第63話 新しい鍬
北の村から戻った翌日。
アルスは朝食を終えると、昨日書き留めた紙を抱えて鍛冶場へ向かった。
紙には農民たちから聞いた言葉が並んでいる。
重い。
柄の長さが合わない。
長時間使うと腰や肩が痛くなる。
刃が傷みやすい。
使う人によって体格が違う。
そして、その下には一本の鍬の絵が描かれていた。
「おはようございます、ゴルンさん!」
「おう、坊ちゃん」
ゴルンはアルスが抱えている紙へ目を向ける。
「昨日の成果か?」
「はい!」
アルスは作業台へ紙を広げた。
「新しい鍬を作ってみたいです」
ゴルンはニヤリと笑う。
「よし」
「なら今日は、鍛冶師じゃなくて――」
大きな指で紙を叩く。
「使う奴のための道具を作る職人になってみるか」
「はい!」
◇◇◇
まず二人は、現在使われている鍬を作業台へ置いた。
「坊ちゃん」
「最初に何を変える?」
「軽くしたいです」
「どうやって?」
「鉄を減らします」
「駄目だ」
「え?」
即答だった。
ゴルンは鍬の刃を指差す。
「単純に薄くしたらどうなる?」
アルスは少し考える。
「……曲がる?」
「そうだ」
「硬い土に当たった時に負ける」
「じゃあ……」
アルスは鍬をじっと見る。
(軽くする。でも強度は残す)
前世の知識を思い出す。
必要な部分には厚みを残す。
力が掛かりにくい部分を削る。
何でも均一にする必要はない。
「真ん中は厚くして、端を少し薄くするのは?」
ゴルンの眉が動いた。
「理由は?」
「真ん中の方が力が掛かりそうだからです」
「……面白い」
◇◇◇
次は柄だった。
現在の鍬をアルスが横から観察する。
「農民の人が、柄の長さが合わないって言ってました」
「ああ」
「だったら大きさを何種類か作れませんか?」
「例えば?」
「大、中、小」
ゴルンは腕を組む。
「釘みたいに全部同じにするんじゃないのか?」
「使う人が違いますから」
アルスは答える。
「同じ大きさにするんじゃなくて、同じ種類の中で大きさを揃えるんです」
ゴルンが少し黙った。
そして――。
「なるほどな」
ニヤリと笑った。
「坊ちゃん、昨日より職人らしい顔になってきたじゃねぇか」
「本当ですか?」
「ああ」
「まだ槌は下手だけどな」
「うっ……」
◇◇◇
設計が決まった。
試作品第一号。
刃は従来品より少し小さい。
中央部分には厚みを残し、左右へ向かうほど薄くする。
柄は一般的な物より少し長め。
さらに取り付け角度もわずかに変える。
「じゃあ作るぞ」
「はい!」
もちろん、五歳のアルスだけでは作れない。
ゴルンが主要な加工を行い、アルスが補助する。
炉へ鉄を入れる。
炎の色を見る。
鉄が橙色へ変わる。
「今だ」
ゴルンが取り出す。
カァン!
カン!
カン!
鉄が少しずつ形を変えていく。
「坊ちゃん、端を打ってみろ」
「はい!」
アルスも小さな槌を握る。
カン!
カン!
力を入れすぎない。
身体操作で姿勢を整える。
槌の重さを利用して振り下ろす。
「そうだ」
ゴルンが頷いた。
「前よりマシになった」
「ありがとうございます!」
「褒めてねぇぞ」
「え?」
「はっはっは!」
◇◇◇
数時間後。
一本の鍬が完成した。
「できた……」
アルスは目を輝かせる。
従来品と並べてみる。
見た目だけでも少し違う。
刃がわずかに小さい。
柄は長い。
そして――。
「持ってみろ」
アルスは両手で持つ。
「あっ」
前の鍬より軽い。
「軽いです!」
「鉄を減らしてるからな」
ゴルンは刃を指で叩く。
コンコン。
「ただし、本当に使えるかどうかは別問題だ」
アルスは頷いた。
「北の村で試してもらいます」
「そういうことだ」
◇◇◇
数日後。
父カインの許可を得て、試作品を北の村へ持ち込んだ。
「アルス様!」
トーマスが出迎える。
「今日はどうされたのですか?」
「これを試してほしいんです」
荷台から新しい鍬を取り出す。
「鍬……ですか?」
「前に聞いた話をもとに、ゴルンさんと作りました」
農民たちが集まってくる。
「もう作ったんですか?」
「まだ試作品です」
アルスは慌てて付け加える。
「だから、悪いところがあったら教えてください」
◇◇◇
最初に使うのはトーマスだった。
「では……」
新しい鍬を握る。
「おお」
「どうですか?」
「軽いですね」
トーマスは何度か振る。
ザクッ。
ザクッ。
土へ刃が入る。
「柄も長い」
ザクッ。
「腰を曲げなくても使いやすいです」
アルスの顔が明るくなる。
「本当ですか!?」
「ええ」
成功。
そう思った。
だが――。
ザクッ。
「……ん?」
トーマスの動きが止まった。
「どうしました?」
「アルス様」
もう一度、鍬を振る。
ザクッ。
「少し……土に入りにくいですね」
「え?」
◇◇◇
従来の鍬でも試す。
ザクッ!
