第86話 炉を高くしてみよう
翌朝。
アルスは朝食を終えると、昨日の実験記録を抱えて鍛冶場へ向かった。
「ゴルンさん!」
「来ると思ってたぞ」
「まだ何も言ってませんよ?」
「その紙の束見りゃ分かる」
ゴルンは炉の前で腕を組む。
「で?」
「今日は何を変える」
「炉です」
「やっぱりな」
◇◇◇
アルスは作業台へ紙を広げた。
実験一号。
実験二号。
実験三号。
実験四号。
昨日作った黒い塊も横へ並べる。
「風を強くした時」
「鉄っぽい部分は増えました」
「そうだな」
「でも炉が傷みました」
「うむ」
「だから」
アルスは簡単な炉の絵を描く。
「もっと炉を高くしたらどうでしょう?」
ゴルンが眉を上げた。
「高く?」
「はい」
◇◇◇
「砂鉄が炉の中を通る時間を長くするんです」
「……通る時間?」
「えっと」
アルスは言葉を選ぶ。
「今の炉って小さいですよね」
「木炭を入れて」
「その上から砂鉄を入れても」
「すぐ下の方まで落ちちゃいます」
「まあな」
「だったら」
「もっと高くすれば」
「砂鉄が長く熱い場所にいられるんじゃないかなって」
◇◇◇
正確には。
前世の知識で、高炉やたたらの構造を思い出していた。
燃料。
還元。
熱。
滞留時間。
ただ。
アルスは専門家ではない。
理屈を完全に説明できるほどの知識もない。
「なるほどな」
ゴルンは顎を撫でる。
「少なくとも試す価値はある」
「ですよね!」
「ただし」
指を一本立てる。
「高くすりゃ崩れやすくなる」
「あ」
「それに空気がちゃんと上まで通るかも分からん」
「……問題増えました」
「実験ってのはそういうもんだ」
◇◇◇
そこで二人は、昨日の炉をそのまま高くするのではなく。
二号実験炉
を新しく作ることにした。
高さは昨日の約一・五倍。
内側は少し細く。
下部には送風口。
壁は昨日より厚くする。
「粘土だけじゃ弱いな」
ゴルンが言う。
「石を混ぜます?」
「場所による」
「中まで石だらけにすると熱の回り方が変わるかもしれん」
「じゃあ外側を補強?」
「そうだな」
アルスはすぐに記録する。
◇◇◇
二号実験炉
高さ――一号炉の約一・五倍。
炉壁――厚くする。
外周――石で補強。
送風口――一か所。
「とりあえずこんな感じ」
「まだ作ってもいねぇけどな」
「だから設計図です!」
「五歳児が設計図とか言うな」
◇◇◇
炉作りにはバルトも呼ばれた。
「今度は何を作るんだ?」
木工職人のバルトがやって来る。
「炉です!」
「俺は木工職人だぞ?」
「型枠作ってください!」
「なるほど」
バルトは笑った。
「またアルス坊ちゃんに巻き込まれたな」
「俺もだ」
ゴルンが肩を竦める。
◇◇◇
簡単な木型を使い。
その周囲へ粘土を盛る。
乾燥させる。
急いで火を入れれば、内部の水分が膨張してひび割れる。
だから。
「今日は火を入れない」
「……はい」
アルスは少し残念そうに答えた。
「また待つのかって顔してるぞ」
「実験って待つ時間が多いですね」
「世の中そんなもんだ」
◇◇◇
炉を乾かしている間。
ゴルンが言った。
「せっかくだ」
「木炭の方も見に行くか」
「木炭?」
「昨日、量だ大きさだって言ってただろ」
「はい!」
「だったら作ってる奴に聞いた方が早い」
アルスの目が輝く。
「行きます!」
◇◇◇
向かったのは領都から少し離れた森の近く。
