第84話 初めての鉱山
父カインから「もっと広い世界を見せる」と告げられてから数日。
アルスは朝から、いつも以上に落ち着かなかった。
「アルス、そんなに窓へ張り付いていると危ないですよ」
「はい、お母様」
母エリザに注意され、アルスは馬車の窓から少しだけ身体を離す。
だが、視線までは外せない。
今日向かっているのは――シュゲール伯爵領の鉱山。
領内で使われる鉄の多くを産出する場所だった。
(鉱山……!)
鍛冶を始めてから、鉄そのものには何度も触れてきた。
だが、その鉄がどこから来るのか。
実際に自分の目で見るのは初めてだ。
◇◇◇
同行するのは父カイン。
家令ライム。
護衛の兵士数名。
そしてアルス。
本来なら鉱山は五歳児が気軽に入るような場所ではない。
だから今回見学するのも、安全が確認されている採掘場と選鉱場のみ。
「アルス」
父が向かいから声を掛けた。
「鉱山では勝手に動かないこと」
「はい」
「立入禁止と言われた場所へは行かない」
「はい」
「知らない鉱石を見つけても勝手に触らない」
「…………はい」
「間があったな」
「気のせいです」
父は苦笑した。
◇◇◇
馬車が山道へ入る。
街道の両脇に広がっていた農地は次第に減り、代わりに深い森と岩肌が増えていく。
やがて。
「見えてきたぞ」
父が前方を指差した。
「わぁ……」
山の斜面。
そこには何本もの坑道が口を開けていた。
荷車が行き交い。
作業着姿の人々が鉱石を運んでいる。
カン。
カン。
遠くから岩を叩く音まで聞こえてきた。
「ここが……鉱山」
◇◇◇
「伯爵様!」
馬車を降りると、一人の大柄な男性が駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました」
「ご苦労」
父は彼と握手を交わす。
「アルス」
「こちらは鉱山長のガドだ」
「ガドです」
「よろしくお願いいたします、アルス様」
アルスも丁寧に頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「今日は鉄が鍛冶場へ届くまでを見せていただけると聞きました」
「はい」
ガドは笑う。
「では順番にご案内しましょう」
◇◇◇
最初に向かったのは露天の採掘場所だった。
山肌を削った場所で、何人もの鉱夫がつるはしを振るっている。
ガン!
ガン!
岩が砕ける。
「すごい……」
アルスはその様子を見つめた。
「鉄って、最初から鉄の塊で出てくるわけじゃないんですね」
ガドが笑った。
「さすがにそのまま剣にはなりませんよ」
掘り出された岩石を見せてもらう。
赤茶色。
黒。
灰色。
さまざまな色が混ざっている。
「この中に鉄分を多く含む鉱石があります」
「これを掘り出して、良い物を選びます」
◇◇◇
アルスは一つの鉱石をじっと見る。
(鑑定)
誰にも気付かれないよう、心の中で使う。
【鉄鉱石】
品質:普通
鉄含有量:中程度
不純物:多め
用途:製鉄原料
(やっぱり)
見た目だけでは分からない情報まで表示される。
だがアルスはすぐ鑑定を止めた。
まずは自分の目で学ぶ。
それが今の自分のやり方だった。
◇◇◇
「アルス様」
ガドが別の岩を差し出す。
「こちらは品質が良い鉄鉱石です」
「違い、分かりますか?」
「うーん……」
並べて見る。
色。
重さ。
表面の質感。
「こっちの方が重い?」
「その通りです」
ガドは満足そうに頷いた。
「経験を積めば、見た目や重さでもある程度分かるようになります」
(鍛冶と同じだ)
鉄の色。
音。
手触り。
結局、現場で覚えることが多い。
◇◇◇
次に案内されたのは選鉱場。
掘り出した鉱石から、製鉄に使える物を選び分ける場所だ。
作業員たちが岩を砕き。
目視で分け。
不要な石を取り除いている。
「全部使わないんですね」
「ええ」
ガドが答える。
「質の悪い石まで一緒に運べば、その分だけ荷車が重くなります」
「なるほど……」
使える鉱石だけを運ぶ。
