第4話 小さな火種
アルス・シュゲールとして生まれてから半年が過ぎた。
寝返りもできるようになり、少しずつ座る練習も始まっている。
「アルス様、お上手ですよ」
専属メイドが優しく支えてくれる。
「あぅ!」
赤ん坊らしく笑顔を見せる。
(よし、転ばなかった)
身体はまだ赤ん坊だが、《身体操作》のおかげで重心の感覚は前世とは比べものにならないほど掴みやすい。
もちろん目立たないように、普通の赤ん坊よりほんの少し器用な程度に抑えている。
何事も自然が一番だ。
◇◇◇
夜。
屋敷中が静まり返る時間。
俺はベビーベッドの中で静かに目を閉じた。
(今日はいよいよ試してみよう)
神から授かった《全属性魔法》。
これまで半年間、魔力操作だけを繰り返してきた。
急いで魔法を使う必要はない。
まずは魔力を自在に操れるようになることを優先した。
その成果を、今日初めて試す。
(魔力を……指先へ)
体内を流れる魔力をゆっくりと右手へ集める。
焦らない。
急激に集めれば暴走する可能性もある。
少しずつ。
本当に少しずつ。
すると、人差し指の先がほんのり温かくなった。
(いい感じだ)
次は火属性のイメージ。
焚き火。
ろうそく。
木炭の火。
前世で鍛冶場の炉を見続けてきた記憶を思い浮かべる。
(燃え盛る炎じゃない)
(ろうそく程度で十分)
魔力を火へと変換する。
(《ファイアー》)
ぽっ。
指先に豆粒ほどの小さな炎が灯った。
(できた……!)
ほんの数秒。
だが間違いなく火属性魔法だった。
その直後、炎は自然に消えた。
(成功だ)
大きな炎ではない。
攻撃にもならない。
それでも俺は思わず嬉しくなった。
異世界で初めて、自分の意思で魔法を発動させたのだから。
◇◇◇
翌朝。
「アルス、おはよう」
母エリザが抱き上げてくれる。
「今日はよく眠れたみたいね」
(はい。魔法の練習をしてました)
もちろん口には出せない。
赤ちゃんは「あぅ」しか言えないのだから。
「今日も元気そうだ」
父カインも執務へ向かう前に顔を見せてくれた。
「エリザ、アルスの顔を見ると疲れが吹き飛ぶな」
「あなたったら」
二人は見つめ合い、自然に笑う。
(本当に仲がいいな)
貴族というと冷たい家庭を想像していた前世の俺には、この光景が少し眩しく映る。
◇◇◇
「アルスー!」
今日も元気いっぱいの姉エルゼが部屋へ飛び込んできた。
「今日も可愛い!」
ぎゅっと抱きしめられる。
「エルゼ、あまり強く抱いたらアルスが苦しいでしょう」
「はーい!」
返事はいい。
でも、次の瞬間にはまた頬ずりを始める。
(姉さんは今日も平常運転だ)
思わず笑ってしまう。
「あうっ」
「見て! アルス笑った!」
エルゼが大喜びする。
「本当ね」
母も嬉しそうだ。
俺の小さな笑顔だけで家族みんなが幸せそうになる。
そんな時間が、心地よかった。
◇◇◇
その日の夜。
俺は再び魔力を巡らせていた。
昨日よりも少しだけ滑らかに。
少しだけ正確に。
《ファイアー》も一度だけ成功したからといって調子には乗らない。
魔法は便利な力だ。
だからこそ慎重に扱うべきだ。
(次は水かな)
火の次は水。
生活でも役立つ属性だ。
いずれ鍛冶をするなら、水の扱いも重要になる。
鍛冶では火だけではなく、冷却もまた欠かせない。
(前世の知識も、この世界で必ず役に立つ)
俺は小さく拳を握る。
赤ん坊の小さな手だったが、その胸には大きな夢が宿っていた。
いつか世界最高の鋼を作り、人々の暮らしを豊かにする。
そのための第一歩は、誰にも知られない小さな火種から始まったのだった。
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