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『伯爵家次男に転生した俺は、前世の知識で世界を変えていく』  作者: バモス
第一章 幼少期編

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第81話 アレックス、初めての無詠唱

 兄アレックスとの魔力操作訓練を始めてから、さらに数日。


 夜の学習室では、すっかり見慣れた光景が出来上がっていた。


 机の上には魔力水晶。


 その前に座るアレックス。


 少し離れた場所には、紙とペンを持ったアルス。


「兄様、始めます」


「ああ」


 アレックスが目を閉じる。


 呼吸を整える。


 身体の内側へ意識を向ける。


 魔力を感じる。


 集める。


 そして右手へ。


 ぽうっ――。


 魔力水晶が淡く輝いた。


「安定してます」


「どれくらい?」


「十秒……十五秒……二十秒」


 光は消えない。


 以前なら数秒で集中が切れていた。


 しかし今では、一定量の魔力を手へ集め続けられる。


「二十五……三十秒!」


「よし!」


 アレックスが魔力を止める。


 水晶の光が消えた。


「三十秒です!」


「かなり伸びたな」


「はい」


 アルスは紙へ記録する。


 魔力集中――三十秒維持成功。


 次。


 右手から左手。


 左手から右手。


 魔力を移動させる。


「右」


「……よし」


「左」


「くっ……」


「急がなくていいです」


 ゆっくり。


 少しずつ。


「……できた」


「成功です!」


 アレックスは嬉しそうに拳を握った。


     ◇◇◇


 アルスが作った五段階の魔力操作訓練。


 一、感じる。


 二、集める。


 三、動かす。


 四、保つ。


 そして最後。


 五――。


 魔法へつなげる。


 アルスは訓練表を見つめる。


「兄様」


「なに?」


「そろそろ最後、やってみませんか?」


「魔法か?」


「はい」


 アレックスの表情が引き締まった。


「やろう」


     ◇◇◇


 もちろん室内で火魔法を使うわけにはいかない。


 二人は父カインへ許可を取り、翌日の午後。


 魔法訓練場へ移動した。


 立ち会うのは父カイン。


 家庭教師リーナ。


 そしてアルス。


「ではアレックス様」


 リーナが告げる。


「まず普段通り、《ファイアー》を使ってください」


「はい」


 アレックスは的へ右手を向ける。


 集中。


 そして。


「炎よ、我が魔力に応え、その姿を現せ――《ファイアー》!」


 ボッ!


 拳ほどの炎が生まれた。


 そのまま前方へ飛ぶ。


 ボンッ!


 的へ命中。


「問題ありません」


 リーナが頷く。


     ◇◇◇


 アルスはその様子をじっと見ていた。


(やっぱり……)


 魔力の流れが見える。


 正確には《鑑定》のように情報として見えるわけではない。


 自分自身が魔力操作を続けているからこそ、何となく分かる。


 詠唱を始める。


 魔力が集まる。


 形が整う。


 魔法が発動する。


(詠唱している間に魔力が整ってる)


 なら。


 アルスは以前から考えていたことを口にする。


「兄様」


「ん?」


「今度は魔法名を言わないでやってみませんか?」


 アレックスが固まった。


「……何?」


     ◇◇◇


 リーナもアルスを見る。


「アルス様」


「はい」


「どういう意味でしょう?」


「今まで練習した魔力操作だけで、火を作れないかなって」


「詠唱なしで?」


「はい」


 リーナは少し考え込む。


「無詠唱……」


 その言葉にアルスが反応する。


「やっぱりあるんですか?」


「理論上は存在します」


「理論上?」


     ◇◇◇


 リーナは説明を始めた。


「一般的な魔法使いにとって、詠唱は魔法を構築するための補助です」


「補助……」


「例えば《ファイアー》」


「術式を一から頭の中だけで組み立てるのは難しい」


「そこで決められた言葉と魔力の流れを結び付けることで、魔法を安定させます」


 アルスの目が輝く。


(やっぱり!)


