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なんだってんだ、とぼやきながらネルソンは番長球を後にした。こういう時に限って、島内のショートカットがお得意の双子はいないので、ひとっ飛びして木々の頂上へ赴く。何もこんな外れを集合場所にしなくとも、と再度思う。研修を受けることを知られたくなかろうという気遣いだろうか。
島の頂上の森には、五本の旗が立っている。集合場所はそのうちの中心、黄色の旗だった。すでに旗のもとには三人のカロンがいて、ネルソンを待っていた。
「あれ。誰かと思えば、ネルソンじゃないか」
三人のうちの一人、大柄な少年が言った。旗と似た濃い黄の髪。柳のような体型がほとんどのカロンにしては珍しく、はっきりとした筋肉がついている。一方で顔や目鼻立ちは丸く、他のカロン同様、 灯共の子的なあどけなさがある。
このカロンの名前はマッキー。ネルソンとは住む部屋が隣同士である。
「お前も研修か」
「ネルソンもなんだ。よろしくね。」
マッキーは同胞の中でも上位に食いこむ怪力の持ち主だ。そこを買われて御用聞きを命ぜられている。心優しく純粋で、道中に現れた予期せぬ落下物、立ち塞がる虚神や不浄訪問者に率先して対処してくれる。しかし困った癖もあった。力加減やその振るい方が雑なのである。そっと開けるはずだった古い扉を叩き割る、戦ううちに無我夢中になり地形を変えてしまうなどということが頻繁にある。彼の参加する輪廻講では、葦原民が彼の活躍に悲鳴を上げるのがお決まりだ。
「日頃の行いがまずかったのかなあ」
「何をしでかしたんだ」
「直近でいうと、この前の輪廻講で参加者すれすれに虚神を投げてしまった」
「いつも思うんだが、それだけの力があるなら、もうちょっとスマートに戦えるんじゃないのか」
「それがなかなか上手くいかないんだよ。面目ない」
マッキーは頭をかいた。心の底から気まずげな顔をしている。
そこへ、別のカロンが割りこんできた。
「しかし、マッキーの活躍なくては甚大な被害が出ていた、これは自明であります。あれはマッキーがいたからこそ、無傷とスリルだけで済んだのであります」
これもネルソンの知るカロンだった。名前はクエンティン。褐色の肌に丸顔、大きな瞳、眼鏡をかけた小さなカロンである。彼はカロンの中でも知られたお喋りで、博識でもあった。しかしせっかく培った叡智の活かしどころを見出す目には欠けており、余計なことを話そうとしたり言うべきことを言い忘れたりして、よく上位の渡守に咎められている。
「クエンもか。同じ輪廻班のメンバーが二人もいるのは偶然か?」
「どうでしょうなあ。まあ、小さな失態をおかしたという共通点もありますが」
「何したの」
「葦原民に崩れ花の話をしようとしました」
「そりゃあダメだ」
「事件名を出すだけならと考えた自分の認識が甘いと、先輩にご指導を受けました」
崩れ花の大暴流は 隣暮史に残る悲劇である。パンサラサの大波が 隣暮を襲い、多数の葦原民と天ツ民が虚神と化して海へ飛び立った。この話は聞いた葦原民を不安にさせるからと、口外を避けるのが暗黙の了解になっていた。
ネルソンは、残った唯一の知らないカロンへ向き直る。黒髪の品のよい少年である。胸元につけた青と黒の花飾りは自分たちより階級が二つ上である上級渡守の印だ。
「で、どちらさん?」
「私はアルニ。御用聞きの駆けつけ係だよ」
「へえ。あんたが」
上級渡守のアルニ。名前は聞いたことがあった。荒事を得意とする御用聞きの中で、多面的な対応を求められる緊急事態に対処する何でも屋こと駆けつけ係を拝命している者の一人だ。現場に駆けつける速度、揉め事を解決する手腕、様々な事態に対処できるだけの明晰な頭脳と武勇、宝具を使いこなす技量。何につけても優秀だという噂だった。
