第15話 二歳の春
柔らかな春風が、シュゲール伯爵家の庭園を吹き抜ける。
色とりどりの花が咲き誇り、小鳥たちが楽しそうにさえずっていた。
今日は――アルス・シュゲールの二歳の誕生日である。
「アルス、お誕生日おめでとう。」
母エリザが優しく抱きしめる。
「ありがとう、お母様。」
まだ幼い話し方ではあるが、少しずつ言葉が増えてきた。
「おお。」
父カインが嬉しそうに笑う。
「ちゃんとお礼が言えるようになったか。」
「えらいぞ。」
大きな手で頭を優しく撫でられる。
その温もりに、アルスは自然と笑顔になった。
◇◇◇
「アルス!」
勢いよく飛び込んできたのは姉エルゼだった。
「お誕生日おめでとう!」
ぎゅっと抱きしめられる。
「ありがとう、お姉ちゃん。」
「きゃー!」
たった一言だったが、エルゼは顔を真っ赤にして喜ぶ。
「今、『お姉ちゃん』って言った!」
その様子を見て、兄アレックスが苦笑した。
「姉さん、落ち着いて。」
「無理!」
「アルスが可愛すぎる!」
部屋中が笑いに包まれる。
(今日も平和だな。)
そんな何気ない日常が、アルスは何より好きだった。
◇◇◇
朝食の後。
家族全員が応接室へ集まる。
「アルス。」
父カインが一冊の本を差し出した。
「誕生日の贈り物だ。」
表紙には、この世界の文字で『セレン王国の童話集』と書かれている。
「ほん!」
アルスは目を輝かせた。
「本が好きだからな。」
「もう少し大きくなれば、自分で読めるようになるだろう。」
「ありがとう。」
アルスは大切そうに本を抱きしめる。
前世でも、本は宝物だった。
新しい知識との出会いは、いつだって心を躍らせてくれる。
◇◇◇
午後。
家庭教師リーナとの授業が始まる。
「アルス様。」
「今日は復習をしましょう。」
文字カードが机に並べられる。
「これは?」
アルスは少し考える素振りを見せてから答えた。
「みず。」
「正解です。」
次は数字。
「三つあるのはどれでしょう?」
木の実が並ぶ。
アルスは迷わず三つ並んだ皿を指差した。
「素晴らしいですね。」
リーナ先生は感心したように微笑む。
「文字も数字も、とてもよく覚えています。」
もちろん、本当はもっと読める。
もっと計算もできる。
しかし、それを見せる必要はない。
今は"少し賢い二歳児"くらいがちょうどいい。
◇◇◇
授業が終わると、父が部屋へ入ってきた。
「リーナ先生。」
「アルスの様子はいかがですか?」
「とても順調です。」
「学ぶことを楽しんでいます。」
「それが一番ですね。」
父は満足そうに頷く。
「これからも焦らず、この子の興味を大切に育ててください。」
「承知いたしました。」
アルスは、そのやり取りを静かに聞いていた。
(父さんは、いつも俺の気持ちを一番に考えてくれる。)
だからこそ、自分も期待に応えたいと思う。
◇◇◇
夕方。
アルスは一人、窓辺に座って庭を眺めていた。
庭師が花壇を手入れしている。
馬丁が馬の世話をしている。
私兵たちは巡回へ出発していく。
使用人たちは忙しく屋敷を支えている。
(この家は、たくさんの人のおかげで成り立っている。)
父や母だけではない。
執事のレイム。
家令のライム。
専属メイド。
庭師。
馬丁。
私兵。
みんなが、それぞれの役割を果たしている。
だから、この穏やかな毎日がある。
(俺も、いつか誰かを支えられる人になりたい。)
◇◇◇
夜。
誕生日のお祝いも終わり、屋敷は静けさを取り戻していた。
アルスはいつものように魔力操作を始める。
二年間。
一日も欠かさず続けてきた鍛錬。
今では魔力を全身へ自然に巡らせられるようになっていた。
《ファイアー》《ウォーター》も安定して発動できる。
もちろん、誰にも見せることはない。
(焦る必要はない。)
知識も。
魔法も。
鍛冶も。
毎日積み重ねれば、必ず力になる。
そう信じて歩んできた。
そして、二歳になった今日。
アルスは改めて心に誓う。
(この温かな家族を守ろう。)
(この領地をもっと豊かにしよう。)
(そして、いつか世界を少しずつ変えていこう。)
小さな決意は、まだ誰にも知られていない。
しかし、その決意は確かにアルスの胸の中で芽吹き始めていた。
新たな一年もまた、学びと成長に満ちた日々になる。
そんな未来を思い描きながら、アルスは穏やかな眠りにつくのだった。




