第74話 はじめての報酬
二号鍬の販売が始まり、三号刃の試験も順調に進んでいる。
さらに厨房では、改良した二号包丁の長期使用試験が続いていた。
アルスが考えた道具は、少しずつ領内の暮らしへ根付き始めている。
そんなある日の午後。
「アルス」
父カインが執務室から声を掛けた。
「少しいいか?」
「はい、お父様」
中へ入ると、家令ライムも同席していた。
机の上には小さな革袋が置かれている。
「これは?」
アルスが首を傾げる。
父はその袋を手に取り、アルスへ差し出した。
「お前への報酬だ」
「……僕に?」
◇◇◇
アルスはしばらく革袋を見つめた。
「どうしてですか?」
「二号鍬の販売で利益が出た」
父は落ち着いて説明する。
「もちろん、その利益すべてがお前のものではない」
「材料代」
「職人たちへの給金」
「運搬費」
「工房の維持費」
「そういった費用を差し引いた上で、開発に関わった者へ報酬を分けた」
「ゴルンさんたちにも?」
「ああ」
「木工職人たちにも支払っている」
それを聞いて、アルスは少し安心した。
「なら……よかったです」
「自分だけ受け取るのは嫌か?」
「嫌というか……」
アルスは少し考える。
「みんなで作ったものだから」
父は満足そうに微笑んだ。
◇◇◇
「だからこそ、お前にも受け取る権利がある」
「でも、僕はまだ五歳です」
「年齢は関係ない」
「仕事をした」
「成果が出た」
「利益も生まれた」
「なら正当に報酬を受け取る」
父は少し真剣な表情になる。
「働いた者へ正しく対価を払うことは、とても大切だ」
「対価……」
「そうだ」
「貴族だから無料で働かせていい」
「身分が低いから安く使っていい」
「そんな考えでは領地は長く続かない」
アルスは静かに頷いた。
◇◇◇
「開けてみなさい」
「はい」
革袋を開く。
中から硬貨が出てくる。
銀貨。
一枚。
二枚。
三枚。
さらに銅板や銅貨も入っていた。
「こんなに?」
アルスは驚いた。
「全部で五百ゴルある」
「五百……」
この世界の通貨を思い返す。
銅貨一枚。
一ゴル。
銅板一枚。
十ゴル。
銀貨一枚。
百ゴル。
そして――。
銀貨二枚なら二百ゴル。
(そういえば……)
アルスは以前読んだ冒険者ギルドの資料を思い出した。
初回登録料。
銀貨二枚。
つまり二百ゴル。
(冒険者ギルドに登録できる金額だ)
まだ登録する年齢ではない。
だが。
初めて自分で稼いだお金で、その登録料を払える。
そう考えると、少し胸が高鳴った。
◇◇◇
「どうした?」
父が尋ねる。
「いえ」
アルスは笑った。
「自分で稼いだお金って、不思議ですね」
「そうだろう」
「使う時も考えるようになる」
「はい」
前世でも、お金の重みは知っていた。
だが今世で、自分の仕事から初めて得た報酬は。
どこか特別だった。
◇◇◇
「アルス様」
ライムが口を開く。
「よろしければ、簡単な帳簿もお付けしましょうか?」
「帳簿?」
「何にいくら使ったのか」
「どれだけ残っているのか」
「記録するものです」
「お願いします!」
アルスは即答した。
「お金の管理も学びたいです」
父が苦笑する。
「五歳で帳簿をつけたがる子も珍しいな」
「そうですか?」
「珍しい」
◇◇◇
その日の夕方。
アルスはゴルンのところへ報告に行った。
「報酬もらいました!」
「ほう」
ゴルンが笑う。
「坊ちゃんも職人らしくなってきたじゃねぇか」
「ゴルンさんも受け取りました?」
「ああ」
「ありがたくな」
ゴルンは槌を軽く持ち上げる。
「仕事したら金をもらう」
「金をもらったら、その分ちゃんとした仕事をする」
「簡単な話だが、大事なことだ」
「はい」
◇◇◇
「でも坊ちゃん」
「なんですか?」
「金もらったからって、何でも仕事にするなよ」
「?」
「金になる物と、作るべき物は別だ」
アルスは少し考える。
「売れるから作る、じゃない?」
「そうだ」
以前、商人マルクとの話で父から教わったことと同じだ。
まず必要な人へ届くこと。
作る側が無理をしないこと。
品質を守ること。
そして――。
金だけを理由にしないこと。
「分かりました」
◇◇◇
夜。
アルスは自室の机へ向かっていた。
革袋。
銀貨。
銅板。
銅貨。
その横には、新しく用意してもらった小さな帳簿。
アルスは一行目へ書く。
収入 二号鍬開発報酬 五百ゴル
そして下へ。
残高 五百ゴル
「……よし」
まだ何も使っていない。
それでも、少し誇らしい。
◇◇◇
アルスは銀貨二枚を手のひらへ乗せた。
二百ゴル。
冒険者ギルドの登録料と同額。
(いつか……)
まだ今は、剣術も鍛冶も魔法も修行中。
冒険者になるには早い。
だが少年期に入り、もっと成長したら。
自分の目で外の世界を見たい。
薬草採集。
魔物討伐。
護衛。
領地の外。
さまざまな人との出会い。
そして。
北の村へ、自分の足で依頼を受けて向かう日も来るかもしれない。
アルスは銀貨をそっと革袋へ戻した。
◇◇◇
「これは使わないで取っておこう」
何のためか。
まだ決めてはいない。
けれど。
初めて自分で稼いだ銀貨。
そのうち二枚だけは、何となく特別な気がした。
アルスは手帳を開く。
今日の言葉を書く。
『はたらいたひとには ただしい ほうしゅうを』
そしてもう一行。
『おかねは だれかの しごとの ねだん』
金貨そのものが価値なのではない。
そこには。
鉄を掘った人。
木を切った人。
鍬を作った人。
荷物を運んだ人。
畑で使った人。
多くの人の仕事がつながっている。
そのことを忘れないようにしよう。
◇◇◇
一方。
アルスが初めての報酬を眺めている頃。
シュゲール伯爵家の執務室では。
「旦那様」
ライムが一通の書類を差し出していた。
「領政報告の写しです」
「どこまで回った?」
「地方行政庁を通過しました」
「そうか」
「農具改善の件は、かなり評価されているようです」
カインの表情が少しだけ引き締まる。
「王都へ?」
「まだ確定ではありませんが」
ライムは静かに答える。
「中央へ送られる資料に含まれる可能性があります」
「……いよいよか」
◇◇◇
一本の釘。
一振りの鍬。
一枚の交換刃。
一本の包丁。
そして。
初めて自分で稼いだ五百ゴル。
アルス本人にとっては。
どれもただ、学びながら作った小さな成果に過ぎない。
だが。
それらは少しずつ。
領民の暮らしを変え。
職人の仕事を変え。
領地の評価を変え。
やがて――。
王都へ届く一本の道を作り始めていた。




