第7話 はじめての先生
アルスが一歳を迎えてから、さらに一か月。
シュゲール伯爵家では、ある話題が食卓に上がっていた。
「あなた、本当に早すぎませんか?」
朝食を終えた後、母エリザが父カインへ問い掛ける。
「普通なら、まだ遊び盛りですよ?」
父は紅茶を一口飲み、穏やかに笑った。
「もちろん、無理に勉強をさせるつもりはない」
「遊びながら学べれば十分だ」
「アルスは本を見ることが好きなようだからな」
「好奇心は大切に育ててやりたい」
その言葉に、母も納得したように頷いた。
「そうですね……。」
「遊びの延長なら、きっと楽しく学べますもの。」
そのやり取りを、俺はハイチェアの上から静かに聞いていた。
(家庭教師、か。)
前世でも学校へ通い、多くの先生から学んだ。
異世界では、どんな教育を受けるのか少し楽しみだった。
◇◇◇
数日後。
応接室には一人の女性が立っていた。
柔らかな茶色の髪を肩まで伸ばし、落ち着いた雰囲気を持つ女性だ。
「お初にお目にかかります。」
「私はリーナと申します。」
「本日より、アルス様の家庭教師を務めさせていただきます。」
父が満足そうに頷く。
「よろしく頼みます。」
「まずは文字や数字、礼儀作法を遊びながら教えていただければ十分です。」
「承知いたしました。」
リーナは丁寧に一礼した。
(優しそうな先生だ。)
厳格な教育係ではなく、子どもの成長に寄り添うタイプらしい。
これなら安心できそうだ。
◇◇◇
「アルス様。」
リーナ先生は床へ座り、小さな木の積み木を並べ始めた。
そこには、この世界の文字が一文字ずつ刻まれている。
「今日はお勉強ではありません。」
「一緒に遊びましょう。」
「あぅ!」
俺は嬉しそうに積み木へ手を伸ばした。
(なるほど。)
文字を覚えさせるための教材か。
よく考えられている。
「これは"A"ですよ。」
リーナ先生が優しく教える。
続いて別の積み木を見せる。
「こちらは"B"。」
もちろん、この世界の文字なので実際には前世のアルファベットとは違う。
だが便宜上、頭の中では対応させて覚えていく。
(規則性がある。)
(思ったより覚えやすい。)
俺は一つずつ積み木を手に取り、形を頭へ刻み込んでいった。
◇◇◇
その様子を少し離れた場所から見ている二人がいた。
「どうです?」
父が尋ねる。
「驚きました。」
リーナ先生は小さく息を吐く。
「アルス様は、一度見た積み木をすぐ覚えてしまいます。」
「偶然かと思いましたが、何度試しても同じでした。」
父は嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。」
「やはり好奇心が強い子なのだな。」
リーナ先生は頷く。
「無理に教え込む必要はありません。」
「このまま興味を伸ばして差し上げれば、きっと素晴らしい学びになります。」
◇◇◇
夕方。
「アルスー!」
今日も元気なエルゼがやって来た。
「先生、どうでした?」
「とてもよく頑張ってくださいましたよ。」
「えへへ!」
なぜかエルゼが誇らしそうに胸を張る。
「頑張ったのはアルスですよ。」
後ろからアレックスが苦笑する。
「でも、本当にすごいよね。」
「僕が一歳の頃は積み木を投げて遊んでたって聞いたよ。」
「アルスはちゃんと見て覚えてる。」
(兄さん、それは褒めすぎだ。)
俺は普通の子どもらしく積み木を積み上げて遊ぶ。
高く積み上げ――。
ガタン。
崩れた。
「きゃはは!」
エルゼが笑う。
俺も思わず笑ってしまった。
勉強も遊びも、今はこのくらいでちょうどいい。
◇◇◇
夜。
ベッドへ入ると、いつものように魔力操作を始める。
今日覚えた文字を思い返しながら、魔力をゆっくり循環させる。
(文字も。)
(魔法も。)
(どちらも毎日の積み重ねだ。)
急ぐ必要はない。
一歩ずつ、一歩ずつ。
前世では病に倒れ、やりたいことをすべて成し遂げることはできなかった。
だからこそ、この新しい人生では焦らず、着実に歩んでいこう。
家族に見守られ、先生に教わり、仲間と出会い、知識を積み重ねる。
その先にはきっと、自分が目指す未来が待っている。
そう信じながら、アルスは静かに眠りについた。