「つまり」


「詠唱そのものが魔法を起こしてるんじゃない?」


「少し違います」


 リーナは頷いた。


「魔法を起こすのは、あくまで術者の魔力です」


     ◇◇◇


 アルスの中で、いくつもの知識がつながった。


 魔力。


 属性。


 イメージ。


 魔力操作。


 そして詠唱。


「じゃあ兄様」


 アルスが言う。


「さっきの《ファイアー》を思い出してください」


「うん」


「火を出した時、魔力をどこへ集めました?」


「右手」


「どんな感じでした?」


「どんなって……」


 アレックスが考える。


「熱くなって」


「それから前へ出る感じ」


「じゃあ、それを魔法名なしでやってみましょう」


「簡単に言うなぁ……」


「僕も手伝います」


     ◇◇◇


 まず。


 呼吸。


 次に魔力感知。


 右手へ集める。


「そこまでは?」


「できてる」


「次」


 火を想像する。


「大きい炎じゃなくていいです」


「蝋燭くらい」


「ろうそく?」


「小さい火です!」


「ああ」


 アルスは前世の言葉が出たことに内心焦る。


 この世界にも蝋燭はあるので問題なかった。


     ◇◇◇


 アレックスが集中する。


 右手へ魔力。


 火。


 熱。


 小さな炎。


「…………」


 何も起きない。


「駄目だ」


「もう一度」


 二回目。


「…………」


 失敗。


 三回目。


 失敗。


「難しいな」


「休憩しましょう」


「まだできる」


「駄目です」


 アルスは首を横に振った。


「集中力が落ちてます」


 ゴルンから学んだことだ。


 疲れた状態で続けても、品質は落ちる。


 魔法だって同じかもしれない。


     ◇◇◇


 十分ほど休憩。


 水を飲む。


 父カインは口を挟まず、静かに見守っていた。


 リーナも同じだ。


「もう一度やる」


 アレックスが立ち上がった。


「はい」


 アルスも隣へ。


「今度は、いきなり火を作ろうとしないでください」


「?」


「最初に右手を少し温かくする感じ」


「温かく……」


「それができたら、もっと熱くする」


 段階を分ける。


 難しいことは小さく分ける。


 昨日までの経験が生きている。


     ◇◇◇


 魔力を集める。


「温かい」


「そのまま維持」


「……できてる」


「少しだけ強く」


 アレックスの掌の周囲が、わずかに揺らぐ。


「その感じです」


「分かった」


「次に――火」


 小さく。


 ほんの少し。


 指先ほどでいい。


 アレックスが集中する。


 すると。


 ボッ――。


「!」


 小さな火が。


 ほんの一瞬。


 右手の前へ現れた。


     ◇◇◇


「出た!」


 アルスが叫ぶ。


「今、出ました!」


「本当か!?」


「はい!」


 アレックス自身は集中しすぎて、よく見えていなかったらしい。


「リーナ先生!」


「……ええ」


 リーナは驚きを隠せない。


「間違いありません」


「無詠唱です」


「やった!」


 アレックスが喜ぶ。


 しかし。


「兄様!」


「なんだ?」


「もう一回!」


「今?」


「忘れないうちに!」


「お前、こういう時だけゴルンみたいになるな」


「え?」


     ◇◇◇


 二回目。


 魔力を右手へ。


 温度を意識。


 熱。


 火。


 ボッ。


 今度は一秒。


「できた!」


 三回目。


 ボッ――。


 二秒。


 しかし。


「うっ……」


 アレックスが少しふらついた。


「兄様!」


 アルスが慌てて支える。


「大丈夫」


「今日は終わりです」


「でも――」


「終わりです!」


 珍しくアルスが強く言った。


     ◇◇◇


 父カインが近づいてくる。


「アルスの言う通りだ」


「父上……」


「新しい技術を覚えた時ほど、続けたくなる」


「だが身体が慣れていない」


「はい」


 アレックスは素直に頷いた。


 アルスもほっとする。


     ◇◇◇


「しかし」


 カインはリーナを見る。


「本当に無詠唱なのか?」


「はい」


「ただし、現段階では実戦で使えるものではありません」


 リーナは冷静だった。


「火が小さすぎます」


「発動まで時間も掛かっています」


「集中も必要」


「魔力消費も通常より多い可能性があります」


 アルスはすぐ紙へ書く。


「アルス?」


「問題点です」


 父が苦笑した。


「もう改良するつもりか」


「だって問題が分かったので」


「お前は本当に……」


     ◇◇◇


 リーナが少し笑った。


「ですがアルス様」


「はい?」


「これは農具とは違います」


「分かってます」


「安全ですね」


「それもあります」


 リーナはアレックスが使った右手を見る。


「無詠唱には、もう一つ危険があります」


「なんですか?」


「魔法の形を自分で作る必要があるということです」


     ◇◇◇


「詠唱は魔法を安定させます」


「しかし無詠唱では、その補助がありません」


「制御に失敗すれば?」


 アルスが尋ねる。


「暴発」


「魔力逆流」


「術式崩壊」


「最悪の場合、術者自身が負傷します」


 アルスの顔から笑顔が消えた。


「……危ない」


「はい」


 父カインが腕を組む。


「なら当面、この訓練はリーナの監督下で行う」


「はい、お父様」


「アレックスもいいな?」


「はい」


     ◇◇◇


 その日の夜。


 兄弟はいつもの学習室にいた。


 ただし今日は魔法を使わない。


 魔力操作だけ。


「兄様」


「なに?」


「無詠唱、どうでした?」


「難しかった」


「やっぱり?」


「ああ」


 アレックスは自分の右手を見る。


「詠唱してる時って」


「言葉を言えば自然に魔力が動いてたんだな」


「僕も今日それが分かりました」


     ◇◇◇


 アルスは紙を広げる。


 そこには新しい図。


 通常魔法


 魔力を集める。


 ↓


 詠唱。


 ↓


 魔力・属性・形を整える。


 ↓


 発動。


 そして。


 無詠唱


 魔力を集める。


 ↓


 自分で属性を決める。


 ↓


 自分で形を作る。


 ↓


 自分で威力を調整。


 ↓


 発動。


「こういうことかな」


 アレックスが紙を見る。


「無詠唱の方がやること多くない?」


「……多いですね」


「詠唱って便利だったんだな」


「はい」


     ◇◇◇


 前世の物語では。


 無詠唱魔法。


 それは強者の象徴として描かれることも多かった。


 だが。


 実際にこの世界で試してみると違う。


 詠唱には意味がある。


 魔力を導く。


 術式を安定させる。


 再現性を高める。


 誰でも一定水準の魔法を使いやすくする。


(これって……)


