ書き込んでいく。
「火付きは早い」
「でも炭の消費が多い」
「それと……」
「途中で何度か火力が落ちたな」
ゴルンが補足した。
「はい」
アルスは頷く。
「炭を足すタイミングがずれると、温度も変わるかもしれない」
「つまり扱いが忙しい」
ドランが笑った。
「燃えやすいのが必ずしも便利とは限らんだろ?」
「はい」
◇◇◇
十分に冷えたところで炉の中を確認する。
出てきたのは黒い塊だった。
前回より小さい。
しかも。
ゴルンが金槌で叩くと、端の部分が簡単に割れた。
「駄目ですか?」
「全く駄目ってわけじゃねぇ」
ゴルンは割れた断面を見る。
「鉄になってる部分はある」
「でも昨日より少ない?」
「そう見えるな」
アルスは記録する。
「柔らかい炭だけだと、熱が安定しにくい……かもしれない」
「まだ一回だけだから断定するなよ」
「はい!」
◇◇◇
次は硬い木炭。
ただし比較のため、今回は最初から最後まで同じ炭を使う。
「火が付くまで少し時間が掛かるぞ」
ドランの言葉通り。
一つ目の炭と違い、すぐには勢いよく燃えない。
「ふいごを強くします?」
「今日は風の条件を変えないんだろ?」
「あっ」
「坊ちゃん」
ゴルンが笑う。
「すぐ変えようとすんな」
「我慢します」
◇◇◇
少し時間は掛かったものの、一度しっかり燃え始めると炎は安定した。
「さっきより落ち着いてますね」
「炭の減り方も遅い」
同じ風量でも、先ほどとは炉の様子が違う。
そして砂鉄を入れる。
さらに木炭。
待つ。
また投入。
アルスは何度も時間を確認した。
途中で炭を追加する回数は、一回目より明らかに少なかった。
「これなら作業する人の負担も減りそう」
「そこも見るのか?」
ドランが尋ねる。
「はい」
アルスは頷いた。
「同じ鉄ができるなら、少ない炭で済む方がいいですし、忙しくない方が安全です」
「坊ちゃん、ちゃんと領主の息子らしいことも考えるんだな」
「ちゃんとって何ですか!」
◇◇◇
二回目の実験も終了した。
そして冷えた炉から塊を取り出す。
ゴルンが叩く。
カンッ!
「昨日に近い」
「本当ですか?」
「ああ。少なくとも一回目より鉄らしい部分が多い」
アルスの顔が明るくなる。
「じゃあ硬い木炭の方がいい?」
「待て」
「まだ三つ目が残ってる」
「そうでした」
◇◇◇
三回目。
使う木炭そのものは二回目と同じ。
ただし細かく砕いてある。
「同じ炭なら結果も同じじゃないんですか?」
アルスが尋ねると、ドランは首を振った。
「大きさが変われば、空気の通り方が変わる」
「空気?」
「大きな炭ばかりなら隙間が大きいし、小さけりゃ詰まりやすい」
「なるほど……」
「それに火が触れる面も増えるからな」
アルスはその言葉を聞いて紙へ書く。
(木炭って、ただ燃やすだけじゃないんだ)
◇◇◇
炉へ小さめの木炭を入れる。
着火。
しばらくすると。
「二回目より燃え始めるの早いですね」
「表面が多い分、火が回りやすいんだろう」
ゴルンが答えた。
最初は順調に見えた。
しかし。
砂鉄と炭の投入を繰り返していくうちに。
「……なんか違う」
アルスが炉を見る。
「音か?」
「はい」
昨日まで聞こえていた、低く安定した燃焼音。
それが少し弱い。
ゴルンも送風口の様子を確認する。
「空気が抜けにくくなってるな」
「炭が小さすぎる?」
「可能性はある」
◇◇◇
送風量は変えていない。
しかし炭の隙間が小さくなったことで、空気そのものが炉の中を通りにくくなっている。
「小さければいいわけじゃない……」
「何でもそうだ」
ゴルンが言った。
「やりすぎりゃ別の問題が出る」
アルスはその言葉を聞きながら、二号鍬を思い出す。
軽くする。
しかし軽くしすぎれば駄目。
包丁を硬くする。
しかし硬くしすぎれば欠ける。
魔法の詠唱を短くする。
しかし短くしすぎれば不安定になる。
(全部同じだ)
◇◇◇
三回目の結果は。
二回目より悪く。
一回目よりは少し良い。
そんな曖昧なものだった。
「なるほどな」
ゴルンが三つの粗鉄塊を並べる。
「同じ砂鉄」
「同じ炉」
「同じ風」
「それでも炭だけで結構変わる」
アルスも見比べる。
「こんなに違うんだ……」
◇◇◇
そこでドランが言った。
「でも坊ちゃん」
「今日の実験だけじゃ、まだ足りんぞ」
「どうしてですか?」
「俺が持ってきた硬い炭」
「いつも全部同じだと思うか?」
アルスは止まった。
「違うんですか?」
「木が違えば変わるし、同じ木でも太さが違う」
