第59話 初めての鉄打ち
鍛冶場で本格的な修行を始めてから、数日が経った。
その間、アルスがやっていたことといえば――。
炉を見る。
木炭を運ぶ。
道具を磨く。
鉄の色を観察する。
ゴルンが槌を振る音を聞く。
ただ、それだけだった。
だがアルスは文句一つ言わなかった。
むしろ毎日、楽しそうに鍛冶場へ通っていた。
前世でも知っている。
基礎を疎かにする者に、良い仕事はできない。
そして今日――。
「坊ちゃん。」
ゴルンが一本の小さな槌を持ってきた。
「今日は鉄を打ってみるか?」
アルスの瞳が大きく輝いた。
「はい!」
◇◇◇
ゴルンが用意したのは、細く短い鉄棒だった。
貴重な素材ではない。
鍛冶の練習に使う、ごく普通の鉄だ。
「まずは俺がやる。」
ゴルンは鉄棒を炉へ入れた。
木炭が燃える。
炎が揺れる。
そして鉄が少しずつ色を変えていく。
黒。
暗い赤。
赤。
そして――橙色。
「今だ。」
ゴルンが鉄を取り出す。
鉄床へ置き――。
カァン!
一度だけ槌を振り下ろした。
「坊ちゃん。」
「今度はお前だ。」
「はい。」
アルスは革手袋をしっかりとはめた。
そして小さな槌を両手で握る。
ずしり。
五歳の体には、やはり重い。
だが――。
(腕だけで持たない。)
昨日教わったことを思い出す。
足。
腰。
背中。
肩。
腕。
体全体をつなげる。
神から授かった《身体操作》を頼り切るのではなく、ゴルンから教わった基本に忠実に構える。
「いい構えだ。」
ゴルンが小さく頷いた。
「やってみろ。」
「はい!」
アルスは槌を振り下ろした。
カンッ!
「……あれ?」
鉄はほとんど変形していなかった。
◇◇◇
「はっはっは!」
ゴルンが豪快に笑う。
「最初なんてそんなもんだ!」
「もう一回だ!」
「はい!」
アルスは再び槌を振る。
カン!
今度は少しだけ鉄が潰れた。
「おっ。」
アルスの顔が明るくなる。
「変わりました!」
「だろ?」
「だが喜ぶのはまだ早ぇぞ。」
ゴルンが鉄を指差した。
「よく見ろ。」
アルスは鉄を見る。
「あ……。」
片側だけが大きく潰れている。
「真っ直ぐ叩いたつもりでも、槌が斜めに入ってる。」
「鉄は正直だ。」
「打ち方が悪けりゃ、そのまま形に出る。」
「なるほど……。」
◇◇◇
アルスはもう一度構えた。
(力じゃない。)
(正確に。)
呼吸を整える。
槌を上げる。
そして――。
カン!
「そうだ。」
カン!
「焦るな。」
カン!