 アルスは何かに似ていると思った。


「規格だ」


「え?」


「兄様」


「魔法の詠唱って、規格みたいなんです」


     ◇◇◇


「規格?」


「釘を作る時」


「長さとか太さを決めましたよね」


「うん」


「誰が作っても同じような物になるように」


「詠唱も同じなのかも」


 決められた言葉。


 決められた魔力の流れ。


 決められた結果。


「なるほど」


 アレックスも少し納得した。


「無詠唱は?」


「職人が全部自分の感覚で作る感じ?」


「それなら難しいな」


「ですよね」


     ◇◇◇


 翌日。


 アルスはその考えをリーナへ話した。


「詠唱は魔法の規格……ですか」


「変ですか?」


「いえ」


 リーナは少し考え込む。


「面白い考え方です」


「本当ですか?」


「詠唱には流派や地域差がありますが」


「確かに同じ術式を再現しやすくするという意味では近いでしょう」


「じゃあ」


 アルスの目が輝く。


「もっと短い詠唱でも、同じように魔力を整えられたら?」


 リーナの表情が止まった。


     ◇◇◇


「アルス様」


「はい?」


「今、何を考えました?」


「完全な無詠唱じゃなくて」


 アルスは紙へ書く。


 長い詠唱。


 短縮詠唱。


 魔法名のみ。


 無詠唱。


「魔力操作が上手になるほど、詠唱を少しずつ短くできないかなって」


 リーナはしばらく紙を見つめた。


「……可能性はあります」


「やっぱり!」


「ですが」


「はい」


「勝手に実験しないでください」


「…………」


「アルス様?」


「はい」


「返事は?」


「勝手に実験しません」


     ◇◇◇


 午後。


 鍛冶場。


 カン!


 カン!


 カン!


「ゴルンさん」


「なんだ?」


「同じ物を作るための決まったやり方って、大事ですね」


「また急だな」


「魔法でも同じでした」


「魔法?」


 ゴルンは理解できないという顔をする。


「詠唱って、鍛冶の作業手順みたいなんです」


「……坊ちゃん」


「はい?」


「魔法まで鍛冶で考えるようになったのか」


「分かりやすいんですよ」


「まあ、分かるならいいけどな」


     ◇◇◇


 ゴルンは真っ赤な鉄を炉から取り出す。


「でも覚えとけ」


「?」


「手順ってのは大事だ」


 カン!


「でもな」


 カン!


「手順だけ覚えても、職人にはなれねぇ」


 アルスがゴルンを見る。


「どうしてですか?」


「なんでその手順なのか」


「どこを変えたらどうなるのか」


「それを理解して初めて応用できる」


「……なるほど」


     ◇◇◇


 詠唱も同じかもしれない。


 ただ覚える。


 唱える。


 魔法が出る。


 それだけではなく。


 なぜその言葉なのか。


 その時、魔力はどう動くのか。


 どこで属性へ変わるのか。


 どうやって形を維持するのか。


 それを理解できれば――。


(魔法そのものを、もっと深く理解できるかもしれない)


 アルスの中で。


 魔法はただの不思議な力ではなくなり始めていた。


     ◇◇◇


 夜。


 手帳を開く。


 今日の言葉。


 『えいしょうは まほうを たすける しくみ』


 その下へ。


 『なくせば つよくなるとは かぎらない』


 さらに。


 『なぜ そうするのかを かんがえる』


「よし」


 手帳を閉じる。


     ◇◇◇


 その隣には。


 新しく作った魔法訓練表。


 第一段階――魔力感知。


 第二段階――魔力集中。


 第三段階――魔力移動。


 第四段階――魔力維持。


 第五段階――魔法接続。


 さらにその先へ。


 小さく書き加えた。


 第六段階――詠唱短縮。


 ただし。


 その横には大きく――。


 『リーナ先生といっしょにやる!』


 と書いてある。


「これなら怒られない」


 たぶん。


     ◇◇◇


 アルス・シュゲール。


 五歳。


 彼がこの日発見したのは、強力な魔法ではない。


 新しい属性でもない。


 ただ一つ。


 『詠唱にも理由がある』


 という当たり前の事実だった。


 だが。


 前世の知識を持つアルスにとって。


 当たり前を疑い。


 仕組みを理解し。


 再現できる形へ変えることこそ――。


 もっとも得意なことだった。


 農具では規格。


 鍛冶では工程。


 そして魔法では――。


 術式と詠唱。


 少年の興味は。


 また一つ、新しい扉へ手を掛け始めていた。




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