第32話 朝の素振り
三歳になって一か月。
アルスの日課が一つ増えていた。
それは――朝の素振りである。
まだ太陽が昇り始めたばかりの時間。
屋敷の庭には朝露が残り、小鳥たちがさえずり始める。
アルスは子ども用の木剣を持ち、訓練場へ向かった。
◇◇◇
「おはようございます、お父様。」
そこにはすでに父カインの姿があった。
木剣を手に、一人静かに素振りをしている。
「おはよう、アルス。」
「今日も早いな。」
「はい。」
「素振り、したいです。」
父は穏やかに微笑んだ。
「いい心掛けだ。」
「だが、数を振ることが目的ではない。」
「一本一本を丁寧に振るんだ。」
「はい!」
◇◇◇
アルスは木剣を正眼に構える。
深呼吸を一つ。
そしてゆっくりと振り下ろした。
シュッ。
続けて二本目。
シュッ。
三本目。
焦らず。
力まず。
父から教わったことを思い出しながら振る。
(まだ体が小さい。)
(だからこそ、正しい動きを覚えよう。)
前世では剣道を学び、何千、何万と竹刀を振ってきた。
しかし今は、その経験を表に出さず、三歳らしい成長を大切にする。
◇◇◇
「そこまで。」
十本ほど振ったところで、父が声を掛けた。
「今日はこれで終わりだ。」
アルスは少し驚く。
「もう?」
父は笑いながら頷いた。
「子どもの体には子どもの稽古がある。」
「無理をして嫌いになってはいけない。」
「毎日続けられることが、一番大切なんだ。」
アルスは素直に頷いた。
「はい。」
(やっぱり父さんは、続けることを大切にしている。)
◇◇◇
朝食の時間。
エルゼが目を輝かせながら話し掛けてきた。
「アルス!」
「今日もお稽古したの?」
「うん。」
「えらい!」
ぎゅっと抱きしめられる。
「アルスは頑張り屋さんね!」
アレックスも微笑んだ。
「僕も最初は十本からだったよ。」
「毎日続けていたら、いつの間にか百本振れるようになっていた。」
アルスは兄を尊敬の眼差しで見つめた。
(兄さんも努力を積み重ねてきたんだ。)
◇◇◇
午前中は家庭教師リーナとの授業だった。
「アルス様。」
「今日は計算をしてみましょう。」
木の実を机へ並べる。
「二つあります。」
「もう一つ置くと?」
「三つ!」
「正解です。」
リーナ先生は嬉しそうに拍手した。
「文字だけでなく、計算もよくできていますね。」
アルスは照れながら笑う。
剣術も。
勉強も。
どちらも毎日の積み重ねだった。
◇◇◇
午後。
鍛冶場ではゴルンが農具を修理していた。
「坊ちゃん。」
「今日も剣を振ったんだって?」
「はい!」
ゴルンは大きく頷く。
「いいことだ。」
「槌も同じだぞ。」
「毎日少しずつ振る。」
「それで体が覚える。」
そう言って、自分の大きな腕を見せた。
「この腕も、一日でできたわけじゃねぇ。」
「毎日の積み重ねだ。」
アルスはその言葉を胸に刻む。
(みんな同じことを言う。)
父も。
兄も。
リーナ先生も。
ゴルンも。
才能より、積み重ね。
その考え方が、この屋敷には根付いていた。
◇◇◇
夕方。
アルスは庭を歩きながら、木工職人バルトの工房へ立ち寄った。
バルトは椅子を磨いていた。
「坊ちゃん。」
「剣のお稽古はどうだ?」
「たのしい!」
「それは良かった。」
バルトは木を優しく撫でながら笑う。
「木工もな。」
「毎日鉋をかける。」
「毎日磨く。」
「それで初めて良い家具になる。」
また同じ言葉だった。
毎日。
少しずつ。
積み重ねる。
◇◇◇
夜。
いつものように魔力操作を終えたアルスは、新しくもらった手帳を開いた。
少しずつ書ける文字も増えてきた。
今日書いたのは一行だけ。
「つづけることが たいせつ」
少し曲がった文字だったが、その意味はまっすぐだった。
手帳を閉じると、アルスは静かに微笑む。
今日も学んだ。
明日も学ぼう。
剣も。
鍛冶も。
魔法も。
勉強も。
一歩ずつ積み重ねた先に、自分が目指す未来がある。
そう信じながら、アルスは穏やかな眠りにつくのだった。




