第62話 農具を知る
翌朝。
シュゲール伯爵家の鍛冶場では、いつものように炉へ火が入れられていた。
ゴォォォ……。
赤々と燃える木炭。
壁には大小さまざまな槌や火箸が並び、作業台には昨日アルスが作った釘が置かれている。
「おはようございます、ゴルンさん!」
「おう、坊ちゃん」
ゴルンは作業の手を止め、振り返った。
「昨日の釘はどうした?」
「部屋に置いてあります」
「記念品か?」
「はい!」
「はっはっは! まあ、最初に作った物は取っとくといい」
ゴルンは楽しそうに笑った。
そして――。
「さて」
その大きな手で、鍛冶場の隅を指差した。
「今日は約束通り、農具だ」
◇◇◇
そこには修理を待つ農具が並んでいた。
鍬。
鎌。
鋤。
斧。
草刈り用の刃物。
どれも長年使われてきたらしく、傷や錆が目立っている。
アルスは一本の鍬を持ち上げる。
「重い……」
「だろ?」
五歳のアルスには、両手でもかなり重かった。
「でも、大人なら大丈夫なんじゃ?」
「持つだけならな」
ゴルンは鍬を受け取った。
「これを朝から夕方まで何百回と振る」
「あ……」
アルスは第54話で見た農民たちを思い出した。
広い畑。
照りつける太陽。
その中で何度も鍬を振る人々。
(確かに……。)
一回なら大した重さではなくても、何百回となれば話は違う。
◇◇◇
次に鎌を見る。
刃先が欠けていた。
「これは?」
「北の村から持ち込まれた修理品だ」
ゴルンが刃を確認する。
「麦刈りで使い込んだらしい」
アルスも注意しながら刃を見る。
「ずいぶん傷んでますね」
「ああ」
「研げばまだ使えるが、刃が薄くなってる」
「あと何回か修理したら交換だな」
アルスは顎へ手を当てる。
(耐久性の問題か)
そして鋤。
こちらもかなり重い。
鉄を大量に使った、単純で頑丈な構造だった。
(重い)
(疲れる)
(刃が傷みやすい)
改善できそうな部分はいくつもある。
◇◇◇
前世の記憶が浮かんだ。
もっと薄い刃。
持ちやすい柄。
力を伝えやすい角度。
用途ごとに作られた農具。
(作れるかもしれない)
そう思った瞬間――。
「坊ちゃん」
「はい?」
「今、何か考えてただろ」
ゴルンがニヤニヤしている。
「顔に出てますか?」
「出てる出てる」
アルスは少し恥ずかしくなった。
「もっと使いやすくできないかなって……」
「ほう」
ゴルンの表情が職人のものへ変わった。
「どう変える?」
「えっと……」
アルスは説明しようとして――。
止まった。
(待てよ)
自分は農民ではない。
実際に一日中農具を使った経験もない。
前世の知識だけで「こうした方がいい」と決めてしまっていいのだろうか。
「……ゴルンさん」
「なんだ?」
「農民の人たちに聞いてみたいです」
「何を?」
「どこが一番使いにくいのか」
ゴルンが目を細めた。
◇◇◇
「俺に聞かねぇのか?」
「ゴルンさんは作る人ですよね?」
「ああ」
「でも毎日畑で使うのは、農民の人たちです」
一瞬。
鍛冶場が静かになった。
やがて――。
「はっはっはっは!」
ゴルンが豪快に笑った。
「正解だ、坊ちゃん!」
「え?」
「道具ってのは使う奴のために作るもんだ」
ゴルンは鍬を肩へ担ぐ。
「鍛冶師が勝手に『こっちの方がいい』って作っても、使う奴が困ったら意味がねぇ」
アルスは大きく頷いた。
「はい!」
「なら行くか」
「どこへですか?」
「北の村だ」
◇◇◇
もちろん、五歳のアルスだけで村へ行くことはできない。
父カインへ相談すると――。
「農具について農民から話を聞きたい?」
「はい」
執務室でアルスから話を聞いた父は、少し驚いていた。
「どうしてだ?」
「ゴルンさんから農具について教わりました」
「でも、実際に使う人に聞いた方がいいと思ったんです」
カインはしばらく息子を見つめた。
やがて穏やかに微笑む。
「良い考えだ」
「ちょうど私も数日後に北の村へ視察へ行く予定だった」
「一緒に来なさい」
「本当ですか!?」
「ああ」
「ただし」
父の表情が少し真剣になる。
「領民の話を聞く時は、最後まで聞くこと」
「自分の考えを押し付けてはいけない」
「はい、お父様」
◇◇◇
数日後。
シュゲール伯爵家の馬車は北の村へ向かっていた。
父カイン。
家令ライム。
そしてアルス。
馬車の窓から広大な畑が見えてくる。
「もうすぐだな」
父の言葉に、アルスは窓へ顔を近づけた。
すると――。
「あ」
村の入口。
小さな人影がこちらへ向かって手を振っていた。
栗色の髪。
見覚えのある少女。
「アルスさまー!」
