第64話 二号鍬
北の村で試作品第一号を試してもらった翌日。
アルスは朝から鍛冶場の作業台へ向かっていた。
目の前には、一枚の紙。
そこには昨日、農民たちから聞いた意見がびっしりと書き込まれている。
軽くて疲れにくい。
柄が長く、腰への負担が少ない。
柔らかい土なら使いやすい。
しかし――。
硬い土には刃が入りにくい。
開墾には軽すぎる。
そして、もう一つ。
何種類も買うのは負担になる。
「うーん……」
アルスは腕を組んだ。
性能だけなら、用途別に三種類ほど作れば解決できる。
だが農民に三本買ってもらうとなれば、それだけ費用が掛かる。
(便利でも、買えなかったら意味がない)
アルスは昨日の少女の言葉を思い出す。
『お父さん、楽になる?』
「……よし」
紙を持って立ち上がった。
「二号を作ろう」
◇◇◇
「おはようございます、ゴルンさん!」
「おう」
ゴルンは炉へ木炭を入れながら振り返った。
「朝から随分やる気だな」
「二号鍬を考えてきました!」
「ほう?」
作業台へ紙を広げる。
ゴルンも手を止めて覗き込んだ。
「昨日の問題は分かってるな?」
「はい」
アルスは一号鍬を指差す。
「軽くしすぎました」
「正確には?」
アルスは少し考える。
「……必要なところまで軽くしてしまいました」
ゴルンがニヤリと笑った。
「そういうことだ」
◇◇◇
ゴルンは従来型の鍬と一号鍬を並べた。
「坊ちゃん」
「こいつを持ってみろ」
「はい」
まず従来型。
「重いです」
「次」
一号鍬。
「こっちは軽いです」
「じゃあ、どこが重い?」
「え?」
「道具の重さってのは、全部同じ場所に掛かってるわけじゃねぇ」
ゴルンは鍬の柄を指一本で支えながら、ゆっくり位置を変えていく。
ある一点で鍬が水平になった。
「ここが釣り合う場所だ」
アルスの目が大きくなる。
(重心!)
前世では当たり前に知っていた言葉。
だが、実物を使って説明されるとよく分かる。
「一号鍬は……」
アルスも同じことを試す。
「こっちですね」
「ああ」
従来型と比べると、重心が手元側へ寄っている。
刃そのものを軽くしたためだ。
「だから振りやすい代わりに、土へ食い込ませる力が弱くなった」
「だったら――」
アルスは顔を上げた。
「刃の近くを少し重くすればいい?」
「試してみる価値はある」
◇◇◇
二号鍬の設計が始まった。
一号鍬の良いところは残す。
全体重量は従来型より軽くする。
柄も長め。
腰を必要以上に曲げなくていい角度も維持する。
その代わり――。
「刃の中央を少し厚くする」
アルスが紙へ線を引く。
「先端側に重さを残すんだな」
「はい」
「でも重くしすぎたら、一号を作った意味がありません」
「そうだな」
二人は何度も一号鍬と従来型を見比べた。
◇◇◇
「あと、これなんですけど」
アルスは柄と刃の接続部分を指差した。
「ここ、壊れたらどうするんですか?」
「普通は工房へ持ってきて直す」
「刃が駄目になったら?」
「状態によるな。打ち直すか、交換する」
アルスは考える。
(だったら……)
「最初から交換しやすくできませんか?」
「交換?」
「刃だけ駄目になった時に、柄まで捨てるのはもったいないです」
ゴルンの表情が変わる。
「続けろ」
「同じ取り付け部分にしておけば、新しい刃だけ付けられます」
アルスは以前作った釘の基準板を思い出していた。
同じ寸法。
同じ形。
交換可能な部品。
「……なるほどな」
ゴルンは顎髭を撫でる。
「柄が折れたら柄だけ」
「刃が駄目なら刃だけ」
「はい」
「全部買い直さなくて済みます」
◇◇◇
ゴルンはしばらく黙っていた。
「坊ちゃん」
「はい?」
「お前、売る側としては商売下手だぞ」
「え?」
「丸ごと買い替えてもらった方が儲かる」
「あ……」
アルスは固まった。
ゴルンは大笑いした。
「はっはっはっは!」
「冗談だ!」
「良い職人は客を騙して儲けたりしねぇよ」
アルスは胸を撫で下ろす。
「びっくりしました……」
「だがな」
ゴルンは少し真面目になる。
「安く長く使える物を作るって考えは悪くねぇ」
「農民にとっちゃ、農具は毎日の生活そのものだからな」
◇◇◇
設計がまとまった。
二号鍬。
従来品より軽量。
一号鍬より刃側へ重心を寄せる。
柄は長め。
接続部の寸法を統一。
刃と柄を別々に交換できる。
「よし」
ゴルンが革手袋をはめる。
「作るぞ」
「はい!」
◇◇◇
炉へ鉄を入れる。
ゴォォォ……。
ふいごが空気を送り込み、木炭の温度が上がっていく。
黒い鉄が赤くなり。
赤から橙へ。
「坊ちゃん」
「はい」
「色は?」
アルスはじっと見る。
「まだ少し暗いです」
「もう少し待て」
やがて――。
「今です」
「よし」
ゴルンが鉄を取り出した。
カァン!
カン!
カン!
力強い槌音が響く。
中央には厚みを残す。
左右は薄く。
刃先へ必要な重量を持たせる。
「坊ちゃん!」
「はい!」
アルスも小さな槌を握る。
身体操作で姿勢を整える。
足。
腰。
肩。
腕。
すべてをつなげる。
カン!
「もっと真っ直ぐ!」
「はい!」
カン!
