第82話 短縮詠唱という実験
アルスが魔法訓練表へ、新たな一行を書き加えた翌日。
第六段階――詠唱短縮。
そして、その横には大きな文字で、
『リーナ先生といっしょにやる!』
と書かれている。
前回、勝手に実験しないよう釘を刺されたからだ。
「……よろしいでしょう」
家庭教師リーナは訓練表を見ながら頷いた。
「本当ですか!?」
「ただし条件があります」
「はい!」
「私が立ち会うこと」
「はい!」
「一度に大きな魔力を使わないこと」
「はい!」
「少しでも異常を感じたら中止すること」
「はい!」
「そして――」
リーナの目が細くなる。
「成功しても調子に乗らないこと」
「…………はい」
「今、少し間がありましたね?」
「気のせいです!」
◇◇◇
その日の午後。
魔法訓練場には四人の姿があった。
アルス。
兄アレックス。
リーナ。
そして父カイン。
「私も見学して構わないか?」
「もちろんです、お父様」
カインは腕を組む。
「昨日からリーナが難しい顔をしていたからな」
「旦那様」
「冗談だ」
「半分くらい本当でしょう?」
「……まあな」
◇◇◇
「では始めます」
リーナは用意した紙を見せた。
今回試すのは初級火魔法。
《ファイアー》。
ただし、威力は最低限。
最初は通常詠唱。
次に短縮詠唱。
さらに魔法名だけ。
最後に無詠唱。
「四段階で比較します」
アルスが嬉しそうに紙を持つ。
「発動時間も測ります!」
父が眉を上げた。
「そこまでやるのか?」
「比較するなら数字があった方が分かりやすいので」
「……なるほど」
◇◇◇
最初はアレックス。
「通常詠唱からお願いします」
「ああ」
的へ向かって右手を構える。
呼吸。
集中。
「炎よ、我が魔力に応え、その姿を現せ――《ファイアー》!」
ボッ!
火球が生まれる。
そのまま飛翔。
ボンッ!
的へ命中。
「成功」
アルスが記録する。
「発動も安定しています」
リーナも頷いた。
「これを基準にしましょう」
◇◇◇
「次」
アルスが紙を見る。
「短縮詠唱」
リーナが用意した言葉は――。
「炎よ、現れよ――《ファイアー》!」
通常よりかなり短い。
「やってみます」
アレックスが集中する。
「炎よ、現れよ――《ファイアー》!」
ボッ!
炎が生まれる。
「成功!」
しかし。
「少し小さい?」
アルスが首を傾げる。
「ええ」
リーナが答える。
「魔力の集まりが通常より不安定でした」
「僕もそんな感じがした」
アレックスが自分の手を見る。
◇◇◇
「もう一度やってみましょう」
二回目。
成功。
三回目。
成功。
四回目。
炎が一瞬揺らぐ。
五回目。
成功。
「四回目だけ不安定」
アルスが記録する。
「でも発動は早くなってます」
「そのようですね」
◇◇◇
「次は……」
アルスの目が輝く。
「魔法名だけ」
アレックスが苦笑する。
「いきなり難しくなった気がする」
「無理なら止めます」
「やってみる」
右手へ魔力を集める。
火。
熱。
球体。
前へ飛ばす。
今まで詠唱が補助していた部分を、自分の意識で組み立てる。
「《ファイアー》!」
ボッ!
「おお!」
火球が出た。
しかし――。
ポシュッ。
的へ届く前に消えた。
「あ」
◇◇◇
「発動自体は成功です」
リーナが言う。
「ですが術式維持に失敗しました」
「維持……」
アルスは書き込む。
魔法名のみ――発動成功。飛翔途中で消失。
「もう一回」
アレックスが構える。
「《ファイアー》!」
ボッ!
今度は飛ぶ。
だが的の手前へ落ちる。
三回目。
「《ファイアー》!」
ボンッ!
