第69話 ベルナード領からの報告
二号鍬五本がベルナード伯爵領へ渡ってから、三週間ほどが経った。
その日の朝。
アルスはいつものように鍛冶場で釘作りの練習をしていた。
カン!
カン!
カン!
「……よし」
最後の一本を作業台へ並べる。
以前と比べると、かなり形が揃うようになってきた。
「坊ちゃん」
ゴルンが横から覗き込む。
「だいぶマシになったな」
「本当ですか?」
「ああ」
少し間を置いて――。
「最初が酷すぎたとも言うが」
「ゴルンさん!」
「はっはっは!」
鍛冶場に豪快な笑い声が響いた。
◇◇◇
その時だった。
「アルス様」
家令ライムが鍛冶場へ姿を見せる。
「旦那様がお呼びです」
「お父様が?」
「はい」
ライムの手には、一通の封書があった。
封蝋には見覚えのある紋章。
「もしかして……」
「ベルナード伯爵様からです」
アルスの表情が一気に明るくなる。
「報告が来たんですね!」
◇◇◇
執務室へ入ると、父カインがすでに手紙を開いていた。
「来たか、アルス」
「はい!」
「結果はどうでした?」
「まず座りなさい」
「はい……」
気が急いていたらしい。
アルスは少し恥ずかしくなりながら椅子へ座った。
ゴルンも呼ばれており、少し離れた位置で腕を組んでいる。
「では読むぞ」
父が手紙へ視線を落とした。
◇◇◇
ベルナード伯爵領では、五本の二号鍬を別々の農家へ貸し出したらしい。
使われた期間は約三週間。
柔らかな畑。
乾いた畑。
そしてベルナード領特有の粘り気が強い土。
複数の環境で試験された。
「まず評価からだ」
父が読み上げる。
「軽さは非常に好評」
「柄の長さを選べる点も良い」
「刃と柄を交換できる構造についても高評価」
アルスの顔が明るくなる。
「よかった……!」
「だが」
父の一言で、アルスの表情が引き締まった。
◇◇◇
「問題も見つかった」
「はい」
「ベルナード領の一部には、粘土質の強い畑がある」
父は手紙をアルスへ渡した。
そこにはこう記されていた。
『湿り気の多い粘土質の畑では、刃の表面へ土が付着しやすく、数回振るごとに土を落とす必要がある』
「土が……くっつく?」
アルスは目を瞬く。
ゴルンが顎髭を撫でた。
「なるほどな」
「シュゲール領じゃ出なかった問題だ」
「どうしてですか?」
「土が違うからだ」
◇◇◇
父が机の上へ二枚の小袋を置いた。
「ベルナード殿が土の見本も送ってくれた」
「土まで?」
「ああ」
一つはシュゲール領の畑から採った比較用。
もう一つがベルナード領の土だった。
アルスは両方を触ってみる。
シュゲール領の土は比較的さらさらしている。
対して――。
「こっちは、なんか重い……」
ベルナード領の土はしっとりとしていて、指で押すと形が残る。
「水分を含むと粘るらしい」
父が説明する。
アルスは二号鍬の刃を思い浮かべた。
(あの平たい刃なら……)
確かに土が張り付きやすそうだ。
◇◇◇
「失敗……ですか?」
アルスが小さく呟く。
父は首を横に振った。
「どうしてそう思う?」
「だって、ちゃんと使えなかったんですよね?」
「使えないわけではない」
「使いづらい条件が見つかっただけだ」
ゴルンも頷く。
「坊ちゃん」
「北の村で一号鍬を試した時のことを覚えてるか?」
「はい」
「軽くしすぎて硬い土に入りませんでした」
「で、どうした?」
「直しました」
「今回も同じだ」
◇◇◇
アルスはもう一度手紙を見る。
(問題が見つかった)
それなら。
(直せばいい)
そう思った瞬間、気持ちが少し軽くなった。
「ほかにもあります」
父は続ける。
「乾いた土地では非常に使いやすい」
「一方、石の多い畑では刃先が欠けることがあった」
「石……」
また新しい問題。
しかし今度は落ち込まなかった。
アルスはすぐ紙を取り出す。
◇◇◇
粘土質――土が刃へ付着。
石の多い畑――刃先が傷みやすい。
乾いた畑――問題なし。
書き込みながら、アルスは考える。
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「全部の土地で同じ鍬を使う必要ってありますか?」
ゴルンの眉が動く。
「続けろ」
「シュゲール領では今の二号鍬で大丈夫」
「でもベルナード領では土が違います」
父も黙って聞いている。
「だったら……」
アルスは紙へ三種類の刃を描いた。
「土地に合わせて、刃を変えればいいんじゃないでしょうか」
◇◇◇
「刃を?」
「はい」
「交換できるようにしたんだから」
アルスは二号鍬の構造を思い出す。
「柄はそのままで」
「土に合わせた刃だけ付け替えるんです」
一瞬。
部屋が静かになる。
そしてゴルンがニヤリとした。
「そのための交換式か」
「最初は修理のためでしたけど……」
「使い分けにも使える」
「はい!」
◇◇◇
父カインも感心したように頷く。
「一つの仕組みが、別の用途へ広がったわけだな」
「はい」
アルスの頭の中には、すでにいくつもの形が浮かんでいた。
普通の畑用。
粘土質用。
石の多い土地用。
もしかしたら――。
「畑だけじゃなくて」
「ん?」
「作物によっても違う道具が必要かもしれません」
父が少し笑った。
「また先を考え始めたな」
「あ……」
ゴルンも笑う。
「坊ちゃんは一個問題を見つけると十個先まで行くからな」
「うぅ……」
◇◇◇
その日の午後。
アルスとゴルンは実際にベルナード領の土を使って試験することにした。
大きな木箱へ土を入れる。
そこへ水を加え、よく混ぜる。
「かなり粘るな」
ゴルンが手で触る。
アルスも指で押す。
「粘土みたいです」
「そりゃ粘土質だからな」
「そうでした」
そして二号鍬を使う。
ザクッ。
一度。
二度。
三度。
「……あ」
刃へ土がまとわりついた。
「本当にくっつく」
◇◇◇
さらに数回。
どんどん土が増える。
重くなる。
「これじゃせっかく軽くした意味がありません」
「そうだな」
ゴルンは刃を見る。
「どうする?」
アルスはしゃがみ込む。
表面へ張り付いた土。
(平らな面が広すぎるのかな?)
