第68話 領境を越えた噂
二号鍬が隣村へ広まり始めてから、さらに半月ほどが経った。
シュゲール伯爵領では少しずつ、新しい鍬を使う農民の姿が増えていた。
まだ領内すべてに行き渡ったわけではない。
それでも、北の村から始まった評判は確実に広がっている。
そして――。
その噂は、ついに領境を越えた。
◇◇◇
「旦那様」
朝の執務室。
家令ライムが一通の封書を差し出した。
「隣接するベルナード伯爵領より使者が参っております」
「ベルナード伯爵から?」
「はい」
父カインは封蝋を確認してから手紙を開いた。
アルスは少し離れた席で、家庭教師リーナから出された課題をしていた。
本来なら父の仕事を邪魔しないよう静かにしているところだ。
しかし――。
「……なるほど」
父の声に、アルスが顔を上げる。
「何かあったのですか?」
カインは手紙を机へ置いた。
「アルス」
「はい?」
「お前の二号鍬を見たいそうだ」
「……誰が?」
「ベルナード伯爵だ」
「えっ?」
アルスの手から鉛筆が転がった。
◇◇◇
ベルナード伯爵領。
シュゲール伯爵領の東側に隣接する、大きな農業地帯を持つ領地である。
麦や豆類を中心に生産し、シュゲール領とも商人の往来が多い。
その領主から直々に問い合わせが来た。
「どうして僕の鍬を?」
「先日の商人マルクだろうな」
カインは苦笑する。
「領境を越えた先で二号鍬の話をしたらしい」
「やっぱり……」
アルスは何とも言えない表情になる。
あの商人なら話しそうだとは思っていた。
「手紙には何と?」
「『農作業の負担を軽減する新型農具が存在すると聞いた。可能なら実物を拝見し、製作経緯について話を伺いたい』とな」
「話……」
そこでアルスは嫌な予感がした。
父が微笑む。
「アルス」
「はい」
「お前が説明しなさい」
「えっ!?」
◇◇◇
「僕がですか!?」
「ああ」
「でも僕、五歳ですよ!?」
「知っている」
「伯爵様に説明するんですよね!?」
「そうだ」
「お父様が説明した方が絶対にいいと思います!」
珍しくアルスが必死だった。
カインは笑いを堪えている。
「二号鍬を考えたのは誰だ?」
「僕とゴルンさんです」
「農民から意見を聞いたのは?」
「僕です」
「一号鍬の問題点をまとめたのは?」
「僕……」
「二号鍬の改善案を出したのは?」
「……僕です」
「なら、お前以上に説明できる者はいない」
「うぅ……」
逃げ道がなかった。
◇◇◇
父の表情が少し真面目になる。
「アルス」
「これは良い機会だ」
「自分が作った物には責任を持ちなさい」
「責任……」
「ああ」
「良いところだけを話してはいけない」
「失敗したこと」
「まだ改善できること」
「作れる数に限界があること」
「すべて正直に話すんだ」
アルスは静かに父を見る。
「自分の作った物を世へ出すということは、その物について説明する責任も背負うということだ」
「……分かりました」
「よろしい」
◇◇◇
その日の午後。
アルスは鍛冶場へ駆け込んだ。
「ゴルンさーん!」
「なんだ坊ちゃん、火事か?」
「もっと大変です!」
「何だよ」
「ベルナード伯爵様が二号鍬を見に来ます!」
「…………」
ゴルンの槌が止まった。
「誰が?」
「ベルナード伯爵様です」
「何しに?」
「二号鍬を見に」
「なんで?」
「噂を聞いたらしくて」
ゴルンはしばらく天井を見上げた。
「……もう隣領まで行ったのかよ」
「みたいです」
◇◇◇
「それで僕が説明することになりました」
「坊ちゃんが?」
「はい……」
一瞬の沈黙。
「はっはっはっは!」
「笑わないでください!」
「いや悪い悪い!」
ゴルンは腹を抱えている。
「五歳児が伯爵相手に農具説明か!」
「僕だって好きでやるんじゃありません!」
「でも作ったの坊ちゃんだろ?」
「ゴルンさんまで!」
◇◇◇
笑い終えたゴルンは、二号鍬を一本持ってきた。
「なら練習するぞ」
「練習?」
「説明だ」
