第66話 三十本の注文
北の村から帰った翌朝。
朝食を終えたアルスがいつものように鍛冶場へ向かおうとすると――。
「アルス、少しいいか?」
父カインに呼び止められた。
「はい、お父様」
「執務室へ来なさい」
いつもより少し真面目な声だった。
(何だろう?)
何か失敗しただろうか。
そんなことを考えながら、アルスは父の後を追った。
◇◇◇
執務室には、すでに家令ライムが待っていた。
机の上には一枚の書類。
「座りなさい」
「はい」
アルスが椅子へ座ると、父は書類をこちらへ向けた。
「昨日、ライムから少し話を聞いたと思うが」
「二号鍬について、隣村から正式な注文が入った」
「注文……」
「三十本だ」
「…………」
アルスは瞬きをした。
「三十本!?」
思わず大きな声が出た。
「そうだ」
「さ、三十……」
北の村へ最初に作ったのは十本。
それでもゴルンや木工職人たちはかなり忙しそうだった。
その三倍。
「ゴルンさん、大丈夫なんですか?」
アルスが最初に心配したのは、鍛冶師のことだった。
父は少しだけ笑った。
「だから、お前を呼んだ」
◇◇◇
「断るんですか?」
「それも選択肢の一つだ」
父は答える。
「作れない数の注文を無理に受ければ、約束を守れなくなる」
「……はい」
「だが、需要があるのも事実だ」
父は書類を指で軽く叩いた。
「そこでアルス」
「お前ならどうする?」
「僕が?」
「ああ」
アルスは考え込んだ。
三十本。
ゴルン一人では大変。
なら――。
(人を増やす?)
しかし誰でも鍬を作れるわけではない。
鍛冶の技術を覚えるには時間が掛かる。
(もっと簡単に作れるようにする?)
二号鍬の設計を思い浮かべる。
鉄製の刃。
木製の柄。
接続部分。
すべてをゴルン一人が作っているわけではない。
「……分ける?」
アルスが呟いた。
「何をだ?」
「作る仕事です」
◇◇◇
父とライムがアルスを見る。
「刃を作る人」
「柄を作る人」
「取り付ける人」
「それぞれ別にしたら……」
アルスは言葉を続けながら、自分でも考えを整理していく。
「ゴルンさんが全部やらなくてもいいんじゃないでしょうか?」
父はすぐには答えなかった。
「なるほど」
代わりにライムが静かに頷く。
「工程を分けるということですか」
「こうてい?」
「一つの品物が完成するまでの作業を、それぞれ分けるという意味です」
「はい!」
アルスは大きく頷いた。
「それです!」
◇◇◇
「では、ゴルンにも聞いてみよう」
父の言葉で、一行は鍛冶場へ向かった。
「三十本!?」
話を聞いたゴルンは、アルスとまったく同じ反応をした。
「旦那様、そいつはさすがに……」
「分かっている」
カインは苦笑する。
「無理に作れとは言わん」
「坊ちゃんの鍬が評判なのは嬉しいですがね」
ゴルンは頭を掻く。
「剣や包丁の修理もありますし、馬具の仕事もあります」
「鍬だけ作ってるわけにはいきません」
「そこで」
アルスが一歩前へ出た。
「仕事を分けたらどうかなって」
「仕事を?」
◇◇◇
アルスは作業台へ二号鍬を置いた。
「刃はゴルンさん」
「まあ、そうなるな」
「柄は木工職人さん」
「ああ」
「接続用の部品は……」
そこで止まる。
「誰が作る?」
「……ゴルンさん?」
「結局俺じゃねぇか」
「あ……」
ライムが口元を押さえる。
父も笑いを堪えていた。
「うぅ……」
アルスは少し頬を膨らませる。
