第23話 初めてのおつかい
朝日がシュゲール伯爵家の大きな窓から差し込み、屋敷に穏やかな一日が始まる。
食堂では、いつものように家族が朝食を囲んでいた。
「アルス。」
父カインがパンを口に運びながら微笑む。
「今日は一つ、お願いがあるんだ。」
アルスは首を傾げた。
「おねがい?」
「ああ。」
「簡単なおつかいだ。」
「できるかな?」
アルスは元気よく頷いた。
「できる!」
その返事に、家族みんなが笑顔になった。
◇◇◇
朝食を終えると、父は一通の封筒をアルスへ差し出した。
「これを家令のライムへ届けてくれ。」
「ライムさんに『お父様からです』と言えば大丈夫だ。」
「うん!」
アルスは両手で大切そうに封筒を持つ。
専属メイドが後ろから見守っているが、口は出さない。
これはアルス自身のおつかいだからだ。
◇◇◇
廊下を歩く。
途中で清掃係のメイドとすれ違う。
「おはようございます、アルス様。」
「おはよう!」
小さな声で挨拶すると、メイドは嬉しそうに微笑んだ。
「今日も元気ですね。」
アルスもにこりと笑う。
(挨拶は大事だ。)
前世でも、師匠から何度も教えられたことだった。
◇◇◇
やがて家令室へ到着する。
コンコン。
小さな手で扉を叩く。
「どうぞ。」
中から落ち着いた声が聞こえた。
扉を開けると、家令ライムが書類を整理していた。
「あれ?」
「アルス様。」
「どうなさいました?」
アルスは封筒を差し出す。
「おとうさま。」
「はい。」
「どうぞ。」
ライムは両手で丁寧に受け取った。
「確かに承りました。」
「ありがとうございます。」
そして優しく頭を撫でる。
「立派におつかいができましたね。」
アルスは少し照れながら笑った。
◇◇◇
帰り道。
今度は執事レイムと出会う。
「アルス様。」
「おつかいですか?」
「うん!」
「ライムさんに。」
「それは素晴らしい。」
レイムは少し考えると、小さな木箱を取り出した。
「それでは、私からもお願いしてよろしいでしょうか。」
「これを厨房まで届けてもらえますか?」
アルスは木箱を受け取る。
「わかった!」
「ありがとうございます。」
レイムは嬉しそうに頭を下げた。
◇◇◇
厨房では料理人たちが昼食の準備に追われていた。
香ばしいパンの香り。
煮込み料理の湯気。
食欲をそそる匂いが広がっている。
「こんにちは。」
アルスが声を掛ける。
「おや!」
料理長が笑顔になった。
「アルス様。」
「レイムさんから。」
木箱を渡す。
「確かに受け取りました。」
「ありがとうございます。」
料理長は棚から小さな焼き菓子を一つ取り出した。
「お礼です。」
専属メイドが微笑みながら頷く。
「一つだけですよ。」
アルスは嬉しそうに受け取った。
「ありがとう!」
◇◇◇
昼食後。
父カインはライムとレイムから報告を受けていた。
「アルス様は、とても丁寧でした。」
ライムが微笑む。
「挨拶もしっかりされていました。」
レイムも頷く。
「お願いした品も、両手で大切に運んでくださいました。」
父は満足そうに微笑んだ。
「そうか。」
「仕事の大きさではない。」
「任されたことを最後までやり遂げる。」
「それが信頼につながる。」
◇◇◇
夕方。
アルスは庭で父と散歩していた。
「今日のおつかいはどうだった?」
「たのしかった!」
父は優しく笑う。
「人は一人では生きていけない。」
「だから、お互いに助け合う。」
「仕事も同じだ。」
「一人ひとりが自分の役割を果たすから、屋敷も領地も回っていく。」
アルスは静かに頷いた。
今日出会った人たちを思い出す。
ライム。
レイム。
料理人。
清掃係。
みんな笑顔で働いていた。
(誰一人欠けても、この屋敷は成り立たない。)
そのことを、幼いながらに理解し始めていた。
◇◇◇
夜。
いつものように魔力操作を終えたアルスは、今日一日を振り返る。
おつかいは、小さな仕事だった。
でも、その仕事を終えた時、みんなが「ありがとう」と言ってくれた。
(ありがとうって、嬉しいな。)
誰かの役に立つこと。
それは、大きな発明をすることだけではない。
小さな仕事を丁寧にこなすことも、人を幸せにできる。
いつか鍛冶師になった時も。
一本の剣を作る時も。
一つの農具を作る時も。
使う人の「ありがとう」を思い浮かべながら作れる職人になろう。
そう心に誓い、アルスは静かに目を閉じた。
幼い少年の心には、人を思いやる優しさが、少しずつ根を張り始めていた。




