第55話 小さな約束
数日後――。
父カインは再び北の村へ視察に向かうことになった。
「アルス。」
「今回も一緒に来るか?」
その言葉にアルスは笑顔になる。
「はい、お父様!」
馬車は緑豊かな街道を進み、初夏の風が窓から吹き込んでくる。
アルスは前回もらった野の花を思い出していた。
(あの子、元気かな。)
◇◇◇
北の村へ到着すると、村人たちが笑顔で迎えてくれた。
「伯爵様!」
「ようこそお越しくださいました!」
父は農民たちと畑の様子を確認し始める。
「アルス、村の中を見てきてもいい。」
「ただし、ライムと一緒にな。」
「はい。」
家令ライムとともに村を歩く。
子どもたちが広場で元気よく遊んでいた。
その中に、見覚えのある栗色の髪の少女がいた。
「あっ……。」
少女もアルスに気付き、小さく手を振る。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
二人は少し照れながら挨拶を交わした。
◇◇◇
「これ……。」
少女は今日も小さな花束を差し出した。
白や黄色、薄紫の野花が丁寧に束ねられている。
「また作ってくれたの?」
少女は恥ずかしそうに頷いた。
「うん。」
「アルスさまに。」
アルスは嬉しそうに受け取る。
「ありがとう。」
「すごくきれいだね。」
少女の顔がぱっと明るくなった。
◇◇◇
二人は村の広場をゆっくり歩く。
「この花ね。」
少女は一輪の青い花を指差す。
「春になるといっぱい咲くの。」
「そうなんだ。」
「こっちは?」
「白星花!」
「夜になると少し光るんだよ。」
「すごい。」
アルスは目を輝かせた。
この世界には、前世では見たことのない植物が数多くある。
一つひとつが新鮮だった。
◇◇◇
「アルスさまは、お花好き?」
少女が尋ねる。
「好きだよ。」
「花を見ると、みんなが笑顔になるから。」
少女は少し考えてから微笑んだ。
「わたしも!」
その笑顔は、咲き始めた花のように優しかった。
◇◇◇
しばらくすると、父カインが広場へやって来た。
「アルス。」
「そろそろ帰る時間だ。」
「はい。」
アルスは少し寂しそうに少女を見る。
「また来るね。」
少女は嬉しそうに何度も頷いた。
「ほんとう?」
「うん。」
「約束。」
アルスは小さな手を差し出す。
少女もそっと小指を重ねた。
「約束。」
二人は笑顔で指切りをする。
幼い子ども同士の、小さな約束だった。
◇◇◇
馬車が村を離れていく。
少女は見えなくなるまで手を振り続けていた。
アルスも窓から大きく手を振り返す。
父はその様子を見て穏やかに微笑む。
「友達ができたようだな。」
「はい。」
「また会いたいです。」
「それなら、その約束を守れるよう努力しなさい。」
「約束は、人との信頼を結ぶものだからな。」
「はい、お父様。」
◇◇◇
夜。
部屋へ戻ったアルスは、今日も魔力操作と身体操作の鍛錬を終えた。
机の上には、少女からもらった花束が花瓶に飾られている。
花は部屋を優しい香りで満たしていた。
アルスは手帳を開き、今日の出来事を書き留める。
『やくそくは こころを つなぐ』
約束は、小さな言葉かもしれない。
けれど、それを守ろうとする気持ちが、人と人との絆を育てていく。
アルスは花束を見つめながら微笑んだ。
この日交わした小さな約束は、まだ誰も知らない。
だが、やがて二人の人生を大きく結ぶ、大切な縁の始まりとなるのだった。




