第67話 商人が見た二号鍬
二号鍬の最初の十本が隣村へ届けられてから、数日が経った。
その日も村の畑では、新しい鍬が朝から活躍していた。
ザクッ。
ザクッ。
従来の鍬より軽く、それでいて刃先には適度な重さがある。
農民たちの評判は上々だった。
「こりゃいいな」
「腰が楽だ」
「刃だけ交換できるのも助かる」
そんな声が畑のあちこちから聞こえていた。
そして――。
「……ほう」
その光景を、街道沿いから眺める一人の男がいた。
何台もの荷馬車を連れた行商人。
名を――マルクという。
◇◇◇
「すみません」
マルクは畑へ近づき、一人の農夫へ声を掛けた。
「その鍬、少し見せてもらえませんか?」
「これか?」
「はい」
農夫は二号鍬を手渡した。
マルクは重さを確かめる。
「軽い……」
次に刃と柄の接続部分を見る。
「これは取り外せるのですか?」
「ああ」
「刃が駄目になったら、そこだけ交換できるらしい」
「へぇ……」
マルクの目が鋭くなる。
商人の目だった。
「どこで作っているんです?」
「シュゲール伯爵家の工房だ」
「伯爵家?」
「アルス様っていう、伯爵様の次男が考えたんだと」
「次男?」
「まだ五歳らしいぞ」
「……五歳?」
マルクは完全に固まった。
◇◇◇
翌日。
シュゲール伯爵家の屋敷。
「商人が?」
執務室で父カインがライムから報告を受けていた。
「はい」
「マルクという行商人です」
「二号鍬について話をしたいと」
カインは少し考える。
「通せ」
「かしこまりました」
◇◇◇
しばらくして、一人の男性が執務室へ案内された。
「お初にお目にかかります」
マルクは深々と頭を下げる。
「行商をしております、マルクと申します」
「カイン・シュゲールだ」
「今日は二号鍬の件だそうだな」
「はい」
マルクは目を輝かせる。
「あれは素晴らしい商品です」
「軽い」
「丈夫」
「修理しやすい」
「しかも農民が実際に喜んでいる」
商人として、非常に魅力的に見えたのだろう。
◇◇◇
「そこでお願いがあります」
「聞こう」
「二号鍬を――」
マルクは少し身を乗り出した。
「他の領地でも販売させていただけませんか?」
部屋が静かになった。
カインはすぐには答えない。
「領外で?」
「はい」
「農村なら、どこでも需要があると思います」
「価格さえ合えば、かなり売れるでしょう」
マルクは自信に満ちていた。
◇◇◇
その話を、少し離れた椅子でアルスも聞いていた。
父から、
「自分が関わった道具の話だから聞いておきなさい」
と言われ、同席を許されていたのだ。
(他の領地で……)
胸が高鳴る。
自分たちが作った鍬が、シュゲール領の外でも使われる。
それは素直に嬉しい。
だが――。
父カインはすぐに許可しなかった。
「断る」
「……え?」
マルクが驚く。
アルスも思わず父を見る。
◇◇◇
「なぜでしょう?」
マルクが慎重に尋ねる。
「品質が足りませんか?」
「いや」
「価格でしょうか?」
「それも違う」
「では――」
父は静かに答えた。
「まだ領内へ十分に行き渡っていない」
マルクが黙る。
「北の村」
「隣村」
「ようやく二か所で使われ始めたばかりだ」
「他の村からも問い合わせが来ている」
「それなのに領外へ売れば、まず領民が買えなくなる」
アルスはハッとした。
◇◇◇
(そうか……)
売れる。
だからたくさん売る。
単純に考えれば、それでいい。
しかし。
シュゲール伯爵領の農民のために作った道具なのだ。
領外で高く売れるからと、そちらを優先してしまえば――。
肝心の領民に行き渡らなくなる。
「なるほど……」
マルクも納得したように頷く。
「領民優先、ということですね」
「そうだ」
◇◇◇
「もう一つある」
父は続ける。
「生産能力だ」
アルスも頷く。
三十本の注文だけでも、職人たちは工程を分け、十本ずつ作っている。
ここで領外から百本、二百本と注文が入れば――。
すぐに限界が来る。
「職人に無理をさせれば品質が落ちる」
「納期も守れなくなる」
「結果として信用を失う」
カインは冷静だった。
「売れるから売る」
「それだけでは長続きしない」
◇◇◇
「それでも」
マルクは引き下がらなかった。
「将来的には、領外販売をお考えいただけますか?」
カインは少しだけ笑う。
「条件が整えばな」
「ありがとうございます!」
マルクの顔が明るくなる。
「その時は、ぜひ私に!」
「気が早い」
「商人ですので」
父と商人が小さく笑った。
◇◇◇
話が終わり、マルクが退出した後。
アルスは父へ尋ねた。
「お父様」
「なんだ?」
「売れるなら、売った方がいいと思ってました」
「そう思うのは悪くない」
父は優しく答える。
「売れば利益が出る」
「利益が出れば、職人の給金も上げられる」
「新しい設備も作れる」
「領地も豊かになる」
「なら……」
「だが」
父はアルスを見る。
「順番が大切だ」
◇◇◇
「まず領民が使えること」
「次に安定して作れること」
「品質が揃うこと」
「修理できること」
「それができて、初めて外へ売る」
アルスは真剣に頷いた。
「はい」
「良い物を作るだけでは、領地は豊かにならない」
「それをどう広めるかも大切なんだ」
また一つ。
アルスは新しいことを学んだ。
◇◇◇
その日の午後。
鍛冶場へ向かうと、ゴルンたちは二号鍬の第二便を作っていた。
カン!
