第18話 魔法の本
アルスが二歳になってから、季節は初夏へと移り変わっていた。
毎日の生活は規則正しい。
朝は家族と朝食を囲み、午前中は家庭教師リーナと文字や数字を学ぶ。
午後は庭を散歩したり、鍛冶場へ顔を出したり。
夜になれば、誰にも気付かれないよう魔力操作の鍛錬を続ける。
そんな穏やかな日々を送っていた。
◇◇◇
ある日の午後。
アルスは父カインの書斎を訪れていた。
「失礼します。」
「おお、アルスか。」
父は執務机で書類に目を通していたが、息子の姿を見ると自然と笑顔になる。
「本を見に来たのか?」
「うん。」
「好きに見てもいいぞ。」
「ただし、高い棚には手を出さないこと。」
「うん!」
アルスは元気よく返事をすると、本棚の前へ向かった。
(今日も知らない本がたくさんある。)
歴史書。
地理書。
農業について書かれた本。
薬草図鑑。
そして、一冊の本が目に留まった。
表紙には魔法陣のような模様が描かれている。
(これは……。)
タイトルを読む。
『初級魔法学』
アルスの胸が高鳴った。
◇◇◇
アルスは椅子へ座り、本を開く。
まだ難しい文字も多い。
それでも、一文字ずつ丁寧に読んでいく。
『魔法とは、体内の魔力を属性へ変換し、現象として放出する技術である。』
(やっぱりそうか。)
アルスは心の中で頷いた。
前世には存在しなかった魔法。
しかし理論として考えれば、魔力というエネルギーを変換しているだけとも言える。
ページをめくる。
『魔法で最も重要なのは魔力量ではない。』
『魔力操作である。』
その一文に、アルスは思わず目を見開いた。
(……!)
生まれた日から毎日続けてきた魔力操作。
それは決して無駄ではなかった。
この世界でも、魔力操作は基礎中の基礎だったのだ。
◇◇◇
「アルス。」
父が椅子から立ち上がり、隣へ座る。
「その本に興味があるのか?」
「うん。」
アルスは素直に頷く。
「魔法。」
父は嬉しそうに笑った。
「その本は、私も子どもの頃に読んだ。」
「最初は難しいだろう。」
「でも、焦らなくていい。」
「少しずつ覚えていけばいいんだ。」
「うん!」
父は本を閉じることなく、一ページだけ説明してくれた。
「火属性なら炎。」
「水属性なら水。」
「同じ魔法でも、人によって威力も使い方も違う。」
「大切なのは、自分の魔法を理解することだ。」
アルスは真剣な表情で聞いていた。
(父さんは、本当に教えるのが上手だ。)
押し付けることなく、子どもの目線で話してくれる。
そんな父を、アルスはますます尊敬するようになっていた。
◇◇◇
その日の夕方。
鍛冶場へ立ち寄ると、ゴルンが剣の仕上げをしていた。
「坊ちゃん。」
「今日は本を読んでたって聞いたぞ。」
「うん。」
「魔法。」
ゴルンは腕を組みながら笑う。
「鍛冶も魔法も似たようなもんだ。」
アルスは首を傾げる。
「似てる?」
「ああ。」
「どっちも基礎が一番大事なんだ。」
「近道なんてねぇ。」
「毎日続けた奴が、一番強くなる。」
その言葉は、魔法学の本に書かれていた内容と重なった。
魔力操作。
鍛冶の基礎。
どちらも毎日の積み重ね。
(やっぱり努力は裏切らない。)
◇◇◇
夜。
ベッドの中。
アルスは今日読んだ魔法学の内容を思い返していた。
そして、静かに魔力を巡らせる。
体内を流れる魔力は、二年前とは比べものにならないほど滑らかになっていた。
《ファイアー》。
《ウォーター》。
どちらも問題なく発動できる。
しかし今日は発動しない。
ただ魔力を感じ、丁寧に循環させる。
(魔法は威力じゃない。)
(制御だ。)
本にもそう書かれていた。
そして、それは父やゴルンの言葉とも一致している。
基礎を大切にする者だけが、大きく成長できる。
アルスは静かに微笑んだ。
まだ二歳。
覚えることは山ほどある。
それでも、一歩ずつ学んでいけばいい。
いつか自分だけの魔法。
そして自分だけの鍛冶を完成させるために。
そう心へ誓いながら、アルスは穏やかな眠りにつくのだった。




