第80話 兄弟の魔力操作
その日の夕食後。
アルスが自室へ戻ろうとしていると、廊下の向こうから兄アレックスが早足でやって来た。
「アルス」
「兄様?」
どこか決意したような顔をしている。
「昨日言ったこと、覚えてるよね?」
「昨日……?」
「魔力操作」
「ああ」
アルスはすぐに思い出した。
父カインに、自分が毎晩魔力操作を続けていることを知られた。
その場にいたアレックスは、
『僕も今日からやる』
と言っていたのだ。
「本当にやるんですか?」
「もちろん」
「でも、結構地味ですよ」
「それでもいい」
アレックスは真剣だった。
「アルスが毎日続けて強くなったなら、僕もやりたい」
アルスは少しだけ困った。
(どうしよう)
自分の場合は《魔力操作》という転生特典がある。
生まれた頃から、魔力を感じること自体が簡単だった。
しかし兄には、その補助がない。
(教え方、分からないぞ……)
◇◇◇
二人は父カインへ許可を取り、夜の学習室を借りた。
「無理はするな」
「気分が悪くなったらすぐに止めること」
父はそれだけ言って、二人を送り出した。
「分かりました、父上」
「はい、お父様」
学習室へ入る。
机と椅子を端へ寄せ、床へ座る。
「それで」
アレックスが尋ねた。
「何をすればいい?」
「えっと……」
アルスは言葉に詰まった。
◇◇◇
「まず魔力を感じます」
「どうやって?」
「…………」
早速つまずいた。
(僕はどうやって感じてるんだ?)
考えてみる。
生まれた時から魔力があることを知っていた。
意識を内側へ向ければ、そこにある。
それだけ。
「体の中に……温かい流れみたいなの、ありません?」
アレックスが目を閉じる。
「…………分からない」
「ですよね」
「ですよね、じゃない」
「ごめんなさい」
◇◇◇
アルスは頭を抱えた。
自分にとって当たり前のことを、人へ説明する。
思った以上に難しい。
(ゴルンさんが釘の作り方を教える時も、こんな感じなのかな)
熟練者が感覚でできること。
初心者には、その感覚そのものがない。
なら。
(もっと細かく分ければいい)
「兄様」
「なに?」
「まず呼吸をゆっくりしてください」
「呼吸?」
「はい」
アルスは自分が普段行っている方法を一つずつ言葉にしていく。
◇◇◇
「鼻からゆっくり吸う」
「それから吐く」
「肩に力を入れない」
「目を閉じる」
「手をお腹に置いてください」
アレックスが従う。
「次は?」
「呼吸するたびに、お腹の奥が少し温かくなる感じを探してください」
「温かい……」
しばらく沈黙。
一分。
二分。
「……何となく」
「え?」
「何かある気がする」
アルスの顔が明るくなる。
「それです!」
「まだ分からないぞ」
「でも最初の一歩です!」
◇◇◇
アレックスは集中を続ける。
アルスは隣で様子を見守った。
「それを動かしてみてください」
「どうやって?」
「……」
また止まる。
「また説明できないの?」
「すみません」
「ははは」
兄が笑った。
「アルスにも苦手なことがあるんだな」
「いっぱいありますよ」
◇◇◇
今度はアルスが実際にやってみることにした。
「兄様、僕の手を握ってください」
「こう?」
「はい」
アルスはごく少量の魔力を右手へ集める。
「今、手が少し温かくないですか?」
アレックスが驚く。
「……温かい」
「これが魔力です」
「これが?」
「はい」
アルスは魔力を弱める。
「消えた」
「また流します」
「戻った」
何度か繰り返す。
アレックスの表情が少しずつ変わっていく。
「分かったかもしれない」
◇◇◇
今度は自分の体内へ意識を向ける。
アレックスは目を閉じた。
「……胸の下あたり」
「はい」
「そこに、さっきと似た感じがある」
「そこから急に動かそうとしないでください」
「どうする?」
「まず感じるだけです」
アレックスが目を開く。
「動かさないの?」
「はい」
「今日はそこまででもいいと思います」
「まだ始めたばかりなのに?」