「まさかアルニさんまで一緒だとは思わなかったよ」
「奇遇でありますな」
「お前たちは知り合いなのか」
「この間の講をサポートしにきてくれたんだよ」
アルニはそういうこと、と破顔した。
「講のサポートだけじゃなくて、問題児のお守りまで仰せつかるのか。大変だな」
「サボリ魔のネルソンが言うではありませんか」
「まさか。私も他人ごとではないよ」
アルニの顔が翳る。
「私もその駆けつけた講で、虚神堕ちを出してしまった。もう少し早く見つけて、話をできていたら、違ったかもしれない」
「それはアルニ殿のせいではないであります」
「あれは仕方のないことだったよ。あの人も、あのまま転生したって辛かっただろう」
クエンティンとマッキーがアルニを慰める。
「ずいぶん波乱万丈な講だったんだな」
「ああ、本当に大変だったんだ。例の異常な虚神もこの時に出たんだよ」
「寄生鬼か?」
「万歳鬼。知らないの?」
マッキーの言うことは、ずっと黄泉ヶ原での寄生鬼捜索に参加していたネルソンにとって初耳だった。
「どんなだったんだ」
「あれ。本当に知らないのか。僕らの輪廻講の前に、異常分裂のできる万歳鬼が立ちふさがったんだよ」
渡守の持つ宝具〈空櫂〉は虚神を絶つとともに、分裂した意識を海へと戻す力を持つ。通常、断たれた虚神は戦う意欲をなくし、元いたパンサラサの海へと戻るはずだった。
しかし、マッキーたち輪廻講六班の前に立ちふさがった 万歳鬼は違った。断たれて分裂してもまだ、隣暮の民を脅かそうとするのをやめなかったのだ。
「 万歳鬼は他害性が強く、理性が弱い。空櫂での一撃を食らえばまず海に帰るはずだ。それなのにどうして持ちこたえ、対抗心を忘れなかったんだろう」
「虚神の中でも、ゴンドワナ崩壊前の大いなるものに近い種でもなければ、考えられない反応であります。はたしてあれはいったい何だったのかと、渡守研究部は大わらわであります」
クエンティンは鼻を鳴らす。
「そんな時に、研修で前線離脱とは! 我ながら不甲斐ないであります」
「虚神が凶暴化している可能性を考えて、輪廻講一班あたりにつく渡守の人数を増やし、講の数を減らしているそうだ。大変な時に力になれなくて歯がゆいよ」
僕が行っても手間を増やすだけになるかもだけど、とマッキーが肩を落とす。それに異を唱えたのは、アルニだった。
「いや、そうとも限らないよ」
「どういうこと?」
「ところで、ネルソン君たちお迎え番の方も何かあったんだろう? 聞かせてよ」
ネルソンがこれまでにあったことを話すと、クエンティンが肩をすぼめた。
「川中の旅人が寄生鬼に襲われそうになった? それだけでも驚きでありますが、その状況で居所寝とは。ネルソンの肝の据わりようは相変わらずでありますな」
「俺のサボり癖より、寄生鬼の気配に気づけたことの方を褒めてくれよ。ファインプレイだと思わないか」
「僕はすごいと思う」
マッキーは大まじめに拍手する。
「朧げな虚神たちの中でも、寄生鬼の気配は特に小さい。それに寝ながら気づけるなんて、さすがだね」
「なかなか来ない転生体を連続して迎えに行って、疲れていたところのひと眠りだ。その状況で、間一髪川中に現れた虚神を押さえたんだ。寄生鬼に襲われそうになった 灯共も無事転生したらしい。前代未聞のことが起きた割に、丸く収めた方だろ」
それならまあ、とクエンティンが頷く。
アルニが口を開く。
「どうも匂うな。君の見た寄生鬼に襲われた旅人がいたのは、私が途中合流した、マッキー君とクエンティン君のいる講だ。一つの講で、色々なことが起こりすぎている」