「炭窯の中でも場所によって焼け方が違う」
「その日の窯の状態だってある」
「つまり……」
「炭の品質は毎回少しずつ違う」
◇◇◇
アルスは黙り込む。
そして目の前の炭を見る。
もし。
鉄作りの実験が上手くいったとしても。
次に使った炭の質が違えば。
同じ結果にならない可能性がある。
「再現できない……」
「そういうことだ」
ゴルンが頷いた。
◇◇◇
そこでアルスは一つの木炭を手に取った。
「ドランさん」
「なんだ?」
「同じ木から」
「同じくらいの大きさで」
「同じ焼き方をした炭を作ることってできますか?」
「全部完全に同じは無理だ」
「でも近づけることは?」
ドランは少し考える。
「できなくはない」
「なら」
アルスは紙を広げた。
「鉄作り用の炭を決めたいです」
「決める?」
◇◇◇
「使う木の種類を決めます」
「炭の大きさも」
「焼く時間も」
「全部できるだけ同じにする」
ゴルンがアルスを見る。
「また規格か?」
「はい」
アルスは少し笑った。
「炭の質が毎回違ったら、砂鉄や炉をいくら調べても比較できません」
ドランは目を丸くしたあと。
「なるほどなぁ……」
と感心したように呟いた。
◇◇◇
「でもよ」
ドランが続ける。
「木の種類を決めるなら、供給量も考えないと駄目だ」
「供給量?」
「鉄を作るのに大量の炭を使うんだろ?」
「はい」
「なら、その木を山から好き勝手に切ったらどうなる?」
「……なくなる」
「そうだ」
◇◇◇
アルスはハッとした。
木炭。
その元は木。
鉄を大量に作ろうとすれば、その分だけ大量の木炭が必要になる。
そして大量の木炭を作るなら。
大量の木を使う。
「森がなくなる……」
「昔から炭焼きは山と相談してやるもんだ」
ドランが言う。
「切ったら終わりじゃない」
「若い木を残す」
「次の場所へ移る」
「山を休ませる」
「そうしないと仕事そのものが続かなくなる」
◇◇◇
アルスは鉱山で父から聞いたことを思い出した。
一つの技術は。
一人では完成しない。
そして今。
もう一つ分かった。
一つの技術だけ見ても駄目なのだ。
「鉄をいっぱい作ったら」
「森にも影響する……」
「そういうことだな」
ゴルンが答える。
◇◇◇
「じゃあ木炭の規格だけじゃなくて」
アルスは考える。
「どれくらい炭を使うのかも記録した方がいい」
「ほう」
「鉄一つ作るのに木炭がどれくらい必要か」
「それが分かれば」
「必要な木の量も少し分かる」
ドランが笑った。
「坊ちゃん」
「何です?」
「今日は鉄を作る話じゃなかったか?」
「僕もそう思ってました」
◇◇◇
そこへ。
「面白い話をしているな」
父カインが鍛冶場へ入ってきた。
「お父様!」
「今日は木炭の比較だったはずだが」
「途中から森の話になりました」
「なぜだ?」
アルスは今日分かったことを説明する。
◇◇◇
火付きの良い炭は燃えやすいが消費量が多かった。
硬い炭は火が安定し、長く燃えた。
しかし細かくしすぎると、今度は空気の通りが悪くなった。
さらに。
炭そのものの品質にばらつきがあれば。
鉄作りの条件も安定しない。
だから木炭も一定の基準で作りたい。
「ただ」
アルスは続ける。
「木炭をいっぱい使ったら、森の木もいっぱい必要になります」
カインは静かに頷いた。
「そこまで気付いたか」
◇◇◇
「お父様は知ってたんですか?」
「もちろんだ」
「領主だから?」
「それもある」
カインはドランを見る。
「炭焼きは鍛冶や暖房、料理にも欠かせない」
「だが山を使いすぎれば、土砂崩れや水不足にもつながる」
「水不足まで?」
「木が減れば、山の状態も変わるからな」
アルスは驚いた。
(木炭からそこまでつながるんだ)
◇◇◇
「アルス」
「はい」
「良い物を作ることだけ考えてはいけない」
父は言う。
「それを作り続けられるか」
「原料は足りるか」
「誰かに無理をさせていないか」
「他の仕事へ影響しないか」
「そこまで考えて初めて」
「領地で使える技術になる」
アルスは真剣に頷いた。
「はい」
◇◇◇
夕方。
三種類の木炭と。
三つの実験結果が並べられた。
アルスは木箱へそれぞれ少量ずつ保存する。
「また現物残すのか」
「はい」
「木炭も?」
「炭の大きさを忘れないためです」
「なるほどな」
◇◇◇
そして。
アルスは新しい紙を用意した。
題名は。
《鉄作り用木炭・試験基準》
しかし。
その下に箇条書きで書き始めようとして――。
アルスは少し手を止める。
「どうした?」
「文章にします」
「なんでだ?」