「だからです」
アルスは真面目に答えた。
◇◇◇
「僕も昔は……」
言いかけて止まる。
生まれた直後からやっていた、などと言えば説明が難しい。
「ずっと少しずつやってきました」
「なら僕も少しずつか」
「はい」
「分かった」
アレックスは意外なほど素直だった。
「毎晩やる」
「無理はしないでくださいね」
「それ、アルスが言う?」
「どういう意味ですか?」
「お前の方が夢中になると止まらないだろ」
「……」
否定できなかった。
◇◇◇
その夜の訓練は、三十分ほどで終えた。
結果。
アレックスは魔力の存在を何となく感じられるようになった。
それだけ。
でもアルスにとっては大きな成果だった。
(人に教えるのって、こんなに難しいんだ)
自室へ戻ってからも、そのことばかり考えていた。
◇◇◇
翌日。
アルスは家庭教師リーナへ相談した。
「先生」
「はい?」
「魔力操作って、どうやって教えるんですか?」
リーナが少し驚く。
「どうしてです?」
「兄様に教えていて」
「なるほど」
リーナは微笑む。
「難しかったでしょう?」
「すごく」
「当然です」
◇◇◇
「魔力感知には個人差があります」
「感覚で分かる人」
「詠唱を使うことで分かる人」
「魔法具を利用した方が分かりやすい人」
「いろいろです」
「じゃあ、一つの方法じゃ駄目?」
「そうですね」
アルスは納得した。
農具と同じだった。
土地が違えば、必要な刃も違う。
人が違えば、教え方も違う。
「先生ならどうします?」
「まず呼吸」
「次に身体感覚」
「それでも難しければ、魔力水晶を使います」
「魔力水晶?」
◇◇◇
リーナは小さな透明水晶を取り出した。
「魔力を流すと、淡く光ります」
「へぇ……」
「自分では感覚が分かりにくい人でも」
「光という目で見える結果があれば理解しやすくなります」
アルスの目が輝いた。
(見える形にする)
それはとても大切な考え方だった。
◇◇◇
その日の夜。
兄弟二人の二回目の訓練。
「今日はこれを使います」
「水晶?」
「リーナ先生に借りました」
アレックスが手を乗せる。
「どうする?」
「昨日感じた魔力を、手へ集めるつもりで」
「つもり?」
「まずはそれでいいです」
アレックスが目を閉じる。
沈黙。
何も起きない。
一分。
二分。
「無理だ」
「もう少しだけ」
「分かった」
◇◇◇
さらに集中する。
すると。
ぽっ。
「……!」
水晶の中心に、ごく小さな光が灯った。
「兄様!」
「光った?」
「はい!」
アレックスが目を開ける。
集中が切れ、光も消えた。
「あ……」
「大丈夫です!」
「今できました!」
アレックスは水晶を見る。
そして――。
ゆっくり笑った。
「本当に僕にもできた」
「もちろんです!」
◇◇◇
それから毎晩。
十分。
二十分。
長くても三十分。
二人は魔力操作を続けた。
三日目。
水晶を安定して光らせる。
五日目。
右手へ魔力を集める。
七日目。
右手から左手へ。
「……動いた!」
「はい!」
「これが魔力操作か」
「そうです!」
アレックスは嬉しそうだった。
◇◇◇
だが。
アルスは別のことを考えていた。
(これ、順番にした方が分かりやすい)
第一段階。
魔力を感じる。
第二段階。
一か所へ集める。
第三段階。
移動させる。
第四段階。
一定量を保つ。
第五段階。
魔法発動へつなげる。
「兄様」
「なに?」
「ちょっと待ってください」
アルスは紙を取り出した。
◇◇◇
そこへ簡単な図を書く。
人の身体。
胸の辺りに丸。
そこから腕へ矢印。
「何それ?」
「練習の順番です」
アレックスが覗き込む。
「今まで僕、感覚で説明してたから」
「すごく分かりにくかったです」
「自分で言うんだ」
「事実なので」
◇◇◇
アルスは続きを書く。
一。
呼吸を整える。
二。
魔力を感じる。
三。
手へ集める。
四。
左右へ移動。
五。
一定量を維持。
「こうすれば、どこまでできるか分かります」