「当たった!」
命中。
ただし通常より威力は弱い。
◇◇◇
「難しい」
アレックスが息を吐く。
「詠唱が短くなるほど、自分で考えることが増える」
「昨日の話と同じですね」
「ああ」
アルスは記録する。
通常詠唱。
安定。
発動は遅い。
短縮詠唱。
少し不安定。
発動は速い。
魔法名のみ。
かなり不安定。
発動はさらに速い。
「じゃあ最後」
アルスが言う。
「無詠唱」
◇◇◇
アレックスは深呼吸する。
昨日成功した方法。
右手へ魔力。
温かさ。
熱。
火。
形。
「…………」
ボッ。
小さな炎が出た。
しかし。
それだけ。
「やっぱり火球にはならないな」
「でも無詠唱で火を作れてます」
アルスは記録する。
リーナが口を開く。
「ここで一度休憩しましょう」
「はい」
◇◇◇
休憩中。
アルスは四つの結果を並べていた。
「面白い……」
「何がだ?」
父が尋ねる。
「詠唱が短くなると」
アルスは指差す。
「発動は早くなります」
「だが失敗も増えている」
「はい」
通常詠唱では五回中五回成功。
短縮詠唱では、ほぼ成功。
魔法名のみになると成功率は大きく落ちる。
無詠唱では、火を出すだけでも高い集中が必要。
「つまり」
アルスは紙へ書く。
速さと安定性。
「両方いいところだけ取るのは難しい」
◇◇◇
「農具と同じだな」
父が言った。
「軽くすれば扱いやすい」
「しかし軽すぎれば硬い土へ入らない」
「刃物も同じです」
アルスが続ける。
「硬くすれば切れ味は保ちやすいけど、硬すぎると欠ける」
「そういうことだ」
カインは微笑む。
「魔法にも均衡があるのだろう」
◇◇◇
「ではアルス様」
リーナが言う。
「次はご自身で試してみますか?」
「僕ですか?」
「はい」
アレックスがニヤリと笑う。
「人にやらせるだけじゃ駄目だろ?」
「分かりました」
アルスが前へ出る。
ただし。
(どこまで見せよう)
自分は既に、かなり自由に魔力を操作できる。
無詠唱もできる。
それを全部見せれば――。
「アルス」
父の声。
「はい?」
「今日は隠さなくていい」
「…………」
見抜かれた。
◇◇◇
「以前言っただろう」
カインは穏やかに続ける。
「お前が話せる時まで待つ」
「だが訓練で力を隠して事故を起こす方が危険だ」
「……はい」
アルスは小さく息を吐いた。
「分かりました」
◇◇◇
まず通常詠唱。
「炎よ、我が魔力に応え、その姿を現せ――《ファイアー》」
ボッ!
火球。
安定。
命中。
「次」
短縮。
「炎よ、現れよ――《ファイアー》」
ボッ!
命中。
「魔法名のみ」
「《ファイアー》」
ボッ!
火球がほぼ同じ大きさで飛ぶ。
ボンッ!
命中。
アレックスの顔が引きつる。
「……普通にできてない?」
「アルス様」
リーナも額へ手を当てた。
◇◇◇
「じゃ、じゃあ無詠唱を……」
アルスは右手を前へ。
魔力を集める。
火属性へ変換。
形を決める。
威力を抑える。
そして。
ボッ!
拳ほどの火球が現れた。
「…………」
全員が黙った。
「あ」
アルスも固まる。
(やりすぎた)
◇◇◇
「アルス」
「はい……」
「昨日、アレックスが出した無詠唱魔法を覚えているか?」
「指先くらいの火でした」
「お前のそれは?」
「……火球です」
「そうだな」
「…………」
怒られる。
そう思ったが。
「消しなさい」
「はい」
アルスは魔力を止める。
火球が消えた。
◇◇◇
父は怒らなかった。
代わりに。
「リーナ」
「はい」
「五歳として普通か?」
「旦那様」
リーナは真顔で答えた。
「その質問に意味はないと思います」
「そうか」
「はい」
「アルス様を普通の五歳児と比較する段階は、とっくに過ぎています」
「先生!?」
アレックスが吹き出した。
「ははは!」
「兄様まで!」
◇◇◇
しかし。
リーナはすぐ真剣な表情へ戻る。
「問題は別にあります」
「アルス様」
「はい」
「今の無詠唱」
「魔力消費は?」
「通常より……少ないです」
「…………」
「え?」
アレックスが止まる。
「普通は増えるんじゃないの?」
「僕の場合」
アルスは考えながら答える。
「必要な分だけ直接動かしてる感じなので」
リーナの目が鋭くなる。
「直接……」
◇◇◇
「詠唱している時」
「魔力が少し余分に動いてる感じがします」
「でも無詠唱なら」
「必要な場所へ必要な量だけ送れる」
リーナはしばらく沈黙した。
「つまり」
「熟練した魔力操作があれば、無詠唱はむしろ効率化する可能性がある?」
「たぶん」
「ただ」
アルスは付け加える。
「兄様の場合は逆だと思います」
