第22話 二年間積み重ねた魔力操作
夜の帳が下り、シュゲール伯爵家の屋敷が静けさに包まれる。
使用人たちも仕事を終え、それぞれの持ち場で休息を取っていた。
アルスも寝室のベッドへ入り、目を閉じる。
もちろん、本当に眠るわけではない。
(今日も始めよう。)
生まれたその日から、一日も欠かさず続けてきた鍛錬。
――魔力操作。
神から授かった《魔力操作》という特典に頼るだけではなく、自分自身の技術として身につけるため、毎晩続けてきた努力だった。
◇◇◇
アルスは静かに意識を体の内側へ向ける。
心臓の鼓動。
呼吸。
そして、体中を巡る魔力の流れ。
以前は細い小川のようだった魔力は、今では穏やかな川のように全身を巡っていた。
(ずいぶん滑らかになったな。)
魔力を右腕へ流す。
今度は左腕。
次は足先。
さらに指先一本へ集中させる。
そのすべてが、ごく自然にできるようになっていた。
力任せではない。
水を器へ注ぐように、優しく、丁寧に。
それがアルスの魔力操作だった。
◇◇◇
(次は同時に。)
右手へ火属性。
左手へ水属性。
もちろん魔法は発動させない。
属性へ変換する直前で止める。
少しでも気を抜けば暴発しかねない繊細な作業だ。
しかしアルスの表情は落ち着いていた。
(大丈夫。)
毎日続けてきた。
だから恐れる必要はない。
火の温かさ。
水の冷たさ。
異なる魔力が互いに干渉することなく、静かに循環していく。
(成功。)
アルスは小さく息を吐いた。
◇◇◇
翌朝。
朝食の席。
「アルス、よく眠れたか?」
父カインが優しく尋ねる。
「うん!」
アルスは笑顔で頷いた。
母エリザも安心したように微笑む。
「最近は夜泣きもしなくなりましたね。」
「成長した証拠だな。」
父は嬉しそうに笑った。
(夜泣きどころか、夜は毎日鍛錬してるんだけどね。)
もちろん、そのことは秘密である。
◇◇◇
午前中は家庭教師リーナとの授業だった。
「アルス様。」
「今日は文字を書く練習をしましょう。」
木の板へチョークのような白い石で文字を書く。
アルスはゆっくりと線を引く。
まだ少し曲がる。
それでも二歳の子どもとしては十分すぎるほど上手だった。
「素晴らしいですね。」
「手先がとても器用です。」
リーナ先生が感心する。
アルスは少し照れくさそうに笑った。
(身体操作の訓練も役立ってるな。)
細かな力加減も、以前よりずっと上手くなっていた。
◇◇◇
午後。
鍛冶場ではゴルンが農具を作っていた。
「坊ちゃん。」
「見てみろ。」
鉄を打つたびに、美しい音が響く。
カン――。
「良い音。」
アルスが呟く。
「分かるか?」
ゴルンは嬉しそうに笑った。
「鉄はな。」
「ちゃんと鍛えられると音が変わる。」
「職人は耳でも仕事をするんだ。」
アルスは真剣に頷いた。
前世でも同じだった。
色を見る。
音を聞く。
感触を覚える。
五感すべてが鍛冶師の道具なのだ。
◇◇◇
夕方。
父は庭で木剣を振るうアレックスを見守っていた。
「良くなってきた。」
「だが、まだ肩に力が入っている。」
「はい!」
兄は真剣な表情で木剣を振り直す。
アルスはその姿を見つめながら思う。
(兄さんも毎日努力してる。)
誰もが積み重ねている。
父は領地のため。
母は家族のため。
兄は将来のため。
姉は……元気いっぱいだけど、弟を誰より大切に思ってくれている。
(だから俺も頑張ろう。)
◇◇◇
夜。
今日も魔力操作の時間がやってきた。
ゆっくりと魔力を巡らせる。
二年間。
七百三十日以上。
一日も欠かさず続けてきた鍛錬。
その積み重ねは、誰にも見えない。
誰にも褒められない。
それでも、アルスは続ける。
(努力は、いつか必ず実を結ぶ。)
前世で信じていた言葉。
そして今世でも、その信念は変わらない。
派手な魔法を放つことよりも。
強大な力を見せつけることよりも。
まずは、自分の力を正確に扱えること。
それが本当の強さだとアルスは考えていた。
窓の外では、満天の星が静かに輝いている。
その星空を眺めながら、アルスは穏やかに微笑んだ。
まだ二歳。
けれど、その歩みは一日一日、確かに未来へ続いている。