ゴルンは腕を組む。
「俺をベルナード伯爵だと思え」
「ゴルンさんを……?」
「なんだその顔」
「いえ」
アルスは二号鍬を前に置いた。
「えっと……」
一度深呼吸する。
「こちらが二号鍬です」
「何が普通の鍬と違う?」
「従来の鍬より軽くしてあります」
「それだけか?」
「刃側に重心を寄せて、土へ入りやすくしています」
「なんでそうした?」
「一号鍬では軽くしすぎて、硬い土へ入りにくかったからです」
ゴルンがニヤリと笑う。
「ちゃんと失敗も言えたな」
◇◇◇
「他には?」
「刃と柄を交換できます」
「理由は?」
「壊れた部分だけ交換できれば、全部買い直さなくて済むからです」
「柄が合わない奴は?」
「大、中、小の三種類を用意します」
「値段は?」
「……えっと」
アルスが止まる。
「ほら」
「そこ弱いぞ」
「値段はお父様とライムさんが……」
「説明するなら最低限知っとけ」
「はい……」
また勉強することが増えた。
◇◇◇
それから数日。
アルスは父やゴルンから教わりながら、二号鍬について改めて整理した。
材料費。
製作時間。
修理費。
現在の生産数。
使っている村。
農民の評価。
そして問題点。
紙へまとめていく。
「何だか、鍛冶より難しい気がします……」
アルスが呟く。
父は笑った。
「物を作れば、それに関わる仕事も増えるものだ」
◇◇◇
そして訪問の日。
シュゲール伯爵家の正門へ、数台の馬車が到着した。
「ベルナード伯爵様がお越しになりました!」
使用人の声が響く。
アルスは父の隣に立ちながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
(緊張する……)
馬車の扉が開く。
降りてきたのは、四十代ほどの男性。
体格は大きいが、柔和な表情をしている。
ベルナード・フォン・グランツ伯爵。
「久しいな、カイン」
「ベルナード殿もお元気そうで」
二人は握手を交わす。
「そして――」
ベルナードの視線がアルスへ向いた。
「君が噂のアルス君か」
「は、初めまして!」
アルスは慌てて頭を下げる。
「アルス・シュゲールです!」
「ははは」
ベルナードは笑った。
「本当に五歳なのだな」
「……はい」
◇◇◇
一行は屋敷の裏にある畑へ移動した。
そこには従来型の鍬と二号鍬が一本ずつ用意されている。
「ではアルス」
父が静かに促す。
「説明しなさい」
「はい」
アルスは深呼吸した。
父。
ゴルン。
ライム。
みんなが少し離れた場所から見守っている。
(大丈夫)
(いつも通り話せばいい)
「こちらが、ゴルンさんたちと作った二号鍬です」
ベルナードは興味深そうに眺める。
「二号?」
「はい」
「最初に作った物は失敗しました」
「ほう?」
その一言で、ベルナードの眉が上がった。
◇◇◇
「最初は軽ければ農民の人が楽になると思ったんです」
「でも軽くしすぎて、硬い土に刃が入りませんでした」
「なるほど」
「だから二号では、全体を軽くしながら、刃の方には重さを残しました」
アルスは実際に持って見せる。
「あと、柄を少し長くしています」
「腰を曲げすぎなくていいように」
「さらに大、中、小の三種類があります」
「体格に合わせるためです」
ベルナードは黙って聞いていた。
◇◇◇
「刃は交換できます」
接続部分を見せる。
「ここを同じ大きさにしているので、刃が壊れたら刃だけ交換できます」
「柄が折れたら柄だけです」
「ほう……」
ベルナードが初めて明確に感心した声を漏らす。
「部品を交換できるのか」
「はい」
「そのため、すべて同じ寸法で作っています」
「誰が作っても?」
「基準板を使います」
ゴルンが木製の基準板を差し出す。
ベルナードはそれもじっくり確認した。
◇◇◇
「実際に使ってみても?」
「もちろんです」
ベルナードは外套を従者へ預け、二号鍬を握った。
ザクッ!
一度。
「ほう」
もう一度。
ザクッ!