そこには炭焼き職人たちの作業場があった。
土を盛った炭窯。
積み上げられた木材。
黒く焼けた木炭。
「これ全部木炭……」
アルスは興味津々で見回す。
「おや」
一人の老人がこちらへやって来た。
「伯爵家の坊ちゃんが炭焼き場とは珍しい」
「この人が炭焼き職人のドランだ」
ゴルンが紹介する。
「よろしくお願いします!」
「元気だねぇ」
◇◇◇
アルスは早速質問した。
「木炭って全部同じじゃないんですか?」
「全然違うぞ」
「やっぱり!」
ドランが一本の木炭を手に取る。
「こいつは硬い木から作った炭」
「火持ちがいい」
次。
「こっちは柔らかい木」
「火は付きやすいが、減るのも早い」
「へぇ……」
◇◇◇
「それから」
「焼き方でも変わる」
「温度?」
「そうだ」
「炭窯の閉め方」
「空気の入れ方」
「焼く時間」
「冷ます時間」
「全部で変わる」
アルスは必死に書き留める。
「ゴルンさん」
「なんだ」
「木炭だけでも研究できそう」
「今は増やすな」
「でも」
「増やすな」
「はい」
◇◇◇
ドランが笑う。
「坊ちゃんは面白いな」
「鍛冶に使うのか?」
「砂鉄から鉄を作れないか試してます」
「砂から?」
「はい」
ドランの目が少し変わる。
「それで高い熱が長く欲しい?」
「そうです!」
「なら」
ドランは二種類の炭を並べた。
「こっちを使ってみろ」
硬い木を高温で焼いた炭。
「火持ちがいい」
「ただし火付きは少し悪い」
「じゃあ最初だけ別の炭?」
「お」
ドランが感心した。
「そういう使い方もある」
◇◇◇
火付きの良い炭で立ち上げる。
その後。
火持ちの良い炭を使う。
「燃料も一種類だけじゃなくていいんだ」
アルスは呟く。
「料理だって薪を使い分けるぞ」
「知らなかった……」
「知らんことなんぞ山ほどある」
ゴルンが言う。
「だから現場に来るんだ」
アルスは大きく頷いた。
◇◇◇
翌日。
二号実験炉は十分に乾燥していた。
アルス。
ゴルン。
職人二人。
そして今回は炭焼き職人ドランも見学に来ている。
「始めます!」
「坊ちゃんは後ろな」
「分かってます」
◇◇◇
まずは火付きの良い木炭。
着火。
ふいご。
ゴォォォ……。
炉が温まっていく。
その後。
火持ちの良い硬い炭へ切り替える。
「昨日より炎が安定してる?」
アルスが尋ねる。
「そうだな」
ゴルンが頷く。
「急に弱くならねぇ」
◇◇◇
十分に炉が温まってから。
選別。
洗浄。
乾燥した砂鉄を投入。
その上から木炭。
そしてまた砂鉄。
「投入量は昨日と同じ」
「木炭も同じ」
「変えたのは炉と炭の種類」
「坊ちゃん」
ゴルンが言う。
「二つ変わってるぞ」
「あ」
「本当なら一個ずつだ」
「……はい」
◇◇◇
アルスは少し悩む。
「じゃあ今回」
「炉と炭の組み合わせ実験ってことにします」
「都合よく言い換えたな」
「次は分けます!」
「ならいい」
◇◇◇
送風。
投入。
待つ。
送風。
投入。
また待つ。
昨日より明らかに時間が掛かる。
それでも。
炉の内部から聞こえる音が違う。
ゴォォォォ――。
「ゴルンさん」
「なんだ」
「昨日より音が低い?」
「俺もそう思ってた」
職人も炉を覗く。
「熱がこもってる感じしますね」
◇◇◇
アルスは安全線の外からじっと見る。
(高くした分、熱が逃げにくい?)
