第77話 王都の『要確認』
王都中央行政院。
王国各地から送られてきた領政報告書が集められる、その一室。
机の上には今日も大量の書類が積み上がっていた。
「次は……シュゲール伯爵領か」
中央官吏ロイドは、一冊の報告書を手に取った。
昨日、一度確認したものだ。
農作物の収穫量。
税収。
治安。
街道整備。
そこまでは、特に珍しくない。
問題は、その先だった。
『農具改良による農作業効率の向上』
『交換部品方式による修繕費の削減』
『接続寸法の規格統一』
そして――。
「やっぱり五歳って書いてあるな……」
ロイドは額へ手を当てた。
開発担当者。
アルス・シュゲール。
シュゲール伯爵家次男。
五歳。
「五歳児が農具を改良した……?」
だからこそ。
昨日、彼は報告書へ一つの印を付けた。
要確認。
◇◇◇
「ロイド」
「はい?」
隣の机から同僚の官吏が顔を出す。
「昨日からその報告書ばかり見てないか?」
「ちょっと気になる記述があってな」
「どれ?」
ロイドが該当箇所を見せる。
「…………」
同僚が読む。
そして。
「五歳?」
「五歳だ」
「書き間違いだろ」
「俺もそう思った」
「なら確認して終わりじゃないか」
「ところがな」
ロイドは別の書類を取り出した。
「数字が妙に具体的なんだ」
◇◇◇
単に、
『新しい農具を作った。農民から好評である』
だけなら、領主の身内自慢を疑っただろう。
しかしシュゲール伯爵領の報告は違った。
一号試作品。
軽量化しすぎたことで硬い土地へ刃が入りにくくなり、失敗。
その結果を受けて二号鍬を開発。
刃側へ適度な重量を残しつつ、柄の長さを体格別に調整。
さらに刃と柄の接続寸法を統一。
壊れた部分だけ交換できるようにした。
「失敗まで書いてあるのか?」
「ああ」
「普通、領政報告で自分の息子を自慢したいなら隠さないか?」
「だから気になってる」
◇◇◇
さらに。
二号鍬をベルナード伯爵領へ提供。
別の土質で試験。
粘土質では土が刃へ付着する問題が発覚。
それを受け、湾曲した三号交換刃を試作。
再試験では改善を確認。
「……本当に試験してるな」
「そうなんだ」
「しかもベルナード伯爵領まで関わってる」
「だから確認する」
ロイドは席を立った。
「地方間照会記録を見てくる」
◇◇◇
一方。
そんなことなど知る由もないアルスは――。
「緩む……」
シュゲール伯爵家の鍛冶場で、二号鍬と睨めっこしていた。
「やっぱり緩みますね」
「使ってりゃ振動が来るからな」
ゴルンが答える。
北の村で見つかった新たな問題。
刃と柄を固定している留め具が、長期間使用すると少しずつ緩む。
すぐに刃が外れるほどではない。
しかし放置すれば危険だ。
「交換できるようにしたせいですね」
「まあな」
ゴルンはあっさり認める。
「便利にした部分が別の弱点になることもある」
「難しいなぁ……」
「だから面白いんだろ?」
「……はい」
アルスも笑った。
◇◇◇
現在の構造は単純だった。
柄。
金属製の接続部。
交換刃。
それらを金属の留め具で固定する。
「毎日振る」
「土へぶつかる」
「石にも当たる」
アルスは実際に鍬を動かしながら考える。
「小さい衝撃でも、何百回、何千回って続けば……」
「少しずつ動く」
ゴルンが続けた。
「そういうことだ」
アルスは紙へ現在の構造を描く。
(振動で抜けるなら……)
抜けないようにする。
しかし。
完全に固定したら交換式の意味がなくなる。
「簡単に交換できる」
「でも使ってる時には外れない」
「欲張りだな」
「必要なんです!」
◇◇◇
「じゃあ坊ちゃん」
ゴルンが腕を組む。
「どうする?」
「うーん……」
アルスは留め具を見つめる。
前世で見た様々な固定方法。
ボルト。
ナット。
割りピン。
ばね座金。
ロック機構。
しかし、現在の加工技術で大量生産できないものを採用しても意味がない。
(農民の人が自分で交換できないと駄目だ)
