第31話 木剣の基本
三歳の誕生日から数日後。
朝食を終えたアルスは、父カインとともに屋敷の訓練場へ向かっていた。
春の陽射しは暖かく、庭園では花々が風に揺れている。
「アルス。」
父は木剣を一本手に取り、優しく笑った。
「今日から少しずつ剣の稽古を始めよう。」
「はい、お父様。」
アルスは小さな木剣を受け取る。
まだ子ども用とはいえ、三歳の体には少し大きい。
それでも両手でしっかりと握った。
(前世では毎日のように竹刀を握っていた。)
(でも、それは見せない。)
今の自分は三歳のアルス。
一歩ずつ学ぶことが大切だ。
◇◇◇
「まずは礼から。」
父は木剣を体の前へ下ろし、ゆっくりと頭を下げる。
「剣は人を傷付けることも、人を守ることもできる。」
「だからこそ、礼を忘れてはいけない。」
「はい。」
アルスも父の真似をして頭を下げた。
礼は前世でも何度も教えられた。
剣道でも、鍛冶でも。
道具への感謝と相手への敬意は、何よりも大切だった。
◇◇◇
「次は構えだ。」
父はゆっくりと木剣を正面へ向ける。
「肩の力を抜く。」
「腕だけで持たない。」
「足で立つ。」
一つひとつ丁寧に説明してくれる。
アルスも真似をする。
あえて少しぎこちなく。
三歳らしく。
「そうだ。」
父は満足そうに頷いた。
「初めてにしては上出来だ。」
(ありがとうございます。)
心の中でそう返事をした。
◇◇◇
「では、一回だけ振ってみよう。」
「はい。」
アルスは木剣を持ち上げる。
深呼吸。
そして――。
シュッ。
木剣がゆっくりと振り下ろされた。
力任せではない。
父の教え通り、体全体を使うことだけを意識する。
「うん。」
父は微笑んだ。
「焦らなくていい。」
「百回振るより、一回を丁寧に振ることが大切だ。」
その言葉は、アルスの胸へ深く刻まれた。
(鍛冶も同じ。)
(一打を丁寧に。)
(魔法も同じ。)
(一つひとつ正確に。)
どんな技術も、本質は変わらない。
◇◇◇
休憩中。
兄アレックスが訓練場へやって来た。
「父上。」
「僕もご一緒していいですか?」
「ああ。」
父は頷いた。
アレックスは年齢に合った木剣を持ち、基本の素振りを始める。
シュッ、シュッ。
無駄のない動きだった。
「兄様、すごい。」
アルスが素直に言うと、アレックスは照れくさそうに笑った。
「毎日少しずつ練習しているからね。」
「最初は僕も全然できなかったよ。」
その言葉にアルスは安心した。
努力を続けているのは、自分だけではない。
◇◇◇
「アルス!」
今度はエルゼが元気よく駆けてきた。
「頑張れー!」
両手をぶんぶん振って応援している。
「お姉様。」
「ふふっ。」
「アルスが剣を持ってるだけで可愛い!」
相変わらず弟を溺愛している。
その様子に父も母も、そして使用人たちも笑顔になった。
◇◇◇
訓練が終わると、父は木剣を受け取りながら言った。
「今日はここまで。」
「もう終わり?」
「剣の稽古は無理をしてはいけない。」
「体を痛めれば続けられなくなる。」
「毎日少しずつ。」
「それが一番強くなる方法だ。」
「はい!」
アルスは元気よく返事をした。
◇◇◇
夜。
部屋へ戻ると、いつものように魔力操作を始める。
そして今日教わった構えを頭の中で何度も思い返した。
礼。
構え。
一振り。
そのすべてに意味があった。
(基礎は退屈じゃない。)
(未来を支える一番大切な時間なんだ。)
前世で学んだこと。
今世で父から教わること。
二つは不思議なほどよく似ていた。
だからこそ、アルスは確信する。
焦らず、一歩ずつ。
その積み重ねが、いつか人々を守れる力になる。
そう信じながら、アルスは静かに眠りについた。