「あとで他の人が読んだ時、理由も分かった方がいいから」
◇◇◇
そこでアルスは、幼い字でゆっくり書いていく。
鉄を作るために使う木炭は、なるべく同じ種類の木を使う。
そして火力を安定させるため、炭の大きさもできるだけ揃える。
ただし細かすぎる炭は炉の中で空気が通りにくくなるため、細かく砕きすぎない。
さらに木炭の消費量を記録し、鉄を作るためにどれだけの燃料が必要なのかも確認する。
最後には。
『木を使いすぎないようにする』
と付け加えた。
◇◇◇
「坊ちゃん」
「はい?」
「最後だけ急に子どもっぽいな」
「分かりやすい方がいいんです!」
ゴルンが笑う。
「まあ大事なことだ」
◇◇◇
その夜。
アルスは自室で今日の記録を読み返していた。
砂鉄から鉄を作りたい。
最初は。
ただそれだけだった。
しかし実際に始めてみると。
炉が必要になった。
風が必要になった。
木炭が必要になった。
そして木炭を調べれば。
今度は森へつながった。
「一個やるといっぱいつながるなぁ……」
◇◇◇
前世では。
完成品しか見ていなかった物がたくさんある。
刀。
包丁。
釘。
農具。
それらは。
鉄だけでは作れない。
鉄を作るために。
鉱山がある。
炭焼きがある。
林業がある。
運搬がある。
職人がいる。
そして。
それら全部が続けられなければならない。
◇◇◇
アルスは手帳を開く。
今日の言葉をゆっくり書く。
『おなじものを つくるには もえるものも おなじにする』
そして続ける。
『つくることだけじゃなく つづけられるかも かんがえる』
最後に少し考えて。
『もりを つかいすぎない』
「よし」
◇◇◇
その頃。
父カインの執務室では。
「旦那様」
家令ライムが新しい鉱山関係の帳簿を持ってきていた。
「木炭の年間使用量についてでしょうか?」
「ああ」
「鍛冶場だけではない」
「領都の暖房」
「厨房」
「鉱山」
「他の工房」
「できる範囲でまとめてくれ」
「承知いたしました」
◇◇◇
ライムは少し不思議そうに尋ねる。
「アルス様の実験がきっかけですか?」
「そうだ」
カインは小さく笑った。
「砂鉄から鉄を作る話だったはずなのだがな」
「なぜか?」
「森の管理まで話が広がった」
ライムも微笑む。
「アルス様らしいですね」
「ああ」
◇◇◇
ただ。
カインの表情はすぐに領主のものへ戻る。
「だが悪い話ではない」
「領内で鉄の生産量が増えるなら」
「炭の需要も増える」
「今のうちから森林資源を把握しておく価値はある」
「植林も含めて?」
「必要になるかもしれん」
◇◇◇
アルスは知らない。
自分が何気なく始めた木炭比較が。
父カインに。
シュゲール領の森林利用を改めて調査するきっかけを与えたことを。
そして。
領地の木を。
切るだけではなく。
育てながら使う。
そんな考えへつながっていくことを。
◇◇◇
翌朝。
鍛冶場。
「ゴルンさん!」
「おう」
「ドランさん!」
「今日は何だ?」
「次は風を比べたいです!」
「やっぱり来たか」
ゴルンが笑う。
「弱い風」
「今までの風」
「強い風」
「同じ炉と同じ炭なら比較できると思います!」
「分かった分かった」
「ただし坊ちゃん」
「はい?」
「風を強くしすぎて炉を壊すなよ」
「……前に壊しかけましたね」
「覚えてたか」
「もちろんです!」
◇◇◇
砂鉄。
炉。
木炭。
そして。
次は風。
一つずつ。
条件を揃え。
比べ。
失敗し。
また考える。
玉鋼へ続く道は。
まだ遥かに遠い。
しかし。
アルスたちは確実に。
ただ前世の製法を真似するだけではない。
この世界の素材と、この土地の職人たちで再現できる製鉄法
を作り始めていた。
そしてアルスは。
まだ気付いていなかった。
次に調べる「風」が。
たたら製鉄を成功させるうえで。
想像していた以上に重要な鍵になることを。
---
次回 第88話「ふいごの風」
同じ炉。
同じ砂鉄。
同じ木炭。
そして次に変えるのは、炉へ送り込む空気の量。
弱ければ温度が上がらず、しかし強すぎれば木炭の消費が激しくなり、炉そのものまで傷めてしまう。
そこでアルスとゴルンは、ふいごを使って風量を段階的に変えながら最適な条件を探し始める。
しかし実験を続ける中でアルスは別の問題へ気付く。
「これ、人がずっと同じ強さでふいごを動かすのって難しくない?」
人力による送風のばらつき。
それを一定にする方法を考えた瞬間――。
アルスの前世の知識から、新たな機構の姿が浮かび始める。