工具もできるだけ少なく。
構造も簡単に。
そして安く。
「……穴?」
「ん?」
「留め具を通したあと」
アルスは紙へ絵を描く。
「先端に小さな穴を開けて、そこへ別の細い金具を通すんです」
ゴルンが覗き込む。
「抜け止めか」
「はい」
◇◇◇
太い固定軸を差し込む。
その先端へ穴を開ける。
そこへ細い金具を通して曲げる。
これなら固定軸そのものが振動で抜けることを防げる。
「悪くない」
「本当ですか?」
「ただし」
ゴルンは固定軸を持つ。
「こんな細いところに毎回同じ穴を開けるのは面倒だ」
「あ……」
「本数が増えたらどうする?」
「…………」
また生産性だ。
◇◇◇
「一個だけ作れればいいわけじゃない」
ゴルンが言う。
「農具は貴族の飾り物じゃねぇ」
「何十、何百って必要になる」
「はい」
「だから職人が簡単に作れることも大事だ」
アルスは頷く。
良い物。
安全な物。
安い物。
修理しやすい物。
そして――作りやすい物。
(考えることがまた増えた)
だが嫌ではない。
◇◇◇
「だったら」
アルスは基準板を見る。
「穴を開ける位置も決めればいい」
「ほう?」
「固定軸をここに置いて」
木の板へ溝を作る。
「この位置に印が来るようにする」
「毎回測らなくて済みます」
ゴルンがニヤリと笑った。
「治具にする気か」
「じぐ?」
「同じ加工をしやすくするための道具だ」
「治具……」
アルスは新しい言葉を覚えた。
「作りましょう!」
「おう」
◇◇◇
数時間後。
簡単な穴開け用の治具が完成した。
固定軸を溝へ入れる。
決められた位置へ印を付ける。
穴を加工。
そこへ細い抜け止め金具を通す。
「できた」
二号鍬へ取り付ける。
ゴルンが何度も強く振る。
さらに用意した硬い土へ叩き込む。
ザクッ!
ザクッ!
ガンッ!
「どうです?」
「まだ緩んでねぇ」
「やった!」
「喜ぶのは早い」
アルスが止まる。
「……長期試験」
「分かってきたな」
「北の村で使ってもらいます」
◇◇◇
王都。
ロイドは資料保管室で一冊の記録を開いていた。
「ベルナード伯爵領……あった」
他領との農業技術交流について提出された簡易報告。
そこには。
『シュゲール伯爵領製二号鍬五本を試験導入』
とある。
「本当だった」
さらに。
粘土質での問題。
改良交換刃。
農民からの評価。
シュゲール側の報告と、ほぼ一致している。
「……誇張じゃない」
◇◇◇
「それだけじゃありませんよ」
資料担当官が声を掛けた。
「何が?」
「ハルバート侯爵家からも、地方農業技術について問い合わせが来ています」
「ハルバート侯爵?」
「シュゲール領の交換式農具についてです」
「…………」
ロイドは黙った。
伯爵家一つの自作自演ではない。
隣接伯爵領。
さらに侯爵家。
複数の場所で話題になっている。
「五歳……」
ますます信じられない。
◇◇◇
ロイドは過去のシュゲール伯爵領の報告書も調べた。
カイン・シュゲール伯爵。
領政は堅実。
税率も極端ではない。
大きな不正記録なし。
過去の報告にも、必要以上に成果を誇張する傾向は見られない。
「少なくとも」
ロイドは呟く。
「息子を売り込むために嘘を書くような人物ではないか」
ならば。
本当に五歳児が関わっている。
◇◇◇
ただし。
「全部この子が作ったわけじゃない」
ロイドは報告書を読み直した。
発案。
農民への聞き取り。
改良案。
試験。
それらへアルスが深く関与している。
だが製造は鍛冶職人や木工職人。
父カインも、そこを明確に書いている。
「なるほど」
ロイドは少し笑った。
「そこまで正直に書いてあるから、余計に信用できる」
◇◇◇
そして。
報告書に付けられていた、
要確認
の印。
ロイドはその横へ新たな文字を書き加えた。
『複数資料との照合済み。事実関係に大きな齟齬なし』
さらに。
少し迷ってから――。
『今後の推移を継続確認』
と記した。
まだ王へ上げるほどではない。