カン!
カン!
「坊ちゃん」
「商人が来たって?」
「はい」
「領外でも売りたいそうです」
「ほう」
ゴルンは一瞬嬉しそうに笑ったが――。
「でも、お父様がまだ駄目だって」
「そりゃそうだ」
「分かるんですか?」
「当たり前だ」
ゴルンは鉄を炉へ戻す。
「俺たちは今ですら忙しい」
「これ以上注文が来たら寝る暇がなくなる」
「……ですよね」
◇◇◇
アルスは工房を見渡す。
ゴルン。
若い鍛冶師。
木工職人。
みんな、それぞれの仕事をしている。
(もっと作れるようにするには……)
人を増やす?
設備を増やす?
道具を改良する?
工程そのものを見直す?
方法はいくつもありそうだ。
しかし――。
(急がない)
また同じ失敗をしてはいけない。
まず現状を知る。
その上で必要な改善を考える。
◇◇◇
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「今の工房で、一日に何本くらい鍬を作れますか?」
「ん?」
ゴルンは少し考える。
「通常仕事をしながらなら、一日二本から三本が限界だな」
「三本……」
「刃だけならもう少しいける」
「でも他の仕事もあるからな」
アルスは紙へ書き留める。
「じゃあ、時間が掛かる工程は?」
ゴルンがニヤリとする。
「坊ちゃん」
「はい?」
「今度は工房を改造するつもりか?」
「まだ分かりません」
「はっはっは!」
◇◇◇
夕方。
父と庭を歩きながら、アルスは商人との話を思い返していた。
「お父様」
「どうした?」
「他の領地でも使ってもらえるようになりますか?」
「いずれはな」
「本当ですか?」
「ああ」
父は遠くの畑を見る。
「良い技術は、人を豊かにする」
「閉じ込めておくだけでもいけない」
「ただし、広めるなら責任がある」
「責任?」
「粗悪品を出さない」
「約束した数を届ける」
「修理できる体制を作る」
「そして」
父はアルスの頭へ手を置いた。
「その技術を生み出した領地が疲弊しないこと」
「……はい」
◇◇◇
夜。
アルスは机の前へ座る。
一本の釘。
二号鍬の設計図。
北の村でもらった花。
そして今日、新しく書いた紙。
そこには――。
領内優先。
生産できる数。
品質。
修理。
職人の休み。
領外販売。
と記されていた。
「考えること、増えたなぁ……」
アルスは苦笑する。
でも、嫌ではなかった。
むしろ。
もっと知りたい。
もっと良くしたい。
その気持ちがどんどん強くなっている。
手帳を開く。
今日の言葉を書く。
『うれるから うるのではなく ひつようなひとへ とどける』
少し長くなった。
「まだ字、綺麗じゃないな」
それでも満足して手帳を閉じる。
◇◇◇
アルスはまだ知らない。
マルクが領都を離れた後。
旅先の商人仲間へ、
「シュゲール領に面白い農具がある」
と話し始めていることを。
そしてその話が。
別の商人へ。
別の村へ。
やがて――。
隣接する貴族領へと伝わり始めることを。
「シュゲール伯爵領では、農作業が楽になる新しい鍬を作っているらしい」
小さな噂は、ついに領境を越えようとしていた。
アルスが王都へ知られる日は、まだ遠い。
だが――。
その道は。
一本の釘と、一振りの鍬から。
確実に繋がり始めていた。
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次回 第68話「領境を越えた噂」
二号鍬の話を聞きつけた隣接領の商人と農民たち。
そしてついに、隣領を治める貴族からシュゲール伯爵家へ正式な問い合わせが届く。
「例の農具を見せていただきたい」
初めて他領の貴族から注目されたアルス。
しかし本人は――。
「え? 僕が説明するんですか?」
まだ五歳。
父カインはここで、アルスに初めて自分が作った物を他人へ説明する責任を教えることになる。




