第61話 十本の釘
翌朝。
剣術の稽古と朝食を終えたアルスは、昨日作った一本の釘を握りしめながら鍛冶場へ向かっていた。
今日の課題は、すでに決まっている。
――同じ釘を十本作る。
言葉だけなら簡単だ。
しかし昨日、一本の釘を作るだけでも何度も失敗した。
(十本全部を同じ形にする……か)
前世で完成品だけを見ていた頃なら、それほど難しいことだとは思わなかったかもしれない。
だが、自分で鉄を打ってみれば分かる。
これは難しい。
非常に難しい。
◇◇◇
「おはようございます、ゴルンさん!」
「おう、坊ちゃん」
ゴルンはすでに炉へ火を入れていた。
「昨日の課題、覚えてるな?」
「はい」
「同じ釘を十本です」
「よし」
作業台には、同じくらいの長さに切られた鉄材が十本並べられている。
「今日は俺から細かく口を出さねぇ」
「自分で考えて作ってみろ」
「分かりました」
アルスは革手袋をはめた。
◇◇◇
一本目。
鉄を熱する。
色を見る。
頃合いを見て取り出す。
カン!
カン!
カン!
先端を細くし、頭を作る。
「できました」
「置いとけ」
ゴルンはそれだけ答えた。
二本目。
カン! カン!
三本目。
カン! カン! カン!
四本目。
五本目。
少しずつ槌の扱いにも慣れてきた。
そして昼前――。
「十本……できた!」
アルスは額の汗を拭った。
作業台には十本の釘が並んでいる。
「よし」
ゴルンが腕を組む。
「じゃあ並べてみろ」
「はい」
アルスは十本を横一列に並べた。
そして――。
「…………」
固まった。
◇◇◇
一本目は少し長い。
二本目は頭が大きい。
三本目は先端が太い。
四本目は短い。
五本目は比較的綺麗。
六本目は少し曲がっている。
七本目以降はだいぶ揃っているものの、それでも完全には同じではない。
「全然違う……」
アルスが呟く。
「はっはっは!」
ゴルンが豪快に笑った。
「だから言っただろ?」
「一個作るのと、同じ物を十個作るのは別の技術だってな」
「はい……」
◇◇◇
アルスは釘を一本ずつ見比べる。
(何が違った?)
槌を振った回数。
鉄の温度。
叩いた場所。
力加減。
原因はいくつも考えられる。
だが、それ以前に――。
(そもそも俺……何を基準に長さを決めてた?)
目分量。
一本目を見て、それと同じくらいになるよう作っただけ。
「ゴルンさん」
「なんだ?」
「釘の長さって、どうやって揃えるんですか?」
「見て覚える」
「……目で?」
「ああ」
ゴルンは当然のように答えた。
「何年も作ってりゃ、だいたい同じになる」
アルスは考え込む。
熟練職人なら、それでいい。
ゴルンほどの腕があれば、目分量でもかなり正確に作れるのだろう。
しかし――。
(新人には難しい)
そして職人によって基準が違えば、同じ「釘」でも工房ごとに大きさが変わる。
(だったら……)
◇◇◇
「ゴルンさん」
「今度はなんだ?」
「木の板を一枚もらえますか?」
「木?」
ゴルンは首を傾げたが、端材を一本渡してくれた。
「これでいいか?」
「はい」
アルスは昨日作った釘の中から、比較的形の良い一本を選ぶ。
木の板の上へ置く。
そして釘の先端と頭の位置へ印を付けた。
「何してる?」
「長さの印です」
さらに釘の太さも横へ写し取る。
「これと同じ大きさになるように作れば……」
ゴルンの眉がわずかに動いた。
「なるほどな」
◇◇◇
十一本目。
鉄を熱する。
打つ。
途中で木板へ重ねる。
「少し長い」
再び打つ。
また合わせる。
「あと少し」
形を整える。
完成した釘を基準板へ置いた。
「……合った!」
ほぼ同じ長さだった。
「もう一本だ」
「はい!」
十二本目。
十三本目。
十四本目。
基準板と比較しながら作っていく。
すると――。
「おお……」
ゴルンが感心したような声を漏らした。
先ほどより明らかに形が揃っている。
◇◇◇
「坊ちゃん」
「はい?」
「その板、貸してみろ」
ゴルンは基準板を受け取る。
何度か眺めた後、自分でも一本の釘を置いてみた。
「確かに分かりやすい」
「新人でも長さを確認できます」
「そうだな」
