第70話 粘土畑のための刃
ベルナード伯爵領から詳しい土質の報告が届いたのは、それから五日後のことだった。
アルスは朝食を終えるなり、父カインの執務室へ呼ばれた。
「アルス。届いたぞ」
机の上には、数枚の報告書と小袋に分けられた土の見本が並んでいる。
「これが全部、ベルナード領の土ですか?」
「ああ。農地ごとに採取して送ってくれたらしい」
アルスは目を丸くした。
黒っぽい土。
赤みの強い土。
小石を多く含むもの。
そして、水分を含むと粘り気が増す重たい土。
「こんなに違うんだ……」
「同じ伯爵領の中でも土地は一様ではない」
カインは一枚の報告書を渡した。
「だからこそ、現地の情報は重要になる」
「はい」
アルスは紙へ目を落とす。
問題となっている粘土質の畑では、二号鍬の刃へ土がまとわりつき、数回振るごとに農民が土を落とさなければならないという。
(軽くした鍬なのに、土が付いたら重くなる)
それでは本末転倒だった。
「ゴルンさんのところへ行ってきます!」
「走るな」
「はい!」
返事だけは立派だった。
◇◇◇
「で、こいつをどうする?」
鍛冶場。
作業台の上には、二号鍬の交換刃とベルナード領から送られた粘土質の土が並べられていた。
ゴルンが腕を組んでいる。
「前に考えた穴を開ける方法は?」
「強度が落ちすぎそうです」
「分かってるじゃねぇか」
アルスは紙へ描いた案を見直す。
刃へ穴を開ける。
表面へ凹凸を付ける。
刃幅を細くする。
いくつか案は出した。
だが、どれも欠点がある。
「うーん……」
「悩め悩め」
「ゴルンさんも考えてくださいよ」
「俺はもう考えてる」
「え?」
ゴルンは一枚の薄い鉄板を手に取った。
そして、それをわずかに曲げる仕草をする。
「平らだから土がべったり張り付くなら――」
アルスの目が動いた。
「丸くする?」
「そういうことだ」
◇◇◇
ゴルンは土を掬うような形を手で示す。
「ただ丸めるだけじゃ駄目だ」
「土を抱え込んだら余計に悪くなる」
「じゃあ……横へ逃がす?」
「正解」
アルスは急いで紙へ絵を描き始める。
正面から見ると普通の鍬。
だが刃の中央から左右へ向かって、わずかに湾曲させる。
土へ食い込んだ時、土が刃の表面へ張り付く前に左右へ逃げる形だ。
(前世の鋤や農機具にも、土を反転させるような曲面があった)
その記憶をそのまま持ち込むのではなく、今の鍬に合う形へ調整する。
「これなら?」
アルスが紙を見せる。
「悪くねぇ」
ゴルンは目を細めた。
「作ってみるか」
「はい!」
◇◇◇
新しい刃――三号刃の試作が始まった。
炉へ鉄を入れる。
木炭が赤々と燃える。
ふいごから空気を送り込むたび、炎が勢いを増していく。
「色は?」
「もう少しです」
アルスは鉄をじっと見つめる。
暗赤色。
赤。
橙。
「今です!」
「よし」
ゴルンが鉄を取り出した。
カァン!
一打。
カン!
二打。
まずは二号鍬とほぼ同じ刃の形を作る。
問題はここからだった。
「曲げるぞ」
専用の型へ熱した刃を置く。
ゴルンが慎重に槌を振る。
コン!
コン!