「確かに」
アレックスは頷いた。
「今日は三まで」
「明日は四」
「無理なら戻る」
「はい!」
教える側。
教わる側。
どちらにとっても分かりやすくなった。
◇◇◇
数日後。
父カインも訓練の様子を見に来た。
「アレックス」
「はい、父上」
「見せてみなさい」
アレックスが水晶へ手を乗せる。
ゆっくり集中。
淡い光が灯る。
一定。
以前のようにすぐ消えない。
「ほう」
父が感心する。
「かなり安定したな」
「アルスが教えてくれました」
「僕だけじゃありません」
アルスはすぐに言う。
「リーナ先生にも教えてもらいました」
父は二人を見る。
◇◇◇
「アルス」
「はい?」
「人へ教えるのはどうだった?」
「難しかったです」
「何が?」
「僕が普通にできることでも」
「兄様には分からないことがありました」
「それで?」
「順番に分けました」
「ほう」
父はアルスが作った紙を見る。
◇◇◇
「なるほど」
「魔力操作の訓練手順か」
「まだ兄様でしか試してません」
「それでいい」
「え?」
「まず一人」
「そこで問題を見つける」
「直して」
「また試す」
アルスは思わず笑った。
「農具みたいですね」
「何事も似たところがあるものだ」
◇◇◇
父は少しだけ真剣になった。
「ただし」
「この方法をすぐ領内へ広める必要はない」
「どうしてですか?」
「魔法は農具とは違う」
「扱いを誤れば、人を傷つける」
アルスの表情が引き締まる。
「教える相手」
「教える場所」
「安全管理」
「それを整えてからだ」
「……はい」
◇◇◇
また安全。
包丁でも学んだ。
技術が便利だからといって。
すぐ広めていいわけではない。
「まず兄様と続けます」
「それでいい」
◇◇◇
その日の午後。
鍛冶場ではゴルンが釘を作っていた。
カン!
カン!
アルスが隣から眺める。
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「人に教えるのって難しいですね」
「急になんだ?」
「兄様に魔力操作を教えてるんです」
「ほう」
「僕が分かることでも、兄様には分からなくて」
ゴルンは笑った。
「だから職人の弟子入りは時間かかるんだ」
◇◇◇
「俺が『鉄の色を見ろ』って言う」
「でも初心者は」
「どの赤だよ」
「ってなる」
「あ……」
自分も昔そうだった。
「だから見本を見せる」
「失敗させる」
「理由を教える」
「またやらせる」
「それを繰り返す」
「魔力操作と同じですね」
「たぶんな」
◇◇◇
夜。
アルスは手帳を開いた。
今日の言葉。
『できることと おしえられることは ちがう』
その下に。
『むずかしいことは ちいさく わける』
さらに。
今日作った魔力操作の訓練表を眺める。
一。
感じる。
二。
集める。
三。
動かす。
四。
保つ。
五。
魔法へつなげる。
(もっと分かりやすくできるかな)
兄一人へ教えただけ。
まだ体系と呼べるようなものではない。
けれど。
アルスは初めて――。
自分の中にある感覚的な技術を、他人へ伝える形へ変えようとした。
◇◇◇
一方。
王都中央行政院。
「シュゲール領の報告、また追加です」
「今度は?」
「領主家子弟の魔力教育に関する記録……いや」
ロイドが紙を見る。
「これはまだ領内資料だな」
「中央案件ではありません」
「なら戻せ」
「はい」
何でも王都へ行くわけではない。
今はまだ。
兄弟二人の小さな訓練。
それだけでいい。
◇◇◇
しかし。
魔力を感じる。
集める。
動かす。
保つ。
そして魔法へ。
アルスが何気なく作った五段階の訓練法。
それは遠い将来。
シュゲール領で行われる魔法教育の基礎へ発展していくことになる。
だが今はまだ――。
「アルス」
「なに、兄様?」
「今日もやるぞ」
「もちろんです」
二人の少年が。
夜の学習室で一つの水晶を囲みながら。
淡い光が少しずつ強くなるのを見て。
笑っているだけだった。




