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御伽話集成ロスト・ゴンドワナ  作者: 祐川 千
2章 渡守の輪廻路研修
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2-6

 アルニが男に代金を払うのを待ってから、カスミ屋を出た。ここから牢までは遠い。幸運なことに、そばに比丘尼蔦の路地に通じる小道があったため、アルニの上級渡守の権限を利用して牢の近くへ近道させてもらう。路地を出て間もなく、牢にたどり着いた。蔦で覆われた小屋は小さく、とても大勢の囚人を収容しているとは思えない。牢の本体は地下にあるのだ。

 渡守の権限で開錠する。屋内には格子戸で二つに分けられている。奥の方には階段が、手前には牢番の木偶人形が四体いた。人形たちは顔がなく、服や靴も身につけていない。つるりとした肌に木目模様、それだけである。

 人形たちの胴体に文字が浮かび上がる。

『所属を提示し、ご用件をお伝えください』

 アルニが光環を一つ差し出す。光環は渡守の身分証代わりなのだ。

「ジャノメさんと面会したい」

 研修のためと事情を説明し、木偶人形の一体の付き添いを得て階段を下っていく。

 牢はどこも灰色の木材でできていて、清潔だった。春ノ郷の建築物はすべて木造りにせよと定められているため、ここもやはり木造である。他の領民からは素材の耐久性から脱獄を心配されるが、実は他領の牢獄と引けを取らないかそれ以上に堅牢である。春ノ郷の牢に用いられている木材は乾坤木といって、平均的な金属よりずっと硬度が高いからだ。加工には金製の鑿やヤスリが必要であり、刃の形にして振るえば岩盤に亀裂を入れることも可能である。おまけに燻せば火にも強くなるという、ロスト・ゴンドワナ中の樹々の中でも上位にいる頑丈な木材だった。

 ジャノメがいるのは地上に近い、軽犯罪の階層だ。装飾も何もない一枚板の扉がずらりと並ぶ通りをずっと行く。木偶人形がある一室の前で止まった。取っ手はないが、人形が指を差しこんで回すと戸が開いた。面会室が現れる。部屋を仕切る透明な膜越しに独房が見えた。簡素な一室の壁は本で埋め尽くされ、小さな文机の上にも本が堆積している。

 呼び鈴が鳴る。すぐには反応がなかった。待っていると、床から灰色の人型が身を起こした。乾坤木でできた木偶人形、見回り用の個体だった。右肘から下が欠けている。

 灰色人形は体を震わせた。関節がぶつかり合い、木と木の触れ合う音が言葉を紡ぎはじめる。

「やあ。渡守がここに来るとは、珍しい。私はジャノメ、学者だよ。何の用かな」

 渡守たちは戸惑った。

 木偶人形は話さないはずだ。しかも、ネルソンの記憶にあるジャノメと同じ話し方をしている。

 クエンティンとマッキーは囁きをかわす。

「ジャノメ氏は灯共(ひと)ではありませんでしたでしょうか」

「フォルムチェンジかな」

 ネルソンが話しかける。

「ジャノメ。いつからその体に?」

「おお。君には見覚えがあるな。正義鬼(テュフロス)行列解消作戦の時にいた渡守じゃないか」

「ネルソンだよ」

「そうだ。ネルソン君」

 灰色の手が触れ合い、うつろな音を立てる。本人の記憶を持っているところを見るに、ジャノメその人で間違いないようだ。

「あんたは人型だったはずだろう。なんで木偶人形になっているんだ」

「そう。そのホットな話題について、私は今まさに誰かに話したかったんだ」

 ジャノメは身を乗り出した。透明な皮膜に左手をつき、渡守たちを眺め回す。

「あの日、私はいつも通り課せられた軽作業をしていた。ナナイロオッポウシネズミの移動に伴う星のかけらの採集さ。これが気の遠くなるほど実用的で気乗りのしないものなんだよ。奴らは自分の尾が七色に光る、その反射を追いかけて一生移動し続ける奴らなんだが、何の間違いなのか、その反射に触れることができると幽と魂がぶつかり合って星のかけらが顕在化する。この星のかけらを集めてエネルギーを稼ぐという、本当に誰でもできる実用的な作業なんだ。おまけに奴らときたら仲間に映りこんだ反射でも貪欲に叩くから仲間割れだの喧嘩だのいうのはしょっちゅうで、これを引き剥がすのも私の仕事でね。まったく争い事は当事者同士で収めてもらいたいものだよ」

「博士、あんたがその体になった経緯だけ手短に喋っちゃくれないか」

「ネルソン君はせっかちだね。仕方ない、端折ろう」

 それからジャノメが語ったのは、次のような内容だった。



 数日前、ジャノメはいつものようにナナイロオッポウシネズミなどの世話をしていた。ケージの中、七匹のネズミたちは思い思いに光の反射を追いかけている。見飽きた光景を見るともなしに見ていたジャノメは、うち一匹が光を追いかけず、こちらを見つめ返しているのに気づいた。