中央を基準に、左右へ緩やかな曲面を作っていく。
「坊ちゃん、反対側を見ろ」
「はい」
「左右で曲がり方が違ったら、土が片方に寄る」
アルスは目線を低くして確認する。
「右側が少し強いです」
「よく見てる」
軽く叩き直す。
何度も確認する。
ようやく左右の曲率が揃った。
◇◇◇
「できた……?」
「形だけならな」
完成した三号刃を、二号鍬の柄へ取り付ける。
ここで交換式の構造が生きてきた。
「ぴったりです!」
「接続寸法を統一してるからな」
一号鍬。
二号鍬。
そして三号刃。
少しずつ積み重ねてきた工夫が、新しい改善へつながっている。
「じゃあ試すぞ」
◇◇◇
鍛冶場の裏に用意した木箱には、ベルナード領の粘土質の土が入っていた。
水を加え、本場に近い状態へ調整する。
まず二号刃。
ゴルンが振る。
ザクッ。
もう一度。
ザクッ。
三回目。
「もう付いてますね」
土が刃へ厚くまとわりついている。
「次、三号」
交換する。
ザクッ。
一回。
ザクッ。
二回。
ザクッ。
三回。
「……!」
アルスが身を乗り出す。
土は付いている。
だが二号刃ほどではない。
さらに振る。
ザクッ。
ザクッ。
湾曲した表面に沿って、土が横へ滑り落ちていく。
「落ちた!」
「おう」
ゴルンがニヤリとする。
「狙い通りだな」
◇◇◇
だが完全ではなかった。
十回ほど振ると、刃の中央に少量の土が残る。
「まだ付きます」
「そりゃそうだ」
「ゼロにできないんですか?」
「坊ちゃん」
ゴルンが呆れた顔をする。
「土を掘ってるんだぞ」
「少しくらい付く」
「あ……」
「大事なのは、仕事の邪魔になるほど付くかどうかだ」
アルスは三号刃を見る。
(完璧を求めすぎても駄目なのか)
必要十分。
それも道具作りには大切なのだろう。
◇◇◇
さらに強度試験をする。
粘土の中へ石をいくつか混ぜる。
ザクッ!
カンッ!
刃が石へぶつかった。
「大丈夫ですか?」
「待て」
確認する。
大きな欠けはない。
ただ、曲面を作ったことで一部へ力が集中しやすくなっていた。
「ここをもう少し厚くする」
ゴルンが刃の根元を指差す。
「じゃあ重量が増えませんか?」
「増える」
「うーん……」
「だから調整するんだ」
また課題だ。
けれどアルスは笑った。
「面白いです」
「変な五歳児だな」
「褒めてます?」
「半分な」
◇◇◇
数日かけて三号刃は調整された。
曲面をわずかに浅く。
力の掛かる中央部分だけ少し厚く。
左右の端は薄くして、全体重量の増加を抑える。
完成品を手にしたゴルンが頷く。
「こんなもんだろ」
「ベルナード領へ送れますか?」
「ああ」
「ただし――」
「現地で試してもらうまで完成じゃない」
アルスが先に答えた。
ゴルンは満足そうに笑う。
「分かってきたじゃねぇか」
◇◇◇
父カインへ報告すると、すぐに三号刃三枚をベルナード伯爵領へ送ることが決まった。
「鍬全部ではなく、刃だけでよいのだな?」
「はい」
アルスは頷く。
「向こうに渡した二号鍬の柄へ取り付けられます」
カインは感心したように接続部を見る。
「交換式にした効果が、また出たな」
「最初は修理しやすくするためだったんですけど」
「技術とはそういうものかもしれんな」
「一つの工夫が、別の可能性を生む」
◇◇◇
一週間後。
ベルナード伯爵領から返事が届いた。
アルスは父の執務室で、緊張しながら報告を聞いていた。
「結果から言うぞ」
「はい!」
「好評だ」
「……!」
「従来の二号刃より土の付着が大幅に減った」
アルスは拳を握った。
「やった……!」
「特に湿った粘土質の畑では、作業を止めて土を落とす回数が減ったそうだ」
さらに報告書には、
『農民から追加試験を希望する声あり』
と記されていた。
「ゴルンさんに知らせてきます!」
「待ちなさい」
立ち上がったアルスを父が止める。
「まだ話がある」
◇◇◇
「ベルナード殿から、別の手紙も届いている」
「別の?」
「ああ」
父の表情が少し変わった。
「先日、ベルナード伯爵家で小規模な晩餐会があったらしい」