不要な物はできるだけ現地で分ける。
(運搬の効率も考えてるんだ)
◇◇◇
アルスは鉱石を積んだ荷車を見る。
「これ、重そう」
「かなり重いです」
一人の鉱夫が苦笑した。
「山道なので、運ぶだけでも大変ですよ」
「どれくらい運ぶんですか?」
「一日に何往復もします」
アルスの表情が変わる。
畑で鍬を振る農民。
厨房で包丁を使う料理人。
そして今度は――。
重い鉱石を運ぶ鉱夫。
(ここにも、大変な仕事がある)
◇◇◇
「荷車で困ることってありますか?」
アルスが尋ねる。
ガドと鉱夫が顔を見合わせた。
「困ること、ですか?」
「はい」
「使いにくいところとか」
父カインが少し笑った。
また始まった。
そんな顔だった。
「そうですね……」
鉱夫が考える。
「車輪ですね」
「車輪?」
「石を積むので、よく傷みます」
「山道の凹凸もありますから」
別の鉱夫も口を挟む。
「軸もよくきしみます」
「油を差さないと重くなる」
アルスはすぐ紙へ書き始める。
◇◇◇
車輪の摩耗。
軸の摩擦。
荷台の強度。
坂道での制動。
「アルス」
父が声を掛ける。
「今日は鉱山見学だぞ」
「分かってます!」
「紙に荷車の改良案を書き始めているように見えるが?」
「まだ困ってることを聞いてるだけです!」
「そうか」
父は明らかに信じていない。
◇◇◇
さらに奥へ進むと、鉱石を洗う場所へ出た。
細かく砕かれた石を水で洗い、泥や軽い不純物を流している。
そこで。
アルスの足が止まった。
「……ん?」
水路の端。
黒い砂のようなものが溜まっている。
何となく。
見覚えがある。
(まさか)
アルスはゆっくりしゃがみ込んだ。
「アルス?」
父が呼ぶ。
「これ……」
指で黒い砂を少しだけ摘まむ。
もちろん許可を取ってからだ。
細かい。
黒い。
重みがある。
(鑑定)
【砂鉄】
分類:鉄原料
品質:普通
鉄分:高
備考:磁力に反応する鉄分を多く含む砂状鉱物。
「……!」
アルスの心臓が大きく跳ねた。
◇◇◇
「ガドさん」
「はい?」
「この黒い砂、何ですか?」
「それですか?」
ガドは特に珍しくもなさそうに答える。
「鉱石を洗う時に出る黒砂です」
「鉄分があることは分かっていますが」
「普通の鉄鉱石ほど使いやすくないので、ほとんど捨てています」
「捨ててる!?」
思わず大きな声が出た。
「アルス?」
父が驚く。
「い、いえ!」
アルスは慌てて声を落とす。
「これ、少し持ち帰ってもいいですか?」
◇◇◇
ガドが父を見る。
カインは息子の顔をじっと見た。
「何か思いついたのか?」
「まだ分かりません」
半分本当。
半分嘘。
前世の記憶。
砂鉄。
木炭。
粘土製の炉。
そして――。
たたら製鉄。
頭の中で、その言葉が鮮明に浮かんでいる。
「調べてみたいです」
アルスは正直に言った。
父は少し考え――。
「少量なら許可しよう」
「ありがとうございます!」
◇◇◇
ガドが布袋へ黒砂を入れてくれた。
「これくらいで?」
「十分です!」
アルスは袋を大切そうに抱える。
(砂鉄だ)
本物の砂鉄。
前世の日本刀鍛冶で重要な原料。
もちろん。
砂鉄があるから即座に玉鋼が作れるわけではない。
たたら炉。
炉の構造。
木炭。
送風。
温度管理。
砂鉄と木炭の投入割合。
三日三晩に及ぶ操業。
そしてケラから良質な鋼を選別する技術。
(難しい)
むしろ、途方もなく難しい。
だからこそ。
アルスの胸は高鳴った。
◇◇◇
見学の最後。
鉱山の休憩所へ立ち寄った。
鉱夫たちが昼食を取っている。
硬いパン。
スープ。
干し肉。
「アルス様も食べますか?」
「いいんですか?」
「もちろん」
父も頷いたので、一緒に食べることにした。
「おいしい」
「働いた後ならもっと美味いですよ!」
鉱夫たちが笑う。
◇◇◇
アルスは彼らの手を見る。
厚い。
傷だらけ。
爪の間には黒い汚れ。
この人たちが岩を掘り。
運び。
選び。
その鉱石が炉へ入り。
鉄になり。
ゴルンが叩く。
そして。
鍬。
包丁。
釘。
剣。