断定はできない。
でも。
何かが違う。
数時間後。
投入終了。
送風を徐々に弱める。
「終わり?」
「今日はな」
「じゃあ開けます?」
「まだ」
「……ですよね」
◇◇◇
冷えるまで待つ。
アルスは椅子へ座り、干し肉を齧りながら記録を整理した。
「坊ちゃん」
「はい?」
「楽しいか?」
ドランが尋ねる。
「はい!」
「失敗するかもしれんぞ」
「それでもです」
「変わった子だなぁ」
ドランは笑った。
◇◇◇
夕方。
ようやく炉を崩せる温度まで下がった。
「開けるぞ」
ゴルンが慎重に炉壁を崩す。
ボロッ。
土が落ちる。
炭の残り。
灰。
黒い滓。
そして。
「……ん?」
ゴルンの手が止まった。
「どうしました?」
「待て」
◇◇◇
火ばさみで。
奥から黒い塊を引き出す。
昨日の物より。
明らかに大きい。
拳より少し小さい程度。
表面はごつごつ。
黒い。
だが。
一部に鈍い金属光沢が見える。
「これ……」
アルスが息を呑む。
ゴルンは金床へ置く。
金槌を持つ。
「叩くぞ」
カンッ!
昨日の塊とは違う。
簡単には砕けない。
「……」
もう一度。
カンッ!
少し形が変わった。
「ゴルンさん?」
ゴルンは黙ったまま塊を見つめる。
◇◇◇
そして。
「鉄だ」
「え?」
「全部じゃねぇ」
「滓もかなり混じってる」
「質も悪い」
「そのまま剣なんぞ作れん」
それでも。
ゴルンははっきりと言った。
「だが」
「昨日のとは違う」
「これは――」
金槌で小さく叩く。
カン。
「鉄だ」
◇◇◇
「やった……」
アルスの声が震える。
「やった!」
「まだ喜ぶのは早ぇ!」
「でも鉄ですよ!」
「小せぇ!」
「でも鉄!」
「汚ぇ!」
「でも鉄!」
「面倒くせぇな坊ちゃん!」
鍛冶場に笑い声が響いた。
◇◇◇
アルスは塊へ近づく。
もちろん。
完全に冷えていることを確認してから。
そっと触れる。
ざらざら。
重い。
(砂だったものが)
昨日まで黒い砂だった。
それが。
今は一つの塊になっている。
「すごい……」
◇◇◇
アルスは心の中で鑑定する。
【粗鉄塊】
分類:低品質鉄素材
鉄分:中~高
炭素量:不均一
不純物:非常に多い
加工適性:低
備考:砂鉄由来。精錬不十分。
(粗鉄塊)
玉鋼には程遠い。
それどころか。
普通の鉄素材として見ても質が悪い。
でも。
道は間違っていない。
◇◇◇
「次は」
アルスが紙を取り出す。
「もっと不純物を減らしたい」
「もう次かよ」
「それから炭の量」
「送風」
「炉の高さ」
「炉の内側の形」
「投入間隔も――」
「坊ちゃん」
ゴルンが頭を小突く。
もちろん痛くない程度。
「一個ずつだ」
「……はい」
◇◇◇
「まず何を調べる?」
「うーん」
アルスは考える。
今回。
炉を高くした。
木炭も変えた。
二つ同時に変えた。
だから。
どちらが効いたのか分からない。
「炭?」
「何で?」
「炉の形はそのままにして」
「昨日の木炭と今日の木炭で比べる」
「そうだな」
「それなら炭の違いが分かる」
「よし」
◇◇◇
ドランも頷く。
「炭の硬さ」
「大きさ」
「焼き具合」
「その辺も試すといい」
「お願いします!」
「俺まで巻き込まれるのか?」
「もう巻き込まれてます」
「確かにな」
◇◇◇
そこへ。
「やはりここにいたか」
父カインが鍛冶場へ入ってきた。
「お父様!」
「今日はどうだった?」
アルスは満面の笑みで塊を見せる。
「鉄ができました!」
「ほう」
◇◇◇
カインは粗鉄塊を見つめる。
「これが?」
