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同じパンサラサ由来でも、パンサラサの潮騒が聞こえた者と虚神に憑かれた者の兆候と変化は異なる。
パンサラサの潮騒が聞こえた者は、虚神になる。変化の前触れは急激に現れ、進行する。感覚の鈍麻や意欲の減退から始まり、顔面の脱力が始まった時にはもう手遅れだ。どの虚神になるかは本人の資質次第である。
対照的に、虚神に憑かれた者、虚神を崇拝する者は大きく変化しない。虚神化することもあればそのままの姿でいることもある。対象の虚神によって異なるが、おおよそ侵食による変化は緩やかに起こるようだ。その変化を見つけることは難しい。強いていうならば、強度に周囲に対して適応しようとする傾向にあるという。
「ところがどっこい。春ノ郷の人は、みんなサービス過剰気味なんだよな」
「接客業のさがだね」
春ノ郷は、訪れた者を癒し、清めるための施設が多い。ここで働くのはこの地の天ツ民だ。彼らはやって来た転生者を歓迎し、パンサラサの水に浸からせて次の転生のための禊を始める義務を持つ。そのため、あらゆる人に親切にする。すべては大いなる循環のため。このスローガンは癒しの地においても適用される。
ネルソンたちが春ノ郷に降り立つなり、ちょうど通りかかった物売りや呼びこみたちが声をかけてきた。
「渡守さんたち、川ブドウのジュースはどうだい。冷たくておいしいよ」
「山椒のおにぎりはどう? 今ならたくわんもついてくる」
「うちで足湯に浸かっていかないか」
「ごめん。また今度寄るよ」
マッキーが愛想よく返す。人気の少ない方へ行き、ネルソンは三人に語る。
「黄泉ヶ原に不審な抜け穴は見つかっていない。春ノ郷もだ。どちらの調査網にも、海から来た客はいなかった。転生者に寄生してきたとしか考えられない、というのが、今の渡守と春ノ郷の見解だ」
「でも、怪しい者はいなかった」
「そうだ」
「手がかりがないなら、いったん寄生鬼から焦点を外した方がいいかもしれない。例の講の前後に郷で変わったことがなかったか、確認しよう」
アルニが提案した。
「どうやってでありますか」
「聞き込み調査には時間がかかるよ」
「カスミ屋を使う」
クエンティンとマッキーは首を傾げる。二人は輪廻講担当として四領を移動していることが多いため、春ノ郷に詳しくない。それを察したアルニが説明する。
「カスミ屋というのは春ノ郷にある店の屋号だよ。一見すると春ノ郷のどこにでもある小料理屋なんだけど、本当の仕事は人材斡旋で、郷中の民の動きと情報を集めている。あそこに行けば大抵の情報を買える」
「人材斡旋なんて、別に悪い仕事じゃないじゃないか。どうして隠れているんだい」
「隠れてやってるのは転生者に対してだけだ」
ネルソンが答える。
「春ノ郷じゃみんな知ってる。人材斡旋を看板にかかげていないのは、春ノ郷のテーマである癒しにそぐわないから、というのが表向きの理由」
「本当は?」
「そもそもまっとうに小料理屋として商売を始めたから。あそこは飯より人材斡旋の方がうまい。そういうことだ」
四人はカスミ屋に向かった。店は転生者の好む花通り街よりずっと遠い、朔小道の近く、郷の外れにあった。古い木による素朴な店構えは、夜になれば完全に闇に溶けるだろう。軒先に絡みつく藤の薄紫が陰気な提燈のようだ。
がたつく格子戸を開く。店の中は薄暗く、客は見えない。左右に通じる道から空間は奥の方へ続いている。正面にはカウンターが一つあって、中で女が独り、大籠いっぱいの梅のヘタを取っている。
女はじろりとこちらを見た。店構えそのままの、愛想のない女だった。
「何にするんだい」
「郷模様を一つ、松で。後の支払いは追々」
アルニは腰袋からカードを一枚差し出し、カウンターに置く。
女はカードを取り、検分する。鼻を鳴らした。
「部屋は二番だ」
「ありがとうございます」
右手の回廊を通る。襖が並ぶ道を歩きながら、ネルソンはアルニに囁いた。
「松とは太っ腹だな。何を渡したんだ」
「冬ノ島の産物引換券だよ」
「ああ。おいしいって評判の、水野菜だね」
「冬ノ島の産物は輸出規制がされていて貴重でありますから」
二番の札が下がっている部屋に入る。畳敷きの八畳一間に黒漆の座卓があって、対面に着物の灯共が正座していた。目の六つ並んだ四角の紙袋を被っている。
仮面の人は深々と頭を下げ、巻き物を差し出した。
「ご注文の郷模様の詳細、揺り籠から墓場まで、でございます」
男の手が巻き物を解く。長い絵巻だった。春ノ郷の全景が描かれており、深みのある緑を帯びた墨を用いて描かれた人や文字が動いている。
「ご要望の期間を、いかようにでもお見せしましょう。もちろん対価はいただきますので、お忘れなく」
アルニは講の期間の三か月前後を指定した。絵が目まぐるしく巻き戻り、指定された頃の郷の景色をおびただしい絵と言葉で示していく。池屋が夏ノ谷より越してきた新たな従業員を迎えた、何百回と講が訪れた、新たな天ツ民を連れてくる蓮座が開いた──四人は必死に目を凝らして時の流れを追った。しかし、取り立てて奇異なことは見つからなかった。
「蓮座に寄生鬼が紛れる可能性はないのかな」
「ありません。あったとしても、蓮座より降り立ったばかりの子には学院の検診がなされます。浄玻璃の鏡も検診内容に入っていますから、早々に発見されるはずです」
「変わったことは起きていないか。早々に夏ノ谷に行った方がいいかな」
「待て」
ネルソンは最初に戻って繰り返し情報を流す絵図の動きを止めさせた。春本殿よりほど近い、窓のない堅牢な建物に空飛ぶ箱の群れ一列が入っていくところが目についたのだ。
囚人護送の隊列だった。箱には秋ノ市の紋が記されている。
「これ、誰が連れてこられたか分かるか」
「ええ、お任せください」
男の指が箱をつつく。ぱらぱらと文字が転がり出た。見知らぬ名前ばかりだったが、一つだけ覚えのある者がいた。
「ジャノメがいる」
「誰?」
「春ノ郷学院所属の研究者でありますな。著名な論文は『呼水浸食率と魂ノ緒軌道の相対関係と輪廻転生に及ぼす影響』。パンサラサと輪廻研究の専門家であります」
学院の論文を定期購読しているクエンティンがすぐさま答える。
「ネルソンは彼女と知り合いでありますか」
「前に仕事で会った。あいつが定期研究報告を三回すっぽかして、罰として黄泉ヶ原の抜け道に並んだ正義鬼を追い返す作業に回されてきたんだ」
「あの女史はずぼらでありまして、今収監されているのも定期研究報告を十五回すっぽかし、学会の無断欠席を十回したからなのであります」
「仕方ない人だなあ」
マッキーが呆れる。アルニは苦笑いする。
「でも、優秀な学者だって聞いたよ」
「ああ、そうだよ。あいつなら寄生鬼の行動や追跡について参考になる手がかりをくれるかもしれない。会っていかないか」
「他にあてもない。行ってみよう」




