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ネルソンはその調子で形見をすべて回収した。訪れた世界は幸いにしてどこも律属界であり、面倒ごとに巻きこまれはしなかった。
光環の糸を辿り、環の片割れのもとへ戻る。春本殿の一室には、残された環を囲むようにして拾得物が並んでいる。
「終わりました」
「お見事」
褒めたのは、モリジでもウツロギでもなかった。
畳敷きの部屋に、形見分けの儀を始めた時にはいなかった男が増えていた。穏やかな眼差し、額の中心で分かれて柔らかく落ちる髪、羽織着物の品のある着こなしに、どことなく文化人の香りが漂っている。反面、体つきは厚く、見る者にやわな印象を抱かせなかった。
「これだけしっかりとした形見が見つかったなら、私たちは自分の郷の警戒をするだけでいいかな」
「転生者の守護はワシらの領分だ。彼らはワシらカロンが追うから、あんたには別のことを頼みたい」
モリジが男を紹介する。
「お前は会うのが初めてだったな。この人が春ノ郷長だ」
「ネルソン君だね。私は高砂。郷長という肩書きより、継いだ名で呼んでくれると嬉しいな」
高砂はネルソンに握手を求めた。掌は硬く、温かかった。
「飛んだ先の世界はどうだった」
「異常ありませんでした」
「それは良かった。川中のことに集中できる」
高砂は腕を組む。
「これまで、パンサラサやパンゲアより隣暮へ流れ着いた虚神は数多いた。しかしどれも力の強いものばかりで、寄生鬼のような忘却の川の護りを破れない弱いものはいなかった」
「寄生鬼は自分で立ち上がれず、奪うことしか知らない貧しき神のはず。それが川中へ忍び込む道を、どうやって見出したのでしょう」
ウツロギの言葉は、全員が抱いている危惧を端的に言い表していた。
虚神は、混沌の海に生息する虚妄のものたちだ。彼らのあり方は、種族にもよるが、ゴンドワナの崩壊前から変わらない。他を侵略する習性を持つ者は幻界群や隣暮に手を伸ばし続け、内省の強いものは永遠に引きこもり続ける。寄生鬼はどちらかと言うと後者で、パンゲアに紛れ込んだごく少数のものが弱った魂魄を狙い、魂を追い出して魄を自分のものにするだけのはずだった。
モリジが渋い顔になる。
「考えられるのは、川を渡る転生者にどうにかしてついていったか、川中に知らない間に虚淵と繋がる抜け道が空いていたか」
「または、手引きした誰かがいるか」
高砂が言う。
──それだけは勘弁してくれ。
ネルソンは思う。この流れだと己もこの仕事に関わることになるだろう。内部犯の炙り出しなど、面倒で危険である。まっぴらだ。
モリジが高砂を見上げる。
「カロンは大いなる循環のため、また親愛なる春ノ郷の平穏のためなら協力を惜しまない。我々の輪廻路の調査で得た情報は、逐一共有することを約束しよう」
「春ノ郷も同じだよ。我が領域のことは君の島のこと。ロスト・ゴンドワナを愛する隣暮の民として、手を取り合おう」
高砂が微笑む。
「他の四領の長たちには私から伝えておく。川中か川外か。どちらでもいいから、はっきりとした痕跡が見つかってくれるといいんだけど」
*
渡守と春ノ郷は、連日寄生鬼を捜索した。寄生鬼はすでに夏ノ谷に移動したようで、特別に結成された追跡班がかの地へ向かっている。最初に見かけた個体以外に寄生鬼は見つかっていない。春ノ郷の衛士たちが鏡を持って郷中を練り歩き寄生鬼に寄生された者を探したが、それも見当たらなかった。
ネルソンは、春本殿で形見分けをして以来、黄泉ヶ原で捜索を続けていた。くだんの寄生鬼の侵入経路を探るためだ。寄生鬼は弱い虚神であるため、強大な力を持つ古種の虚神のように忘却の川を渡ることができない。だから、川の外からやって来た魂か、海から川中へ通じる抜け道のどちらかがないと、川中まで入り込めないはずなのである。しかし、めぼしい侵入経路はいつまでも発見されなかった。
それから数日が経って、ネルソンはモリジに呼び出された。黄泉ヶ原での寄生鬼探しを中断し、永らえの島へ戻る。先日と違って、彼は迎え番の番長球部──球部とは部屋のこと──にいた。番長球は出番を待つ迎え番の詰める大きな控え球部に付属しているので、呼び出しに応じたネルソンは同僚たちの好奇心に満ちた視線にさらされた。ネルソンはほとんどの時間を島の外で過ごしている。だから、控え球部にいるだけで珍しく思われているのだった。