王族へ知らせる段階でもない。
しかし。
中央行政院が――。
アルス・シュゲールの名前を記録し続ける理由が生まれた。
◇◇◇
数日後。
北の村。
「これが新しい留め具です」
アルスは農民たちへ説明していた。
「前のものより抜けにくくしてあります」
「どうやって外すんです?」
「この細い金具を抜いてから、固定軸を外します」
農民が実際に試す。
「おお」
「俺でもできるな」
「難しくないですか?」
「これくらいなら大丈夫ですよ」
アルスはほっとする。
◇◇◇
「じゃあ」
「しばらく使ってください」
「また問題があったら教えてください」
「分かりました、アルス様」
話が終わる。
すると――。
「アルスー!」
「うわっ!?」
後ろから少女が飛びついてきた。
「終わった!?」
「終わったけど、びっくりするから!」
「えへへ!」
赤い髪飾りが揺れている。
「今日も付けてるんだ」
「うん!」
「大事だから!」
アルスは少し照れくさくなった。
◇◇◇
「今日は何する?」
「花畑!」
「また花?」
「今日は違うのもあるよ!」
少女に手を引かれる。
もちろん護衛の視界内。
花畑の近くには、小さな小川が流れていた。
「見て!」
少女が指差す。
水辺に、小さな青い花が咲いている。
「綺麗だね」
「でしょ?」
「アルスにあげる!」
「またくれるの?」
「だってアルス、お花好きでしょ?」
「……いつの間にそうなったの?」
「いっぱい持って帰るから!」
なるほど。
反論できない。
◇◇◇
二人は川辺へ座った。
「アルス」
「なに?」
「王都って大きいの?」
「たぶん」
「行ったことないの?」
「ないよ」
「じゃあ、あたしと同じ!」
「そうだね」
少女は嬉しそうに笑う。
「いつか行く?」
「たぶんね」
「じゃあ帰ってきたら教えて」
「何を?」
「王都のお話!」
アルスは笑った。
「分かった」
「約束!」
「うん」
また小指を絡める。
「約束」
◇◇◇
奇妙な話だった。
少女はまだ知らない。
アルス自身も知らない。
その日。
王都ではすでに。
アルス・シュゲールという名前が中央行政院の記録へ正式に残されていた。
王都へ行ったこともない少年。
王都を見たこともない少女。
そんな二人が、
いつか王都の話を聞かせると約束している。
未来とは不思議なものだ。
◇◇◇
夕方。
屋敷へ戻ったアルスは、ゴルンへ報告した。
「農民の人でも交換できました」
「そうか」
「しばらく試してもらいます」
「結果が出るまで次は作るなよ」
「分かってます」
「本当か?」
「本当です!」
ゴルンは疑わしそうだった。
「じゃあ明日は釘だ」
「はい!」
「百本」
「えっ?」
「規格を揃えて百本」
「多くないですか!?」
「大量生産を考えるなら必要だろ?」
「うっ……」
自分で治具なんて考えた結果だった。
◇◇◇
その夜。
アルスは手帳を開く。
今日覚えた言葉。
『じぐ――おなじものを つくりやすくする どうぐ』
その下へ。
『べんりでも つくるのが むずかしすぎたら ひろまらない』
さらに。
少し迷ってから。
『おうとの おはなしを いつか おしえる』
北の村の少女との約束だ。
「王都か……」
どんな場所なのだろう。
大きな城。
多くの商店。
職人工房。
冒険者ギルド。
見たことのない魔道具。
もしかすると、珍しい鉱石もあるかもしれない。
「行ってみたいな」
いつの日か。
そんなことを考えながら。
アルスは手帳を閉じた。
◇◇◇
王都では――。
『継続確認』
シュゲール領では――。
『長期試験』
片方は人を確認し。
片方は道具を確認する。
アルス本人が知らないところで評価は積み重なり。
アルス本人は評価など知らず、失敗と改良を積み重ねていく。
その二つの積み重ねが。
いつか大きく交わる日が来る。
だが、それはまだ先。
今はまだ――。
五歳の少年が、領民と一緒に一本の鍬を改良しているだけなのだから。