「軽いな」
さらに数回使う。
「それでいて、十分土へ入る」
「はい」
「農民の評価は?」
アルスは正直に答える。
「今のところ良いです」
「今のところ?」
「まだ長い期間使ったわけではありません」
ベルナードがアルスを見る。
◇◇◇
「だから、何年も使った時にどうなるかは分かりません」
「それに、全部の土で使いやすいかもまだ分からないです」
少し離れたところで、父カインが微笑んだ。
良いところだけを言わない。
父から教わった通りだった。
「なるほど」
ベルナードも満足そうに頷く。
「正直だな」
「嘘を言って売ったら駄目だって教わりました」
「誰に?」
「お父様です」
「ははは!」
ベルナードが大笑いした。
「カインらしい」
◇◇◇
実演が終わった後。
一行は応接室へ戻った。
「率直に言おう」
ベルナードが口を開く。
「欲しい」
アルスが目を瞬く。
「私の領地でも試したい」
父カインは慎重な表情を崩さない。
「現在は、まだ領内への供給を優先しております」
「分かっている」
「すぐに百本寄越せとは言わん」
ベルナードは笑う。
「まず五本でいい」
「五本?」
「私の領地の農民にも使わせたい」
「そこで意見を集める」
アルスの目が輝いた。
「それ、いいと思います!」
思わず口を挟んでしまう。
「あっ……」
貴族同士の話し合いだった。
慌てて口を押さえる。
だがベルナードは笑った。
「構わん」
「君が作った物だ」
◇◇◇
「それに――」
ベルナードはアルスを見る。
「他領の土で使えば、君たちが知らなかった問題も見つかるかもしれんぞ」
「!」
まさにその通りだった。
シュゲール領とは土質が違う。
作物も違う。
使い方も違うかもしれない。
「お願いします!」
アルスは立ち上がり、深く頭を下げた。
「ぜひ使ってください!」
「アルス」
父が苦笑する。
「まだ私が許可していない」
「あ……」
またやってしまった。
部屋に笑いが広がった。
◇◇◇
最終的に。
二号鍬五本を試験用としてベルナード伯爵領へ提供することが決まった。
本格的な販売ではない。
あくまで試験。
そこで農民の意見を集めてもらい、シュゲール領へ報告してもらう。
「それなら職人への負担も少ない」
父も納得した。
◇◇◇
ベルナード伯爵が帰った夕方。
アルスは玄関前で馬車を見送っていた。
「疲れた……」
小さく呟く。
「よくできた」
父が頭を撫でてくれる。
「本当ですか?」
「ああ」
「少し口を挟みすぎたがな」
「うっ……」
「だが」
父は優しく笑った。
「自分の作った物を、自分の言葉で説明できた」
「それは大きな成長だ」
「ありがとうございます」
◇◇◇
「お父様」
「何だ?」
「二号鍬が他の領地へ行くんですね」
「ああ」
「不思議です」
「最初は北の村のおじさんたちが楽になればいいと思っただけなのに」
父は静かに答えた。
「良い仕事は、人から人へ伝わるものだ」
「だが」
アルスを見る。
「評判が広がるほど、責任も大きくなる」
「はい」
「そのことを忘れないようにな」
「はい、お父様」
◇◇◇
夜。
アルスは机へ座った。
今日使った説明用の紙。
二号鍬の設計図。
一本の釘。
北の村の少女から以前もらった、押し花。
すべてが机の上に並んでいる。
手帳を開く。
今日の言葉を書いた。
『つくったものには せつめいする せきにんがある』
「……難しい字が増えてきたな」
少し苦笑する。
でも。
今日ほど自分の作った物について考えた日はなかった。
なぜこの形なのか。
なぜこの重さなのか。
なぜ交換できるようにしたのか。
すべてに理由がある。
(なんとなく作るんじゃ駄目なんだ)
一つひとつ。
考えて。
試して。
説明できる物を作る。
それが職人としての責任なのかもしれない。
◇◇◇
そして数日後。
五本の二号鍬を積んだ荷馬車が、シュゲール伯爵領の東門を通過した。
初めて領境を越えていく、アルスの農具。
その姿を見届けながら、ライムは静かに呟いた。
「いよいよ領外へ出ましたね」
父カインが頷く。
「ああ」
「まだ五本だ」
「だが――」
遠ざかる荷馬車を見る。
「ここから先は、私たちだけでは噂を止められないだろうな」
二号鍬。
伯爵家の五歳の次男。
農民の声を聞いて農具を作る少年。
その噂は今。
シュゲール伯爵領から――。
隣接する貴族領へ、正式に踏み出した。
そして。
アルス本人の知らないところで。
その小さな評判はさらに遠く――。
商人が集まる都市へ。
貴族たちの社交の場へ。
やがて王都へと続く道を、少しずつ進み始めていた。




