第58話 鍛冶師への第一歩
剣術の修行が始まって数日後。
朝の訓練を終えたアルスは、父カインとともに屋敷の鍛冶場へ向かっていた。
遠くから聞こえてくるのは、力強い金属音。
カン! カン! カン!
規則正しい音が響くたび、炉から火花が舞い上がる。
「おう、坊ちゃん。」
鍛冶場の前で待っていたのは、専属鍛冶師のゴルンだった。
逞しい腕を組みながら、豪快に笑う。
「今日から本格的に鍛冶を教えてやる。」
アルスは深く頭を下げた。
「よろしくお願いします、ゴルンさん。」
「おう!」
「だが最初に言っとく。」
ゴルンの表情が少しだけ真剣になる。
「今日は鉄は打たせねぇ。」
「え?」
アルスは少し驚いた。
◇◇◇
ゴルンは炉の前まで歩き、赤々と燃える炎を指差した。
「鍛冶師が最初に覚えるのはな。」
「槌の振り方じゃねぇ。」
「火を見ることだ。」
「火を見る……ですか?」
「ああ。」
ゴルンは炉へ木炭を少し加える。
すると炎の色が変化した。
赤。
橙。
黄色。
場所によって微妙に色が違う。
「坊ちゃん。」
「この色の違い、分かるか?」
アルスは真剣に炎を見つめる。
前世の記憶では、およその温度は分かる。
だが、それをそのまま答えることはしない。
「少し違います。」
「それで十分だ。」
ゴルンは満足そうに頷いた。
「炎の色を見れば、おおよその温度が分かるようになる。」
「鍛冶師は、それを毎日見続けるんだ。」
◇◇◇
次にゴルンは一本の鉄棒を炉へ入れた。
「見てろ。」
しばらくすると鉄が赤く染まり始める。
「これも色が変わる。」
「まだ早い。」
「もう少し……。」
さらに時間が経つ。
鉄は明るい橙色へ変わった。
「よし。」
ゴルンは鉄を取り出し、鉄床へ置く。
カン!
カン!
カン!
力強い音が鍛冶場へ響く。
「坊ちゃん。」
「鉄は叩けばいいってもんじゃねぇ。」
「熱すぎても駄目。」
「冷たくても駄目。」
「ちょうどいい時を見極める。」
「それが鍛冶師の仕事だ。」
アルスは夢中でその光景を見つめていた。
◇◇◇
「今度は耳だ。」
「耳?」
ゴルンは出来上がった鉄を軽く叩く。
キーン……。
澄んだ音が鍛冶場へ響いた。
「音?」
「そうだ。」
「鉄は叩いた時の音でも状態が分かる。」
「鍛冶師は火だけじゃなく。」
「鉄の声も聞くんだ。」
アルスは静かに頷いた。
(鉄の声……。)
前世でも、師匠が似たことを言っていた。
鉄と向き合え。
鉄に教えてもらえ。
世界が変わっても、職人の心は同じだった。
◇◇◇
午後。
ゴルンはアルスへ一本の古い槌を差し出した。
「坊ちゃん。」
「持ってみろ。」
「はい。」
アルスは慎重に握る。
ずしり、とした重みが腕へ伝わる。
「重いです。」
ゴルンは笑う。
「だろ?」
「だから最初は力じゃねぇ。」
「体全体を使う。」
「足。」
「腰。」
「肩。」
「全部使って初めて槌は振れる。」
アルスは父から教わった剣術を思い出す。
剣も鍛冶も同じだった。
腕だけではない。
全身を使う。
◇◇◇
帰る前。
ゴルンは炉の火を見つめながら静かに言った。
「坊ちゃん。」
「鍛冶は急げねぇ。」
「良い鉄になるまで待つ。」
「良い剣になるまで待つ。」
「良い職人になるまで待つ。」
「全部時間がかかる。」
アルスは深く頭を下げた。
「はい。」
「一歩ずつ頑張ります。」
◇◇◇
夜。
部屋へ戻ると、いつものように魔力操作と身体操作の鍛錬を行う。
その後、机へ向かい手帳を開いた。
今日の言葉を書く。
『ひを みて てつの こえを きく』
火は嘘をつかない。
鉄も嘘をつかない。
だから鍛冶師は、炎を見つめ、鉄の声に耳を澄ませる。
まだ槌を振ることは許されなかった。
しかしアルスは、それが決して遠回りではないことを理解していた。
基礎を学ぶ者だけが、本当の職人になれる。
その教えを胸に、アルスは静かに目を閉じる。
こうして少年アルスは、鍛冶師への第一歩を力強く踏み出したのだった。