近隣領主たちが集まり、農業や街道整備などについて情報交換する場だったという。
「そこで二号鍬と三号刃の話をしたそうだ」
「…………」
嫌な予感がする。
「誰にですか?」
「複数の貴族だ」
「えぇ……」
◇◇◇
父は一通の手紙を机へ置いた。
「その中の一人」
「南東に領地を持つハルバート侯爵が興味を示したらしい」
「侯爵……?」
伯爵より上位の爵位。
アルスにもそれくらいは分かる。
「何と?」
「『農民の意見を聞きながら農具を改良する伯爵家の少年がいるとは興味深い』と」
「少年……」
「お前だな」
「分かってます……」
アルスは机へ額をつけたくなった。
◇◇◇
「まだ会いたいという話ではない」
父は笑う。
「安心しなさい」
「よかった……」
「だが、名前は覚えられたようだ」
「それ、安心していいんですか?」
「さてな」
父の目が楽しそうだった。
「お父様……」
「冗談だ」
カインは笑ったあと、少し真面目な表情へ戻る。
「アルス」
「はい」
「お前の功績が領地の外へ知られ始めた」
「だからこそ、今まで以上に慎重になりなさい」
「……はい」
◇◇◇
「噂は、実際より大きくなって伝わることがある」
「五歳の子どもが農具を改良した」
「その部分だけが独り歩きすれば――」
「天才とか言われる?」
「そうだ」
アルスは少し嫌そうな顔をする。
「僕一人で作ったわけじゃないのに」
「だからこそ、自分の口でそれを言える人間になればいい」
父は優しく言った。
「ゴルンがいた」
「農民たちが意見をくれた」
「木工職人たちも協力した」
「その事実を忘れなければいい」
「はい!」
◇◇◇
午後。
アルスは北の村へ行く機会があり、久しぶりに栗色の髪の少女と会った。
「アルス!」
「こんにちは」
「また新しいの作ったんでしょ?」
「なんで知ってるの?」
「お父さんたちが話してた!」
噂が早い。
「土がくっつかない鍬なんだって!」
「くっつきにくい、だよ」
「同じ!」
「ちょっと違う」
少女は楽しそうに笑った。
◇◇◇
「アルスって、すごいね」
突然そんなことを言われ、アルスは困った。
「僕だけじゃないよ」
「ゴルンさんも」
「村のみんなも」
「ベルナード領の人たちも手伝ってくれたから」
「ふーん」
少女は少し考える。
そして――。
「じゃあ、みんなすごい!」
アルスは目を瞬いた。
「うん」
自然と笑顔になる。
「それが一番いいかも」
「でしょ!」
◇◇◇
少女は今日も花を一輪くれた。
「これ、三号のお祝い!」
「三号刃ね」
「三号!」
「ありがとう」
白と薄紫が混じった、小さな野花だった。
爵位。
噂。
他領の評価。
そんなものより。
アルスには、この一輪の花の方がずっと嬉しかった。
◇◇◇
夜。
机の上には三号刃の設計図。
ベルナード領から送られた土。
そして少女からもらった花。
アルスは手帳を開いた。
今日の言葉を書く。
『ちがう ばしょには ちがう こたえがある』
そして少し考えて、その下にもう一行。
『ひとりで つくったものじゃない』
アルスは満足そうに頷いた。
土地が違えば。
暮らしが違えば。
必要な道具も変わる。
そして、良い道具は一人の知識だけでは作れない。
使う人。
作る人。
考える人。
多くの人の経験が合わさって初めて、本当に役立つものが生まれる。
五歳の少年は、また一つ大切なことを学んだ。
◇◇◇
その頃。
遠く離れたハルバート侯爵領。
「アルス・シュゲール、か」
一人の男が、ベルナード伯爵から届いた手紙を読んでいた。
「農具を一度失敗し、農民から意見を聞いて作り直した」
「さらに他領の土質に合わせて交換刃を……」
男――ハルバート侯爵は、小さく笑った。
「面白い」
「天才だからではない」
「人の話を聞ける子ども、というのが面白い」
手紙を机へ置く。
「いずれ一度、会ってみたいものだ」
その言葉はまだ、ただの興味に過ぎなかった。
だが――。
北の小さな村から始まったアルスの評判は。
伯爵領を越え。
ついに――。
侯爵家の耳へ届いた。
王都までは、まだ距離がある。
けれど。
その道は確実に、一本ずつ繋がり始めていた。