「よう。出頭ご苦労」
番長球へ入ると、モリジが軽く挨拶してきた。彼の番長球は採取した枝や落葉した葉、直近のお迎え記録などが所狭しと詰まっていて、身の置き場がない。ネルソンは仕方なく床に散らばった葉の数枚をどけ、立ち位置を確保した。
「今度はどうしたんですか」
「お前に特別な手紙だ」
モリジは紙飛行機──渡守の依頼書である。渡守の依頼書は飛行機や船などの移動手段の形を模していて、おおよそ飛ぶ──を放ってよこす。ネルソンは片手で受け取り、開いた。そこにはこうあった。
渡守迎え番 ネルソン
この度、貴殿を研修生として輪廻巡りへ送り出すものとする。
ネルソンは紙を取り落としそうになった。
「待ってください。冗談ですよね」
「正式なものだ。お前に任せたいのはいつもの旅人たちの導きじゃない。お前自身が輪廻の対象候補になる。渡守の“研修”のことは聞いたことがあるだろう」
渡守の任務の一つに研修がある。これは、幻界群の法則に則ることも幻獣の力を借りることもせず幻界を渡ることがでにるという、特別な能力に恵まれた渡守が、その力を誤用することがないよう、幻界群の認識を確かめるために定められた風習である──と渡守以外の者たちには知られている。
だが、事実は異なる。
「ワシらカロンは、なぜ幻界間を何の干渉や制限もなく渡ることなできるのか。単純な幻界群同士の相互作用では処理しきれない重大な異変に対処するためだ。研修はその異変に対処するための隠れ蓑。つまり、お前は今回の異変を追い、対処法を探るための調査員に選ばれた」
めまいがした。
必ず誰かがやらなくてはならない仕事だ。そう知ってはいたが、いざ自分の番が回ってくると、納得よりも衝撃の方が大きい。
研修の任務につくことを、影で渡守たちは“肥料を撒きにいく”と呼ぶ。これは危険な任務につく調査員たちの末路が二分されることに基づいたものだった。うまくいけば花丸の評価をもらえ、階級が上がる。下手を打てば幻界群間の藻屑になるのである。
「なんで俺なんですか」
「あみだくじだ」
「くじかあ」
ネルソンは溜息をつく。
「俺の渡世もここまでか」
「諦めが早すぎる。くじとは言っても、八ツ手全員の携わったくじだ。お前たちの手でどうにかできるさだめにある」
八ツ手とは渡守の最終決定機関、最高責任者たちだ。彼らの円卓で行われたくじ引きはただの運任せでなく、託宣である。つまり、自分たちの力で結末を左右させられる可能性はあるのだ。その左右の幅の中に、自分たちの生存する未来が収まっているかは別として。
お前の手でどうにかできるさだめか。モリジの言葉から思考を巡らせたネルソンは、言葉を差し返した。
「モリジは八ツ手の一人だろ。俺の代わりに、誰か別の渡守を決めてもらうことはできないか」
「それはできん。悪く思うな」
即答である。ネルソンは舌打ちをこらえた。
「この、寄生鬼探しで忙しい時に、何でまた急に研修を」
「寄生鬼が出たからこそだ」
聖域である川中で虚神が出た。それ自体が、もっと大きな異変の前触れだということなのだ。
「研修を受ける者は他に三人。しっかりやってこい。お前の形見分けがなくなると、他の迎え番のの負担が増える」
「他の研修のメンバーは? お迎え番じゃないんですか」
「案内番から一人、御用聞きから二人だ」
渡守は、輪廻路を守るための務めを三つに分担して行っている。迎え番、案内番、御用聞きである。迎え番は転生者が以前の幻界を出て川を越え、輪廻路に辿り着くまでを手伝う。案内番は輪廻路を案内する。御用聞きは荒事と非常事態対応が専門だ。
御用聞きが二人いるならどうにかなるか。ネルソンは多少の希望を抱く。腕前のほどは分からないが、自分よりは断然いい。ネルソンは荒っぽいことはからっきしだった。
「もう行け。すぐに集合時間だ」
「もう?」
「お前が渋ると思ったから、そのまま現地に迎えって愚痴を吐きたくなるよう、集合時間を設定したんだ。いいか、集合場所は島の頂上、黄色の旗だ」
「なんで島の頂上なんだ。あのでかい木の上だなんて遠すぎる」
「その紙飛行機、捨てずに持っていけよ。彩雲にかざせば内容が浮き上がる。見たら燃やせ」
「しょうがないな。分かったよ」




