第26話 領都の市場
アルスが二歳の秋を迎えた頃。
空は高く澄み渡り、収穫の季節を迎えたシュゲール伯爵領は活気に満ちていた。
その朝、父カインは朝食の席でアルスへ声を掛けた。
「アルス。」
「今日は領都の市場へ行ってみよう。」
アルスは目を輝かせる。
「いちば!」
「ああ。」
「領民が作った品々が集まる場所だ。」
「物がどうやって人の手へ渡るのか、見ておくのも大切な勉強だからな。」
「はい!」
母エリザも優しく微笑んだ。
「たくさんの人がいますから、お父様のそばを離れてはいけませんよ。」
「うん!」
◇◇◇
馬車は領都へ向かい、やがて石造りの門をくぐった。
街へ入ると、人々の賑やかな声が聞こえてくる。
「いらっしゃい!」
「採れたての野菜だよ!」
「焼きたてのパンはいかがですか!」
市場は大勢の人であふれていた。
アルスは父と手をつなぎながら、一つひとつの店を見て回る。
(すごい……。)
前世の商店街とも少し違う。
ここには領民たちの生活そのものが並んでいた。
◇◇◇
最初に立ち寄ったのは八百屋だった。
木箱には色鮮やかな野菜が並んでいる。
「伯爵様!」
店主が笑顔で頭を下げた。
「今年も豊作でした。」
「それは良かった。」
父は野菜を手に取りながら品質を確かめる。
「どれも立派だ。」
「皆さんのおかげです。」
店主は嬉しそうに笑った。
アルスは野菜を見つめる。
(どれも新鮮だ。)
農家の人たちが毎日育てた野菜。
そこには大きな努力が詰まっている。
◇◇◇
次に訪れたのは鍛冶屋の露店だった。
農具や包丁、釘、鍋などが並んでいる。
「坊ちゃん。」
父が一本の鍬を手に取る。
「これは農家には欠かせない道具だ。」
「畑を耕すためにな。」
アルスは鍬を見つめる。
(武器だけじゃない。)
鍛冶師が作るのは剣や鎧だけではない。
人々の暮らしを支える道具もまた、大切な仕事なのだ。
「こんにちは。」
店主が笑顔で声を掛ける。
「小さなお坊ちゃんも鍛冶がお好きですか?」
「うん!」
「てつ、すき!」
その返事に店主は大笑いした。
「将来が楽しみですね。」
◇◇◇
市場の奥では、布を売る店も並んでいた。
色鮮やかな布が風に揺れている。
「これはエルフ族の織物です。」
店主が説明する。
「丈夫で長持ちするんですよ。」
さらに隣にはドワーフ族が作った木箱や樽。
獣人族が育てた果物。
さまざまな種族が、それぞれの技術を活かして商売をしていた。
(みんなで支え合ってるんだ。)
父が以前話していた言葉を思い出す。
一人では生きていけない。
だからこそ、人と人が助け合う。
市場は、そのことを目に見える形で教えてくれていた。
◇◇◇
歩き疲れた頃、父は屋台で果実ジュースを買ってくれた。
「はい。」
「ありがとう、お父様。」
一口飲むと、甘酸っぱい果実の香りが口いっぱいに広がる。
「おいしい!」
父は嬉しそうに笑った。
「市場へ来る楽しみの一つだ。」
二人は並んでベンチへ腰掛け、人々が行き交う様子を眺めた。
◇◇◇
帰りの馬車の中。
「アルス。」
父が静かに問い掛ける。
「今日は何を学んだ?」
アルスは少し考えてから答えた。
「みんな。」
「はたらいてた。」
「ああ。」
父は頷く。
「農家も。」
「鍛冶師も。」
「商人も。」
「みんなが働くことで、人々の暮らしが成り立っている。」
「だから仕事に貴賤はない。」
「どの仕事も、大切なんだ。」
アルスはその言葉を胸に刻んだ。
◇◇◇
その夜。
ベッドの中で魔力操作を続けながら、今日の市場を思い返す。
農家が野菜を育てる。
鍛冶師が道具を作る。
商人が必要な場所へ運ぶ。
そのすべてがつながって、一つの暮らしになっている。
(俺も……。)
(いつか、人の役に立つ物を作りたい。)
剣だけではない。
農具も。
包丁も。
便利な道具も。
前世の知識と、この世界の技術を組み合わせれば、もっと多くの人を笑顔にできるはずだ。
市場で見た人々の笑顔を胸に、アルスは静かに眠りにつく。
少年の小さな夢は、少しずつ形になり始めていた。