いろいろな道具になる。
(鉄は鍛冶場から始まるんじゃない)
当たり前なのに。
今日初めて、本当に理解した気がした。
◇◇◇
帰りの馬車。
アルスの膝には砂鉄の袋がある。
「今日、どうだった?」
父が尋ねる。
「すごく勉強になりました」
「何が一番印象に残った?」
アルスは少し考える。
「鉄を作る前にも、たくさんの人が働いてることです」
父は穏やかに頷いた。
「そうだ」
「鍛冶師だけでは鉄製品は作れない」
「鉱夫」
「運搬する者」
「炭を焼く者」
「木材を扱う者」
「多くの仕事がつながっている」
「はい」
◇◇◇
「それから?」
父の視線が、アルスの膝へ向く。
「その黒砂」
「……気になります」
「どうするつもりだ?」
「まず調べます」
「いきなり炉を作ったりは?」
「しません」
「本当だな?」
「……まずゴルンさんに相談します」
「少し言い換えたな」
「気のせいです」
◇◇◇
屋敷へ戻ったアルスは、そのまま鍛冶場へ向かった。
「ゴルンさん!」
「今度は何だ!?」
炉の前からゴルンが振り返る。
「これ見てください!」
袋を開く。
黒い砂。
「なんだこれ」
「砂鉄です!」
「さてつ?」
ゴルンが指先で摘まむ。
「鉄なのか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「鉄分を多く含んでると思います」
◇◇◇
磁石があれば簡単に確認できる。
この世界にも天然磁石は存在する。
ゴルンが工房の奥から磁石鉱を持ってきた。
「これでどうする?」
「近づけてください」
ゴルンが黒砂へ磁石鉱を近づける。
サラサラ……。
黒い粒が吸い寄せられた。
「おお?」
「やっぱり!」
アルスの目が輝く。
「面白ぇな」
ゴルンも興味を示した。
◇◇◇
「で?」
「これで何する?」
アルスは答えようとして止まる。
たたら製鉄を説明する。
だが。
五歳児が突然、
三日三晩砂鉄と木炭を炉へ投入して高品質鋼を作れます。
などと言えば、どう考えても不自然だ。
「……考えがあります」
「またその顔か」
「どんな顔ですか?」
「何かやらかす前の顔」
「失礼な!」
ゴルンが笑った。
◇◇◇
「まあいい」
ゴルンは砂鉄を見る。
「急ぐな」
「はい」
「まずこの砂から本当に鉄が取れるのか」
「そこから試す」
「はい!」
アルスも頷く。
焦らない。
一歩ずつ。
それは何度も学んできたことだ。
◇◇◇
夜。
自室。
机の上には、少量の砂鉄。
鉱山で書いたメモ。
鉱夫たちから聞いた荷車の問題。
そして一本の釘。
「今日はいっぱいあったな……」
アルスは手帳を開く。
まず。
『てつは かじばから はじまるんじゃない』
次に。
『ひとつの どうぐには たくさんの ひとの しごとが つながっている』
そして。
少しだけ迷い――。
最後に書く。
『さてつ』
◇◇◇
アルスは黒い砂を見つめた。
前世の記憶の中。
巨大な粘土炉。
燃え盛る木炭。
砂鉄。
三日三晩。
そして炉を壊した先から姿を現す――。
巨大なケラ。
そこから選び出される、良質な鋼。
玉鋼。
(いつか)
まだ今ではない。
今の自分は。
普通の鉄を打つだけでも失敗する。
包丁もゴルンの助けなしには作れない。
そんな自分が、いきなり玉鋼など扱えるはずがない。
「でも……」
アルスは笑った。
「いつか絶対やってみたい」
◇◇◇
その日。
アルス・シュゲールは初めて。
鉄の始まりを見た。
土から掘り出され。
人の手で選ばれ。
運ばれ。
火を経て。
ようやく道具になる。
そして同時に――。
前世の記憶と今世の資源が。
初めて明確につながった。
砂鉄。
それはまだ。
ただの黒い砂にすぎない。
しかし。
この一袋の黒砂こそ。
やがてシュゲール伯爵領に、
この世界では誰も見たことのない高品質鋼――。
玉鋼
を生み出すことになる。
その日は、まだ遠い。
だが。
世界初のたたら製鉄へ向けた小さな火種は――。
確かにこの日、アルスの心へ灯ったのだった。