「鉄を見ろ!」
「はい!」
カン!
◇◇◇
作業は何時間も続いた。
もちろん、アルスが担当できるのは一部だけだ。
まだ五歳。
体力も技術もゴルンには遠く及ばない。
それでも、自分が考えた道具が形になっていく。
それだけで胸が高鳴った。
そして――。
「できたぞ」
ゴルンが完成した鍬を作業台へ置いた。
「これが……二号」
アルスは目を輝かせる。
一号鍬と並べる。
見た目には大きな違いはない。
しかし持ってみると――。
「あっ」
アルスは驚いた。
「刃の方が重く感じます」
「全体重量は?」
「一号より少し重い……でも、最初の鍬より軽いです」
「狙い通りだな」
◇◇◇
さらにゴルンは接続部分を確認する。
「こっちも悪くねぇ」
柄を取り外す。
そして別に用意した同じ寸法の柄を取り付ける。
「付いた!」
「まだ多少の調整は必要だがな」
アルスは嬉しそうに笑った。
「壊れても交換できます!」
「その代わり――」
ゴルンが指を一本立てる。
「同じ寸法で作らなきゃならん」
「あ」
「昨日の釘と同じだ」
「規格……」
アルスが小さく呟く。
「なんだ?」
「い、いえ」
まだこの世界では聞き慣れない言葉だ。
だが確実に、アルスの中では一つの考えとして形になり始めていた。
◇◇◇
翌日。
屋敷近くの畑を借り、二号鍬を試すことになった。
ゴルンが振り下ろす。
ザクッ!
「おっ」
土へ深く入った。
もう一度。
ザクッ!
「一号よりいいな」
アルスも嬉しそうに頷く。
「軽さは?」
「元の鍬より楽だ」
「やった!」
「まだ喜ぶな」
「え?」
「使うのは俺じゃねぇ」
ゴルンは二号鍬を肩へ担いだ。
「農民に使ってもらって初めて合格だ」
アルスはハッとする。
そして大きく頷いた。
「はい!」
◇◇◇
その日の午後。
父カインへ二号鍬を見せた。
「これが改良版か」
「はい、お父様」
父は柄と刃の接続部分を興味深そうに見る。
「ここを交換できるのか?」
「はい」
「壊れたところだけ交換すれば、全部買い直さなくて済みます」
「なるほど」
カインはしばらく考え込んだ。
「価格は?」
「…………」
アルスが止まる。
ゴルンが笑いを堪えている。
「まだ考えてませんでした」
「では、それも考えなければならないな」
「はい……」
◇◇◇
父は椅子へ座る。
「アルス」
「便利な物を作ることは素晴らしい」
「だが、それを必要とする人が手にできなければ意味がない」
「はい」
「材料費」
「職人の賃金」
「販売価格」
「修理費」
「それらも考えて初めて、領民の生活に根付く道具になる」
アルスは真剣に頷いた。
(作るだけじゃ駄目なんだ)
前世では店へ行けば商品が並んでいた。
しかし、その裏側には材料を用意する人。
作る人。
運ぶ人。
売る人。
多くの人々がいる。
◇◇◇
「ゴルンさん」
翌日。
アルスは再び鍛冶場へ来ていた。
「この鍬、一つ作るのにどれくらい掛かりますか?」
「材料か?」
「全部です」
ゴルンは少し驚いた。
「旦那様に何か言われたな?」
「はい」
「はっはっは!」
だがゴルンはきちんと説明してくれた。
鉄。
木材。
木炭。
作業時間。
職人の手間。
アルスは一つずつ紙へ書いていく。
「鉄を使う量は減ってる」
「はい」
「その分、材料代は少し安くなる」
「でも接続部分を正確に作る必要があるから、手間は増える」
「なるほど……」
安くする。
丈夫にする。
作りやすくする。
すべてを同時に満たすのは難しい。
(ものづくりって、本当に奥が深い)
◇◇◇
それから数日。
ゴルンとアルスは二号鍬をさらに数本製作した。
すべて同じ寸法になるよう、木製の基準板も作る。
刃用。
柄用。
接続部用。
これなら同じ部品を作りやすい。
そして――。
「できた」
試験用の二号鍬が並んだ。
一本。
二本。
三本。
五本。
アルスは嬉しそうに眺める。
「北の村へ持っていけますね」
「ああ」
「今度こそ合格するといいな」
「はい!」
◇◇◇
夜。
アルスは机へ向かっていた。
目の前には二号鍬の簡単な設計図。
その横には――。
一号鍬で分かった問題点。
二号鍬で変更した部分。
材料費。
修理方法。
そして販売価格についてのメモ。
五歳児の机とは思えない有様だった。
アルスは手帳を開く。
今日の言葉を書く。
『いいどうぐは ながく つかえる』
高性能なだけでは駄目。
丈夫なだけでも駄目。
安いだけでも駄目。
使いやすく。
壊れたら直せて。
必要な人が買える。
それが本当に良い道具なのかもしれない。
(今度こそ、みんなに喜んでもらえるといいな)
アルスは二号鍬の設計図を見ながら微笑んだ。
まだ世界を変えるほどの発明ではない。
魔法の武器でもない。
伝説の金属を使ったわけでもない。
ただの――鍬。
しかし。
領民の声を聞き。
失敗を受け入れ。
職人と知恵を出し合い。
価格や修理まで考えて作られたその鍬は――。
アルスが初めて「暮らしそのもの」を考えて生み出した道具だった。
そして数週間後。
この二号鍬が北の村の畑へ広がり始めることで――。
シュゲール伯爵領に、小さな変化が起き始めることになる。