以前、花束をくれた少女だった。
アルスも思わず笑顔になる。
「こんにちは!」
◇◇◇
馬車を降りると、少女が駆け寄ってくる。
「また来てくれた!」
「約束したからね」
アルスが答えると、少女は嬉しそうに笑った。
「うん!」
その手には、今日も小さな花が握られていた。
「これ」
「ありがとう」
アルスは花を受け取る。
父カインは少し離れた場所から、その様子を微笑ましく見守っていた。
◇◇◇
その後。
アルスは父とともに畑へ向かった。
農業長のトーマスをはじめ、数人の農民が集まっている。
「今日はアルスがお前たちに聞きたいことがあるらしい」
父がそう言うと、農民たちは驚いた。
「アルス様が?」
「はい」
アルスは少し緊張しながら、一歩前へ出た。
「みなさんに農具のことを教えてほしいです」
「農具?」
「はい」
「鍬や鎌を使っていて、困ることってありますか?」
農民たちは顔を見合わせた。
◇◇◇
最初に口を開いたのはトーマスだった。
「そうですね……」
彼は使い込まれた鍬を持ち上げる。
「やっぱり重さでしょうか」
「重さ?」
「一日使っていると腰と肩にきます」
別の農夫も頷く。
「柄も手に合わない時がありますね」
「長すぎたり短すぎたりすると、腰が痛くなるんです」
アルスは真剣に聞く。
「鎌は?」
「切れ味ですね」
「麦を刈っていると、すぐ鈍くなる」
「何度も研がないといけません」
別の農民が続ける。
「でも薄くしすぎると欠けるんですよ」
「なるほど……」
アルスは頭の中で情報を整理する。
◇◇◇
重さ。
柄の長さ。
刃の耐久性。
切れ味。
どれも前世で考えていた問題と一致している。
だが――。
(実際に聞くと、全然違うな)
単純に軽くすればいいわけではない。
軽すぎれば、土へ刃が入りにくくなるかもしれない。
刃を薄くすれば切れる。
しかし薄すぎれば壊れる。
(バランスが必要なんだ)
◇◇◇
「アルス様」
トーマスが少し不思議そうに尋ねる。
「どうして農具のことを?」
アルスは少し考え――。
素直に答えた。
「もっと楽に畑仕事ができる道具を作りたいんです」
農民たちが静かになる。
「僕はまだ鍛冶を習い始めたばかりです」
「だから、すぐにはできないと思います」
「でも――」
アルスは畑を見渡した。
「みんなが少しでも楽になったらいいなって」
トーマスは驚いたように目を見開いた。
そして、優しく笑った。
「ありがとうございます、アルス様」
◇◇◇
「アルス!」
そこへ少女が走ってきた。
「これ見て!」
小さな手には、子ども用の小さな鎌があった。
「私もお手伝いするの!」
「重くない?」
「ちょっと重い」
少女は正直に答えた。
アルスは鎌を見る。
大人用を単純に小さくしたような形だった。
(子ども用……)
その瞬間。
一つの考えが浮かぶ。
大人。
女性。
子ども。
体格が違う。
なら――。
(道具も同じじゃなくていいんじゃないか?)
昨日作った釘の規格とは逆の発想だった。
同じ用途なら一定の基準を作る。
しかし使う人によって、適した大きさを用意する。
(大、中、小……)
アルスの中で新しい発想が生まれた。
◇◇◇
夕方。
視察を終え、馬車へ戻る。
「また来てね!」
少女が大きく手を振る。
「うん!」
「約束!」
「約束!」
馬車がゆっくりと走り始める。
アルスは少女が見えなくなるまで手を振った。
そして膝の上に置いた紙へ、今日聞いたことを書き込む。
重い。
柄の長さ。
刃が鈍る。
薄すぎると欠ける。
さらに――。
使う人の体格。
父カインは横から紙を覗いた。
「たくさん聞けたようだな」
「はい」
「答えは見つかったか?」
アルスは首を横に振る。
「まだです」
そして笑った。
「だから、これから考えます」
「そうか」
父は満足そうに頷いた。
◇◇◇
夜。
アルスは机の上へ紙を広げた。
その横には、少女からもらった一輪の花。
そして自分が初めて作った一本の釘。
アルスは手帳を開く。
今日の言葉を書く。
『どうぐは つかうひとの ためにつくる』
前世の知識は便利だ。
だが、この世界の人々が何を必要としているのかを知らなければ、本当に役立つ物は作れない。
聞く。
考える。
作る。
試してもらう。
そして直す。
(まずは鍬からかな)
アルスは紙へ一本の線を引いた。
それはまだ、幼い子どもが描いた簡単な農具の絵にすぎない。
しかし――。
その一枚の紙から。
シュゲール伯爵領で最初となる、
「使う人のために設計された農具」
が生まれようとしていた。




