第30話 三歳の誕生日
長かった冬が終わり、シュゲール伯爵領にも暖かな春が訪れた。
庭園には色鮮やかな花が咲き、小鳥たちが楽しそうにさえずっている。
そして今日は――。
アルス・シュゲール、三歳の誕生日だった。
◇◇◇
「アルス、お誕生日おめでとう。」
朝一番に母エリザが優しく抱きしめてくれた。
「ありがとうございます、お母様。」
三歳になったアルスは、二歳の頃よりもはっきりと言葉を話せるようになっていた。
「おお。」
父カインが目を細める。
「ずいぶん立派に話せるようになったな。」
「ありがとうございます、お父様。」
その受け答えに、父も母も嬉しそうに笑う。
◇◇◇
「アルスー!」
元気いっぱいに飛び込んできたのはエルゼだった。
「お誕生日おめでとう!」
ぎゅっと抱きしめられる。
「ありがとう、お姉様。」
「きゃー!」
エルゼは嬉しさのあまり、その場でくるくる回り始めた。
「アルスが『お姉様』って言った!」
「姉さん、落ち着いて。」
アレックスが苦笑する。
「でも、本当に成長したね。」
「去年よりずっとお兄さんらしくなった。」
アルスは少し照れくさそうに笑った。
◇◇◇
朝食の後、応接室へ家族が集まる。
テーブルの上には、小さな箱が二つ置かれていた。
「アルス。」
父が一つ目の箱を差し出す。
「誕生日の贈り物だ。」
中には、一冊の本が入っていた。
『セレン王国の歴史』。
「ありがとう!」
アルスは大切そうに抱きしめる。
続いて母がもう一つの箱を開けた。
「これは私から。」
中には上質な革で作られた小さな手帳と、木炭で書ける筆記具が入っていた。
「まだ文字を書く練習中ですが。」
「思ったことを書き留める習慣をつけると良いですよ。」
アルスは目を輝かせた。
(手帳……。)
前世でも、思いついたことをメモする習慣があった。
鍛冶のアイデアも、忘れないようによく書き留めていた。
「大切にします。」
その言葉に母は優しく微笑んだ。
◇◇◇
昼食後。
父はアルスを庭の訓練場へ連れて行った。
「アルス。」
「三歳になった。」
「そろそろ新しいことを始めてもいい頃だ。」
父は訓練用の小さな木剣を差し出した。
「剣……。」
「もちろん、本格的な訓練ではない。」
「まずは持ち方や礼儀からだ。」
アルスは両手で木剣を受け取る。
軽い。
しかし、前世で何度も握った竹刀や木刀とは少し重心が違う。
(なるほど。)
重さを確かめながら、自然に握り直す。
だが、前世の癖が出ないよう、すぐに力を抜いた。
今の自分は三歳の子どもなのだから。
◇◇◇
「まずは構えなくていい。」
父は笑いながら言った。
「今日は剣に慣れるだけだ。」
「はい。」
アルスは木剣をゆっくり持ち上げる。
振る。
ゆっくり。
一回。
二回。
三回。
無理をしない。
身体操作の力も、ほんの少しだけ使う。
「いいぞ。」
父は満足そうに頷いた。
「力任せではなく、丁寧に振れている。」
「それが一番大切だ。」
アルスは静かに頷く。
(やっぱり父さんも基礎を大切にする人なんだ。)
鍛冶も。
魔法も。
剣術も。
すべてに共通するのは基礎だった。
◇◇◇
夕方。
ゴルンが鍛冶場から顔を出した。
「坊ちゃん。」
「三歳おめでとう!」
「ありがとうございます!」
「もう木剣を持ったって聞いたぞ。」
「はい!」
ゴルンは豪快に笑う。
「剣を振るのも、槌を振るのも似てる。」
「どっちも足腰が大事だからな。」
アルスはその言葉もしっかりと覚える。
職人の言葉には、経験から生まれた重みがある。
◇◇◇
夜。
誕生日のお祝いも終わり、屋敷は静かな時間を迎えていた。
アルスは新しくもらった手帳を開く。
まだ書ける文字は多くない。
それでも、小さな文字で一行だけ書いた。
「まいにち がんばる」
少し歪んだ文字。
それでも、自分で書いた初めての目標だった。
手帳を閉じると、いつものように魔力を巡らせる。
三年間。
一日も欠かさず続けてきた鍛錬。
その努力は、誰にも知られていない。
しかし、それでいい。
努力は見せるためではなく、自分を成長させるためのものだから。
(三歳になった。)
(もっと学ぼう。)
(もっと強くなろう。)
(そして、もっと多くの人を笑顔にできる人になろう。)
その決意とともに、アルスは静かに目を閉じた。
三歳になった少年の新たな一年は、剣術という新しい学びとともに、ゆっくりと歩み始めるのだった。




