第40話 領民との約束
初夏の爽やかな風が、シュゲール伯爵領を吹き抜けていた。
青々とした麦畑が風に揺れ、小鳥たちが元気よくさえずっている。
その朝、父カインはアルスへ声を掛けた。
「アルス。」
「今日は北の村を見回りに行く。」
「一緒に来るか?」
アルスは嬉しそうに頷いた。
「はい、お父様!」
母エリザはアルスの帽子を整えながら微笑む。
「今日は暑くなりそうですから、水分をしっかり取るのですよ。」
「はい、お母様。」
◇◇◇
馬車はのんびりと街道を進む。
窓から見える畑では、農民たちが汗を流しながら作業をしていた。
父は時折馬車を止め、畑の様子を眺める。
「麦の育ちは順調ですね。」
「ええ、伯爵様。」
「雨にも恵まれました。」
農民たちは笑顔で答えた。
アルスはそのやり取りを見て、自然と笑顔になる。
◇◇◇
やがて北の村へ到着した。
「伯爵様だ!」
「おはようございます!」
村人たちが次々と頭を下げる。
父は一人ひとりへ笑顔で挨拶を返した。
「皆さん、お変わりありませんか?」
「はい!」
「今年も良い麦が育っています!」
その時――。
「あっ!」
広場で遊んでいた子どもたちの一人がアルスに気付いた。
「伯爵様の坊ちゃんだ!」
「この前、お祭りで一緒に遊んだ子だ!」
数人の子どもたちが駆け寄ってくる。
◇◇◇
「こんにちは!」
「こんにちは。」
アルスも笑顔で挨拶を返した。
「元気だった?」
「うん!」
「ぼくね、この前より速く走れるようになったよ!」
一人の男の子が得意そうに胸を張る。
「すごい。」
アルスが拍手すると、子どもたちは嬉しそうに笑った。
「アルスくんも遊ぼう!」
父はアルスを見て頷く。
「少しだけならいいぞ。」
「ありがとうございます!」
◇◇◇
子どもたちは広場で追いかけっこを始めた。
アルスも一緒に走る。
もちろん、本気では走らない。
三歳らしい速さで。
「待てー!」
「つかまえた!」
笑い声が広場いっぱいに響く。
その様子を見守る村人たちも、自然と笑顔になっていた。
「坊ちゃんは優しい子ですね。」
「ええ。」
「子どもたちも嬉しそうです。」
◇◇◇
しばらく遊んだ後、一人の女の子が小さな花を差し出した。
「これ。」
「アルスくんに。」
白く可愛らしい野花だった。
アルスは両手で受け取る。
「ありがとう。」
「大切にするね。」
女の子は照れくさそうに笑った。
◇◇◇
帰る時間になる。
「もう帰るの?」
子どもたちは少し寂しそうだった。
「うん。」
「また来る。」
アルスがそう言うと、みんなの顔がぱっと明るくなる。
「本当?」
「約束!」
「約束。」
アルスは小さな指を差し出した。
子どもたちも次々と指を重ねる。
「ゆびきり!」
「また遊ぼうね!」
「うん!」
小さな約束だった。
けれど、その約束には子どもたちの笑顔が詰まっていた。
◇◇◇
馬車へ戻る途中。
父カインが静かに話しかける。
「アルス。」
「今日の約束を覚えているか?」
「はい。」
「また遊びに来るって。」
父は穏やかに頷く。
「ああ。」
「約束は簡単にしてはいけない。」
「した以上は守る努力をする。」
「それが信頼になる。」
アルスは真剣な表情で頷いた。
「はい、お父様。」
◇◇◇
帰りの馬車。
窓から村を見送る。
子どもたちは最後まで手を振っていた。
アルスも精一杯手を振り返す。
(また来よう。)
(今度はもっと長く遊ぼう。)
その思いは、少しずつ大きくなっていく。
◇◇◇
夜。
自室へ戻ると、今日も魔力操作を始めた。
昼間にもらった白い花は、小さな花瓶に飾ってある。
花を見るたびに、村の子どもたちの笑顔が思い浮かんだ。
(守りたい。)
家族だけじゃない。
領民のみんなも。
今日出会った子どもたちも。
笑顔で暮らせる毎日を守りたい。
そのために学ぼう。
鍛冶も。
魔法も。
剣も。
そして領主としての仕事も。
すべては、人々の幸せのために。
アルスは手帳を開き、小さな文字で今日の言葉を書き記した。
『やくそくは まもる』
その文字を見つめながら、静かに微笑む。
三歳の少年が交わした小さな約束。
それは未来の領主として歩み始める、大切な一歩となるのだった。
花束をアルスにくれた女の子の将来は如何に!




