第6話 文字との出会い
アルスが一歳になってから数日。
シュゲール伯爵家の屋敷では、いつもの穏やかな朝が始まっていた。
「アルス様、お着替えしましょうね」
専属メイドが優しく服を着替えさせてくれる。
「あぅ!」
俺は笑顔を返しながら、部屋の外へ目を向けた。
(今日もいい天気だ)
大きな窓から見える庭では、庭師たちが花壇の手入れをしている。
獣人族の庭師が大きな植木を運び、人族の庭師が丁寧に花を植え替えていた。
少し離れた厩舎では、馬丁たちが馬の世話をしている。
屋敷中が忙しく、それでいて穏やかに動いていた。
(みんな、この家を支えてくれているんだな)
そんな光景を眺めながら、俺は改めてシュゲール伯爵家の温かさを感じていた。
◇◇◇
昼食後。
母エリザに抱かれたまま屋敷の廊下を歩いていると、一つの部屋が目に入った。
扉が少しだけ開いている。
中には壁一面に並ぶ本棚。
(書斎だ)
前世では何度も見た光景。
だが、この世界では初めて見る大量の本だった。
「あぅ!」
俺は思わず本棚へ手を伸ばした。
「あら?」
母が小さく笑う。
「アルス、本が気になるの?」
「あなた、本が好きなのかしら」
俺は何度も頷くように手を伸ばした。
「ふふっ」
その様子を見た母は、一冊の薄い絵本を手に取った。
「これは子ども向けの絵本よ」
ページをめくる。
色鮮やかな挿絵。
そして、その下にはこの世界の文字が並んでいた。
(これが……セレンの文字)
前世の日本語とは全く違う。
だが、文字の並びには一定の規則性がある。
(覚えられそうだ)
俺は一文字一文字をじっと見つめた。
◇◇◇
その日の夕方。
父カインが執務を終えて書斎へ戻ってきた。
「エリザ、どうした?」
「あなた、見てください」
母が笑顔で俺を指差す。
「アルスが、この本から目を離さないんです」
「ほう?」
父は少し驚いたように俺を見る。
「まだ一歳だというのに、本に興味を持つとは」
父は俺の頭を優しく撫でた。
「知ることは大切だ。」
「学問は剣や魔法と同じくらい、人を強くしてくれる」
その言葉に、俺は心の中で頷いた。
(俺もそう思う)
前世でも、本から多くを学んできた。
知識は財産だ。
そして、それは世界を変える力になる。
◇◇◇
その頃。
「アルスー!」
元気いっぱいのエルゼが書斎へ飛び込んできた。
「あっ!」
本を見ている俺を見つける。
「アルス、本読んでる!」
「いや、まだ読んでいるというより眺めているだけだよ」
アレックスが苦笑する。
「でも、興味を持つのはいいことだね」
「将来はお兄ちゃんが勉強を教えてあげる!」
「それなら私も!」
二人は俺の前に座り、絵本を開いて見せてくれた。
「これは『木』」
「これは『鳥』」
もちろん俺は意味を知っているわけではない。
だが、前世で培った記憶力を活かし、文字と絵を結び付けていく。
(なるほど)
(一日少しずつ覚えていけばいい)
急ぐ必要はない。
誰にも怪しまれないよう、普通の子どもとして成長しながら学べばいい。
◇◇◇
その夜。
ベッドの中で、俺は今日覚えた文字を思い返していた。
魔力操作も忘れずに続ける。
火属性と水属性の初級魔法も、少しずつ精度が上がってきた。
そして今日、新たな目標が増えた。
(文字を全部覚えよう)
本が読めるようになれば、この世界の歴史や魔法、鍛冶についてもっと学べる。
知識は、未来への扉を開く鍵だ。
アルスは静かに目を閉じる。
魔法だけでは世界は変えられない。
知識があり、技術があり、人との絆があってこそ、本当の発展がある。
その第一歩として、小さな伯爵家の書斎で始まった文字との出会いは、やがてアルスの人生を大きく変えていくことになるのだった。
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