前世で見た農具を思い出す。
土離れを良くする形。
曲面。
角度。
穴を開けた道具。
(穴……?)
◇◇◇
「ゴルンさん」
「また何か思いついた顔だな」
「刃に穴を開けたらどうでしょう?」
「穴?」
アルスは紙へ絵を描く。
刃の中央部分に、いくつか細長い隙間を作る。
「土に触れる面を減らします」
「強度は?」
「……落ちます」
「そこだ」
即答された。
「ですよね……」
アルスは頭を抱えた。
単純ではない。
土離れを良くしたい。
でも強度も必要。
◇◇◇
「だったら形を変える」
ゴルンが言った。
「形?」
「平らじゃなく、少し丸みを持たせる」
「土を切って横へ逃がすようにな」
ゴルンは木片を使って簡単な形を示した。
アルスの目が輝く。
「それなら接触する面も減る……」
「試す価値はある」
「はい!」
また一つ。
前世の知識だけではない。
この世界の職人と一緒に考えることで、新しい答えが生まれる。
◇◇◇
夕方。
試験を終えたアルスは、図書室へ向かった。
目的は土について調べるためだった。
司書オズワルドに頼み、農業関係の本を何冊か出してもらう。
砂地。
黒土。
粘土質。
石混じり。
地域によって、土は大きく違う。
「こんなに違うんだ……」
アルスはページをめくる。
シュゲール領だけを見ていては分からなかった世界。
二号鍬が領外へ出たことで、それを知ることができた。
◇◇◇
夜。
アルスは手帳を開いた。
今日の言葉を書く。
『ばしょが かわれば ひつような どうぐも かわる』
そして、その下へ小さく付け足す。
『じぶんの しっている せかいだけで きめない』
アルスはペンを置いた。
シュゲール領では問題がなかった。
だから、どこでも問題ないと思っていた。
でも違った。
土地が違う。
人が違う。
暮らしが違う。
なら、必要な道具も違う。
(世界って広いんだな)
まだ五歳。
アルスが知っているセレンは、ほんの一部に過ぎない。
だからこそ。
もっと見たい。
もっと聞きたい。
もっと学びたい。
◇◇◇
一方、その頃。
ベルナード伯爵領。
「シュゲール家から返事が来たか?」
「はい、伯爵様」
従者が一通の手紙を差し出す。
「問題点について、改良を検討するとのことです」
「もうか?」
ベルナード伯爵は驚いた。
「それと」
「何だ?」
「アルス・シュゲール様から、土質ごとに異なる刃を試したいので、もう少し詳しい農地情報をいただけないかと」
「…………」
ベルナードはしばらく黙った。
そして笑った。
「本当に五歳なのか、あの子は」
◇◇◇
ベルナード領で見つかった小さな問題。
しかし、その問題はアルスに新しい考えを与えた。
道具を土地へ合わせる。
誰にでも同じ物を押し付けるのではなく。
地域。
体格。
仕事。
使う人。
そのすべてに合わせて道具を作る。
アルスのものづくりは、この日からさらに一段深いものへ変わり始めた。
そして。
二号鍬をきっかけに交わされるようになった、二つの伯爵領の情報。
その交流そのものが――。
アルスの名前をさらに多くの人へ伝えていく、新たな道となり始めていた。
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次回 第70話「粘土畑のための刃」
ベルナード領から送られてきた詳しい土質情報をもとに、アルスとゴルンは粘土質専用の交換刃へ挑戦する。
平たい刃では土が付く。
穴を開ければ強度が落ちる。
ならば――刃そのものを湾曲させ、土を横へ逃がす。
試行錯誤の末に生まれる三号刃。
そしてその頃、ベルナード伯爵の口から「シュゲール家の次男」の話を聞いた別の貴族が、初めてアルスへ興味を持ち始める。