「はい!」
「ゴルン」
「どうなんだ?」
「使い物になるかと言われりゃ、まだ駄目です」
ゴルンは正直に答える。
「不純物だらけ」
「質も安定してない」
「だが」
「砂から鉄らしい塊を作るところまでは来ました」
カインの目が少し細くなる。
「なるほど」
◇◇◇
「アルス」
「はい」
「嬉しいか?」
「すごく!」
「では今日、何を学んだ?」
いつもの質問。
アルスは少し考える。
「炉だけじゃなくて」
「木炭も大事でした」
「それから」
「鉄を作るのって」
「鍛冶師だけじゃ無理です」
父が微笑む。
◇◇◇
「炭焼き職人」
「炉を作る人」
「砂鉄を集める人」
「運ぶ人」
「みんな必要です」
「そうだ」
「一つの技術は」
「一人では完成しない」
カインは粗鉄塊を見る。
「そのことを忘れるな」
「はい!」
◇◇◇
夕方。
今回できた粗鉄塊は。
捨てずに保存することになった。
「記念?」
アルスが尋ねる。
「違う」
ゴルンが答える。
「比較用だ」
「あ」
「次にもっと良いのができた時」
「何が変わったか比べる」
「なるほど!」
◇◇◇
そこでアルスは。
木箱を一つ用意してもらった。
中へ。
実験一号の失敗品。
実験二号。
三号。
四号。
そして。
今回の粗鉄塊。
それぞれ番号札を付ける。
「これなら後から見られます」
「記録だけじゃなく現物も残すのか」
ゴルンが感心する。
「はい」
「見た方が分かりやすいので」
◇◇◇
夜。
自室。
アルスは手帳を開く。
今日の言葉。
『ろだけじゃない』
その下。
『もくたんにも ちがいがある』
そして。
少し大きな文字で。
『はじめて すなから てつができた』
書いた瞬間。
アルスは少し笑った。
◇◇◇
「まだ玉鋼じゃないけど」
むしろ。
玉鋼とは比べものにならない。
不純物だらけ。
炭素量もばらばら。
まともな刃物には使えない。
それでも。
ゼロではなくなった。
砂鉄。
木炭。
炉。
風。
火。
そして人の手。
それらを組み合わせれば。
確かに鉄は生まれる。
◇◇◇
アルスは改めて思う。
前世で見た、たたら製鉄。
あれは。
砂鉄と木炭を炉へ放り込めばできるような。
そんな単純な技術ではなかった。
何百年。
何千回。
もしかすると何万回。
人々が試し。
失敗し。
改良し。
受け継いできたもの。
(すごいな)
前世の職人たちへの尊敬が。
今まで以上に強くなる。
◇◇◇
そして。
その知識を。
この世界で。
自分たちなりに。
一から確かめ直す。
「明日は炭の比較」
その次は。
送風。
その次は。
砂鉄の選別。
まだまだ先は長い。
でも。
それでいい。
◇◇◇
一方。
王都中央行政院。
「シュゲール領の追加報告です」
「またか」
ロイドが書類を受け取る。
ただ。
今回書かれているのは鉱山の定期報告。
採掘量。
荷車の損耗。
炭の供給量。
そこに。
小さな一文。
『鉱石洗浄時に発生する黒砂について、領主家子弟が利用可能性を調査中』
「黒砂?」
ロイドは一瞬だけ目を止める。
しかし。
「まだ成果なし、か」
今は重要案件ではない。
書類を束へ戻す。
王都の誰も。
まだ知らない。
その黒砂が。
遠い将来。
シュゲール領を代表する特別な鋼へつながっていくことを。
◇◇◇
アルス・シュゲール、五歳。
この日。
彼は初めて。
自分たちの手で。
砂から鉄を作った。
ほんの小さな。
質の悪い粗鉄塊。
だが。
たたら製鉄へ続く道の上に。
確かに――。
最初の一歩が刻まれたのだった。