「鉄を見ろ。」
ゴルンの声に合わせて、アルスは鉄を打つ。
だが。
「熱が下がった。」
ゴルンが止める。
「まだ叩けそうですけど……。」
「そこで欲張るな。」
ゴルンは鉄を炉へ戻した。
「冷えた鉄を無理に叩けば、思ったように伸びねぇ。」
「鍛冶師は鉄に自分を合わせるんだ。」
アルスは真剣に頷く。
「はい。」
◇◇◇
再び鉄を熱する。
その間、アルスはじっと炎を見つめていた。
(前世でも同じだったな。)
日本刀鍛冶でも、鉄の温度を見ることは極めて重要だった。
現代のような温度計に頼らず、炎や鉄の色から判断する。
そして将来――。
(砂鉄から玉鋼を作るなら、この感覚は絶対に必要になる。)
たたら製鉄。
三日三晩、砂鉄と木炭を投入し続け、ケラを生み出す日本古来の製鉄法。
この世界には砂鉄がある。
木炭もある。
粘土もある。
条件は揃っている。
だが、今の自分にはまだ早い。
(まずは普通の鉄を扱えるようにならないと。)
◇◇◇
昼近くまで練習を続けた。
そして――。
「できた……。」
アルスの前には、小さな鉄板が置かれていた。
形は少しいびつ。
厚さも均一ではない。
決して良い作品とは呼べない。
だが。
アルスが自分の手で、初めて鉄を打って作ったものだった。
「どうですか?」
ゴルンは腕を組みながら鉄板を見る。
「下手だ。」
「うっ……。」
「厚さもバラバラ。」
「形も歪んでる。」
「はい……。」
アルスの肩が落ちる。
しかし。
「だが――」
ゴルンはニッと笑った。
「初めてなら上出来だ。」
アルスが顔を上げる。
「本当ですか?」
「ああ。」
「それに坊ちゃんは、失敗した時に鉄を見て考えてた。」
「職人にとって一番大事なのはそこだ。」
◇◇◇
「失敗した理由を考える。」
「次はどうすればいいか考える。」
「それを何百回、何千回と繰り返す。」
ゴルンは自分の槌を持ち上げた。
「職人ってのは、そうやって腕を作るんだ。」
アルスは自分の小さな槌を見る。
「何千回……。」
「嫌か?」
「いいえ。」
アルスは笑った。
「楽しみです。」
一瞬。
ゴルンが目を丸くした。
そして――。
「はっはっはっは!」
鍛冶場いっぱいに笑い声が響いた。
「やっぱり坊ちゃんは鍛冶師向きだ!」
◇◇◇
午後。
アルスは出来上がった鉄板を持って屋敷へ戻った。
すると真っ先にエルゼが気付いた。
「アルス、それ何?」
「今日、作ったんです。」
「鉄?」
「はい。」
エルゼは鉄板を受け取る。
「すごい!」
「アルスが作ったの!?」
「まだ失敗作です。」
「そんなことないよ!」
エルゼは大切そうに鉄板を持つ。
「アルスが初めて作ったんでしょ?」
「だったら宝物だよ!」
「お姉様……。」
そこへアレックスもやって来る。
「本当に鉄を打ち始めたんだね。」
「はい、兄様。」
「手は大丈夫?」
「大丈夫です。」
「なら良かった。」
兄は優しく頭を撫でてくれた。
◇◇◇
夕食の席。
父カインも鉄板を手に取っていた。
「これが今日の成果か。」
「はい。」
「上手にはできませんでした。」
父は鉄板を眺めた後、静かに言った。
「アルス。」
「最初から上手にできる必要はない。」
「今日できなかったことが、明日少しできるようになる。」
「その積み重ねが成長だ。」
「はい、お父様。」
アルスは力強く頷いた。
◇◇◇
夜。
アルスは今日も魔力操作と身体操作を終える。
しかし今日は、いつもより腕が重かった。
「ちょっと筋肉痛かな……。」
五歳の体なのだ。
当然といえば当然だった。
無理をしてはいけない。
それも身体操作を学んだからこそ分かる。
机の上には、今日作った小さな鉄板。
アルスはそれを見ながら手帳を開いた。
そして書く。
『しっぱいは つぎの いっぽ』
一度で成功する必要はない。
失敗したら考える。
そして、もう一度挑戦する。
そうやって少しずつ成長すればいい。
剣術も。
魔法も。
鍛冶も。
すべて同じだ。
アルスは鉄板を手に取った。
(いつか――。)
この小さな手で。
農民たちが使いやすい農具を。
料理人が喜ぶ包丁を。
そしていつの日か――。
この世界には存在しない、玉鋼から鍛えた日本刀を。
作ってみせる。
だが、それはまだ少し先の話。
今は一振りずつ。
一打ちずつ。
少年アルスは、確実に鍛冶師への道を歩み始めていた。




