第65話 畑に広がる新しい鍬
二号鍬が完成してから、数週間が過ぎた。
北の村の畑では、これまでとは少し違う光景が見られるようになっていた。
ザクッ。
ザクッ。
ザクッ。
「おお、やっぱりこいつは使いやすいな」
一人の農夫が、新しい鍬を振り下ろす。
見た目は従来の鍬と大きく変わらない。
しかし、その中身にはいくつもの工夫があった。
必要以上に鉄を使わず全体を軽量化。
その一方で、刃先側には必要な重量を残している。
柄の角度も調整され、以前より腰を深く曲げなくても土を耕せる。
そして、壊れやすい部分だけを交換できる構造。
アルスとゴルンが何度も試行錯誤して完成させた――二号鍬だった。
◇◇◇
「父ちゃん、どう?」
畑の端から、栗色の髪の少女が声を掛けた。
「前の鍬より楽だぞ」
「ほんと!?」
「ああ」
農夫は笑う。
「アルス様に礼を言わないとな」
少女は嬉しそうに胸を張った。
「アルスはすごいんだから!」
「お前が威張ってどうする」
「いいの!」
周囲の農民たちから笑い声が上がった。
◇◇◇
その頃。
シュゲール伯爵家の鍛冶場では――。
カン!
カン!
カン!
アルスが小さな槌を振っていた。
「十九……」
カン!
「二十!」
最後の一打を終え、アルスは大きく息を吐く。
「ふぅ……」
「よし、今日はそこまでだ」
ゴルンが声を掛ける。
「まだできます」
「駄目だ」
「でも――」
「五歳児が鍛冶場で倒れたら、俺が旦那様と奥様に殺される」
「お父様はそんなことしませんよ」
「奥様は?」
「…………」
アルスは黙った。
ゴルンも黙った。
「……今日は終わりにします」
「賢明だ」
◇◇◇
最近、アルスは鍛冶場で基礎練習を続けていた。
釘。
小さな金具。
薄い鉄板。
そして農具の補修部品。
まだ重要な工程はゴルンが担当している。
だが以前に比べれば、アルスが任される作業は確実に増えていた。
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「二号鍬、どうなりました?」
「ああ」
ゴルンは作業台の上から一枚の紙を取る。
「北の村から報告が来てるぞ」
「本当ですか!?」
アルスは目を輝かせた。
◇◇◇
紙には、北の村の農業長トーマスからの報告が記されていた。
――長時間使っても疲れにくい。
――以前より腰への負担が少ない。
――硬い土にも十分刃が入る。
――刃先だけ交換できるため修理しやすい。
そして最後に。
『可能であれば、追加で十本お願いしたい』
「十本!?」
アルスが驚く。
「人気みたいだな」
ゴルンは笑った。
「でも……」
アルスは考える。
「十本作るの、大変ですよね?」
「まあな」
一つひとつ手作業。
鍛冶場には他の仕事もある。
剣。
包丁。
斧。
馬具。
修理。
農具だけ作っているわけにはいかない。
(ここでも同じ問題が出るんだ)
必要としている人が増えれば、生産量も増やさなければならない。
◇◇◇
「坊ちゃん」
ゴルンが尋ねる。
「どうする?」
「え?」
「注文が来た」
「作れる数には限界がある」
「お前ならどうする?」
アルスは腕を組む。
(人を増やす?)
それも方法の一つ。
しかし職人を育てるには時間が掛かる。
(作り方を簡単にする?)