するとゴルンが豪快に笑った。
「はっはっは! まあ考え方は悪くねぇ!」
◇◇◇
「接続金具くらいなら、若い鍛冶職人でも作れる」
「本当ですか?」
「ああ」
ゴルンは壁際に並ぶ道具を見る。
「刃の鍛造には経験がいる」
「だが単純な金具なら、見習いでも基準板を使えば作れる」
「基準板!」
アルスの顔が明るくなる。
釘作りから始まった、同じ寸法で作るための道具。
それがここでも役に立つ。
◇◇◇
その日の午後。
領内で働く職人が数人、伯爵家の鍛冶場へ呼ばれた。
若い鍛冶師が二人。
木工職人が二人。
そしてゴルン。
アルスも父の許可を得て、その話し合いへ参加した。
「まず刃だ」
ゴルンが二号鍬を指差す。
「こいつは俺と鍛冶師二人で作る」
「はい」
「柄は?」
「こちらで作りましょう」
木工職人が答える。
「寸法は三種類でよろしいですか?」
大。
中。
小。
使う人の体格に合わせるための三種類だ。
「お願いします」
アルスが答える。
◇◇◇
次に基準板を用意する。
刃の形。
柄の長さ。
接続部分。
誰が作っても大きく寸法が変わらないようにする。
「これなら分かりやすいな」
若い鍛冶師が刃用の基準板を手に取った。
「ここから出たら削る」
「足りなければ打ち直す」
ゴルンが説明する。
「なるほど」
アルスはその様子を見ながら、胸が高鳴るのを感じていた。
(僕とゴルンさんだけじゃない)
いろいろな職人が一緒に作る。
それでも、同じ二号鍬が完成する。
◇◇◇
しかし。
「旦那様」
一人の木工職人が手を挙げた。
「一つよろしいでしょうか」
「何だ?」
「三十本となれば、通常の仕事を減らさなければなりません」
アルスの表情が止まる。
「他のお客さんから頼まれている家具の修理もあります」
「それに材料となる木材も必要です」
「……あ」
まただ。
作れる方法を考えただけでは駄目だった。
◇◇◇
父カインがアルスを見る。
「分かったか?」
「はい……」
「良い物を広めたいという気持ちは大切だ」
父は静かに話す。
「だが、そのために職人たちへ無理をさせてはいけない」
「……はい」
「彼らにも家族がいる」
「生活がある」
「休む時間も必要だ」
その言葉に、アルスは北の村の少女を思い出した。
『お父さんね、前より早くお仕事が終わるの!』
農民の仕事を楽にするための鍬。
それを作るために、職人が夜遅くまで働く。
それでは意味がない。
◇◇◇
「お父様」
「何だ?」
「急いで三十本作らなくてもいいんじゃないでしょうか」
カインが息子を見る。
「続けなさい」
「隣村の人たちに、少し待ってもらいます」
「例えば十本ずつとか」
「十本作ったら届ける」
「それから次の十本を作る」
ゴルンが頷いた。
「それなら通常の仕事と並行できそうだな」
木工職人も同意する。
「私たちも問題ありません」
◇◇◇
「では、十本ずつ三回に分けて納品しよう」
父が決定する。
「隣村にはこちらから説明する」
「ありがとうございます、お父様」
「礼を言うのはこちらだ」
「え?」
「アルス」
父は微笑む。
「お前はまた一つ、大切なことを学んだ」
「大切なこと?」
「物を作るのは道具ではない」
「人だ」
アルスは静かにその言葉を聞いた。
「だから、作る人を大切にできない者に、良い物作りはできない」
「……はい!」
◇◇◇
翌日から、三十本の二号鍬作りが始まった。
ゴルンたちは刃を鍛える。
カン!
カン!
カン!