こちらの方が深く入った。
アルスは新しい鍬を見る。
(軽くしたから……)
重量が減ったことで、振り下ろした時の力も弱くなっている。
「軽ければいいと思ったのに……」
アルスが小さく呟く。
トーマスは慌てて言う。
「いえ!」
「使いやすいですよ!」
「長時間使うなら、こちらの方が楽だと思います」
「でも……」
アルスは首を横に振る。
「悪いところも教えてください」
トーマスは少し驚く。
「直したいから」
◇◇◇
それから農民たちが交代で試した。
「柔らかい畑ならいいな」
「硬い土だと入りにくい」
「草取りには使いやすいぞ」
「開墾には軽すぎる」
「柄はこっちの方が好きだな」
次々と意見が出る。
アルスは紙へ書き込んでいった。
軽い。
疲れにくい。
柄は使いやすい。
硬い土には弱い。
開墾には不向き。
柔らかい畑では便利。
アルスはその文字を見ながら考える。
(待てよ)
一つの鍬ですべての仕事をする必要があるのだろうか。
前世にも、用途ごとに道具があった。
開墾。
耕作。
草取り。
作業が違えば、適した道具も違う。
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「鍬を一種類にしなくてもいいんじゃないですか?」
ゴルンの目が細くなる。
「続けろ」
「硬い土を耕す重い鍬」
「普段の畑仕事に使う普通の鍬」
「草取りとかに使う軽い鍬」
農民たちも顔を見合わせる。
「仕事ごとに……鍬を変える?」
トーマスが呟いた。
◇◇◇
ゴルンは新しい鍬を肩へ担いだ。
「悪くねぇ」
「でも三本買うことになるぞ」
「あ……」
アルスが固まった。
農民たちが笑う。
「ははは!」
「アルス様、そこまで考えてくださっただけでも十分ですよ」
しかしアルスは真剣だった。
(値段)
材料。
製造時間。
修理。
道具を良くしても、高価すぎれば誰も使えない。
また一つ、新しい課題が増えた。
◇◇◇
その時。
「アルス!」
聞き覚えのある声がした。
栗色の髪の少女が走ってくる。
「新しいの作ったの?」
「うん」
「すごい!」
少女は鍬を見上げる。
「お父さん、楽になる?」
その何気ない一言に、アルスは少女を見る。
「……うん」
そして試作品を見つめた。
「もっと楽になるようにする」
少女は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、またお花あげる!」
「それは関係あるの?」
「あるの!」
「そっか」
二人は笑った。
◇◇◇
帰りの馬車。
アルスは紙いっぱいに書かれた意見を見つめていた。
父カインが隣から尋ねる。
「失敗だったか?」
アルスは少し考える。
「いいえ」
首を横に振った。
「成功でもないです」
「では、何だった?」
「……途中です」
父の表情が柔らかくなる。
「良い答えだ」
◇◇◇
「物事は、一度で完成するとは限らない」
父は窓の外に広がる畑を見る。
「試して」
「失敗して」
「話を聞いて」
「直していく」
「領地を治めることも同じだ」
アルスは父を見上げる。
「お父様も失敗するんですか?」
「もちろんだ」
「えっ?」
アルスは本気で驚いた。
「父親を何だと思っている」
「なんでもできる人」
「買い被りすぎだ」
二人は顔を見合わせ――。
笑った。
◇◇◇
夜。
机の上には試作品の図面。
その横には農民たちの意見を書いた紙。
さらに、少女からもらった新しい花。
アルスは手帳を開いた。
今日の言葉を書く。
『つくって ためして なおしていく』
一度で完璧な物を作る必要はない。
使ってもらう。
意見を聞く。
問題を見つける。
そして直す。
(次は重心を変えてみよう)
単純に重量を戻すのではない。
必要な場所へ重さを集めれば、全体を軽くしたまま土へ力を伝えられるかもしれない。
さらに柄の長さ。
刃の角度。
価格。
考えることは山ほどある。
なのに――。
「楽しいな」
アルスは笑っていた。
失敗したのに、楽しい。
問題が見つかるたびに、新しい答えを探したくなる。
それこそが、ものづくりなのだろう。
五歳の少年が作った最初の改良農具は、まだ完成にはほど遠かった。
しかし北の村の農民たちは、この日から少しずつ知ることになる。
シュゲール伯爵家の次男には――。
自分たちの声を聞き、本気で暮らしを良くしようとしてくれる少年がいる。
その小さな信頼は、やがて領地全体へ広がっていくことになる。