アルスの視線が、壁に掛けられている木板へ向かった。
以前作った――釘の基準板。
「あ……」
◇◇◇
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「鍬にも基準を作りませんか?」
「基準?」
「はい」
アルスは紙を一枚広げる。
「刃の長さ」
「幅」
「厚さ」
「柄の長さ」
「取り付ける角度」
「全部決めておくんです」
ゴルンは黙って聞いている。
「そうすれば、毎回最初から考えなくても同じ物を作れます」
「釘と同じか」
「はい!」
◇◇◇
ゴルンは二号鍬を一本持ってくる。
「なら測ってみるか」
「はい!」
二人は各部分を確認していく。
刃の長さ。
刃の幅。
中央部分の厚み。
柄の長さ。
刃と柄の角度。
アルスが紙へ記録する。
「ここは……」
「坊ちゃん」
「はい?」
「数字だけじゃ分かりにくいぞ」
「あ……」
この世界の職人すべてが文字や数字に強いわけではない。
そこでゴルンは木材を取り出した。
「こうする」
二号鍬の刃を木板へ重ねる。
その輪郭を刻む。
「これなら?」
「重ねれば分かる!」
「そういうことだ」
アルスは笑顔になる。
前世の知識だけではない。
この世界の職人の知恵と組み合わせる。
それによって、より使いやすい方法が生まれる。
◇◇◇
数日後。
北の村へ二号鍬の追加分が届けられた。
アルスも父カインの視察に同行する。
「アルス様!」
村人たちが笑顔で迎えてくれた。
「新しい鍬、ありがとうございます!」
「すごく使いやすいです!」
「腰が前より楽になりました!」
次々と声を掛けられ、アルスは少し戸惑う。
「ぼ、僕だけじゃありません」
「ゴルンさんが作ってくれました」
すると後ろにいたゴルンが鼻を鳴らした。
「考えたのは坊ちゃんだ」
「でも作ったのはゴルンさんです」
「二人で作ったってことでいいだろ」
トーマスが笑った。
「それが一番ですね」
◇◇◇
畑へ向かう。
何人もの農民が二号鍬を使っていた。
ザクッ。
ザクッ。
一定のリズムで土が耕されていく。
アルスは黙ってその光景を見つめた。
自分が考えた道具。
それが本当に誰かの役に立っている。
前世でも、こんな経験はほとんどなかった。
(嬉しい……)
胸の奥が温かくなる。
◇◇◇
「アルス!」
少女が駆け寄ってきた。
「こんにちは」
「見て!」
少女は父親が使っている二号鍬を指差した。
「お父さんね、前より早く帰ってくるようになったの!」
「え?」
「畑のお仕事が早く終わるんだって!」
アルスは思わずトーマスを見る。
トーマスは笑いながら頷いた。
「確かに作業は少し早くなりました」
「疲れも以前より少ないです」
少女は満面の笑みを浮かべる。
「だから一緒にご飯食べる時間が増えたの!」
その言葉に――。
アルスは何も言えなくなった。
◇◇◇
農具を改良した。
ただ、それだけだった。
ほんの少し軽くした。
角度を変えた。
修理しやすくした。
しかし。
その小さな工夫が、一つの家族の時間を増やした。
(そうか……)
便利な道具とは。
ただ仕事を早くするための物ではない。
人の時間を作る物でもある。
「アルス?」
少女が不思議そうに顔を覗き込む。
「ううん」
アルスは笑った。
「よかった」
「うん!」
少女はいつものように小さな花を差し出した。
「今日のお礼!」
「ありがとう」
◇◇◇
少し離れた場所では、父カインがその様子を見ていた。
「旦那様」
家令ライムが静かに声を掛ける。
「アルス様の農具ですが……」
「ああ」
「他の村からも問い合わせが来ています」
カインの表情が変わる。
「もうか?」
「はい」
「北の村で使われている新しい鍬が評判になっているようです」
周辺の村。
行商人。
農民同士の交流。
噂は少しずつ広がり始めていた。
「そうか……」
カインは畑で少女と話している息子を見る。
「本人はまだ気付いていないだろうな」
「おそらく」
二人は小さく笑った。
◇◇◇
夜。
屋敷へ戻ったアルスは、今日も手帳を開いた。
机の上には少女からもらった花。
その横には一本の釘。
そして二号鍬の小さな設計図。
今日の言葉を書く。
『べんりな どうぐは ひとの じかんを つくる』
アルスはその一文をしばらく眺めた。
(もっと作りたい)
農具だけではない。
料理。
洗濯。
運搬。
生活の中には、大変な仕事がたくさんある。
それを少しずつ楽にできたなら。
人々は家族と過ごしたり、休んだり、好きなことをしたりする時間を持てる。
(前世の知識を、そういうことに使いたい)
力を見せつけるためではない。
金を稼ぐためだけでもない。
誰かの暮らしを少し豊かにするために。
それが――。
アルス・シュゲールという少年が、初めて見つけた「前世の知識を使う理由」だった。
そしてこの頃から。
シュゲール伯爵領では、こんな噂が少しずつ広まり始める。
――伯爵家の次男坊が、変わった農具を作ったらしい。
――その鍬を使うと、仕事が楽になるらしい。
――まだ五歳なのに、鍛冶場へ毎日のように通っているらしい。
小さな噂。
まだ領地の外へ届くほどではない。
しかし。
アルスが世界へ与える最初の波紋は――。
確かに、ここから広がり始めていた。




