第36話 父との剣術稽古
春の朝。
まだ朝露が草花に残る時間。
アルスは今日も木剣を手に、屋敷の訓練場へ向かっていた。
毎朝の素振りは、三歳になってから欠かさず続けている日課である。
「おはようございます、お父様。」
訓練場では、父カインがすでに準備運動を終えて待っていた。
「おはよう、アルス。」
「今日も元気そうだな。」
「はい!」
アルスは木剣を胸の前で持ち、しっかりと一礼する。
父も同じように礼を返した。
「礼に始まり、礼に終わる。」
「剣を学ぶ者は、これを忘れてはいけない。」
「はい、お父様。」
◇◇◇
「では、素振りを始めよう。」
「一本ずつ、丁寧に。」
「はい。」
アルスは木剣を構える。
深く息を吸い、ゆっくりと振り下ろした。
シュッ。
続けて二本目。
シュッ。
焦らず。
力まず。
父の教えを思い出しながら、一振り一振りを大切にする。
前世で身につけた身体操作は使わない。
今は三歳のアルスとして、基礎を学ぶ時間だからだ。
◇◇◇
十本ほど振り終えたところで、父が木剣を置いた。
「少し話をしよう。」
「はい。」
二人は訓練場のベンチへ腰掛ける。
柔らかな春風が吹き抜けた。
「アルス。」
「お前は、剣は何のためにあると思う?」
アルスは少し考える。
「……まもるため?」
父は優しく微笑んだ。
「その通りだ。」
「剣は人を傷付けることもできる。」
「だが、本当に大切なのは、大切な人を守るために使うことだ。」
その言葉には、強い信念が込められていた。
◇◇◇
「父さんも剣を使うの?」
アルスが尋ねると、父は頷いた。
「ああ。」
「若い頃は何度も戦場へ立った。」
「だが、一番嬉しかったのは勝った時ではない。」
「領民が無事だった時だ。」
アルスは静かに父を見つめる。
父にとって剣とは、名誉のためではない。
人々を守るためのものなのだ。
(だからみんな、お父様を慕っているんだ。)
◇◇◇
その時、アレックスが訓練場へやって来た。
「父上、おはようございます。」
「おはよう。」
「兄様!」
アレックスも木剣を持ち、一礼する。
「アルス。」
「一緒に素振りをしよう。」
「うん!」
二人は並んで木剣を振る。
アレックスは力強く。
アルスはまだゆっくりと。
それでも兄は急かさない。
「上手になってきたね。」
「ありがとう。」
兄に褒められ、アルスは嬉しそうに笑った。
◇◇◇
少し離れた場所では、エルゼが応援していた。
「アルスー!」
「頑張れー!」
小さな旗まで作って振っている。
「姉様……。」
アレックスが苦笑する。
「応援が一番大きいね。」
「もちろん!」
エルゼは胸を張る。
「アルスの一番の応援団だから!」
その言葉に、周りで見守る使用人たちも笑顔になった。
◇◇◇
稽古の終わり。
父はアルスの肩へ優しく手を置いた。
「今日もよく頑張った。」
「はい。」
「剣術は強くなるためだけではない。」
「礼儀を学び。」
「心を鍛え。」
「自分を律するための道でもある。」
アルスは深く頷く。
その教えは、前世で学んだ剣道の理念にも通じていた。
◇◇◇
夜。
魔力操作を終えたアルスは、新しい手帳を開いた。
今日の学びを書き留める。
『つよさは まもるため』
まだ少し歪んだ文字だった。
しかし、その一文字一文字には、父から受け取った大切な教えが込められている。
アルスは手帳を閉じると、静かに窓の外を見上げた。
春の夜空には、満天の星が輝いている。
(強くなろう。)
(でも、その強さは誰かを傷付けるためじゃない。)
(家族を。)
(領民を。)
(大切な人たちを守るための強さになろう。)
その決意を胸に、アルスは穏やかな眠りについた。
少年の剣は、まだ小さく、未熟だった。
しかし、その心は確かに、父から受け継いだ優しさとともに育ち始めていた。




