第37話 初めての鍛冶体験
春の暖かな風が吹くある日の午後。
家庭教師リーナとの授業を終えたアルスは、いつものように鍛冶場へ足を運んでいた。
カン、カン、カン!
聞き慣れた槌音が心地よく響く。
「おっ、坊ちゃん!」
ゴルンが汗を拭いながら笑顔を見せた。
「今日も来たか。」
「こんにちは、ゴルンさん。」
アルスは元気よく頭を下げる。
その礼儀正しい姿に、ゴルンは満足そうに頷いた。
◇◇◇
「坊ちゃん。」
ゴルンは作業台の下から、小さな木槌を取り出した。
「覚えてるか?」
「十歳になったら本格的に鍛冶を教えるって約束しただろ。」
「はい!」
アルスの瞳が輝く。
「でもな。」
「十歳までは何もできないってわけじゃねぇ。」
ゴルンは笑いながら続けた。
「今日は"鍛冶体験"だ。」
「本物の鉄は危ねぇから使わねぇ。」
「柔らかい金属を叩いてみるか。」
「本当ですか!」
アルスは思わず声を弾ませた。
◇◇◇
作業台の上には、小さな銅の板が置かれていた。
「これは銅だ。」
「鉄より柔らかい。」
「子どもの練習にはちょうどいい。」
ゴルンは木槌をアルスへ渡す。
「まずは真っ直ぐ振ってみろ。」
「はい。」
アルスは両手で木槌を握る。
(焦らない。)
(今日は初めてということを忘れちゃ駄目だ。)
ゆっくりと木槌を振り下ろす。
コン。
軽い音が響いた。
「うん。」
ゴルンが頷く。
「力はまだ弱い。」
「でも、真っ直ぐ振れてる。」
「初めてなら十分だ。」
◇◇◇
もう一度。
コン。
さらにもう一度。
コン。
少しずつ銅板の表面が平らになっていく。
アルスは目を輝かせた。
(面白い……。)
叩くたびに少しずつ形が変わる。
前世で見習い時代に初めて槌を握った日のことが思い出された。
あの時も、鉄が形を変えることに感動した。
◇◇◇
「坊ちゃん。」
ゴルンは優しく声を掛ける。
「鍛冶で一番大事なのは何だと思う?」
アルスは少し考える。
「……ていねい?」
ゴルンは大きく笑った。
「そうだ!」
「その通り!」
「力じゃねぇ。」
「丁寧さだ。」
「急いで叩けば失敗する。」
「一打、一打に心を込める。」
「それが職人ってもんだ。」
アルスは真剣な表情で頷いた。
(父さんの剣と同じだ。)
(一本一本を丁寧に。)
鍛冶も剣も、根本は変わらない。
◇◇◇
そこへ父カインが様子を見にやって来た。
「おや。」
「今日は鍛冶体験か。」
「旦那様。」
ゴルンが頭を下げる。
「危険のない範囲で、木槌を使っております。」
父はアルスの手元を見つめ、静かに微笑んだ。
「楽しそうだな。」
「はい!」
「ものづくり、たのしい!」
その言葉に父は嬉しそうに頷く。
「好きなことに夢中になれるのは素晴らしい。」
「ただし、焦ってはいけない。」
「何事も順番がある。」
「はい、お父様。」
◇◇◇
作業が終わると、ゴルンは叩き終えた銅板をアルスへ渡した。
「記念だ。」
「坊ちゃんの初めての作品だぞ。」
銅板には小さな槌の跡が残っている。
決して綺麗とは言えない。
それでも、アルスにとっては世界で一つだけの宝物だった。
「ありがとうございます!」
大切そうに胸へ抱きしめる。
◇◇◇
夜。
自室へ戻ったアルスは、机の上へ銅板を置いた。
そして、いつものように魔力操作を始める。
今日の感触を思い返す。
木槌の重さ。
銅を叩いた時の音。
手に伝わる小さな振動。
(やっぱり鍛冶は楽しい。)
まだ本格的な鍛冶ではない。
炉も使えない。
鉄も打てない。
それでも、ものづくりの楽しさは十分に感じられた。
そして改めて思う。
前世で学んだ鍛冶。
今世で学ぶこの世界の鍛冶。
その二つを合わせれば、きっと誰も見たことのない技術を生み出せる。
その日まで、焦らず学び続けよう。
そう誓いながら、アルスは静かに目を閉じた。
机の上では、小さな銅板が月明かりを受けて、かすかに輝いていた。