ネルソンは、手にしていた紙飛行機を開いて掲げた。
「じゃあ、あんたが八ツ手に人員の考え直しを提案してきてくれよ。平渡守の俺たちの言うことじゃなくて、上級のあんたの言うことなら八ツ手も聞いてくれるかもしれねえ」
「ネルソンは厚かましいであります」
「勇気があるよね」
「やかましい。こちとら寄生鬼を見かけてからずっと、形見分けを何人とやらされるわ、決まった休憩時間以外は黄泉ヶ原で捜索に駆り出されるわ、散々なんだ。その末に研修送りなんて、やってられるか」
この疲れ果てた体で研修の成果など出せるものか。ネルソンの命は今風前の灯火、パンサラサの藻屑同然である。渡守として馬車馬のように働き続けたいかと聞かれたら否だが、隣暮での暮らしには愛着がある。理不尽に取り上げられてたまるものかという心境だった。
ネルソンの掲げた紙を見たアルニが瞠目した。
「まだ内容を確認していないのか。紙を彩雲に晒して、仕事内容を確認してきた方がいい」
「急になんだよ。俺の話を聞いてたのか」
「聞いてたよ。研修内容の是非も確かめずに無理だと文句を言う奴があるかい。いいから早く」
アルニが背中を押してくる。ネルソンはぼやきながら光環で飛びたった。幸いなことに、ちょうど彩雲が彼らの眼下に流れを変えて赴いている。頭を下にして手を伸ばし、色のついた靄に紙をかざすと、淡い七色に染まった。最初の文面の隣、下地に残った余白が文字の形をしている。そこに現れた内容はこうだった。
「隣暮に虚神を呼ぶ者あり。各地を巡り、至急かつ内密に、事を然るべき形に収めよ」
彼は研修仲間たちのもとへ戻った。紙を見せると、アルニは頷いた。
「私たちに課されているのは、他の渡守たちがやっている単純な虚神探しじゃない。それを呼び込んでいる元凶探しだ。パンサラサの混沌と狂気にあてられる可能性は、他の渡守たちに比べて低いとは言えないが高いとも限らない。四領の長たちにすら本当の目的を隠しながら、隣暮のどこかにいる虚神の崇拝者を探さないといけないから難しくはあるが、調査区間も限られているんだから、このメンバーでできないこともない仕事のはずだ」
ネルソンたちは顔を見合わせた。
言われてみればそうかもしれない。しかし、四領の長に目的を秘匿するというアルニの言葉が、彼らの気分を重くする。隣暮をパンサラサの侵食より守る四幻獣と通じ合う四領の長は、各地の内情の把握はもちろん、領域を脅かしかねない可能性の検討に余念がない。もしも彼らに怪しまれ、追及されたら──考えるだけで背筋が凍る。
本来、四領は長たちの許可を得なければ越境を許されない地なのだ。渡守が日常的に彼らの領土を渡ることができているのは、輪廻講という大義があるからに他ならない。
「なんで俺たちみたいな平渡守に、こんな難しいことを任せるんだ」
「八ツ手はどうかしてしまったのでありましょうか」
「遺書を書いておこうかな」
研修生らはうなだれた。アルニは脅しすぎたと考えたのか、声の調子を和らげた。
「そこまで自虐的に悲観することはないよ。研修というお題目があれば、多少目に余るようなおイタをしても許されるさ」
「そのための研修扱いだったのか」
マッキーの顔が輝く。
「よく考えられてるなあ! さすが八ツ手だ」
「純真は幸せでありますな」
クエンティンの羨む声に、ネルソンも同調する。
「俺らの命がかかってるのに変わりないのは忘れるなよ」
「でも、僕らだけじゃなくてアルニもいるんだ」
きっとなんとかなる、と、彼はカロンにしては大きめの拳を握った。
アルニは人差し指を落とす。緑豊かな島の下には、穏やかな花の郷が広がっている。
「まずはすべての始まりである、寄生鬼の目撃情報があった春ノ郷での調査から始めよう」