「なぜ?」
「まだ操作に慣れてないから」
◇◇◇
ここで一つの仮説が生まれた。
初心者。
詠唱の方が安全で効率的。
中級者。
短縮詠唱が使える。
上級者。
魔法名だけでも発動可能。
そして魔力操作に熟達した者なら――。
無詠唱。
「段階がある……」
アルスが呟く。
「これ」
訓練表へ書き込む。
◇◇◇
魔力操作習熟度と推奨発動方式
初級――通常詠唱。
中級――短縮詠唱。
上級――魔法名のみ。
熟練――無詠唱。
「待てアルス」
父が止める。
「はい?」
「今の時点で決めつけるな」
「あ」
「試したのは二人だけだ」
アルスはハッとした。
二号鍬でもそうだった。
一つの土地だけで成功しても、別の土地では問題が出た。
「もっと人数が必要……」
「そうだ」
◇◇◇
「ただし」
カインは訓練表を見る。
「すぐ人数を増やすこともしない」
「安全性が分からないから?」
「その通り」
父は少し笑った。
「学んでいるな」
「はい!」
◇◇◇
実験終了後。
兄弟は訓練場の隅へ座っていた。
「アルス」
「なに、兄様?」
「僕、通常詠唱から続けるよ」
「無詠唱やらないんですか?」
「やる」
「でも急がない」
アレックスは自分の右手を見る。
「今日分かった」
「詠唱って、初心者のためにちゃんと意味があるんだな」
「はい」
「ならまず詠唱で魔力の動きを覚える」
「それから短くする」
アルスは笑った。
「その方がいいと思います」
◇◇◇
「それに」
アレックスがアルスを見る。
「いつかお前と同じくらいできるようになる」
「僕も負けませんよ」
「兄に勝つ気か?」
「もちろんです」
「言ったな?」
二人は笑った。
◇◇◇
その夜。
父カインの執務室。
机の上には、アルスが作った魔法訓練表の写しが置かれていた。
カインは何度も読み返す。
魔力感知。
集中。
移動。
維持。
魔法接続。
詠唱短縮。
そして。
発動方式の段階分け。
「旦那様」
ライムが尋ねる。
「どうかなさいましたか?」
「これを見ていた」
◇◇◇
ライムも読む。
「アルス様が?」
「ああ」
「五歳でございますよね?」
「その確認は私も何度もした」
「左様でございますか」
カインは椅子へ深く座る。
「農具だけなら」
「少し変わった発想を持つ子で済んだ」
「鍛冶も」
「職人が好きなのだと思えた」
「だがこれは……」
言葉が止まる。
◇◇◇
単に魔法が得意なのではない。
自分ができる。
そこで終わらない。
手順へ分ける。
記録する。
比較する。
失敗理由を探す。
他人が再現できる方法へ変えようとする。
「この子は」
カインは小さく呟いた。
「技術を仕組みに変えようとしている」
◇◇◇
「中央へ報告なさいますか?」
ライムが尋ねる。
「いや」
カインは即答した。
「まだ早い」
「これはアルスとアレックス」
「そして我が家の中だけに留める」
「承知しました」
「リーナにも念を押しておいてくれ」
「はい」
父親として。
領主として。
カインは理解していた。
農具なら広めてもいい。
だが魔法技術は違う。
軍事にも。
冒険者にも。
貴族間の力関係にも影響する。
慎重でなければならない。
◇◇◇
一方。
そんな父の心配など知らないアルスは。
自室で手帳を開いていた。
今日の言葉。
『はやいことと あんていすることは ちがう』
次。
『ふたりで できても みんなが できるとは かぎらない』
さらに。
少し考えて。
『まほうも ためして くらべる』
「よし」
◇◇◇
アルスは訓練表を見る。
まだ穴だらけ。
分からないことばかり。
詠唱はなぜ魔力を安定させるのか。
属性変換はどこで起こるのか。
魔法名そのものに意味はあるのか。
人によって魔力操作の得意不得意は違うのか。
疑問が次々と生まれる。
(面白いな)
農具を改良した時と同じ。
鍛冶を学んだ時と同じ。
知らないことがある。
試す。
失敗する。
考える。
また試す。
その繰り返し。
◇◇◇
そして。
アルスはまだ知らない。
この日作った、
通常詠唱。
短縮詠唱。
魔法名発動。
無詠唱。
という段階的な考え方が。
遠い未来。
シュゲール領における魔法教育の原型となることを。
だが。
それ以上に重要だったのは――。
父カインが初めて明確に理解したこと。
アルスの才能は。
ただ強い魔法を使えることではない。
新しい道具を作れることでもない。
目の前にある技術を。
観察し。
分解し。
試し。
誰かへ伝えられる形に作り直す。
それこそが――。
アルス・シュゲールという少年が持つ、本当の異質さなのだと。