別の場所では木工職人が柄を削る。
シャッ。
シャッ。
シャッ。
見習い鍛冶師は接続用の金具を作る。
アルスは基準板を使い、完成した部品を確認する。
「これは?」
「少し大きいです」
「こっちは?」
「合っています!」
「よし」
◇◇◇
作業を分けたことで、驚くほど順調に進んだ。
以前ならゴルンが一つずつ確認していた仕事を、それぞれの職人が担当している。
しかも基準があるため、最後に組み合わせても――。
「入った!」
柄と刃が問題なく接続できる。
「すげぇな」
若い鍛冶師が驚いた。
「別々に作ったのにぴったりだ」
アルスも嬉しくなる。
「同じ基準で作りましたから」
「こりゃ修理も楽になるぞ」
「はい!」
◇◇◇
七日後。
最初の十本が完成した。
鍛冶場の前へ並べられた二号鍬。
一。
二。
三。
十本。
「できた……」
アルスは感動していた。
以前の十本とは違う。
今回は複数の職人が協力して作った。
「どうだ?」
ゴルンが尋ねる。
「すごいです」
「何が?」
「みんなで作ると、こんなにたくさん作れるんですね」
「そうだな」
ゴルンは笑う。
「一人でできる仕事には限界がある」
「だから職人同士で助け合うんだ」
◇◇◇
完成した十本は、その日のうちに隣村へ届けられた。
アルスも父とともに同行する。
「お待ちしておりました、伯爵様!」
村長と農民たちが迎えてくれた。
二号鍬が荷車から降ろされる。
「これが噂の鍬か」
「北の村で使われてるやつだ!」
「軽いぞ!」
「刃だけ交換できるらしい!」
農民たちが興味津々で集まってくる。
◇◇◇
一人の農民が早速持ってみる。
「おお」
軽く振る。
「こりゃ扱いやすそうだ」
別の農夫が尋ねた。
「残りの二十本は?」
アルスは少し緊張した。
父を見る。
カインは何も言わず、優しく頷いた。
自分で説明しなさい。
そういう意味だ。
「あと二回に分けて持ってきます」
「二回?」
「はい」
「急いで作ると、職人さんたちが大変だからです」
農民たちは少し驚いた。
◇◇◇
「少し待ってもらうことになります」
「でも、ちゃんと三十本作ります」
アルスは頭を下げた。
「お願いします」
しばらく沈黙が流れ――。
「構いませんよ、アルス様」
村長が笑った。
「良い物を作ってもらえるなら待ちます」
「ありがとうございます!」
◇◇◇
帰りの馬車。
アルスは窓の外を眺めていた。
北の村から始まった二号鍬。
それが隣村へ届いた。
ほんの少しだけ。
自分の作った物が広がった。
「アルス」
父が声を掛ける。
「今日、何を学んだ?」
アルスは考える。
「一人で全部やらなくてもいいこと」
「それから?」
「同じ基準があれば、別々の人が作っても一つの物にできること」
「それから?」
アルスは少し考え――。
「作る人も大切にすること」
父は満足そうに頷いた。
◇◇◇
夜。
アルスは手帳を開いた。
今日の言葉を書く。
『ものを つくるのは ひと』
その下に、もう一つ。
『ひとりで できないなら みんなで つくる』
アルスは二つの言葉を見つめる。
前世では工場で大量の商品が作られるのが当たり前だった。
だが、その仕組みを一から作ることが、これほど多くのことを考える必要があるとは思わなかった。
職人。
材料。
時間。
品質。
価格。
そして休息。
どれか一つだけでは駄目なのだ。
(まだまだ勉強することがいっぱいだ)
でも。
それが楽しい。
アルスは小さく笑った。
北の村から隣村へ。
二号鍬は少しずつ広がっていく。
そして同時に――。
「シュゲール伯爵家の次男が考えた農具は使いやすい」
という噂もまた、商人や旅人の口を通じて領内を巡り始めていた。
まだ五歳。
まだ一人前の鍛冶師ですらない。
それでもアルスが起こした小さな変化は、確実にシュゲール伯爵領を動かし始めていた。
そしてその噂は――。
やがて領境を越えることになる。