ゴルンは顎髭を撫でる。
「目で覚えろって教えるより、こいつを渡した方が早ぇかもしれん」
アルスは頷いた。
「みんなが同じ基準を使えば、同じ大きさの物を作りやすくなると思います」
「同じ基準……か」
ゴルンはその言葉を何度か口の中で転がした。
◇◇◇
午後。
ゴルンは倉庫から三本の釘を持ってきた。
「坊ちゃん。これを見ろ」
一つは屋敷の修繕用。
一つは荷車用。
一つは家具用。
長さも太さも違う。
「釘にも用途がある」
「全部同じじゃ駄目なんですね」
「そういうことだ」
アルスは少し考え、三枚の木板を用意した。
短い釘。
中くらいの釘。
長い釘。
それぞれを板へ置き、長さと太さの目印を付ける。
「これなら用途ごとに基準を作れます」
「……坊ちゃん」
「はい?」
「五歳だよな?」
「五歳です」
「そうか……」
ゴルンは遠い目をした。
「どうしました?」
「いや、何でもねぇ」
◇◇◇
だが、アルスはまだ満足していなかった。
(これは本当の規格じゃない)
前世ならセンチメートルやミリメートルという共通単位がある。
誰がどこで測っても同じ長さになる。
だが、この世界では地域ごと、職人ごとに長さの基準が微妙に異なる場合がある。
(いきなりメートル法を持ち込む必要はない)
まずは、この工房。
次に屋敷。
そして領内。
少しずつ共通の基準を広げればいい。
アルスは急がない。
この世界には、この世界の歴史と文化がある。
前世の知識を押し付けるのではなく、必要なところから役立てていく。
それがアルスのやり方だった。
◇◇◇
夕方。
父カインが鍛冶場を訪れた。
「調子はどうだ?」
「お父様!」
アルスは今日作った釘を見せる。
「十本作りました」
「ほう」
父は最初の十本を見る。
「ずいぶん形が違うな」
「はい……」
アルスは苦笑した。
「でも、こっちは?」
父が後から作った釘を見る。
こちらはかなり形が揃っていた。
「基準になる板を作ったんです」
アルスは木板を見せる。
「ここに合わせれば、同じ長さか確認できます」
父はしばらく板を見つめた。
「なるほど」
「これはアルスが考えたのか?」
「はい」
「前……」
言いかけて止まる。
「本を読んでいて、思いつきました」
危ない。
前世と言いかけた。
父は気付かなかったようで、穏やかに笑った。
「良い考えだ」
◇◇◇
「アルス」
父は釘を一本手に取った。
「同じ物を同じ品質で作れるというのは、とても大切なことだ」
「はい」
「例えば荷車が壊れた時」
「交換する部品が同じ大きさなら、修理もしやすい」
アルスは目を輝かせる。
「そうです!」
(父さん、もう交換部品の考え方に気付いた!)
「だが――」
父は微笑む。
「まずは釘作りを覚えなさい」
「……はい」
ゴルンが吹き出した。
「はっはっは! 旦那様の言う通りだ!」
「坊ちゃんは先を考えすぎる!」
「うぅ……」
アルスは少し頬を膨らませた。
◇◇◇
夜。
部屋へ戻ったアルスは、今日作った釘を机へ並べた。
最初の十本。
そして基準板を作ってからの五本。
違いは明らかだった。
(基準があるだけで、こんなに変わる)
これは小さな発見だ。
だが、この考えを応用すれば――。
農具の刃。
包丁。
車輪の金具。
扉の蝶番。
さまざまな物を一定の品質で作れるようになるかもしれない。
そして将来、領内の複数の鍛冶工房が同じ基準を使うようになれば。
(もっと効率よく作れる)
アルスは手帳を開いた。
今日の言葉を書く。
『おなじ ものには おなじ ものさし』
五歳らしい文字で書かれた、ほんの短い一文。
だが――。
それは後にシュゲール伯爵領で、
《シュゲール工房規格》
と呼ばれる共通規格へ発展していく考え方の原点となる。
もちろん。
今のアルスは、そんな未来など知らない。
「明日はもっと綺麗な釘を作ろう」
そう呟き、ベッドへ潜り込む。
世界を変える最初の発明は、必ずしも巨大な魔道具でも、伝説の武器でもない。
一本の釘。
一枚の木板。
そして――。
『同じ物を、同じように作る』
そんな小さな工夫から、アルスの領地改革は静かに始まりつつあった。