「もし、そこのお方」

 そのネズミは喋り出した。

「もしや、新進気鋭のパンサラサ研究家であらせられるジャノメ博士では」

「おや、私はいかにもジャノメだが。君、喋ることができたのかね」

「ちょうど人心地ついて話せるようになったのです。ネズミの体は不便で困ります」

 ジャノメは、俄然ネズミに好奇心を掻き立てられた。

 喋るナナイロオッポウシネズミなど聞いたことも見たこともない。ネズミが突如パンサラサの導きを得たか、別の魂が入りこんでいるのだろう。正体を確かめたい。

 ジャノメはネズミにパーソンと名づけ、そこから数日ネズミと交流した。囚人が作業として面倒を見るナナイロオッポウシネズミの面子は原則変更されない。これは囚人の幻界との関わりを補強するためだと聞いているが、それはともかくジャノメの関心事を確かめるにはうってつけだった。

 パーソンは確かな記憶力を持っていた。いつまでもジャノメのつけた名前を覚えている。ジャノメの話した内容もよく覚えていて、実験のためさりげなくさせてみた行動も、過去にした内容と重複していると、これで本当に合っているのかと不思議そうにする。パンサラサの潮騒は聞いていないようだ。呼水に触れる機会があったか何かで、どこからかさまよいこんだ魂が宿ってしまったのだろうとジャノメは推察した。そのさまよう魂はきっと虚神ではない。虚神であれば、まずここへやって来ることすらできないはずだ。原種に近い者たちならばできないことはないが、このネズミの形をしている者は、そういった種のどれとも特徴が一致しない。

 パーソンはジャノメのいい退屈しのぎになった。実験がてら、彼女らはよく会話をした。ネズミの体は視点が低すぎないかい、確かにそうですね、前はどこにいたんだい、狭い穴ぐらに、本当の名前は何というんだね、覚えていません、といった具合に。嘘いつわりは行っていないように感ぜられた。

 そして昨日である。いつもの作業をこなしながら会話をしていると、ネズミは彼女に頭を下げた。

「博士。いつも僕と懇意にしてくださって、ありがとうございます。お礼に、今日は僕の特技をお見せしたいのです」

「いいよ。やってごらん」

「博士は、そろそろ外を見たいのではありませんか」

「春ノ郷の景色は散々見ているからなあ」

「見慣れないものがよろしいのですね。では、あの木偶人形の体に博士の魂を飛ばして差し上げます」

 扉の外には、ちょうど巡回の灰色人形が差しかかったところだった。立ち止まって、独房の様子を観察している。

「それは面白そうだ」

 ネズミは二本足で立ち上がった。そういうふうに立てることを、この時に初めて知った。

「飛んでけ飛んでけ、ぽん!」

 体が後方に突き飛ばされる感覚があった。視界が遠ざかる。瞬きをする。すると自分のいる独房の扉が目の前に現れた。本当に木偶人形に入りこむことができたのだ。

 ジャノメは人形の手を使い、扉を開けて面会室に入った。独房の中にはネズミと、倒れている自分の魄体があった。

「すごいじゃないか、君!」

 人形の手で透明な遮断膜を解除し、独房の中へ戻る。ネズミは、ぽん、ともう一回言った。すると小さな体が落ち、代わりにジャノメが上体を起こした。

「もちろん、私自身のことも飛ばせますよ」

「器用だね。こんな技、どうやって身につけたんだい」

 答えたのは他六匹のネズミたちだった。ジィジィと声をあげ、彼らはジャノメ──灰色人形に入りこんでいる本当の──の右の肘に飛びついた。歯が灼熱を帯び、肘をかじり落とす。床に落ちた肘をパーソンが拾う。

「これはこれは」

「どうしたことだ」

 ジャノメの体にいるパーソンは立ち上がり、ジャノメの方へ歩き、素通りした。彼は面会室との境を跨ぎ、錠前に取れた指先を差し込む。薄い皮膜が戻った。独房と面会室が完全に遮断される。パーソンはジャノメの問いかけに応えず、面会室の戸にも鍵をかけた。



「それきり奴は帰って来ない。私はこの木偶人形の体に宿りっぱなしだ。魄体を持っていかれてしまって、困らないわけじゃあない。しかし魄体の手入れにはうんざりしていたから、これもまたいい機会かと思ってね。私は収監中の身だ。慎ましく罰と受け止めるべきなのかもしれないとも考えた。どちらでも構わないさ。禍福は糾える縄の如しだろう。だから天意、もしくは牢獄の主の意思だと思ってこのまま過ごしていたわけだ。今やっと慣れてきて、ここまで喋れるようになったんだよ。君たちは運が良かった」

 渡守たちは顔を見合わせた。誰もが絶句していた。

 ネルソンが咳ばらいをした。

「これ、一大事なんじゃないのか」

「春本殿に報告しよう」

 アルニが頷いた。

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